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第2話
晃樹に告白されて、一月が過ぎた。
まだ付き合ってはいないが、もうセフレでもない。セックスはしていないが、デートをするようになった。
晃樹に誘われて、本当に普通に、恋人がするようなデートを重ねた。
晃樹の家にも呼ばれ、泊まることもある。
けれど晃樹は決して手を出してこようとはしなかった。同じベッドで寝るけれど、ただ寝るだけだ。
「待つ」と言った言葉は嘘ではなく、催促することもなく彼は真摯に歩夢の返事を待ってくれている。
たまに、触れるだけのキスは交わした。
それだけのことで、晃樹は本当に嬉しそうな笑顔を見せる。
そんな彼を見ていると胸がきゅんと締め付けられた。
晃樹はちゃんと歩夢の気持ちを考えて、歩夢の気持ちを大事にしてくれている。
それが伝わってきて、堪らなく嬉しくて、晃樹と一緒にいられる時間が他の誰と過ごすよりも楽しい。
同じように歩夢と過ごす時間を楽しいと思ってくれているのだと、晃樹の笑顔からそれがすごく感じられた。
そんな晃樹を見ていると、彼は本当に自分のことが好きなのだと実感させられる。
自惚れでも勘違いでもなくて、晃樹は歩夢のことが好きでとても大切に思ってくれている。
なんで? と未だに疑問に感じるけれど、彼の気持ちに嘘はないのだと信じられた。
そして、歩夢も晃樹のことが好きだと、もうしっかり自覚していた。はっきりと、晃樹が好きだと自信を持って言えるのだ。
それなのに、それを伝えられずにいた。
こんなこと考えるのは晃樹に対して失礼なのに、拓海のことが頭を過るのだ。彼に言われた言葉が。
歩夢は拓海としか付き合ったことがない。セックスも晃樹を除けば拓海としかしたことがない。
だから、歩夢とのセックスを相手がどう思うのか、拓海の言葉が全てだったのだ。喘ぎ声が汚くて大きすぎる上に、快楽に弱くてわけがわからなくなるほど感じてしまう。自覚があったからこそ、拓海にそれを嘲笑されてショックだったのだ。
拓海と晃樹は違う。わかっているのだ。
それなのに、晃樹を好きだと明確に自覚したら不安が芽生えた。
晃樹はどう思っているのだろう。
彼とはもう何度も体を重ねてきた。最中に歩夢が声を我慢しようとすれば、我慢するなと言われたから感じるままに喘いでいた。セフレのときは晃樹の気持ちなど知らなかったし、いつ関係を切られてもおかしくないと思っていたので取り繕うこともしなかった。晃樹にどう思われようと、どうせすぐに飽きられるのだから関係ない。そんな気持ちで抱かれていた。
けれど、今はもう違う。
晃樹は既に歩夢の喘ぎ声が酷いことなど知っている。最初から彼の前では醜態を晒しまくっているのだ。
その上で彼は好きだと告白してくれたのだから、不安に思うことなどなにもないはずなのに。
歩夢を可愛いと言った彼の言葉を信じられないわけではない。
それなのに、不安が消えない。
晃樹に嫌われたらどうしよう。歩夢とのセックスを不快に思われたらどうしよう。
晃樹への気持ちを自覚すれば、今度は彼に嫌われてしまうことが怖くなった。
こんな中途半端な関係を続けていたら、それこそ愛想を尽かされてしまうかもしれない。
焦燥感は募っていくのに、歩夢はなかなか一歩を踏み出せずにいた。
晃樹は歩夢をとても大切にしてくれているのに。
その気持ちに応えられずにいることが申し訳なくて、そんな自分に嫌気が差す。
晃樹と顔を合わせる度に、今日こそ好きだと伝えようと思うのに、結局言えないまま別れてしまう日々が続いた。
このままでは駄目だ。晃樹の優しさに甘えてずるずると答えを先延ばしにしてきたが、これ以上待たせるわけにはいかない。
晃樹に告白されたあの日、返事を待ってほしいと頼んだときはこんなに時間をかけるつもりはなかったのだ。殆ど答えは出ている状態だった。一度冷静に自分の気持ちを整理して、そうすればすぐに返事ができると思っていた。
