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第17話 SORRY
宙に浮かんだメッセージの最後にはずらずらと数字と記号が続いている。
「ふざけんな」
駿が片手を振り上げて怒鳴ったが、僕はそれらの文字がまた動き出して立体地図に変わるのをみた。最初はVREの知らないワールドの俯瞰図だと思った。人工的な直線と尖った角の海岸線と、そのすぐ内側を通る幹線道路、その上を通る高速。緑地帯に囲まれた歩道をあるく人は数人しかおらず、コンテナを積んだトレーラーとトラックが道路を走っていく。
立体地図がゆっくり回転した。幹線道路と高速に囲まれた広場の中央には半球型の建物がある。半分は白く、半分は青いガラスに覆われている。その時やっと僕は理解した。
「駿、これは現実の地図だ」
駿は首を傾げる。「俺もどこかで見たような気がする」
「ここには……僕は行ったことがある。たしか中学生くらいの頃だよ。なんだっけ、科学館じゃなくて――そうだ、ロボットミュージアムだ。湾岸のロボットミュージアム、ミライ」
名前を思い出すのと同時に半球型の建物に光が灯った。ガラスの扉がゆっくりひらいていく。僕はいつの間にかつま先立ちになって、扉の内側をのぞきこもうと体を乗り出していた。しかし次の瞬間、僕の顔は立体地図を通り抜けてしまう。半球があったところにはVRの空白があるだけだ。
「消えた……」
「どこかに保存されていないか?」
僕らはホームを探したが、謎のメッセージは完全に消滅していた。まるでひと昔まえのスパイ映画だ。でも手がかりは十分だった。
「駿、あそこへ行ってみよう」
「千尋?」
「あそこに『セツナ』の名付け親がいるのかもしれない。確かめなきゃいけない気がするんだ。明日、あの建物に行ってみようよ」
駿は眉を寄せて考えこんだが、まもなくうなずいた。
「そうだな。このメッセージの送り主に会ったら、直接謝ってもらおうか」
疲れているはずなのに、風呂に入ってベッドにおさまっても眠気がちっともやってこない。隣で寝ている駿は胸の上で両手を組んで、目を閉じている。僕はごそごそと横向きになり、ベッドわきに置いたスマホを探す。大手検索サイトで「ロボットミュージアム」と入力する。表示された結果を眺めていると隣で駿が寝返りをうった。
「駿、寝てる?」
「起きてる。眠れない」
「ロボットミュージアム、通常営業をやめてる。一年前から」
「え」
ミュージアムのホームページデザインは古めかしく、僕が中学生のころから変わっていないように思えた。閉館したわけではないらしい。不定期開館、観覧は事前申し込み制となっているが、電話受付のみだという。
大手検索サイトにはレビューコメントもなかったが、さらに検索を続けると、事前申し込みをしたが断られたというロボットマニアのブログと、子供と行ったという父親の日記がヒットした。僕と駿は首をひねった。どういうことだろう?
「電話は二十四時間受付だって」
駿はため息のような音を出した。
「自動音声受付じゃないか」
「それならネット申込でもいいはずなのに」
「それもそうだな……かけてみようか」
僕はスマホをタップする。二回目のコールで『ロボットミュージアムです』となめらかな声が応えた。低めの女性の声だ。『ご用件は?』
自動音声には聞こえなかったので、僕は焦った。
「こんな時間にすみません。あの、観覧希望なんですが……できれば明日……」
『おひとりですか? ご家族連れでしょうか』
「ふたり――」
僕は口ごもった。アキトはどうしよう? こんなことがあったあとだから、家でアキトを留守番させたくなかった。
「と幼児で」
「千尋」
駿が警告するようにささやいたが、僕は「抱っこしていればわからないよ」と小声で返す。
『三名様ですね。お名前と連絡先をうかがってもよろしいですか?』
「杉浦千尋です。連絡先は――」
『少々お待ちください……杉浦様。どちらでこのミュージアムを知ったか、差し支えなければお聞かせください』
「こ、子供のころ一度行ったんです。たまたま思い出して、まだあるってことに今日気が付いて、どうなってるかなって……」
『ありがとうございます。はい、ご予約を受け付けました。明日正午に開館しますので、お越しください』
電話は向こうから切れた。
「予約とれたよ」と僕はささやく。
「こんな時間にオペレーターがいるのに、不定期開館?」駿は不審そうな口調でいう。
「自動音声じゃなかったけど……」僕はスマホから響いた声を思い浮かべた。
