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第6話
◇
あてがわれた客室の広すぎるベッドの上に、トゥヒムはいた。
バルコニーへ出るガラス扉から、たっぷりと午前中の明るい光が室内に差し込んでいる。トゥヒムの黄金の髪はそれを受けて、キラキラと輝いていた。
昨日の早朝から日暮れまで、素足で街中を逃げ回っていたので、城の奥深くで守られ過ごしてきたトゥヒムの繊細な足は傷だらけになった。サヒサの手配でこの部屋に連れてこられ、手当てを受けて夕食を取り、眠りについたトゥヒムは、朝になってもリュドラーの姿が見えないことに不安を覚えた。
「リュドラーは、どこにいるのだ」
「彼は性奴隷ですから、それにふさわしい居室をあてがわれ、そちらで過ごしておりますよ」
朝の身支度のために現れた従僕に問えば、そう答えられた。
性奴隷とは、いったいどういうものなのか。
穢れたものには触れないようにと、年齢からすれば多少なりとも得るはずの肉欲的知識からも遠ざけられていたトゥヒムには想像もつかない立場だった。
奴隷というものが従僕よりもずっと低い身分である、という程度の知識はある。
「性奴隷とは、どういうものなのか」
従僕は、おや、と眉を上げた。
「ご存じないのですか」
トゥヒムがうなずくと、それはそれはと従僕が慇懃に頭を下げる。
「それほど清らかな生活をなされてきた方のお世話ができて、光栄です」
トゥヒムは眉をひそめた。
清らかな生活、贅沢な生活。
次期国王としての日々は、そう表現するにふさわしいものだった。けれどそれを維持するために、多くの民が苦しみ続けていたのだと、市民革命の激しさに思い知らされた。
「失礼ですが、お客人はその……、精通がございますか」
パッとトゥヒムが赤くなると、従僕はニコニコした。白髪交じりの彼はトゥヒムほどの息子がいるのか、目元に家族的な慈愛を滲ませている。
「恥ずかしいことではございません。あって当然のこと。――それを処理なさるときは、どうなされておられました」
「そ、それは……」
そのようなことは他言すべきものではないと、トゥヒムは言い聞かされてきた。これは秘めたる行為であり、恥ずべきものだと。本能のものであるから、それを示すのは獣と同等のこと。
まなじりを吊り上げた母親の剣幕を思い出し、トゥヒムは首をすくめる。
「どのようなことをなされていたかは存じませんが、おそらく他人の手をお借りになられたことでしょう。――その手の役目が、性奴隷の仕事とお思いください」
「ならば、メイドとおなじ立場ということか。しかし、奴隷という言葉は……」
「お客人が想像するよりも、もっと濃艶な行為をするので奴隷なのですよ。知らぬ世界をサヒサ様はお客人にお教えなさる。はじめは驚き、嫌悪なさるかもしれませんが……。なあに、すぐに虜になってしまわれます。我が主サヒサ様の鍛えた性奴隷は、数多の高貴な方々が夢中になられる。あの者もきっとそうなりますし、その飼い主であらせられるお客人も、性奴隷の扱いを覚えなくてはなりませんからね」
「……飼い主?」
「性奴隷は、人ではなく獣とおなじと覚えておくことです」
トゥヒムは眉をひそめた。母親の言うとおり、本能の行為を示すから獣、という認識になるのか。
あの気高く美しい剣士リュドラーが、獣として扱われる。
それは実感をまったく伴わない言葉だった。
「わからないな」
「すぐに、わかります」
従僕の手で着替えを済ませて足の傷の手当も終えたトゥヒムは、もうひとりの従僕――屈強な男に抱きかかえられて食堂へ向かった。傷が治るまでは歩かないように、という医者の指示のためだ。
「おはよう。昨夜はよく眠れたかね」
食堂にはすでにサヒサがいた。向かいの席に下ろされたトゥヒムはうなずく。
「気がつけば朝になっていた。快適に過ごさせてもらったよ。礼を言う、サヒサ」
「それもこれも、あの忠実な男が条件を快諾したからこそ。彼に報いるためにも、しっかりと勉強をし、商人としてひとり立ちができるように励んでくれたまえ」
「その、それなんだが……」
「なにか?」
トゥヒムはチラリと自分の背後に控えている従僕を見た。
「私を運ぶ役は、リュドラーにしてはもらえないだろうか」
「それはまた、どうして? この男が、なにか粗相でもしでかしたのかね」
「……リュドラーとは、常にともにいたんだ。物心つくより前から、ずっと。それが傍にいないというのは、どうにも妙な感じがしてな。おなじ屋敷内にいるのに、会えないのか」
「会えないな」
きっぱりと言われ、トゥヒムは目を丸くした。
「なぜ」
サヒサは軽く手を上げて、下僕を下がらせてから口を開いた。
「彼はこれから、性奴隷となるための勉強をしていく身だからだよ」
「それが、どうして会えないことに繋がるんだ」
