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第一話

「わ、すげえ」  一度目のミニゲームで村瀬が春樹に当たったが、春樹は体幹が強いのだろう、あたり負けしなかった。 春樹は大きな体の割には、ボールさばきが器用で、上体もよく伸び、視野が広い。 姿勢がきれいで、独特のカリスマ性を感じさせる。  最初は周りと合わせづらかったのか、戸惑うようなところも見受けられたが、流動性の高いポジショニングにもついてきた。さらにはドリブルの速さはチーム一だったため、最終的には春樹にボールが集まるようになっていった。 「あいつ、凄いっすね」  晶が村上と顔を見合わせていると、不意に背後から声がした。 「あー、おれ、あいつ見たことあるわ……ああ、聡さん、あいつ、県選抜に出てましたよ」 「あ、貢さん……」 「おお、藤田、遅かったな」  村上に声をかけられて、藤田貢はぺこっとその細く長い体を折り曲げるようにして、おじぎをした。 「すいません、ちょっと客につかまっちゃってて……」 「お、おっす……大変ですね、IT企業のぎじつ、えいぎょうって」 「言えてねえじゃん。「技術営業」な」  白い歯を見せて藤田は笑う。 「「技術営業」」  「よく言えました」  むすっとする晶に、藤田は笑いかけた。そのしっとりとした豊かな黒髪が、はらっと落ちる。ばさばさと音でも立てそうなまつげがはためくと、晶のほうへ真っ黒な瞳が向けられた。 ぷっくりとした涙堂と、白い歯が、爽やかさとほんのりと甘ったるさを醸し出していた。182センチのすらりとした体躯に、めりはりのある筋肉がついている。レアルマドリードのユニフォームに、黒のハーフパンツ、フットサルストッキング、青みがかったグリーンのシューズをあわせていた。 「え? 佐藤、県選抜だったの?」  周囲にいた人間にも、藤田の声が伝わったらしい。藤田は晶の肩に腕を回して携帯をさわると、動画を出してきた。「ほら」 「あったあった、これです」 「全国中学生選抜大会」のテロップが出ている画面の中で、ずば抜けてボールの所有率が高い選手が、どう見ても目の前にいる春樹に見えた。 「ほんものですよね」 「晶、お前、佐藤のことどう思う?」  藤田が晶の茶褐色の髪を今度は、くしゃくしゃしながら、たずねた。182センチもある藤田がそばにならぶと、晶は自分が小さいな、と感じる。それが本来は嫌だが、藤田の背の高さ、顔、熱が晶には心地よかった。藤田が離れると、熱が残っているみたいで心が騒いだ。 「どうって……? うーん、元県選抜だけあって、うまいかな」 「そうだね。ただ、あいつ凄くセンスあるけど、ちょっと」 「ちょっと? なんすか」  藤田の態度に、いささか晶は納得がいかない。 「まあ、一回やってみよう」 晶は藤田のいいたいことを、ゲームの中で理解することになった。  ミニゲームは参加者が少なかったため、二度にわたって、春樹の力量をはかる目的で行われた。晶も自分のポジション「アラ」に入った。 二度目、春樹はボールを持ちすぎた。サッカーであればドリブルで抜けたとしても、スペースがあるが、フットサルは距離感が違う。すぐにディフェンスに囲まれる。 「佐藤! ボール!」  追い詰められかけた、と見た藤田がうまくリードして、春樹にボールを出させると「スイッチ」の要領で藤田がパスを出し、交差したところに来ていた春樹にボールをパスした。春樹はそのままゴールを決める。 「ナイス! 佐藤」 「ありがとうございます!」 「もっと自分だしていいぞ、勝手にやってみろ」  藤田はそう、春樹の背中を叩いた。 「はい!」 春樹の顔から、強張りのようなものが消えて、年相応の少年の顔になっていた。 晶はそんな春樹と藤田を交互に見た。