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第17話

秋を一気に飛び越し、その季節の変わりように人々は衣替え時期なんて気にもせず、コートやマフラーを着出しては首をすくめ白く染る息を吐き出す。 暑がりな真宏でも、冬の寒さに強いわけではなく、年が明けて静かで新しい空気を吸い込みつつ、半纏を羽織、炬燵でのんびり蜜柑を剥いていた。 出来損ないヒーロー #17 早くも年が明け、冬休み真っ只中。 寒さにうち震えながら、終わりかけの正月特番をのんびり眺め、登校までのカウントダウンをする。 あと5日ほどで登校日だ。 課題は済ませたし、ハゼたちとも遊びに行った。 大晦日は家族で鍋を囲み、紅白を観た。 宇佐美も誘ったけれど、宇佐美は年越しパーティーでホストクラブが忙しいらしく、クリスマスから年越しにかけては1、2回ほどしか会えていなかった。 「真宏も、もう高2かあー早いなあ」 「杏も高校生だしね」 「JKか……最高だな」 涼雅は真面目な顔をして頷く。 「色々あったけど、お前たちが無事に進級、進学できて嬉しいなあ」 「まだもう少しあるけどね。杏だってまだ卒業式してないし」 既に自由登校となっていた杏は長い冬休みを気楽に過ごしている。 今日も友人と思い出作りと称して、遊びに行っていた。 「壱哉は元気か?」 「うん。さっき安否確認の連絡したら自撮り送られてきた。いきてたよ」 「そーかそーか。あいつも高3かぁ」 感慨深そうに呟く兄だって、就活を終え社会人だろうよ、と思うが、口には出さない。 杏は真宏が通う高校にトップクラスの成績で進学を決め、涼雅は超大手企業の営業部に採用されたらしい。 先日、入社式前の食事会に顔を出してきてもう人事と仲良くなってきたらしく、流石コミュ力の鬼だな、と真宏は思った。 「みんな、大人になるのが早いなあ」 少し寂しそうにつぶやくくせに、どこか嬉しそうな顔でなんだかくすぐったくなる。 「真宏は将来やりたい事あるのか?」 「やりたいこと?将来の夢とかってこと?」 「そうそう」 将来の夢かあ。まったく考えてなかった。 というか、自分の将来像なんてぼんやりとしか見つめようとしなかったし、何となく働くのかなあなんて思うけど、進学するのだろうか、自分は。 そもそも、宇佐美はこの先どうするのだろうか。 親とはいざこざがあるからきっと頼る頼らないは無いのだろう。 となれば東京の大学か、会社に就職なのだろうか。 大阪に戻ったりしないよな……。 「俺はどっちも応援してるからな。大学でも専門でも就職でも、留学でも」 「留学!?」 「この間母さん達と久々に電話したんだよ。その時に、真宏と杏の将来を聞かれてさ。何も聞いてないよって言ったら、”心配すんな。好きな事やれ。金は出す”って言ってた」 流石、我が両親と言うべきか。 真宏の母親は海外でも有名なファッション雑誌の編集長で、常に海外を渡り歩いている。 父親も外資系企業の役職で、国が被れば2人仲良く海外に飛び、悠々自適に暮らしているらしい。 別荘がある訳ではなく、全て経費で落としてそれなりに良いホテルで滞在してるらしく、流石倹約家と言わざるを得えない。 涼雅もその血を引いていて、倹約家だ。 そんなワーカホリックな両親のお陰で、両親と過ごした時間は数える程度しか覚えていないし、自分たちを育ててくれたのは専ら祖父母や涼雅だったけれど、都立の小学校や私立の高校に通わせてくれたり、今もこうやって進路を案じ、親として最大限協力してくれたりして、家族仲は良いのだ。 会えなくて寂しい気持ちは無くはないけれど、居ない日常に慣れたので、騒ぐことはない。 それは杏も同じようで、小さい時から涼雅が居ないと泣くけれど、両親がいなくて泣くことは無かった。 でも困った時に頼りになる良き父と母だと思っている。 「留学とかは考えたこと無かったな。けど海外旅行は行ってみたいから、いつかお金貯めて行きたいよね」 「俺は昔から、真宏のそういうとこ可愛いなあと思うよ」 和むような表情をされ、「え、どこが」と固まるも、訳は話してくれなかった。 「壱哉は大丈夫なのかなあ」 涼雅はぼんやり、頬杖をついて窓の外を眺めながら呟く。 弟のように思っているようで、何かと宇佐美を心配している。 「真宏は、壱哉の進路とかも何も聞いてないのか?」 ずず、と煎茶を啜りつつ問われ、真宏も茶を入れてもらってぬくぬくな湯のみで暖を取りつつ記憶を探る。 いや話してないなあ。それ以前に……、 「なんかさあ、宇佐美の将来のことあんま考えたくないっていうか……」 「え?」 驚いた顔をする涼雅に真宏は慌てて訂正する。 「いやなんか選ぶ言葉間違った!つまり、なんていうかその、親子関係がよくないじゃん?宇佐美のお家ってさ。でも高校卒業したら何かしらでコンタクト取り合ったりしたりする気がしてさ、なんかそういうの考えたくないっていうか……」 また宇佐美が傷つく気がして怖い。 一緒にいる時にそういう話をしたくないし、第一、宇佐美もこういう話題を避けてくるのだ。 