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第23話

「ずいぶん驚いてるね」  クスクスと笑いながら、ティティはリュドラーの前に立つ。 「おまえは高級娼婦なのか」  首を振ったティティに腕を掴まれ、導かれたリュドラーは天涯つきのベッドの広さに目を見張った。 「高級娼婦は、こんな悪趣味なベッドでは過ごさないさ」 「悪趣味?」  いったいどこがといぶかるリュドラーは、座るようにと示された。よくわからないままベッドに腰かけたリュドラーは、ティティに体当たりをされてあおむけに倒れ、ベッドの天井を見て顔をこわばらせた。 「悪趣味だろう?」  艶然とほほえむティティに首肯する。ベッドの天井は一面の鏡張りになっていた。 「こんなベッドじゃ、落ち着いて寝られやしない。ここは奉仕をするための部屋なんだ」 「なら、普段は違う部屋で過ごしているのか」  ううん、とティティは首を振る。銀色の髪が揺れて光をはじき、シャラシャラという音が視界に聞こえた。 「僕の部屋はここっきり。だからひとりで寝るときは、ソファで休んでる」  こんなベッドでは眠ろうにも落ち着かない。狭くともソファのほうがずっといい。自分がティティの立場なら、きっとそうするだろうとリュドラーは同意した。 「どれだけ大切にされたとしても、性奴隷はあくまでも奴隷で、高級娼婦ほどの自由はないのさ。衣服も調度もすべて、飼い主が選んで買い与えたもの。いくら僕がかわいがられていたとしても、そこの線引きはきっちりとされているんだよ」  皮肉な笑みを浮かべたティティの指が、リュドラーの首輪に触れる。 「まあ、僕は首輪をつけないけどね」  肩をすくめたティティはベッドから降りて、ポンッとリュドラーの太ももを叩いた。 「ちょっとそこで待ってなよ」  そう言って隣室にティティが去ると、リュドラーは天井の鏡に映る自分を見つめた。肌を透けさせるシャツは体に寄り添い、筋肉の形にそって波打っている。黒々とした下生えのわだかまりまで映すほど、鏡は磨き上げられていた。  これではいやでも自分の姿が目に入ってしまうだろう。こんな場所で抱かれるティティは、自分の姿をどんな気持ちで見ているのか。  嬌態を当人に見せる趣味を、リュドラーは理解できなかった。サヒサはいったいなにを求めて、こんなベッドをティティに贈ったのか。それとも性奴隷とは、こういう調度の中で暮らすものなのか。馬は馬小屋、犬は犬小屋で過ごすように――。  ベッドの支柱にはランプが備えつけられていた。オレンジの光の中に浮かび上がるティティはさぞ美しく妖艶に違いないと、人形かと見まごうほどに感情のない昨夜の彼の姿を思い出す。あの表情は、心を押し殺していたからではないか。性奴隷という職業に納得をしていないから、あんな態度でいたのかもしれない。 (ティティとは、何者なのか)  疑問を浮かべたリュドラーの足元に、銀のたらいを持って戻ってきたティティがしゃがむ。 「じっとしてなよ」  手早く靴を脱がされたリュドラーは、足指の隙間まで丁寧に濡れたタオルでぬぐわれた。ブーツを脱いだティティはベッドに上がり、リュドラーに枕元まで来るよう促す。手招くティティの傍へ行くと頬を撫でられた。 「ねえ、リュドラー。まだ答えをもらっていない質問があるよ。君は騎士で、トゥヒムは王太子だった。――間違いないね?」  眉間にシワをよせて、リュドラーは無言を返した。そう簡単にトゥヒムのことは明かせない。 「用心するのもわかるけどさ、僕には教えてくれてもいいと思うんだよね。だって僕は君の教師で、トゥヒムと直接のやりとりを任せられる唯一の人間なんだから」 「おまえは俺とトゥヒム様の橋渡しをするつもりなのか。そんなことをして、おまえになんの得がある」 「かわいい生徒の気持ちを大切にできるってメリットがある」 「ごまかすな」 「そんなに怖い顔をしないでほしいな。親切心で言っているんだよ」 「なにを企んでいる」 「疑り深いな。まあ、そのくらいでないと世の中、やっていけないけどさ」  軽く肩をすくめて、ティティはリュドラーの顎を指先で持ち上げると、鼻を重ねた。間近に見るティティの瞳が、いたずらっぽく輝いている。 「僕はね、リュドラー。君たちが気に入ったんだ。だから、最高に大切にしてあげたいのさ。性奴隷の僕には自由がない。自由であるように見えても、ずっと窮屈な暮らしをしている。考えてもみてよ。