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第1話 夏向

4月は春。 そして、春って実はけっこう寒い。 そもそも体温の高い自分は 昼間はもう長袖Tシャツ一枚でも平気な時が多いけど、 もうすぐ日が沈むこの時間はけっこう風が冷たくなる。 だから寒さ対策に、今年買ったばかりの 薄い水色のオープンカラーシャツを羽織ってきたのは正解だった。 これはけっこうお気に入りだ。 はじまりの季節にちょうどいい軽めの色をしていても、 布地自体はしっかりしていてつくりも細かい。 そして、 丈の長さやゆったりした雰囲気が、 いまの自分にちょうど良いと思ってる。 なにより、 ももちゃんが夏向(かなた)に似合うと笑ってくれたから。 春の夕方。 オレンジ色のちょっと切ない空気の中、 足どり速めで人通りの多い交差点を渡り切ると、そのまま真っすぐ歩く。 5メートルも行かないところに細い路地が右側に見えてくると、 そこをひょいっと曲がった。 そして、その路地に入った途端、明らかに空気感が変わる。 表通りの人混みがうそだったみたいにそこには静寂があって、 そうして目の前には 大小さまざま、色とりどりの花たちがずらりと顔をそろえて揺れていた。 その景色はオレの身体を、どこかふわっと軽くする。 ガラス張りのその店の扉はほとんどいつも開けっ放しになっていて、 今日も例外なく開放されていた。 「ももちゃん」 声は控えめにした。 ガラス越しに、すでに中にいるお客さんが見えていたからだ。 「おぅ。いらっしゃい」 接客中だったももちゃんはわざわざこちらに顔を向けて、 だいぶ見慣れたエプロン姿で笑った。 それはもうほとんど毎日見ているというのに、 オレは毎回、そんなももちゃんのすべてにドキリとする。 だって鮮やかな花たちに囲まれたももちゃんは、 オレには花を抱えて異国からやってきた王子様みたいに映るのだ。 ・・・ただの白いシャツに 飾り気のないこげ茶色したエプロンをしていたとしても・・・だ。 視線と顔の向きだけで合図されると、オレは笑顔で小さく頷く。 さほど大きくはない店内の、 少しだけ奥まった場所にあるテーブルまでたどり着くと、 リュックを下ろしていつもの席に座る。 そこはオレだけの特等席。 ・・・だとオレだけは思ってる・・・ 座ってしまえばこの席は、お客さんからはほとんど見えない場所だった。 オレはそろそろと首を伸ばして、 花の隙間から見える、接客中のももちゃんをこっそりと眺めた。 気づけばあっという間に大学4年になっている。 学校が終われば、もしくはバイトが終われば、 よほどのことがない限り、オレはここに来るのだけれど、 それは去年の12月からはじまったオレの日課だった。 「お疲れ」 「ももちゃんこそお疲れ」 お会計が終わって、接客がひと段落したももちゃんはオレのそばにやってくると、 明らかにリラックスした表情を、きっと無意識にオレに見せた。 完ぺきって言葉が似合う、スキがないももちゃんのそんな表情は、 オレをキュンっとさせていい気にもさせる。 そして、もしかしたらこの瞬間が一番、幸せかもしれないって毎回思う。 だってきっと、 こんな風に「特別に」ももちゃんの飾らない表情を見れる人は、 ココに訪れるお客さんたちの中にはそうはいないだろうから。

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