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第21話

 ◇  目覚めたリュドラーは素肌に触れるシーツの心地に眉根を寄せて、起き上がった。  昨夜の記憶はおぼろげで、どうやって部屋に戻ったのかを覚えていない。おそらく従僕の誰かに運ばれたのだろう。  ベッドから降りたリュドラーのたくましい裸身を、窓から差し込む陽光が撫でている。シャツを取り出そうとしたリュドラーは、チェストの上に昨夜トゥヒムから与えられたハーネスを見つけた。  ゾワリと腰のあたりに悪寒が走る。それを逃すために薄く唇を開いて息を抜きながら、ハーネスを手に取った。 (……トゥヒム様)  官能の記憶がよみがえり、トゥヒムの味を思い出す。喉の奥が渇いて、リュドラーは部屋の隅に大量に用意されている蜜酒を乱暴にあおった。 「ふう」  手の中のハーネスをながめ、身に着けるかどうかを悩む。とりあえずシャツを着ようと、ハーネスをチェストの上に戻してシースルーの白いシャツを着た。なんとなく首輪に手を伸ばし、それに指をかけてハーネスをながめる。  着け方はわかっている。けれど自分で身に着けることには抵抗があった。これを着けていろ、と言われたわけではない。衣装だと試着をさせられ、そのまま淫らな行為をされた。  判断をしかねるリュドラーは、人の足音に気づいた。ほどなくして馬場に面した扉が開けられ、従僕が入ってきた。 「おお、起きていたのか」  彼の手にはサンドイッチとスープの乗ったトレイがある。それをベッドに置いた従僕が、ハーネスに気づいた。 「いいものを作ってもらったじゃないか」  屈託のない声に、リュドラーはあいまいな笑みを浮かべた。 「体を動かすつもりなら、ちゃんとこれを着けてこいよ」  リュドラーの返事も待たずに従僕は外に出た。リュドラーは苦笑してハーネスを掴む。 (俺は誰かに、身に着けていろと言われたかったのか……?)  さきほどまでのためらいが消えている。リュドラーはハーネスを己の陰茎と太ももに留めると、ベッドに座りトレイを膝に置いて朝食を腹に納めた。  飲みかけの蜜酒の瓶を空にして外に出ると、三頭の馬が散歩をしていた。緑は若々しく陽光に輝き、なんとも心地のいい風が吹いている。さわやかな朝の光景に自分の恰好が不思議になった。  こうして景色を見る限り、とても平穏で静かな日々の延長だとしか思えない。しかし城は市民に占拠されて国王は処刑され、トゥヒムは殿下ではなくなっている。だからリュドラーは首輪をし、股間にハーネスを着けて薄い衣に鍛え抜かれた肉体を透けさせているのだ。  自分の恰好を除けば、なにもかもが夢の出来事に感じられる。城の馬場とは似ても似つかないが、どこかの貴族の家に招かれたか、別荘地へ出てきたと言われれば納得できる。 (現実を思い出させるものは、俺の姿だけだ)  それくらい、おだやかな空気があたりに満ちている。トゥヒムはどんな朝を迎えたのだろうと考えながら、リュドラーは馬に近づいた。一頭が気づいてリュドラーに鼻先を向けた。見事な黒馬は近づくリュドラーじっとを見つめている。昨日、この馬はいなかった。リュドラーは馬の鼻面に手を伸ばした。触れても馬は微動だにしない。黒曜石に似た澄んだ瞳を、まっすぐリュドラーに向けている。  視線に吸い込まれて、リュドラーの時が止まった。ひとりと一頭は互いに見つめ合い、魂を通わせる。スウッと音も景色も消えて、世界中には自分と相手しか存在しない錯覚に陥った。 「おっ」  それを破ったのは、ブラシを手にした従僕の声だった。我に返ったリュドラーが顔を向けると、従僕がブラシを差し出す。 「オルゴンはあんたを気に入ったみたいだな」 「オルゴン?」 「この馬の名だ。立派なもんだろう」  得意げに鼻を鳴らして、従僕はオルゴンの横腹を叩いた。 「気に入られついでだ。オルゴンのブラシはおまえがかけてやれ。気が向いたら、乗れと言ってくるぞ」 「乗っていいのか」 「オルゴンがいいって言ったんなら、誰も文句は言えねぇさ。こいつは人を選ぶんだ。オルゴンのわがままなら、主も目をつむるのさ」  なるほどとリュドラーはオルゴンを見た。これほどの名馬なら我を通しても飼い主に文句を言われないということか。 「ティティみたいなもんだな」 「ティティ? 彼がどうかしたのか」 「あれも人を選ぶ。まあ、仕事だって割り切る場合もあるけどな。オルゴンとティティは、そういう部分があるから気が合うんだろう。――あんたも、そのくらいの性奴隷になったら、飼い主が下僕みたいになるぞ」  豪快な笑い声を立てて、従僕が馬小屋へ戻っていく。リュドラーはオルゴンにブラシをかけながら考えた。 (奴隷が人を選ぶ……、だと?)  使役される身分の奴隷が、飼い主を下僕にする。それほどの技術を持った性奴隷になれたなら、どれほどトゥヒムの手助けができるだろう。 (俺の望みはトゥヒム様を守り、お支えすること。騎士から性奴隷へと身分を変えても矜持は変化しない。