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第2話
◇
数人の男に取り囲まれ、切っ先を突きつけられて、リュドラーは両手を頭の後ろで組んだ。その横でトゥヒムもおなじポーズを取り、抵抗の意はないと示す。
「何者だ」
誰何され、リュドラーはよく通る低い声を発した。
「この館の主に会いたい。面識はある。俺の顔を見れば誰かわかるはずだ。サヒサを呼んでくれ」
男たちは警戒の色を前面に押し出して、切っ先をさらにリュドラーへと向けた。
「名乗らないものを取り次ぐわけにはいかない」
男の言い分はもっともだ。しかしここで名を明かして、トゥヒムに危害を加えられては困る。
「なんだ。――答えないのか」
切っ先をチラチラと揺らして威嚇してくる男を、リュドラーはひとにらみした。眼光の鋭さに、男が「ヒッ」と喉奥で悲鳴を上げて腰を引く。
そこでふと、リュドラーはあることを思い出した。
「名乗らないほうが主人のためになる。言えない筋で人を連れてきた。そう取り次いでくれればいい」
褒められた話ではないが、この国では人身売買が行われている。たいていは食うに困った人間が労働力や楽しみの相手として身を売るのだが、なかには没落貴族の血を引くものが、こっそりと身売りをすることもある。そういう場合は公にはしない配慮が、売り人と買い人との間になされる。それを利用しようとリュドラーは考えた。
この屋敷の人間ならば、その配慮を知っているはずだ。
リュドラーの思惑は当たったらしく、男のひとりが「ここでおとなしくしていろ」と言って、屋敷へ駆けた。
これで屋敷の中に通される。
戻ってきた男に案内されて、リュドラーとトゥヒムは裏口から客間へ通され、しばらく待つよう言い置かれた。
「なあ、リュドラー」
「いかがしましたか、殿下」
「言えない筋で人を連れてきたとは、こういう場合のためにサヒサとひそかに算段をつけていたのか」
リュドラーは年よりも幼く見える曇りのない瞳にほほえんだ。
(この穢れなき魂を、かならず守り抜き天寿を全うさせてみせる)
「まあ、当たらずとも遠からず、と言ったところでしょうか。商人は権力よりも利益に従うもの。――利益があるとなれば、見合った危険も喜んで受け入れるものです」
「では、算段をつけていたわけではなく、商談をするために、ああいう言い方をしたというのか」
「そのとおりです、殿下。この俺の腕を護衛として差し出し、殿下を養育してもらう。――これだけの屋敷を構える男ですから、護衛はいくらいても困りはしないはずですから」
「そのうちの一人が勇猛で知られる騎士リュドラーならば、申し分ない利益となる、というわけか」
「ええ」
「私もなにか、売り込めるものがあればいいのだが」
トゥヒムが眉をひそめ、うつむいた。
「殿下には教養がございます」
「それが利益になるだろうか」
「なりますとも。作法の教授や目利きの手伝い、話し相手にもなれましょう。なにも腕っぷしだけが、利益となりえるものではありません」
「そう言ってもらえると、すこしは気が楽になるな」
「大丈夫。自信をお持ちください」
「うん。ありがとう、リュドラー」
そう答えはしたが、リュドラーはトゥヒムを働かせるつもりはなかった。己の腕だけを条件に交渉する気でいる。
しかしトゥヒムは自分もこれからは自活しなければと、胸に硬く決意していた。いつまでも守られるばかりではいられない。次期国王として励んできた勉学の数々を使って、生活に必要な金銭を得なければと考えていた。
(リュドラーに頼るばかりではいけない)
なんでも思い通りに手に入れられると勘違いをし、民をないがしろにしてきたからこそ、市民革命は起こったのだ。自分が王位を継いだら理不尽な法や慣習は撤廃していこうと考えていたが、間に合わなかった。しかし、それを活かして自分を生かす機会までもが失われたわけではない。逃げる最中、自分も父王とおなじく磔に、と考えたが、必死に自分を守ろうとしてくれているリュドラーの忠義に応え、生きる道を選ぼう。
