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第2話

春 四月下旬  ひととおり、春樹とメンバーが顔を合わせたタイミングで「新人歓迎会」という名の飲み会が開かれた。  二十名ほどが集まり、いつも使っている居酒屋で春樹は一通りの挨拶をして、すみっこに引っ込もうとした。そこに、北村と石田が声をかけてきた。 「佐藤、こっちこい。学生生活のはなし、きかせてくれや」 「はい」  春樹はあらためて石田を見つめた。すらりとした体つき、整った顔立ちは、三十歳とは思えない艶めいた雰囲気を放っている。既婚者で、きれいな奥さんと娘が二人いるらしい。 だが、女性がいつも数人、顔ぶれを変えながら練習を見に来ていた。 「まあ、そんなにかたくならずに」  北村が春樹に人なつこい笑顔を向けてくれた。北村は整体院に勤める二十九歳。独立を目指している。 「佐藤はモテるだろ? そのあたりの武勇伝ないの」  石田がはなしを振ってくるが、春樹は首を横にふるだけだった。 「いえ、オレはぜんぜんです」 「えーうそ! じゃあ、紹介してやろうか?」 「……そういえば、佐藤って、家族何人? 一人っ子? 兄弟いるのか?」  北村が春樹に大きな声で家族構成を聞く。そうやって、石田の春樹への好奇心をそらしてやろうとしていた。 「うちは、父と母、祖父母です」 「兄弟いないの?」 「オレ、ひとりです」 「そういう話はいいから。で、まだ童貞?」  石田が食い下がってくる。 「瑛人さん、もういいから。高校生にそういう話はやめておきましょうよ」  北村が石田を制してくれている間、春樹は喉の渇きを覚えた。石田の話はどうでもよかった。もしかすると、自分はとても緊張しているのかもしれない。席を替わる時に持ってきたソフトドリンクに口をつけた。ごくごくごく、と炭酸の甘いドリンクは春樹の喉を通り抜け、するすると胃に収まった。その瞬間、胃が燃えた。 「おい、佐藤、それ、東の……」 「え? まじで?」  石田と北村が春樹が飲みほしたドリンクに気がつく。 「え?」 「それ、東の焼酎五割カルピスだよ!」 「石田さんも北村さんも! なに考えてるんだよ! 相手はまだ十五歳だぞ! ちょっとは気を遣えよ! 東さんも、なんでそんな度数高いカルピスハイ飲んでるんだよ!」  生まれてはじめてアルコールを飲んだ春樹はトイレに直行し、晶は事情を村瀬から聞いて激怒していた。東は晶の激昂にも動ずることなく、焼酎五割カルピスを飲んでいる。 「村瀬さん、すいません、ちょっと白湯、持ってきてやってください」 春樹は便器を抱きかかえるようにして、受け付けないアルコールを全部だそうとしていた。晶がせっせと背中をさすってやる。 「春樹、大丈夫か」 「だ、だいじょうぶです……」  春樹は、いったん、吐き出せるものを吐き出すとそう、つぶやいた。それでも顔面が青白い。よっこいしょ、と心配して見に来た村瀬や東が春樹を立たせてやった。 「すいません、ちょっとこいつ、家まで送っていきます」 「ついていこう」  村上もジャケットをとって、立ち上がった。 「村瀬さんと東さんはタクシーつかまえてください。吐くのは収まったみたいだし」  晶はそういいながらも「ゲロ袋もってなよ」と、ビニール袋を春樹にわたす。意味が分からない。おとなって意味が分からない。 「家のほうには今から連絡しておく、会計とかは東、やっておいてくれ」 「わかりました」  村上がてきぱきと指示をだす。 「ありがとうございます、じゃあ」  村上の言葉を背にして、晶は村瀬と東に手伝ってもらって外に出た。  タクシーが閑静な住宅街にある春樹の自宅につくと、春樹の母親が玄関先で待っていた。後部座席で春樹の介抱をしていた晶と村上が、春樹を抱えて降りる。 