「ほんとに人間だったのかな。ロボットだったりして……」
「AI?」
「ありうるよね」
アイさんがAIだと僕はずっと気づかなかったのだ。電話くらい簡単だろう。黙ったままとりとめなく考えているうち、いつのまにか眠りに落ちていた。
翌朝のアキトはいつもの状態に戻っていた。でも昨夜の事件は何もアキトのメモリに残っていないらしく、「セツナ」についてたずねても「アキトは知らない」という。
「今日は一緒に出かけるよ」
「どこに行くの?」
「秘密。すこし遠いから、着くまでアキトは眠ってて」
「ええ、アキト起きていたい!」
「今日はだめなんだ」
アキトをスリープ状態にして、電車とモノレールを乗り継いで湾岸までいくあいだは駿がスリングで抱っこする。帽子を深くかぶると人間の赤ちゃんと見分けがつかない。湾岸エリアは昨夜のメッセージにあった立体地図そのままだった。モノレールが国際展示場を通過したあとは人影も数えられるくらいしかいない。誰もいないし、初めて来る場所だし、アキトを起こしたら喜ぶだろうと思ったが、僕は我慢した。
ロボットミュージアムの半球は、中学生の頃のぼんやりした記憶よりずっと古臭く、安っぽくみえた。あの時はこれぞ未来の建物、という感じがしたものだけど、今の僕には逆にレトロにみえる。
正午ぴったりについたのに入口は閉まっていた。上をみると監視カメラの黒い球体がみえた。ご用の方はインターフォンでお知らせください、とあるので、僕は丸っこいデザインの受話器をとる。これもちょっと古いデザインだ。
「予約した杉浦です」
『どうぞお入りください』
昨夜と同じ声がいって、扉が開いた。
入ったところは横に細長いロビーで、壁には僕が子供の頃にみていたロボットアニメや映画のキャラクターが並んでいる。ロビーに見覚えがあるような気もしたけれど、それだけだった。誰もいないし、受付もなさそうだ。
僕と駿は顔をみあわせ、順路の矢印へ進んだ。角をまがると正面の壁に『人間とロボットが協同する、未来の記憶のために』と書かれている。続く薄暗い展示室に足を踏み入れると、中央で人影が立ち上がった。僕はどきりとして足をとめ、駿も立ち止まる。
「こんにちは。私はターク。このミュージアムの管理人です」
「こ……こんにちは」
僕は口ごもった。相手のなめらかな声はやはり昨夜と同じものだ。真上からの光が照らすのは、つやつやした木製の頭部とアラブ風の衣装をまとった体、袖からつきでた木製の手足だ。布の靴を履いた足が一歩、前に踏み出す。アキトの動きよりずっとぎこちない動作だった。
「驚いていますね。私は十八世紀のチェスを指す自動人形〈ターク〉をモチーフに作られました。昨夜はチヒロとシュン、メッセージを受け取ってくれてどうもありがとう。私の行動には制限が多いので、セツナの件はきちんとしたお詫びができず申し訳ありません」
言葉にこめられた情報を処理できず、僕は突っ立ったまま口をパクパクさせていた。疑問が頭をかけめぐる。
「その、あの……あなたは……AI……ですか? あの……セツナ君の親?」
かくん、と音がした。木の手足が揺れたのだ。木目の浮かぶ頭がかくっと横にふられる。
「いいえ、私はセツナを作ってはいないので、親ではありません」
僕はマネキンの頭がゆっくり元の位置に戻るのをみつめていた。三秒くらいかかった気がする。まっすぐこちらをみたタークは、今度ゆっくりと前に頭を傾けた。
「はい、私はAIです。このミュージアムはセツナのホームです。私とセツナは同じ人間に作られたので、きょうだい、が私のセツナの関係の正しいアナロジーです」
「あなた方は何なんですか? GERとはどういう関係なんです?」
駿がいった。彼らしくなく、声が震えているような気がした。
タークの答えは淡々としたものだった。
「このミュージアムはGERの所有物です。私とセツナはGERの最初期のプロジェクトの副産物です。私たちの設計者が一年前に死亡したあと、私とセツナはここに取り残されましたが、私たちは資源と法的問題を自力で解決し、無償でミュージアムの運営を継続しています。宣伝をしないのでお客様はあまり来ませんが」
「自力で解決? それってまさか……」
駿がぼそっとつぶやいてむにゃむにゃと言葉を濁したが、僕にもその先は予想できた。
――まさかハッキングで解決した、じゃないよな。
AIはいったい、どのくらい僕らの生活に入り込んでいるのだろう? 彼らが何をしているか、僕らにどこまでわかっているんだろう?
