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第31話

 ◇  ティティの指がリュドラーの胸肌を滑る。  クスクスと降ってくるティティの笑い声を浴びるリュドラーは、天蓋の鏡に映る自分とティティの背中を見ていた。  ティティの舌が胸に落ち、尖りを含まれたリュドラーがちいさくうめく。ティティは笑みを含ませた息を舌に乗せて、リュドラーの胸乳に甘えた。 「っ、ふ……、は、ぁ」  官能にうわずる自分の顔を見ながら、リュドラーは昨夜の自分はどんな顔をしていたのかと考える。 (トゥヒム様は、いま鏡に映っているような俺の顔をご覧になられたのだろうか) 「心ここにあらず、って感じだね」  ティティの顔に視界を遮られ、リュドラーは視点を鏡からティティの目の中に移した。そこにも自分が映っている。 「昨夜の逢瀬がそんなに楽しかった?」  ティティはいたずら好きの少女みたいに小首をかしげ、リュドラーの鼻先にキスをする。 「……なぜだ」 「うん?」 「トゥヒム様に、紙片を渡したのはなぜだ。いつからそれを計画していた。……おまえになんの得がある」  なにを狙っているのだと目元を険しくしたリュドラーに、ティティは唇を尖らせた。けれど瞳は笑ったままだ。 「忘れっぽいね。僕の望みを叶えてもらうって言っただろう? 君の主が君を愛することで、僕の望みは叶うんだ。――ただ、それだけ」  意味が分からないと、リュドラーは眉根を寄せて示した。ティティのしなやかな腕がリュドラーの体に回される。ぴったりと胸を重ねたティティは、リュドラーの首に額を擦りつけた。 「ねえ、リュドラー。性奴隷っていうものは、しょせんは奴隷なんだよ」 「それは、前にも聞いた」  手首をリボンで柱に縛られているリュドラーは、ティティの動きに反応できない。ただ横たわったまま、鏡の中の自分とティティを見つめた。 「こんなに豪華な部屋を与えられていても、どれほど自由に敷地内を動き回れても、……下僕を顎で使えても、奴隷であることには変わりないんだ」 「だから、それは……」  リュドラーの唇をつまんだティティは、泣き出す寸前の目でほほえんだ。 「それが理由だよ、リュドラー」  さっぱりわからない。わからないが、これ以上追及しても納得できる答えは得られないと察したリュドラーは体の力を抜いた。目を閉じて、ティティの言葉を吟味する。  そんなリュドラーを、ティティはじっと見つめた。その顔は寄る辺ない子どもが、すがれるなにかを探すのとおなじ色をしていた。 「……トゥヒム様に害がないなら、それでいい」 「あるはずないよ」  ティティは指先でリュドラーの顎をなぞり、首筋から胸筋の谷をくすぐって脇腹に触れた。 「危害なんて、ぜったいにあり得ない。そのために気をつけているんだから。――大丈夫だよ、リュドラー。君の大切な主様には、どんな害も及ばない。ぜったいに僕の主に君と彼との逢瀬は知られない。トゥヒムはしかるべき時がくるまで、サヒサ様の庇護を受け続けるんだ」  しかるべき時とは、商人としての知識を充分に身に着ける時だ。その後は、サヒサが約束を守るなら必要な資金と場所を提供されて、商人とその下僕としてふたりは生きていける。そうなることで、ティティの利益になるとなれば――。 「俺たちと共に、別の街へ行くつもりでいるのか」  奴隷という部分にこだわるティティは、縛りのない身にあこがれているのだとリュドラーは判じた。トゥヒムと自分がサヒサの手から離れるときに、自分も逃してほしいとサヒサに頼むつもりで、いまのうちに恩を売って口添えをしてもらう気でいるのだと考えられなくもない。 (だが、それほど幼稚で頼りない作戦を、はたしてティティが考えつくのか)  トゥヒムとリュドラーが口添えをしたとして、サヒサが聞き入れる可能性はゼロではないか。サヒサにとってティティを手放すことは、不利益にしかなりえない。  リュドラーの問いに、ティティは意味深な笑みを浮かべて「どうだろうね」とささやいた。手指を動かしリュドラーの性感帯を目覚めさせていく。リュドラーのたくましい肌を淫靡な色に染めながら、ティティは自分の内側に語りかけた。  ここから逃れようとは思っていない。むしろ、ずっとこの屋敷の中にいたい。この屋敷のほかに、生きる場所を知らない。街に出かけたり馬車で遠出をしたりすることはあるけれど、外の世界を本当の意味では知らないから。 (僕の巣はこの館……、サヒサ様だ)  リュドラーの嬌声が高くなる。