藤田は春樹が周りに遠慮していると感じとって、フォローしてやったのだ。 晶ははしばみの瞳を藤田にぎゅっと向けた。  ゲームが終わると、春樹のまわりにチームの面々がわらわらと集まってくる。 「お前、中学の県選抜だったんだって?」 「あ……はい」 「すげえじゃん」 「はあ……」  春樹の「たいしたことではない」「なぜ、騒ぐのか」と言わんばかりの一見ふてぶてしい態度に、逆に周りが戸惑った様子を見せる。 さっと晶が「春樹、すごいよ! こんな逸材が入ってくれるなんて、俺ら、めっちゃ得ですねえ!」と、すかさずフォローに入った。春樹もそれを察したのか「いえ、そんなに、あの、ありがとうございます」とぼそぼそと口にした。 「春樹は家、どっち方面?」  練習終了後、ロッカーで春樹は晶に声をかけた。 「S区のほうです。地下鉄のM駅になります」 「じゃあ、俺と同じ沿線だ。俺、いつも貢さんに車で送ってもらっているんだ。春樹も一緒に乗せてもらえるか、聞いてみる」  晶は藤田に、声をかけた。 「車? いいよ。佐藤、遠慮すんな」  藤田は車を駐車場から入り口まで回してくれた。藤田の車の後部座席に、晶と春樹は乗り込んだ。  この街の山と海はとても近く、その狭い土地に人々は暮らしていた。 藤田は一人暮らしをしている。住まいはS区でも海側で、春樹は山側、晶はさらに奥のN区になる。  I駅で、藤田は晶と春樹を降ろした。 「佐藤、また来いよ。晶、ちゃんと連れて帰ってやれよな」 「分かってますよ」 「新人に気を遣えよ?」 「わかってますって。俺はいいやつなんで」 「ほんとに一言多いなあ、お前は」  ちょけてからにという藤田の言葉に、「そうなんですよ、俺は一言多いんです」と晶はふふんと笑ってどこか嬉しそうな顔をしてみせた。藤田もそれが当然と言った顔をする。春樹はこの二人は年齢が離れていても仲がいいんだな、とぼんやりと眺めていた。   「春樹は、さすがに一年生って感じだな、学ランがてかってないし、まだ「着られている」感ある」  電車のなかで、晶は春樹の学ランの裾をつまんだ。 「そうですか」  春樹は、晶の距離感の近さに戸惑う。この人は誰にでもこうなのだろうか。 「そういや、M駅だったよね。ちょっと時間ある?」 「はい」 「俺、M駅そばの予備校に通ってるんだけど、置きっぱなしにしてた参考書、とってくるわ。そのついでに、ちょっと話そうよ」  M駅で降りると春樹を待たせ、晶は走り出した。五分もしないうちに晶は戻ってくると「はい」と、コーヒーのボトルを春樹に渡し、駅に隣接しているショッピングセンターの広場で話しはじめた。 「ありがとうございます、えっと」 「晶でいいってば。春樹は高校では部活、入ってないの?」 「はい。決めかねているうちに入り損ねてしまって……そのうちに堺さんが声かけてくれました」  やや猫背気味にうつむいて、ぽつりぽつりと喋る春樹に、晶はふんふん、と頷きながら携帯を取り出した。 「へえ。俺はねえ、フットサル好きなんだ」 「……そうですか」  距離がやたら近い人だ。別にこっちは話を聞いてないのにな。 「もともと兄貴がフットサルやってて、ここのチームに入ったの。うちの兄貴、もう就職してて、今、北海道にいるんだぜ。そうだ、LINE登録していい?」 「えっと、これです」  立て板に水とばかりに話す晶に春樹は気圧されつつ、携帯を出す。 「ありがと」  晶は春樹から携帯を手に取ると、手際よく設定してしまう。晶は春樹の友達の登録数の少なさをさりげなく見てとったようだ。 「うちのチーム、春樹に入ってもらってよかったわ。だらけてるから。あ、これはみんなには内緒ね」  くつくつと笑って晶はいきなり、「二人の秘密」と言い出す。そして春樹の携帯から着信音がした。  