答えが出てから、こんなにうだうだ考えてしまうことになるとは思わなかった。
とにかく、今日こそ絶対に好きだと言うつもりで歩夢は晃樹の部屋に上がった。今日はお家デートの日なのだ。
一緒に映画を観ながら、まったりとした時間を過ごす。
けれど歩夢はずっと落ち着かなかった。どのタイミングで伝えるか、そればかり考えて映画になど全く集中できてなかった。
一本目の映画を観終わり、晃樹が声をかけてくる。
「どうする、すぐ次観るか? それともちょっと休憩する?」
「あっ、少し、休みたい」
今がチャンスかもしれない。歩夢はそう考えた。
どうしよう。今すぐ言おうか。
そわそわしながらタイミングをはかっていると、晃樹の方から話しかけてきた。
「そういや、アイツ、歩夢にちょっかいかけてきたりしてないだろーな?」
他のことに気を取られていた歩夢は、晃樹の言葉の意味をすぐに理解できなかった。
「えっ、あいつ……?」
「アイツだよ、歩夢を泣かせたクソヤロー」
晃樹の顰めっ面を見て、拓海のことだとわかった。
晃樹には拓海に言い寄られている場面を見られていることを思い出す。
「ああ、うん、あれから一度も顔合わせてない。晃樹が色々言ってくれたから、さすがにもう諦めたんだと思う」
「そっか。ならよかった」
晃樹はほっとした様子で表情を緩めた。
「今さらだけどありがとな。晃樹のお陰だ。困ってたから、すごく助かったよ」
「礼なんかいいって。それより、もしまたアイツがなんか言ってきたらすぐ俺に教えろよ」
「大丈夫だって」
歩夢はそんな心配はないと笑ったが、晃樹は真剣な顔を向けてくる。
「その油断が危ないんだっての。ストーカーされたり、いきなり襲いかかってきたりするかもしんねーだろ」
「まさか……」
「もっと警戒しろよ。監禁するぞ」
「お、大袈裟だな……」
「大袈裟にもなるだろ。好きなんだから、心配するだろ。ほんとはあのヤローと同じ大学行ってんのも嫌なんだよ、俺は」
憮然とした顔で言われて、歩夢の胸はときめいた。嬉しくて、照れ臭くて、頬が火照る。
こういうとき、晃樹のことが堪らなく好きだと改めて実感する。
「あ、ぅ……ご、ごめん。心配してくれて、ありがと……」
「気をつけてくれればそれでいいけどよ。絶対二人きりにはなるなよ」
「う、うん……っ」
歩夢は今度は素直に頷いた。
晃樹が好きだ。抱きついてしまいたい。抱き締められたい。思い切り甘えたい。
歩夢が、好きだと一言言えばいいのだ。
そうすれば、今の半端な状態からちゃんとした恋人になれる。好きなだけイチャイチャできる。
歩夢がたった一言言うだけで、関係を変えられるのだ。
言え、早く、と気持ちは焦るのに、なかなか言葉が出てこない。
歩夢がもたもたしている間に、また晃樹が先に口を開いた。
「あのな、歩夢」
「えっ、あ、なに……?」
「返事のことだけどよ」
「あっ、うっ、う、うんっ」
もちろん告白の返事のことだろう。晃樹から訊いてくれれば、今度こそちゃんと言えるはずだ。
そう思い、歩夢は逸る気持ちを抑えて晃樹の続く言葉を待った。
「焦る必要ねーからな」
「えっ……」
歩夢は青ざめた。
返事が遅すぎるから呆れられてしまったのかと思ったが、それは杞憂に終わる。
「俺はいつまでも待てるから」
「晃樹……」
「俺を待たせてるってプレッシャーに感じてんのかもしんないけど、そんなん気にすることねーからな」
晃樹は優しい笑顔で歩夢を見つめる。
「な、なんで……」
「だってお前、すげー思い詰めた顔してるから」
「あ、う……」
いつも通り振る舞っているつもりだったが、バレバレだったらしい。
「焦んなくていい。っつーか、俺がセフレからって考えたから順番が逆になっちまったんだよな。普通は、こういう関係を続けてから恋人になるだろ」
