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第7話

 食事を終えたトゥヒムは与えられた部屋に戻り、机に向かって本を読んでいた。  それはあらゆる職業を掲載している、職業辞書とも言えるもので、まずはこれでどんな仕事があるのかを知るようにと与えられたものだった。  ページをめくるごとに、トゥヒムは自分の無知に気づかされ、それを恥じた。  母親の方針で城の奥深くに、なかば閉じ込められているような状態で育てられた。けれど情報のすべてを遮断することは難しく、トゥヒムの耳には父王の浪費や女性問題に関する醜聞のかけらが届いた。  トゥヒムは母親の目を盗み、それらの情報を集めて貴族や民の不満を知り、自分が王となったあかつきには、そのようなふるまいはしないでおこうと心に誓った。  だから、市民が城を襲ったことにも驚かなかった。父王の所業に、とうとう民の不満が噴出したのかと受け入れた。  自分は民のことを理解していると思っていた。  けれど手の中にある本は、トゥヒムの無知をののしっている。知っているつもりであったトゥヒムをあざ笑うかのように、さまざまな職業が掲載されていた。  当たり前に提供されていたもの。それを作る人間がいると、どうして考えつかなかったのだろう。メイドや従僕も、そういうものではなく職業だった。――なぜ、そんな簡単なことを知らなかったのか。  市民革命は起こるべくして起こったのだと、トゥヒムは皮肉とも悲哀ともつかない笑みを浮かべた。知ったつもりでいい気になっていた者が統べるよりも、民が主体となって意見を出し合い、国を運営していくほうがずっと人々のためになる。父王の処刑は避けられないものだったのだと、冷淡な感想を書物の先に見つけた。  父王の素行を非難していた母親に育てられたトゥヒムは、父王との面識がほとんどない。ただの顔見知りという程度で、肉親の情が湧く関係ではなかった。向こうもトゥヒムに父親らしい顔を見せたことはない。だから父王が処刑されたと聞いても、なんの感慨も湧かなかった。  それよりも、リュドラーだ。  娼婦の項目に行き当たり、トゥヒムは顔をしかめた。性奴隷というものはつまり、娼婦よりも身分の低い、娼婦のようなものだと本を渡されたときに言われた。  本能の欲を己の体を使って解消させる職業、とある。  裸身の男と女が絡み合う挿絵を見ても、トゥヒムはうまく理解ができなかった。  男の生理現象をメイドに慰められたことは、幾度もある。それは淡々と手を使っておこなわれた。それを楽しみとして味わうのだと聞かされても、よくわからない。  あの行為が心地よくなかった、とは言わない。しかし楽しむという部分に意識が行かない。  母親の「恥ずべきもの」という言葉が、トゥヒムの意識に深く刻まれている。メイドにされるときにはいつも、トゥヒムは罪悪感を覚えていた。  それなのに多くの人々は、それを楽しんでいるという。 (理解ができない)  だが、しなくてはならないとトゥヒムは挿絵を凝視する。リュドラーはこれから、こういう行為を仕事としてする身になるのだから。 (女性の相手をする、ということか)  そう思ってページをめくったトゥヒムは息を呑んだ。  そこには、縄で戒められた男が、鳥の羽や鞭、よくわからない道具などで責められ、恍惚の表情を浮かべている挿絵があった。  ゴクリ、とトゥヒムの喉が鳴る。 (まさか、リュドラーは……)  そんなはずはないと思うそばから、あの気高い騎士はこうなるのだ、という確信めいた声が聞こえた。  ゾクリとトゥヒムは身を震わせた。背筋に、得体のしれない悪寒が走る。それは妙に甘く腹の奥をくすぐった。 (……私は、いったい)  自分の身に走ったものを追いかけるために挿絵を凝視していたトゥヒムは、ノックの音にあわてて本を閉じた。 「どうぞ」 「失礼いたします」  白髪交じりの従僕と、偉丈夫の従僕が現れた。 「主様から、お連れするよう仰せつかってまいりました。仕立屋が到着したから、と」  リュドラーの衣装を作ると言っていたなと思い出す。仕立てる様子を隣室で覗くとも。 「わかった。行こう」  偉丈夫の従者に抱えられ、トゥヒムは屋敷一階の奥まった小部屋に連れていかれた。そこはテーブルとソファのほかは、なにもない部屋だった。