1 / 31

森の中の魔女の家

 その家からは毎日のように良い香りが漂っていた。  なんの香りかは日によって違う。クッキーの焼ける香ばしい香りだったりシチューの煮えるまろやかで優しい香りだったり。  ときには苦い香りが漂うこともあるけれど。そういうときは大概、薬草が大鍋で煮られているのであった。  街外れの森。  奥のほうはうっそうと樹々に覆われているが森の入り口はそうでもない。森に入って五分も歩いた森の中ではまだ浅くて、樹々も少ない場所に小さな家が建っている。  そこには男の魔女が一人で暮らしていた。  魔女というのは女性を指すものではないのか、てっきり女性が出てくるものだと思った、とたまに驚かれるのだが、別段おかしなことではない。魔女というのはなにも『女性』という性を表す職業や立場ではないのだから。  確かにそこに住む魔女・ノアに魔女としての修行を叩き込んで一流にしてくれたのは祖母、つまり女性である。  魔女という職業が魔法使いと違う点は、魔女は不可思議な魔法を使うことはできないということだ。  生活に役立つ、火をつけたり水を操ったりという良い魔法であったり、逆に人々を惑わしたりする悪い魔法などの不思議な力は使えない。  それが、魔女という仕事に『魔女』という固定名がついている所以であった。  魔女という職業の成すことは主にふたつだ。  迷いがある人々の話を聞き、道を示したり、深く傷ついている者は癒してやったりすること。  もうひとつは薬を作ること。病気を治す薬、怪我を治す薬、気分を上向きにする薬など、種類は多岐に及んでいた。  そんな魔女としての仕事を優秀にこなすノアの元には、毎日のように来訪者がある。  『森に暮らす魔女』を祖母の代からひいきにしてくれている者もいるくらいで祖母が亡くなった今では皆、ノアの力を頼りに来てくれるのだった。  祖母が亡くなって数年が経ち、この家に一人で暮らすようになったノアは成人して何年か経つ立派な青年であった。  どちらかというと線の細い、美しいと分類されるような見た目。襟足まである暗い金色の髪と青い目は人間にもよく見られるカラーリングである。  しかし中性的で成人しているのに、人懐っこい印象のたれ目がちの目をしているせいか、どこかかわいらしい雰囲気すらあった。背丈や体格は人間の男の平均程度はあるので女性と間違えられることはまずないが。  ノアのその人懐っこい顔立ちや表情、誰にでも親切で親身になる姿勢がきっと魔女業にもおおいに役立っていたといえよう。  危険な場所でもなく、街からも歩いてこられる範囲であることも手伝って、子供でも気軽に訪ねてこられる魔女の家。  人々の生活には欠かせない存在であると認識されて、やることはコンスタントにあるものの穏やかな毎日をノアは過ごしていた。  良い香りを漂わせていることが多いだけあってノアは料理が得意であった。  薬草を調合して擦ったり煮たりすることはある意味料理にも通ずる。料理の腕は生まれ持ったものなのか祖母にも負けないほどの上達の早さであり、祖母は生前ノアのシチューを大好物としていたものだ。  一人暮らしなのでそう多くの料理は必要としていないのだが、大きめの鍋にシチューを煮て、そのまま食べたり、炊いた米にかけたり、最後のほうは炒めた米にかけてチーズを乗せて軽く焼いたりと、様々なアレンジをして楽しんで食べる。  それに、たまにやってくる人間の客に料理を振舞うこともあった。  相談に訪れて長時間になった客にはパンとスープなどの簡単な食事を出したりする。共に軽い食事をとることで信頼関係や心の安定も繋がるのだ。  そのほかクッキーなどの焼き菓子もよく焼いた。  これもやってくる人間、主に子供に振舞うのだ。薬を買ってくれるお礼に何枚かつけることが大半。  もっとと求められれば販売もする。むしろそっちを本業にしたらどうだい、とからかわれることもあるくらいそれは好評である。  楽しく作れて、食べてくれる人もいて、おまけに喜んでもらえる。ノアにとっては良いことずくめであった。  良いことずくめ、だったのだが。  その『美味しそうな香り』があだとなったのかノアには最近、少々頭を悩まされていることがあった。

ともだちにシェアしよう!