歩夢を見つめる晃樹の瞳は穏やかだ。
「歩夢とちゅーしたり、手ぇ繋いでデートしたり、それだけでスゲー楽しいし嬉しいから。無理に言ってほしいわけじゃねーし」
無理してるわけではない。歩夢は本当は、今すぐにでも晃樹の恋人にしてほしいと望んでいるのだ。答えはとっくに出てるのに、それを言えずにいるから焦ってしまう。
けれどそんな歩夢が、晃樹には無理しているように見えてしまうのだろうか。
「お、俺……っ」
歩夢はぎゅっと晃樹の服の裾を握った。
「歩夢?」
「……あのな、俺……浮気されたんだ……」
歩夢は拓海との別れの原因を晃樹に話した。拓海が浮気をしていたこと。拓海が浮気相手に言っていた言葉。
それを聞いて、晃樹は思い切り不愉快そうに顔を歪めた。
「アイツ、マジで最低のクソヤローだったのかよ」
舌打ちし、殴っとけばよかったと吐き捨てる。
歩夢は緩くかぶりを振った。
「アイツのことはいいんだ。もうなんとも思ってないし……」
拓海のことはもうどうでもいい。歩夢が気にしているのは晃樹にどう思われているのかだ。
「お、俺、ほんとに声でかいし……気持ちよくてすぐわけわかんなくなっちゃうし……そういうの、晃樹も嫌になったらどうしようって、不安になって……。晃樹は好きって言ってくれたのに、信じてるのに、怖くて……」
「歩夢……」
「ごめんっ……。なんかうじうじ悩んで、返事、ずっと待たせて……っ」
謝る歩夢の頭を、晃樹は優しく撫でた。
「謝んなくていいって。待たされてる、なんて思ってねーし」
晃樹は柔らかく目を細め、歩夢を見つめる。
「つーか、寧ろ嬉しいし」
「嬉しい……?」
「歩夢が俺のことでそんな悩んでくれてんの、嬉しいよ」
「…………」
「俺のことなんとも思ってなかったら、不安なんか感じないだろ。怖いって思うってことは、歩夢にとって俺はそれだけ大事な存在ってことなんだろ」
「…………」
「だから嬉しい」
本当に嬉しそうに笑うから、ぎゅっと胸が詰まる。
涙が込み上げ、潤む瞳で晃樹を見上げる。
「なんで……そんな……俺に優しいの……?」
「好きだからに決まってんだろ」
晃樹は即答し、くしゃりと歩夢の髪を掻き混ぜるように撫でた。
「俺は歩夢にメロメロなんだよ」
「っもう……なにそれ……」
歩夢は思わず頬を緩めた。
晃樹を好きだと思う気持ちが溢れだし、自然と言葉が口をついて出た。
「俺も好き……。晃樹のこと、すごく好き、大好き」
晃樹は大きく目を見開いた。みるみる頬が紅潮していく。
晃樹のこんな照れている顔をはじめて見た。
「ヤバい、すげー嬉しい……」
赤くなった顔を両手で覆い、晃樹はぽしょぽしょと蚊の鳴くような声で呟く。耳まで赤くなっている。
こんな反応を見られるなんて思わなかった。
晃樹が可愛くて、自然と唇に笑みが浮かぶ。
歩夢は顔を覆う彼の手を握って下げた。赤く染まった晃樹の顔が現れる。
彼の瞳をまっすぐに見つめて、歩夢は言った。
「俺、晃樹の恋人になりたい。恋人に、してくれる?」
「当たり前だろっ」
食いぎみに答えが返ってきて、嬉しくて、だらしなく頬が緩んだ。
すると、ぎゅうっと晃樹に抱き締められる。
歩夢の肩に顔を埋め、晃樹は悔しそうにぼやく。
「っ、っ、クソッ。もっとスマートに、カッコよくきめるつもりだったのに……めっちゃイメトレしたのに……」
イメトレなんてしていたのか。
出会ったときの印象とはすっかり変わってしまった。オナホとかなかなかに最低なことを言われて、そんな男とこんな風になるなんて思ってもみなかった。
けれどカッコよくてカッコ悪くて可愛い晃樹が、いつの間にか大好きになっていたのだ。
抱き締められると胸がドキドキして、もっともっと彼に近づきたいと望んでしまう。心だけでなく、体が彼を求めている。
歩夢は晃樹の耳に唇を近づけ、そっと囁いた。
「晃樹……あの……し、したい……」