ソファにはすでにサヒサが座しており、ソファの背もたれが当たっている壁の上部には、ハンカチほどの大きさの布が垂れ下がっていた。 「やあ」  なんと言っていいのかわからず、トゥヒムはただほほえんだ。サヒサの隣に座らされる。 「決して声を出さないと誓ってくれたまえ。でなければ、彼のせっかくの覚悟が揺らいでしまうかもしれないからね」 「リュドラーは、それほど弱い人間ではない」  愉快そうにサヒサが目を細める。その瞳の冷たさに、トゥヒムは口をつぐんだ。 「声を出さないと誓えるかな」 「……わかった。誓おう」  うなずいたサヒサがソファに膝を乗せて壁の布をめくった。そこには横長の細い穴があった。 「覗いてみたまえ」 「向こうからこちらに気づくことは、ないのか」 「彼ほどの騎士ならば視線を感じはするだろうが、誰が見ているかまではわからないさ」  そうか、とトゥヒムはうなずいて隣室に視線を向けた。部屋の中央に、背もたれの高い手すりつきのイスが一脚ある。窓は大きく、カーテンはなかった。窓際に大きなテーブルがあり、その上にカバンの中身を広げているのは仕立屋だろう。リュドラーの姿はなかった。 「よく見えるだろう」  耳元でささやかれ、トゥヒムは視線をサヒサに向けた。サヒサはトゥヒムの背にかぶさるように、覗き穴に顔を寄せた。背中にサヒサの熱を感じて、トゥヒムは顔をそむけた。クッとサヒサの喉が鳴る。 「じきに、彼が来る」  その言葉どおりに、リュドラーは恰幅のいい人のよさそうな従僕に連れられて姿を現した。 「――っ」  リュドラーの服装に、トゥヒムは目を剥いた。  みっしりとした胸筋に押し上げられているシャツは、陽光を受けて肌を透かし見せている。リュドラーの半身をトゥヒムは幾度も見たことがあった。そのときはなんとも思わなかったのに、布に透ける分厚い胸に妙なざわめきを覚える。はち切れそうなほど窮屈な胸回りから、細く締まった腰にかけて、シャツはゆったりと揺れていた。そこは肌に密着していないからか、褐色の肌が布の白に隠されている。しかし完全に見えないわけではなく、もどかしさを見ている者に与えた。  腰を過ぎると臀部のカーブにさしかかる。胸ほどではないが、腰よりは布と肌の距離が近い。尻の谷の暗さがうっすらと見えている。 「――?」  シャツの奥に見えるものに、トゥヒムは目を凝らした。リュドラーはシャツのほかに、靴しか身に着けていない。それなのにベルトらしき影がシャツの内側にあった。  リュドラーを連れてきた従僕が、なにやら言って部屋を出る。それを見送るためか、横向きだったリュドラーの体がこちらを向いた。 「ッ!」  息を呑んだトゥヒムの背後で、サヒサがニヤリと頬をゆがませる。 「あれは、とりあえずの品だ」 「とりあえずの……、品?」  トゥヒムの視線はリュドラーの股間に注がれたまま、動けなかった。布越しにうっすらと見えるそれは、トゥヒムの意識を乱暴に掴み引き寄せるほどの衝撃を持っていた。  ベルトが固定しているものは、リュドラーの陰茎だった。彼の陰茎は天井を向く形で固定されている。あれが、性奴隷の衣装というものなのか。  リュドラーは仕立屋に指示されてイスに腰かけた。覗き穴にまっすぐ体を向ける形で座ったリュドラーに、仕立屋がなにやら言っている。リュドラーはためらい、むっつりと唇を真一文字に硬く結んだ。なにを言われているのだろうと見ていると、いつの間に部屋に入ったのか、トゥヒムをここに運んだ偉丈夫の従僕がイスの横にしゃがみ、リュドラーの左足首を掴んで持ち上げた。  リュドラーが顔をゆがませる。しかし抵抗はしない。左足をイスの手すりにかけられたまま、おとなしくしている。従僕はイスの背後を回り、右足もおなじようにしてリュドラーの足を開かせた。 「…………」  疑問を浮かべる余裕もなく、トゥヒムはリュドラーを見つめる。彼の鼓動はドッドッと不自然に大きく鳴り響いていた。全身に緊張をみなぎらせるトゥヒムに、サヒサがささやく。 「これから、もっと刺激的な光景が繰り広げられる。君には想像もつかないような、すばらしい光景だ。――むろん、彼もそうだろう。これからなにをされるのか、わからず不安に包まれているはずだ。……なんともいえない、いい表情をしているとは思わないか?」  喉を震わせて、サヒサはトゥヒムの奥に眠る、甘く暗い感情を揺さぶった。

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