「新たな立場に慣れさせるためだ。騎士の誇りを捨て、奴隷としての認識を持たせるには、会わないほうがいい。――従僕よりもずっと身分の低い、ペットと同等の扱いを受け入れるには時間がかかる。屈辱を感じて憤りもするだろう。そんな時に、騎士の誇りの根源であるトゥヒム。……君の姿を見てしまったら、彼はとても苦しむだろう。苦悩する彼を見たい、というのなら会わせてもかまわないがね」
朝食のメニューを答えるほどの気軽さで言われ、トゥヒムは衝撃を受けた。それほどの覚悟をリュドラーはしてくれたのかと胸が震える。
「彼を君から取り上げるつもりはないよ。彼はずっと君のものだ。――君の約束された未来が消えたと同時に、彼の未来も崩壊した。君が新たな道を生きるのに合わせて、彼もまた道を見つけなければならない。そのための訓練をする。それだけのことだ」
「それなら、リュドラーも商人としての知識を覚えればいいのではないか」
フッとサヒサが口の端を持ち上げる。あまりに冷ややかなそれにゾッとしたトゥヒムは、続く彼の言葉に目を見開いた。
「趣味だよ」
「趣味?」
「自分には、ふたりを庇護する理由がない。革命の首謀者に突き出してしまうのが当然の処置だろう。かくまうなど、まったくなんの利益にもならない。それどころか大損だ。――それは、わかるかね」
トゥヒムはうなずく。
「だが、それだと当たり前すぎて面白くない。せっかく飛び込んできた窮鳥だ。保護してやるに、しくはない。ならば自分にとっての益を引き出すまでのこと。保護に見合う報酬として、自分の趣味に付き合ってもらえばいい」
「それが、性奴隷……、というのか」
ゴクリと喉を鳴らしたトゥヒムに、サヒサは静かにほほえんだ。深淵に似た瞳の暗さに、トゥヒムの頭の芯が冷えた。
「じつを言えば、彼には前から目をつけていたのだよ。きっとすばらしい性奴隷になるはずだ、とね。その夢想を実現できるとは、自分はなんとも幸福者だ」
満悦しているサヒサの姿に、トゥヒムはリュドラーの選択が間違いだったと感じた。革命の民の手に渡り処刑されるよりももっと、危険な場所に助けを求めてしまった。
青ざめたトゥヒムに、サヒサが果実酒を勧める。
「いかに彼が魅力的か……。これからともに味わうとしよう。調教の様子は、君にも見学をしてもらうよ、トゥヒム」
「会えないのではなかったのか」
「君の思うものとは違う形だから、会えないと答えたんだよ」
「どういうことかわからないな」
「いいかね? 性奴隷というものはペットのようなものだと覚えておきたまえ。彼の飼い主は、あくまでも君だ。飼い主が扱いを知らぬままでは困るからな。リュドラーの調教を見ながら、飼い主の君も性奴隷の扱い方を勉強する必要がある。――これから、忙しい日々がはじまるぞ、トゥヒム」
じつに楽しそうに果実酒をあおるサヒサに、トゥヒムは恐怖を覚えた。
(しかし、ここから逃れても行く場所はない)
そう考えたからこそ、リュドラーはサヒサに救いを求め、彼の提示した条件を呑んだ。ふたりで生き延びるために、リュドラーは屈辱を選んだのだ。
その気持ちを踏みにじるわけにはいかないと、トゥヒムは覚悟を決めて果実酒を乱暴に飲み干した。
その姿を、サヒサが愉快そうにながめる。
そこに年若い従僕が現れて、なにやらサヒサに耳打ちをした。うなずいたサヒサが「あの男を呼べ」と命ずる。年若い従僕は足早に去り、サヒサはトゥヒムに笑いかけた。
「食事の後……。そう、おそらく昼食よりはすこし前に、リュドラーの衣装を仕立てることになった。その様子を隣室から覗くとしよう」
「衣装?」
「性奴隷の衣装は独特でね。彼には、いろいろなものを用意しようと考えているんだ。仕立屋が採寸をして、自分がデザインをする。――トゥヒムも興味があるのなら、やってみるといい。まあ、まずはどんな衣装なのかを知ってからだが」
「それほど特殊なのか。性奴隷の衣装というのは」
「凝る人間もいれば、その辺のありあわせで済ます連中もいる。自分は凝るタイプでね。リュドラーの姿を思い描くだけで、さまざまな図案が浮かぶよ。――さきほども言ったが、性奴隷はペットのようなものだ。ペットの中には従僕よりもずっと大切に扱われ、かしずかれているものもある。自分は彼を大切に扱うよ。……だから、心配しないでくれたまえ」
「だが、騎士の尊厳は砕かれるのだろう」
「はじめは苦しいだろうが、砕けてしまえばどうということもない。それと同等……、それ以上のものを得られるのだからな」
よくわからないままに、トゥヒムはうなずいた。自分たちはサヒサの庇護下に入ると選択をした。ならば従うよりほかに道はない。
覚悟を決めろと、トゥヒムは自分を叱咤する。騎士のプライドを捨ててまで、守ろうとしてくれているリュドラーのために、強くならなくては。
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