「は……?」
「その……え、エッチ……した、ぅわあ!?」
言い終わる前にソファに押し倒された。
「な、なに、いきなり……」
「だって歩夢から誘ってくれたんだぞ!? がっつくだろ!?」
「なにそれ……」
「今まで一回も歩夢から言ってくれたことないじゃん! セフレのとき、俺ずっと歩夢から言ってくれんの待ってたのに!」
晃樹は興奮した様子で捲し立てる。
「え、そうだったのか……?」
まさか歩夢からの誘いを待ってたなんて思いもしなかった。
「そうだよ! だからめちゃくちゃ嬉しい!」
「うわっ、ちょっ、ま、待った待った!」
「自分から誘ってきて焦らすとか、高等プレイか!?」
「じゃなくて! べ、ベッドがいい……」
「わかった今行こうすぐ行こう」
目にも留まらぬ速さでソファから下り、晃樹は歩夢の手を引きいそいそと寝室へ向かった。
「ん゛っ、んぁあっ、ん゛ん゛~~~~っ」
歩夢のくぐもった喘ぎ声が部屋に響く。
互いに全裸になり、歩夢と晃樹は抱き合っていた。
仰向けになった歩夢の両脚を晃樹が抱えている。晃樹が腰を前後に揺すると、結合部からぐちゅぐちゅと卑猥な水音が響いた。
剛直を抜き差しされ、快感が背筋を駆け抜ける。歩夢は痺れるような快楽にぶるりと胴震いした。
「ん゛ひっ、んっお゛っ、んっんんぅっ」
歩夢は声を我慢してしまう。晃樹はそれを止めなかった。歩夢の気持ちを尊重して、無理に声を上げさせようとはしなかった。
「ひぎゅぅっ……」
ごりゅごりゅと雁で前立腺を押し潰されて、上がりそうになった悲鳴を、手の甲を強く噛んで抑える。
「あ、噛むのはダメ」
そう言って、晃樹は歩夢の口から手を引き剥がす。
「歩夢、俺の背中に手ぇ回して」
「んっ、ん……?」
わけもわからぬまま、上体を倒した晃樹に腕を伸ばして抱きつく。
晃樹も歩夢の背中に腕を回し、それからぐいっと上半身を持ち上げられた。
「んおぉ゛っ……!」
対面座位の体勢になり、自重で剛直が深く奥に突き刺さる。最奥を抉られる快感に、歩夢のぺニスからぴゅっと精液が溢れた。
「んひっ、ひぐぅっ……」
「歩夢、舌出して。キスしながらなら声あんま漏れないだろ」
「んっ、うんっ……んっんっ」
歩夢は舌を差し出し、晃樹のそれと絡めた。
抱き締め合い、キスを交わしながら、下半身は深く晃樹と繋がっている。
身体中が彼に満たされている感覚がして、歩夢は甘い快楽にぐずぐずに蕩けていく。
「おっ、んっんっ、こ、きぃっ、んんっ」
歩夢は自ら積極的に舌を動かし晃樹とのキスに耽溺する。
セックスは何度もしてきたが、晃樹とこんな風に深いキスをするのは今日がはじめてだ。
擦れ合う粘膜の感触が気持ちいい。口腔内を蹂躙されるように晃樹の舌で舐め回される快感に、歩夢はきゅんきゅんと後孔を締め付けた。
快楽で思考が溶けていく。
ごちゅっごちゅっと最奥を剛直で穿たれ、目も眩むような強烈な刺激に、もう自分がどんな声を上げているのかも気にならなくなっていった。
ただ、こうして晃樹と抱き合っていることが幸せだった。
「ぉぐっううっ、ん゛ひぃっ、きもちぃっ、こぉき、すきっ、すきぃっ」
「可愛いな、歩夢、歩夢っ、好きだ……っ」
「しゅきっ、ぃああ゛っおっ、いくっいっぢゃ、あ゛っあ゛っあ゛っ」
「イけっ、イけっ、俺に結腸ぶち抜かれてイッちまえっ」
「ん゛へあぁっ、あっあっあ゛~~~~~~っ!」
ぶちゅんっと一際強く奥を突き上げられ、歩夢は絶頂を迎えた。
ぶるぶる震える歩夢の体をきつく抱き竦めながら、低い呻き声と共に晃樹も達した。
時間も忘れて体を重ね、体力が尽きてふらふらになった歩夢を晃樹は風呂に入れてくれた。隅々まで綺麗に洗ってもらい、上がった今は晃樹がドライヤーで歩夢の髪を乾かしてくれている。
「晃樹って意外と面倒見いいよな……」