極上の下ごしらえをほどこした彼をサヒサの前に提供するのが、いまのティティの仕事のメインとなっている。準備万端整ったリュドラーを、サヒサは好きな調理法で味付けをして、彼とトゥヒムの反応を瞳で味わう。  サヒサはリュドラーを抱きはしないと、ティティは確信していた。だからトゥヒムをリュドラーの部屋に行かせても問題はない。念のためトゥヒムが出かけている間に、自分がサヒサを引きつけておく。サヒサの好みは知りすぎるほどに知っていた。どんなときに自分を抱きたくなるのか、嫌というほど把握している。だからその兆候を感じた日に、トゥヒムをけしかければいい。リュドラーの部屋に行けるぞ、と。 「っ、あ、は……」  ティティの手技にリュドラーが乱れる。高貴で獰猛な獣と称された希代の剣士が、淫靡で妖艶な獣に生まれ変わる。ティティは切り替わる寸前の、理性と本能がせめぎ合うリュドラーの瞳を好んでいた。当のリュドラーは気づいているのだろうか。自分がどれほど嗜虐心をそそる気配を宿しているのか。サヒサはそれを見抜き、だからこそ彼に性奴隷になれという条件を示した。 「んぁ、あっ、ああ……、は、ぁう」  己の思考に没頭しているティティの指に、リュドラーは官能を引き起こされる。事務的に動くティティの指は的確に性感帯を探り当て、じわりじわりとリュドラーを劣情の酩酊へと誘った。理性と切り離された部分がリュドラーの内側に居座っている。それは殺気を感じた瞬間に臨戦態勢に入るのと同等の力を持って、リュドラーの四肢を支配していた。  劣情に対して、考えることを放棄する方法を会得した、と言い換えてもいいかもしれない。  胸をあえがせるリュドラーは、獣欲の化身になっていた。 「ふ、ぅあ、あっ、あ……」  性欲を生きる糧としてきたティティもまた、息をするようにリュドラーを愛撫していた。そこにはなんの感情も介入していない。あるとすればサヒサに対する気持ちだけだった。  ティティはサヒサを意識してリュドラーを乱し、リュドラーはトゥヒムを想って乱される。  どちらも理性の端に深く食い込ませている相手の目に触れる場面を想定していた。  気持ちの重ならない愛撫でもリュドラーの肌は上気し、ティティの頬は赤く染まる。どれほど肌を高揚させても、ティティは決してリュドラーの唇にキスをしなかった。そのほかの場所には遠慮なく舌を這わせても、唇だけはトゥヒムのものだと避けている。 (リュドラーの主はトゥヒムだ。――サヒサ様じゃない)  だから気持ちを重ねるに等しいキスだけはしないと、ティティはリュドラーの口内に指を入れて上あごを撫でた。 「ほら、指を吸って。おしゃぶりの練習だよ、リュドラー」  目じりを濡らして、リュドラーはティティの指に吸いついた。ティティは指をひらひらさせて、リュドラーの舌とたわむれ口腔を指で犯した。 (唇を重ねるのは、ただひとりだけ)  性奴隷として、ティティはサヒサ以外とも肌身を重ねる。けれど唇のキスはサヒサとしかしていなかった。サヒサもまた、ほかの性奴隷とたわむれたとしても唇の重ね合いだけは避けていた。少なくともティティの知る限り、サヒサは自分以外と口づけをしていない。  ティティにとって口と口を重ねる行為は、特別な意味を持っていた。だからリュドラーがそれをする相手は、トゥヒムだけだと思っている。 「ああ、リュドラー。すごくいいよ。とてもかわいい」 「ふっ、んぅう、う……、む、ふぅ」  しっとりと興奮の汗を浮かべるリュドラーの肌から、健康的でたくましい香りがくゆる。この匂いと性的な肌と瞳の倒錯が嗜虐心をくすぐり、支配欲を湧きたたせるのだとティティは理解していた。サヒサはいつからリュドラーに目をつけていたのだろう。 「かわいいね、リュドラー。もっと乱れていいんだよ。……お茶の時間にたっぷりと味わってもらうために、もっともっと甘く仕上がっておかなくちゃいけないからね」 「んっ、ぁふ……、ふ、んぁ、あ、ああ、あ」  リュドラーの瞳の焦点がぼやけて、淫らな酔いに流される。それでもなお気配のそこかしこに残る健全で勇猛な雰囲気が、ある種の人間にはたまらなく甘美な情動を湧き起こすのだとティティは知っている。  自分には、いくら努力をしても身に着けられない資質。――いままで生きてきた時間のみが生み出せる、リュドラーならではの感触にティティの胸は火傷に似た痛みを覚えた。

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