それぞれに決意を新たにしたころに、館の主サヒサが現れた。
「やあ、待たせたね。――おや」
酸いも甘いも経験をしてきたと物語る、油断のない目がリュドラーの顔の上で止まった。口の端をわずかに持ち上げたサヒサの視線は、深いフードで顔を隠しているトゥヒムに移動した。
「なるほど」
つぶやいたサヒサはふたたびリュドラーに視線を戻し、彼のたくましく鍛え抜かれた肉体をじっくりと観察すると、腰に帯びている短剣に目を止めた。
「その武器を、こちらに渡してもらおうか」
リュドラーはためらわなかった。鞘ごと外してサヒサに向かって投げる。短剣は毛足の長いじゅうたんの上に音もなく落ちた。
「その他に武器は?」
「持っていない」
サヒサの唇に壮年の色香が漂う。きっちりと後ろになでつけられた髪に、油断なく輝く瞳と年齢にふさわしい目じりのシワ。通った鼻筋に、上品だがどこか淫猥な雰囲気を持つ笑みを乗せた薄い唇。ほどよい筋肉に包まれた体のラインを強調するような、ピッチリとしたジャケットに細身のズボンを穿いている。堂々とした姿は貴族と紹介をされても遜色のない、凛としたたたずまいだった。
「下がりなさい」
愉快そうな響きの声で、サヒサは人払いをした。短剣を拾ったサヒサはみずぼらしい外套に身を隠しているトゥヒムに声をかける。
「自分の思い違いでなければ、そちらはトゥヒム殿下ではありませんか」
トゥヒムは外套を外して、自分の姿をサヒサに見せた。やわらかな黄金の髪。透けるように白い肌。愛らしい小動物を思わせる大きな青い瞳に、少年の気配を残すふっくらとした頬。細く長い首と、なだらかな肩。多くの者にかしずかれ守られてきた気品と、ガラス細工のように透明な危うさを有している青年トゥヒムは、声変わりを経験していないのかと思うほど、高く澄んだ声を出した。
「こうして顔を合わせるのは、どのくらいぶりだろうか。――久しいな、サヒサ」
「そう。異国の珍しかな織物を献上したのが、三ヶ月ほど前のこと。となれば、そのくらいぶり、ということになりますか」
うん、とトゥヒムがうなずく。
「おまえはよく、父上に献上品を持って来たな」
「国王はおいたわしいことになりまして……」
「いい。――非情なようだが、自業自得というものだ」
トゥヒムは視線を落として、輝かしい肌に暗い影をよぎらせた。サヒサがちいさな好色の光を瞳に浮かべる。
「そのように受け止めておられるのなら、話ははやい。もはや殿下は殿下にあらず。身寄りもなく行き場を失った、ただの浮浪者とおなじ」
「きさま、殿下を愚弄する気か」
「いいんだ、リュドラー。サヒサの言うとおりだ」
気色ばんだリュドラーを、トゥヒムがやわらかく制する。サヒサが満足そうにうなずいた。
「ならば、言葉遣いを対等なものに改めさせてもらうとしよう。……おそらく自分に庇護を求めに来たのだろうからね。こちらが下手に出る必要はない」
ニヤリとしたサヒサに、リュドラーは選択を間違えたのかもしれないと臍を嚙んだ。しかしほかに助けを求められそうな人物は思い浮かばなかった。サヒサは城下でいちばん裕福な、貴族をもしのぐ有力な商人だ。中途半端な相手に助けを乞うよりは、より高く利用価値を見出してくれる人物のほうがいい。それに彼はリュドラーの耳に「商人は利益を優先する生き物だ」とささやいた。それはつまり、リュドラーに利益的価値があると言ったも同然だった。
「私は無力な人間だ。しかし、このリュドラーが命をかけて城から助け出してくれた。その命をむざむざ失うのは、リュドラーの忠義を無駄にすることになる。……サヒサ。どうか私に仕事を与えてくれ。できることならば、どんなことでも受ける」
トゥヒムの覚悟にリュドラーはギョッとした。
「殿下」
自分ひとりが苦労をすれば、トゥヒムには城での生活とまではいかないが、不自由のない暮らしをさせられると考えていたリュドラーは焦った。
「殿下が働く必要など、ありません」
「さっきと言っていることが違うぞ、リュドラー。おまえは私に利益になるものを持っていると言ってくれたじゃないか。あれはウソだったのか?」
「いえ……」