晃樹は奉仕されるのを好む方だと勝手なイメージを抱いていたが、逆にこうしてなにかと世話を焼いてくれることが多い。楽しそうにしているから、てっきり他人の世話を焼くのが好きなのかと思ったのだが。
「いや? よくねーけど?」
「えっ?」
「こういうのが面倒だから今まで恋人は作んなかったんだよ。でも、歩夢にはなんか色々したくなるっつーか。楽しいって思えるし、なんでもしてやりたくなるんだよな」
「…………俺だから?」
「そう」
はっきり頷かれて、嬉しいけど恥ずかしくて歩夢は赤くなった顔を隠すように俯いた。
「ははっ、顔赤っ、照れてんのかっわいい」
自分だってさっき顔を真っ赤にしていたくせに、晃樹はそう言って笑う。
指摘されてムッとするけれど、くしゃっとした笑顔を見てると苛立ちもすぐに消えた。晃樹の笑顔の方が余程可愛いと思う。
歩夢もすっかり晃樹にメロメロになってしまったようだ。
ここから拓海視点です。
かなり自己中心的で頭のおかしい感じになっています。興味のない方はスルーして下さい。
その日、拓海は新しくできた恋人とデートしていた。
歩夢と別れたあと作った恋人だった。誰でもよかったので、別に好きでもなんでもない、適当に選んだ相手だ。そんな恋人とのデートを楽しいと思えることもなく、拓海は殆ど上の空だった。
腕に絡み付く恋人に少しの鬱陶しさを感じながら信号待ちをしていたとき、車道を挟んだ向こう側に歩夢の姿を見つけた。周りにはたくさん人がいる。平凡で目立たない歩夢は人混みに紛れてしまうはずなのに、何故か目についた。
同じく信号待ちしている彼は一人ではなかった。隣にはあの、歩夢の彼氏だとどや顔でのたまっていた失礼極まりないチャラい男がいる。
歩夢はその男と楽しそうに話していた。歩夢の視線はその男にだけ向けられていて、拓海の存在に気づく様子もない。
歩夢の笑顔を見ていると胸がムカムカした。
見なければいいのに、視線を外せない。
よく見ると、歩夢と男は手を繋いでいた。男同士で、堂々と、いかにもデート中だという雰囲気を放つ二人にどす黒い感情が沸き上がってくる。
拓海も歩夢とデートをしたことはある。けれど決して手を繋いだりはしなかった。
心の底から楽しそうに笑う歩夢。果たして、自分とデートしていたとき、歩夢はあんな笑顔を見せてくれていただろうか。
歩夢から別れを切り出されるなんて思っていなかった。
付き合おうと言ったのは拓海の方からだ。でもそれは、歩夢の気持ちに気づいたから告白したのだ。たまに学食で目が合って、そのたびに顔を赤くして顔を背ける歩夢を見れば、彼が自分に対してどんな感情を持っているのかすぐにわかった。
拓海はモテる。だから好意の籠った目で見られることなどしょっちゅうあった。歩夢はそんな大勢の内の一人にしか過ぎないはずだ。だが平凡で目立たない容姿をしているのに、何故か歩夢のことが気になった。だから拓海から声をかけ、そして付き合うことになった。
付き合おうと言ったときの歩夢の顔は今でも覚えている。最初は信じられないというように呆然としていた。けれど拓海が言葉を重ねれば、みるみる内に頬が紅潮し、瞳はキラキラ輝いて、そして花が綻ぶような笑顔を浮かべたのだ。
容姿は平凡だ。大勢の中に入れば特徴のない歩夢の存在は目に留まらない。しかし対面すれば、コロコロと表情の変わる歩夢は面白くて一緒にいると癒された。
なにより、拓海のことが好きで好きで堪らない、という歩夢の表情を見ると酷く優越感が満たされた。
可愛いと一言言ってやるだけで、それはそれは嬉しそうに笑って、単純で簡単で可愛い。
この子は本当に、心底自分に惚れている。
それを日々実感し、歩夢といると強い優越感に浸れた。
拓海は完全に歩夢を下に見ていた。決して対等だとは思っていなかった。歩夢を可愛いとは思うが、歩夢が拓海を好きで好きで仕方なくて、だから拓海は歩夢と一緒にいてあげている。そんな感覚だった。