俺はトゥヒム様の恥にならぬ性奴隷に……、いや。誇りとなる性奴隷になってみせる)  見事なオルゴンの肌にブラシを当てて、リュドラーはティティの艶然としたほほえみを思い出す。無駄な肉のない、しなやかな肢体。怜悧な美貌とはかない鋭さ。どっしりとしたオルゴンとは対極にあるとしか思えないのに、従僕はティティとオルゴンは気が合うと言っていた。対極のものに惹かれる、という法則からなのか。それとも“使われる側”でありながら“使い手を選ぶ”ほどの実力を認めているのか。 (俺も、そうならねば)  ここに来てからまだ二度目の朝だというのに、幾度決意を新たにしているのかと、リュドラーは笑った。似たような決意を繰り返すのは、迷いがある証拠だ。俺はまだ性奴隷という身分に納得をしきってはいない。覚悟を決めたはずなのに、踏み切れずにいる原因はなんだ。  やはり男に抱かれる、という部分だろうかと眉間にシワを寄せ、肌身に触れる従僕たちの手を思い出したリュドラーは身震いした。わずかに股間が硬くなる。反応をするから生理的には受けつけているはずだ。ならば問題は精神か。それとも肉体は条件反射的にそうなっているだけなのか。――どちらにしても、体は拒絶をしていない。踏み切るために必要なことは、なんだ。なにをすれば自分を性奴隷として納得させられる。  覚悟と納得の違いに悩みながら、リュドラーはオルゴンのブラッシングを終えて、馬小屋の掃除にとりかかった。  ひととおりの仕事を終えて心地よい汗をかいたリュドラーに、従僕が「休憩にしよう」と声をかける。それにうなずき従僕の家でお茶と焼き菓子を馳走されつつ、馬についてのあれこれを話しているとノックがされた。 「おっ? 誰だ」  従僕が玄関に行き、なにやら会話をしてから戻ってきた。 「お客だぞ」 「俺に?」  従僕の背後から、乗馬服に身を包んだティティが現れた。ぴったりとした装いは上品で、とても性奴隷には見えない。どこかの貴族と言われても納得ができる姿に、リュドラーは言葉を失った。 「なに、変な顔してんのさ」  どこか軽薄な雰囲気のある言葉遣いに、リュドラーは面食らった。透けるような白い肌に、プラチナの髪。華奢でのびやかな四肢と女性的な雰囲気を感じさせられた昨夜の印象とは、まったく違っている。いまは……、そう。どこかのやんちゃな御曹司といった気配だと、リュドラーはティティを見つめた。  ポカンとしているリュドラーに、ティティはいたずらっぽく笑いかける。 「昨夜はあんな状態だったのに、こうして見ると全然違うな。なんか、強くておっかなそう」  テーブルの上の焼き菓子をつまんで口に入れながら、ティティは気軽に従僕にねだった。 「僕にもお茶をちょうだい」 「はいはい」  従僕はうれしそうにカップを取りに行った。 「ねえ、リュドラー。君はすごく興味深いよ」  ティティの唇がリュドラーの耳に触れ、ちいさな声がそそがれる。 「トゥヒムは王太子で、君はその騎士なんだろう?」  そうだと答えるにはティティのことを知らなすぎる。ふたりがここに来た理由を知っているのは、サヒサだけだ。従僕たちにはおなじ名前の別人と説明されている。 (なぜ、ティティは気づいたんだ)  ふたりの顔は城で働く者か、貴族しか知らない。城で働く者と言っても、膨大な人数が働いていたので全員が知っていたわけではない。それを、性奴隷であるティティが知っているはずはない。 「名前がおなじだから、そう思ったのか」 「体つきとね」  クスクスと、ティティはリュドラーの胸元を指先でなぞった。 「こんな体をしているなんて、騎士とか傭兵とか、そういう連中だけだから。肉体労働者はまたちょっと違ってる。君はキレイに飼われてきたって感じがするから、きっと騎士だろうなって思ったまでだよ」  胸筋を探るティティの手首を握り、鼻を鳴らしたリュドラーはそのまま彼を押しのけた。 「なんだよ、つれないな。これから僕は君の教育者になるんだから、これからよろしくとか友好的な態度をしてもいいんじゃない?」 「教育者?」 「そ。教育者」  カップを持って戻った従僕がお茶を入れて、ティティはリュドラーの隣に座った。 「サヒサ様はおまえをお気に召したんだなぁ」  従僕がのんびりと腰かける。 「ティティに教育を任されるなんて。――ああ、だからオルゴンも気に入ったんだな」 「オルゴンが? 彼を?」 「見つめ合って、ずいぶんと通じ合っている感じだったもんで、ブラシを任せたらゴキゲンでなぁ。いや、気難しいあいつが機嫌よくしてくれてて助かったよ」 「ふうん」  ニヤリとティティが口の端を持ち上げる。 「ねえ、リュドラー。僕の部屋においで。いろいろと君のことを知りたいし、君も僕に聞きたいことがあるんじゃないのかな?」  好奇に瞳を輝かせたティティの誘いに、リュドラーはすこし考えてから「わかった」とうなずいた。

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