この屋敷の敷地のほかは許可がなければどこにも行けないし、部屋はおろか着る物でさえも好きなものを選べないんだ。おまけに、どんなに嫌な相手でも、仕事となれば媚びを売らなくちゃならない」  鼻の頭にシワを寄せて、ティティは唇を尖らせた。こうして見ると、彼はひどく幼く感じられる。いったいティティはいつから性奴隷として働き、これほどの部屋に住むほどの実力を手に入れたのだろう。 「ねえ、リュドラー。君も、君の主もとってもキレイだ。僕はキレイなものが大好きなんだよ。だから、大切にしたいと思ってる。そのために君がどうして性奴隷にならなくちゃいけなくなったのかを、ちゃんと知っておきたいんだ。……ねえ、リュドラー。君は騎士だったんだろう? それが性奴隷になるっていうのは、王太子の命を守るため。そうだよね」  真剣なティティの瞳に、リュドラーはためらった。真摯に見えるが、はたしてこれは真実を語っているのか。客をもてなす場面でティティがこちらの正体を漏らし、危険に陥る可能性は否定できない。だとしたらやはり、黙っておくべきか。だが、トゥヒムと連絡を取れる手段は手に入れておきたい。  逡巡するリュドラーの頬にキスをして、ティティはサッと上着を脱いだ。無駄な脂肪も筋肉もない、なめらかな肌がリュドラーの目にさらされる。 「ま、警戒をするのはしかたないか。僕のことを、君はなにも知っちゃいないんだから」  言いながら、ティティは支柱から伸びている絹のリボンをリュドラーの手首にかけた。 「さあ、あおむけに寝転がって。レッスンのはじまりだ。僕に従わないってことは、この館の主に逆らうのとおなじことだって覚えておくといい」  楽しそうなティティの声には命じる気配がみじんもない。ちょっとした悪さをするといった気楽さがあった。リュドラーは言われるまま、あおむけに寝転がる。ティティはリュドラーのもう片手首にも絹のリボンを巻いた。 「頑丈なリボンだけど、まあ、念のため。引きちぎらないでよ?」  ティティは下半身もむき出して、リュドラーの腹にまたがった。 「ねえ、リュドラー。女は抱いたことがある? あるよね。これだけの容姿だもの。女が放っておくわけがない」  胸筋に手を乗せられて、リュドラーは唇を引き締めた。ため息交じりのティティの声は、さきほどの無邪気さが消えて妖艶な響きを放っている。この変わり身のはやさは、どうすれば身に着くのだろう。まるで野外演習で突然の襲来を受けた騎士のようだ。 (俺もいずれはこんなふうに、反射的に切り替えができるようになるのだろうか)  想像しようとして、リュドラーはまったく無理なことに気がついた。自分がそうなる未来を描けない。 「ねえ、リュドラー。男に抱かれたいと思ったことはある?」 「いいや」  艶やかなティティの声は麻薬のように意識に絡む。 「男を抱きたいと思ったことは?」  首を振ったリュドラーは、全身の産毛が妙にさざめいていると気づいた。なぜこんなふうになっているのか。  ティティの指はシャツごしにリュドラーの筋肉の谷を滑った。胸元から臍まで行くと、脇腹を伝ってまた胸へと戻るを繰り返す。たったそれだけの動きに、リュドラーの肌は淡々とした快感を引きだされた。 「リュドラー。君はまず、男に抱かれる、という現実を受け入れなくちゃいけない。僕たちの仕事は、相手を喜ばせることなんだ。うんと喜ばせて、かわいがられて、そしてはじめて食べ物や衣服や家が与えられる。底辺の性奴隷がどんなものか、君は知っている?」 「いや」 「普通の奴隷の生活は?」 「それなら、知らないことはない」 「まあ、似たようなものだよ。肉体労働の方法が違うだけ。君のように、はじめから飼い主が決まっているのは幸福なんだと覚えておきなよ。君の御主人様は、君のことがとっても好きみたいだから、よほどのことがない限り君は底辺にならなくて済む」  ティティからどんどん表情が消えていく。リュドラーの心もそれに合わせて冷めていった。しかし肌身はティティの指にじわじわと熱される。その温度差がティティの二面性に通じていると直観した。言葉では表せない、けれど言葉の端々にあふれているもの。それをティティはリュドラーに伝えようとしている。 「おまえは底辺を味わったのか」  ティティはガラス細工のようにほほえんだ。 「君が僕に正体を明かしてくれないのなら、僕のことも話さない。おあいこだ」

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