歩夢が喜ぶから抱き締めてあげて、歩夢が喜ぶからキスをした。
セックスをしてあげれば、歩夢はいつもはしたない声を上げ、顔をぐちゃぐちゃにして快楽に溺れている。
びっくりするくらいの痴態を、隠すことなく拓海に晒している。
わけがわからないほど乱れて。こんな風になってしまうくらい、拓海のことが好きなのだ。
汚い喘ぎ声もだらしない顔も、可愛いと言えばそれを真に受けて歩夢は喜んだ。
拓海に受け入れられていると思って全てをさらけ出す。
そんな愚かな歩夢が可愛くて、可愛い可愛いと褒めてあげた。
歩夢がセックスをしたのは拓海がはじめてだ。慣れていない歩夢とのセックスは物足りなく感じた。
性欲を発散させる為に歩夢以外の人ともセックスをした。罪悪感はまるでなかった。歩夢で満足できないのだから他の人とセックスをする。それは拓海にとっては当然のことだったから。歩夢がセックスに慣れていないのだから仕方ないのだ。
周りには、拓海に気のある人はたくさんいたので捜すのに苦労はしなかった。
同じ大学に通う手近な人物を相手にした。拓海が声をかければ、断られることなどなかった。頬を染め、嬉しそうにこちらを見上げてくる。
「拓海くん、また僕とエッチしてくれるの?」
「うん」
「でもいいの? 拓海くん、恋人いるのに」
「だって歩夢、ちょっと酷いんだよね」
「なにが?」
「喘ぎ声。大きい上に汚くて、引くくらい凄くてさ」
「えっ、そんなに?」
「うん。顔もぐっちゃぐちゃで、感じてくれてるのは嬉しいんだけど、一人でよがり過ぎてるの見ると、なんかこっちは冷めちゃうんだよね」
「ええー、拓海くんの恋人ってあの人だよね、たまに一緒にいるの見たことあるけど、地味で、目立たない、フツーの。エッチのときそんな感じなんだ。いがーい」
「そんな感じだから、歩夢としてもあんまり楽しめないんだよね」
でも、拓海はそんな歩夢を恋人として可愛がっている。歩夢が、どうしようもなく拓海のことを好きで堪らない、と視線で、態度で訴えてくるから。だから拓海は歩夢と付き合ってあげているのだ。
歩夢は拓海を好きで、その気持ちが揺らぐことなどないと思っていた。なにをしても許されると思っていた。
だから、浮気がバレたときも別れることになるなんて想像もしていなかった。
拓海が好きなのは歩夢だけだと言えば、拓海のことが大好きな歩夢はちゃんとわかってくれる。すぐに拓海の所へ戻ってくるだろう。
しかし拓海の考えは外れた。歩夢と一切連絡がとれなくなり、そもそも話を聞いてもらえないのだ。
けれど、歩夢はすぐに我慢できなくなり拓海の前に現れるはずだ。だって歩夢は拓海のことが心の底から大好きなのだから。
しかし、どれだけ待っても歩夢からの連絡はなく、こちらから連絡しても全て無視され、大学で姿を見かけることもない。
どうして。拓海のことが好きなくせに。
焦りが生まれた頃、歩夢のスマホにメッセージを送れなくなり着信も拒否された。
なんで。歩夢は拓海からの連絡を待っているはずなのに。
まだ怒って拗ねているのだろうか。拓海が訪ねてくることを期待しているのかもしれない。
そう考えて、拓海は歩夢の家に行った。
拓海が来て内心嬉しいと思っているくせに、歩夢はなかなか素直にならない。こうして来てほしくて、わざと連絡がとれないようにしたくせに。こっちがこんなに言葉を尽くして誤解だと訴えているのに、もう二度と顔も見たくないなんてどうしてそんな嘘をつくのだろう。
拓海の気を引きたいのかもしれない。
仕方なくその日は帰り、また歩夢からのアクションを待っていたけれど数週間経ってもなにもない。
だからまた拓海から会いに行くことにした。歩夢は可愛い恋人だから。歩夢は拓海のことが大好きなのだから。きっと今も、拓海が来るのを待っている。
拓海と二人きりになりたくてわざと人目につかない道を通る歩夢を待ち伏せて捕まえた。