「ならば、私も働こう。なにもしないで守られるばかりでいるのは、もうたくさんだ」
「……殿下」
「なるほど。美しい主従愛だ。たしかにトゥヒム殿下……、いや。呼び捨てにさせてもらうとしよう。かまわないかね」
もちろん、とトゥヒムはうなずく。
「殿下と呼ぶのは、そちらに迷惑がかかるだろう」
「ご尊顔を知らぬものも多い。呼び捨てならば偶然の同名と言い訳もできる。……あるいは、雇ったときにつけた別の名と言い逃れることも可能だ。――そういうことで、リュドラー。君もトゥヒムを殿下と呼ぶのはやめたまえ」
リュドラーはしぶしぶ了承した。
「これからは、トゥヒム様と呼ばせていただきます」
「おなじ働き手となるんだ。敬称も敬語も必要はないぞ、リュドラー」
「そう言われましても」
困惑したリュドラーに、サヒサが助け舟を出した。
「なに。かまわないさ、トゥヒム。リュドラーは君の従僕という形にしておけば、なにも問題はないだろう」
「では、俺たちを雇う気があるんだな」
「こちらの条件を呑むのであれば、の話だよ」
サヒサがねっとりとした視線でリュドラーの肢体をながめた。ゾワリと産毛を逆立てたリュドラーの反応に、サヒサがクックッと喉を鳴らす。
「淫靡な余興の奴隷として従うのであれば、トゥヒムにふさわしい暮らしを保証しよう」
なにを言われているのか、リュドラーは瞬時に理解ができなかった。
「な……、に?」
「トゥヒムは自分の客人として遇すると言っているんだ。この屋敷でいちばん住み心地のいい部屋を用意し、衣服も料理も自分と遜色のないものを与える。だが、ただそうするだけではないよ。退屈なときの話し相手になってもらうし、遊びにもつきあってもらう。ほとぼりが冷めたころ、商売ができるように取り計らってもいい。そのために必要な知識などは教えるよ。――どうかな? これ以上の条件を提示できるものは、自分のほかにはいないと思うが」
サヒサの瞳が淫靡に暗く光っている。さきほどの言葉は本気なのだと、驚きの先に理解したリュドラーは喉を鳴らした。
(この俺を、奴隷にする……、だと)
護衛や警護ではなく、肉欲の奴隷として働くのならという提案に、リュドラーは迷った。横目でチラリとトゥヒムを見れば、彼は提示された条件「淫靡な余興の奴隷」という言葉がわからないらしく、キョトンとしている。
無理もない。
放蕩の限りを尽くしていた王に愛想をつかしていた女王から、トゥヒムは過保護すぎるほど過保護な扱いを受けていた。通常ならばその道を知って当然の年頃でありながら、そのあたりの知識が欠けている。わかるのは「奴隷」という言葉ぐらいで、それが実際、どのようなものであるかは知らないはずだ。
「リュドラー。その条件は、かなりつらいものなのか」
蒼白になって固まっているリュドラーの反応から、トゥヒムはそう判断した。美しい眉をひそめるトゥヒムを見ながら、リュドラーはサヒサの提案を吟味する。
考え得る最上の扱いだった。
(この俺が性奴隷として働けば、殿下は健やかな日々を送ることが可能になる)
この身を犠牲にすれば、望むものが手に入る。
リュドラーは緊張に喉を鳴らした。覚悟を決めろと自分に言い聞かせる。奉仕している姿をトゥヒムに見られるわけではあるまい。隠しおおせば済むことだ。いずれは知識を得て知られるだろうが、実際の姿を見られなければ……。
「わかった。その条件を呑もう」
サヒサがニンマリとする。
「それでは、いまから約束をしたとおりの扱いをさせてもらおう。――まずは風呂に入り、食事をして今夜はぐっすり眠るといい。すぐに用意をさせるから、しばらくここで待っていたまえ」
ふたりに背を向けたサヒサは、そうそうと言いながら肩越しに振り向いた。
「この屋敷から出ようとは考えないことだ。万が一、素性が知れたらどうなるか……。君たちの生殺与奪権は自分にある。それをしっかりと意識に刻んでおきたまえ」
扉を開けて姿を消したサヒサの声は、ふたりの心に絶望の予感をちらつかせた。
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