春樹が携帯を覗くと、晶から「よろしくね」のスタンプがLINEに入っている。  その日はじめて、春樹は笑みを見せた。 「ありがとうございます」のスタンプを春樹が晶に送り返すと、にっと晶は春樹に向かって笑いかけた。  その後、六月のリーグ開催に向けて調整が行われた。  春樹は最初だけ、遠慮がちに周りと接していたが、すぐに実力を発揮しはじめた。フットサルのルールもあっと言う間に吸収し、ゲームでも指示を出すようになってきた。  サッカーより、フットサルは確かにあたりが激しい。体格がものを言うコンタクトなスポーツでもある。 「もうちょっと身長が欲しかった」と晶は言うが、その分、晶はボールを器用にさばく、と春樹は見つめた。  ボールを触っている時、晶は若鮎のようにいきいきとしていた。 帰り道、晶と春樹はときおり、M駅でコーヒーを飲むようになった。 「オレ、サッカー推薦が決まりかけてたんです」  春樹は、ふいに強豪校の名をあげた。 「すごいじゃん」 「いえ……結局、取り消されちゃったんで」 「え?」 「高校の指導者が替わっちゃって……その人が、うちの中学の先生と折り合い悪くて」 「はあ? なにそれ、酷くない? ほかの学校、紹介してもらえなかったの?」 「はい」 「ええ……高校進学、しかも強豪校じゃん……俺だったらあちこちに相談するけど……」 「そうすればよかったかもしれないですね。でも、そういう話、割とあるみたいです。オレは別にどうでも……」  晶は首を突き出して、春樹の顔をまじまじと「なに言ってるんだ」と見つめた。 「オレ、変ですよね」 「……まあ、そうかもしんないけど、それが春樹らしさかもね」  そうですか、と春樹はそれだけ告げた。 「そういやさ、うちの学校、購買の使い方テクニック教えてやるよ。昼は大変だからな、おばちゃんと仲良くなっとくんだよ、それでな……」  晶はしんみりした空気を変えようとして、わざと学校での生活小百科を面白おかしく話して聞かせた。  ある日の練習後、春樹はシャワールームが混み合うのがいやで、ストレッチで時間を潰していた。 「あ、先輩と藤田さん、待たせちゃうかな……」  いつもどおり、自分のことしか考えていないことにはた、と気が付く。多分、こういう時には、勉強や仕事で疲れている年上の人を待たせるものではないのだ。多分。  早足で、シャワールームへ向かう。うっかりがたんと大きな音を立てて、扉を開けてしまった。 「あっ」 ガタガタと言う音と、軽い悲鳴のような声が聞こえる。 「あの、すいません、佐藤ですが、何かありましたか? こけたりしてませんか?」  確か今日、練習場を使っていたのは春樹たちだけだった。シャワールームにいるのは、恐らく、チームメイトだろう。 「あ、はるき? だ、大丈夫。……おそかったね」  トーンが高くなった声が、シャワールームに響く。 「晶先輩ですか?」 「うん、ちょっと滑りかけただけ。そうだよね、貢さん?」 「うん、そう、気にしないでいいよ」  ああ、藤田さんと先輩がまだいたんだ。春樹はほっとして、シャワーを使い始める。  ふと、晶へ視線をやると、胸からタオルを巻いている。男同士なのにな。  ただ、そのタオルの陰から、なにか赤いあざのようなものが見えた。 「じゃあ、俺ら、先にいってるから。ゆっくりしておいで」 「ありがとうございます」  無造作に服を脱ぎ、シャワーの栓をねじると、あとの二人は急ぎ足で出て行く。  シャワーの湯気で藤田と晶の姿は見えにくかったが、二人が妙によそよそしいように春樹は感じた。だが、シャワーの心地よさに感覚を持って行かれた。

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