すらっと背が高く、春樹と顔だちが似ているショートカットの母親がさらりとしたカーデガンを羽織って頭をさげた。 「すみません、佐藤春樹の母です。村上さんと、石井さん? どうせ、この子がぼおっとしていたんでしょう」 「ごめん、かあさん、オレが悪い……」 「ご近所迷惑よ。ちょっとおじいちゃん、春樹を部屋まで連れて行ってください。そうよ、あんたがぼけっとしてたからこうなったんじゃないの?」  母親の声に春樹は「うへえ」とだけ言って、耳をふさぐまねをする。 こういうところは子供っぽいな、と晶は笑みがもれそうになった。 祖父らしき老人が晶たちに頭をさげ、春樹を大きな一軒家に連れて入った。晶と村上も頭をさげる。 「ほんとに、すみませんでした。今後、こういうことがないようにします」 「まあねえ。正直、十五歳の子がいくらサークルの新歓してもらうからって、居酒屋にいくのを止めなかった私が悪いわ」 「すいません……」 「ええっと石井くん……よね? あなたも星が浦なんでしょ? 未成年よ? なにかあったら、処分を受けるのはあなただし。あと、村上さん? あなた、大人として止めるべきじゃなかったのかしら?」  サバサバと言ってのける春樹の母に、晶は小さくなるばかりだった。 「すいません、そのあたりは俺が気を付けます」  今度は村上が、必死で頭を下げた。 「まあ、はっきり言っちゃったけど、気にしないで。これからも節度ある範囲で、あの子を誘ってあげてください」  言いたいことを言うと、春樹の母親は急に声のトーンを落として、笑った。 「それと、あなた、「晶先輩」よね」  春樹の母が、晶の顔をまじまじと見つめて言った。 「はい、石井晶は僕です」 「春樹が時々、話をしているの。男の子って外の話、しないでしょ。それが珍しく「晶先輩」「晶先輩」って。……その「晶先輩」にはなしがしたいけれど、少しだけいいかしら」 「はい」 「あの子、ちょっといきがってるでしょ。中学の時もそう。サッカーで自分のできがいいって、つけあがってたのよ」  いきなり、ペラペラはなしはじめる春樹の母に、晶はきょとんとする。 「いえ、春樹くんは凄くいい子です、チームでも活躍してくれて」  晶は慌てて春樹のいいところを口にする。……えっと、どこだっけ。プレーはうまい。でも最年少のわりにはふてぶてしく見える。ただ、実力はあるし、みんな認めている。 「あら、そう。フットサルが楽しいのかしら。だといいんだけれど」 「楽しいかは本人じゃないと分かりませんが、うちの大事な戦力です」  そこだけ、晶はきっぱりと言ってのけた。 「……ありがとう。あの子、サッカーをすっぱりやめちゃったでしょ。……私、外科で看護師をやってるんですけど、怪我をして、ああ言う「挫折したけど、オレは傷ついてない」って顔する子、わりと見るんですよ。まだまだ子どもなのにね。……まあ、子どもだから強がるんでしょうけど」 「はあ……」  そこから、母親のマシンガントークが始まった。 「どこでも浮いてたみたいで。それを「自分が凄いから」「みんなはオレのことを恐れてる」なんて、思い込んでるんですよ」 「いえ、春樹君はそんなふうに思ってないみたいです」  晶は慌てて手を振る。むしろ、「俺が凄いから」と春樹が考えていたほうが、彼が今後人と関わる道筋が見える気がした。 「そうかしら。……高校の推薦を取り消されてもけろっとしてて、親がどれだけ慌てたかもわかってないのよね」  苦労したのよ、成績もいまいちで、と母親が困ったように言う。この母親から春樹という人間が生まれたとは信じがたかった。 「そうですか……」 「初対面の人にすみません、ペラペラと。あんな子ですけど、仲良くしてやってくださいね」  母親として、息子を気遣っているのを晶はその毒舌で推察した。

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