「今更話すことなんてない。お前にはあの浮気相手がいるだろ」
その歩夢の言葉に納得した。平凡な歩夢とは違い可愛らしい容姿をしていたあの子に嫉妬しているのか。自分を卑下して、あの子の方が拓海に相応しいと思って身を引こうとしているのだ。そんな必要ないというのに。
「あの子とはあれ以来もう会ってない。あのとき言ったことは本心じゃないんだよ。あんなこと、本気で思ってるわけじゃないっ」
歩夢の機嫌をとるために言葉を連ねた。
ちゃんと説明すれば、拓海のことが大好きな歩夢は機嫌を直してくれる。また、拓海が好きで好きで堪らないという目で拓海を見てくれる。
拓海はそう信じて疑っていなかった。
それなのに。
歩夢が拓海以外の男とセックスしていたなんて。
そんなはずない。
だって歩夢が好きなのは拓海だ。
よりにもよって、あんな軽薄そうな派手な男と関係を持つなんて。
そんなことあるわけないのに。
あんな頭の緩そうないかにも節操なしっぽい男。歩夢には似合わない。拓海の方が余程歩夢を大切に可愛がってあげられるというのに。
それなのに、歩夢はこの男の前でもあんな痴態を晒したというのだろうか。あのはしたない姿を。
拓海だけのものだったのに。あの声を聞くのも、あの顔を見るのも拓海だけだったのに。
あっさりと奪われた。
あんなに好きって言っていたくせに。
拓海に対する歩夢の気持ちはその程度だったということか。
あんなに優しくしてあげたのに。折角恋人にしてあげたのに。恩を仇で返された気分だった。
別れの原因を自分が作ったという自覚のない拓海は、自分の考えがいかに自分勝手なものなのか気づかない。
あのヤリチン男にボロボロにされて捨てられて、拓海と別れたことを後悔することになるのだろう。そんな歩夢を憐れんだ。
歩夢にとって拓海の存在は特別なものだっただろうが、拓海にとって歩夢は拓海を好きだと言ってくれる大勢の内の一人に過ぎない。
だから別れてしまえば歩夢のことなどすぐに記憶から薄れていく。歩夢のことを思い出すこともなくなるだろう。
そう思っていたのに、何故か歩夢の存在が強く脳裏に残っている。
誰といてもなにをしていても、歩夢の声や顔や仕草、なにもかもを鮮明に思い出す。
けれど声を聞きたいと思っても顔を見たいと思っても歩夢はもう傍にいない。
それでも、新しい恋人を作れば簡単に忘れられる。
そう考えていたのに。
信号が青に変わり、恋人に腕を引かれて拓海の意識は現実に引き戻された。促されるまま歩き出す。
歩夢と男もこちらに向かって歩いてくる。距離はどんどん縮まり、そしてあっさりとすれ違う。歩夢は拓海がいることに気づくことなく行ってしまった。拓海のことなど眼中にない。
数ヶ月前までは、確かに拓海のものだったのに。
あの笑顔は拓海だけに向けられていた。
歩夢の視線は拓海だけに向けられていた。
自分のものを他人に掻っ攫われた気分だ。
酷く虚しい気持ちになった。恋人とデートしているという状況は同じはずなのに。拓海と歩夢は全く別世界にいるようだ。
恋人に話しかけられ、適当に相槌を打ちながらも頭の中は歩夢のことで占められていた。
もう二度と、歩夢が自分に笑顔を向けてくれることはないのだ。それを改めて思い知らされた気がした。
ぽっかりと胸に穴があいたような、そんな感覚がした。
思わず追い縋るように振り返り、歩夢の姿を捜す。
すると、歩夢の隣の男がこちらを見ていた。
拓海を見下すように。嘲笑うように。
唇に笑みを浮かべていた。
顔はすぐに逸らされ、男は歩夢に声をかける。
男の隣で楽しそうに笑う歩夢。
どうして今、歩夢の隣にいるのが自分ではないのだろう。
こんなにも未練がましく歩夢を思っているのに、そのことを自覚できないまま、拓海は彼らから視線を外した。
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