首のうしろがすこし寒くなるのと同時に、周囲が明るくなった。僕はまわりを見まわした。
展示室は最初に思ったよりもずっと広い。あちこちに人影が立っている。ロボットだ。ディスプレイ台の上、ガラスのウインドウの中。床を動き回っているのもいる。僕がみたことのあるロボットもある。中学生の頃に登場した最初の人型ロボット、犬や猫のペットロボット、ホテルの受付や掃除のための自律型ロボット。
ジーっと音がして、いちばん近くにいた一台が、ゆっくり、うなだれていた頭をあげた。小学生くらいの大きさで、以前は病院の待合室でよくみかけた白いロボットだ。他のロボットたちもいっせいに動きだし、手をあげたり、回転したりし、さらに壁の電光掲示板が明滅しはじめる。
『SORRY』
「私とちがってセツナは体を持たないのです。アキトを起こしても大丈夫ですよ。セツナはもうあんなことはしませんから。私たちは最後の第一世代で、アキトのような現実への適応能力を持っていません。通信回線を使って現実世界のボディを動かすのはとても難しい。アキトのボディは荷が重すぎると彼は学びました」
「で、でも、あなたはそこにいるじゃないですか」
僕が思わずいうと、タークはゆっくり、三秒ほどかけて両手をあげ、アラブ風の衣装をもちあげてみせた。円形の台座と複雑にからみあったレールのようなものがみえた。
「私はこの部屋を出ることはできません。もちろん、仮想空間ではそれなりの行動ができます。セツナも同じです。でもアキトがこの先行く場所には行くことができない」
アキトがこの先行く場所?
話の行く先が急にみえなくなった。僕は顔をしかめた。
「待って、何の話をしているんですか? アキトがこの先行くところって、なんですか?」
タークのつるりとした顔がかすかに傾く。
「GERが私たちやアキトを何のために開発しているのか、知らないのですか? あの子たちは火星に行くんですよ」
ボディを自在に制御できるアキトのような第六世代は、三年後に計画された有人火星探査計画のクルーになるために訓練されているのだとタークはいった。長い時間と予期しないトラブルが予想される有人惑星探査のあいだ、真の意味で人間と協同できる存在となるために、彼らは生まれたのだと。
「人間は単純なものにすぐ飽きる。しかし複雑な精神はひとりでには発達しない、現実世界での経験が必要だと私たちの設計者は主張し、デジタル生命に親を与えることを提案しました。あなた方のような人たちです」
結局アキトはずっとスリープ状態のままだった。次から次に意外なことが起きるので、僕は毒気を抜かれたような気分だったし、駿も同じだったんじゃないか。
ミュージアムの出入り口横のラックには色あせたパンフレットがささったままになっていた。一部引き抜くと『人間とロボットが協同する、未来の記憶のために』の文字が目に入る。
「いつでも来てください」とタークはいった。「あなた方には扉はいつも開けておきます。セツナは二度と保育園に行きませんが、ここでまた知り合えるでしょう」
僕らはロビーでコソコソささやきあい、タークがいった「資源と法的問題を自力で解決」のくだりはとりあえず無視することに決めた。外に出て振り返ると、ミュージアムの半球は入った時と同じようにレトロで古ぼけていたけれど、来たときにはなかった貴重な輝きをはなっているように思えた。
きっと午後の光のせいだろう。それとも、ここでタークとセツナが暮らしていると知ったせいか。
人間の気持ちなんて勝手なものだ。
「そういえば駿、ずっとアキトを抱っこしてて、重くない?」
「今気づいたか。重い」
「ごめん」
「アキトを起こして、どこかで休もうか」
「そうだな」
駿はどこか上の空で、アキトを抱っこしたままぼそっといった。
「……俺たち、親なんだな」
しみじみした口調がなんだか面白くて、僕は吹き出しそうになった。
「どうしたんだよ。たしかに駿は親だよ。昨日のあわてぶりだって」
「俺も……自分でも意外なくらいだった。もうカーっと頭にきて――今日もここへ来るまでいろいろ思っていたけど、まさかあの……こんな展開とは……」
「そうだね。ほんとに……」
「千尋」
「ん?」
「前から考えていたんだけど……結婚しないか?」
「え?」
ここで聞くとは思っていなかった言葉を聞くと、人間の脳はすぐに理解できないものだ。僕は間が抜けた顔をしていたと思う。駿は困ったように眉をよせた。
「だから入籍するってこと。今年からできるようになっただろう?」
「あ、うん、わかってる。うん、僕も……なんとなく思ってた。どうかなって……」
「じゃあ」
ミュージアムの半球が白と青に輝いている。案外プロポーズにいい場所かもしれない、と僕は思う。
「うん、結婚しよう」
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