暗くなるのも分かっていて、宇佐美の考えは真宏にとって肯定できるものでは無いこと、お互いが理解しているからこそ、敢えて話題に出すことも出来なかった。 「具体的に義父さんとどうのこうのっていうのは俺は知らねぇんだけどさ、でも苦しんでたのは目の前で見てきてるから、たしかになぁ。話題に出しづらいわなぁ」 困ったように呟く涼雅に真宏も頷く。 「本当は聞きたいし、そりゃいつか聞こうと思ってるよ、卒業したらどうするのか。でも、なんかさあ。宇佐美なんか、変なんだよ」 「変って?」 「なんかさぁ……」 少し前に感じていた違和感が日に日に真宏の中で大きくなっていた。 宇佐美は少しでも真宏といたがり、くっついていたがる。 宇佐美の中には常に真宏が居て、片時も手離したくないと行動する。 去年の12月、宇佐美の学年は修学旅行があった。 場所は沖縄だ。 その修学旅行にも、お金は払ってあるらしいからてっきり行くのかと思って聞いたら、「行かない」なんて言うもんで、焦って訳を聞けば「沖縄には真宏が居ない」なんて言う。 まあそればかりではなくて、民泊が本当に駄目だったらしく、普通にいきたくなかったらしい。 たしかに宇佐美からしたら、他人の料理や他人の領域に踏み入って他人の布団で寝るなんて出来ないだろう。 でも何とか話し合いを重ねて、ようやく頷いて行ってくれたのだ。 沖縄に着いて、皆が民泊している間、宇佐美だけは事情を考慮して養護教諭と同じ部屋のホテルに泊まったらしい。 その後の行動は、大半は女子がいたが宇佐美があまりにも真宏を語るもので、徐々に離れていき仕方がないからマオが宇佐美と一緒にいたと聞いた。 宇佐美は両手いっぱいにお土産を抱えてかえってきて、全て真宏と涼雅たちにくれたのだ。 自分に対して、でかい愛情を持ってくれているのは付き合ってきてから今日まで、たくさんの宇佐美からの行動や言動で思い知らされてきる。 自分だって溢れんばかりの愛を返すのに精一杯なのだ。 片想いしていたのはこちらなのに、何故か今では宇佐美の愛が大きくて嬉しいと同時に驚きがあった。 それだけ愛されているのを自覚していて尚、何かの違和感を覚えてしまうのは、何故か。 それは時折見せる、宇佐美の切ない表情と言葉にあった。 何故かふとした時に抱きしめられて、切ない言葉を言う。苦しくて吐き出さなくては仕方がないとでも言いたげに。 真宏だって馬鹿正直ではあるが馬鹿ではない。 その真意を探っていいのか考えあぐねていた。 その違和感は次第に大きくなるも、決定打にはいつも欠けていて、なんて返せばいいのか分からないのだ。 別れたいようにも見えるし、絶対に離れたくないように見えるし。 かと思えば、時々突き放すようなことを言う。 家族を1番に大事にしろ、だとか、自分の人生を大事に、だとか。 「……宇佐美が語る俺の未来の話にさ、……いつも宇佐美がいないんだよね」 「……」 黙る涼雅に真宏はこぼすように言葉を続けた。 「俺はよく、宇佐美と行きたいとことかやりたい事とか話すし、宇佐美もええなぁなんて言うけど、ふとした時に俺の未来を楽しみする宇佐美の話の中に、宇佐美自身がいなくてさ。でも、嫌われてるとかじゃないんだよ、むしろ一生分くらい毎日大事にしてもらっててさ、……だからこそのアンバランスさが際立つというかなんというか……」 宇佐美が語る未来の俺の話の中に宇佐美が居ない。それすなわち、宇佐美の未来にも俺がいないのと同じなんだろうな。 宇佐美は、別れるつもりなんだろうか。 これは高校生のお遊びなんだろうか。 でも俺だってこれが遊ばれてるとは思っていない。 あんなに好きを伝えてくれる人他に居ないと思うぐらいに自分は彼に愛されていると思ってる。 宇佐美はあまり嫉妬してこないけれど、たまにした時とか正直に話してくれるし、嫉妬してくれるぐらいには好きでいてくれてるはずなのに、どうしていつも儚いことを言うのだろうか。 「……まあ無条件に人を愛せるなんて、難しいからなぁ。特に壱哉は愛された記憶がほとんど無い子だからこそ、出会いと別れに人一倍敏感だろうし、人一倍傷つけたくなくて傷つきたくもないと思ってるだろうしな」 出会ってしまったなら、大切にし通したいと思う彼の気持ちは理解出来る。 でもだからといって、未来に俺がいない説明にはならない。 「……自己防衛じゃねぇのかな。真宏には別れる気がないんだろ?お互い好きあって一緒に居るのはこの上ない幸せだと思う。でも、その、この上ない幸せが崩れてしまったら、大切な人を亡くしてる壱哉からしたらこぇーんだろうな、きっと俺らの想像以上に」 宇佐美をおいて逝ってしまったハルさんは、何を思っていたのだうか。 辛くて苦しくて逃げたい、その想いだけでしたか。 宇佐美へは、何を思っていましたか。 宇佐美は今でも貴方を思っています。 貴方は、宇佐美を見守ってくれていますか。 愛を貰えていると自覚していても、宇佐美の唯一無二の大事な人がハルさんなことに変わりはない。 逃げ場のない地獄のような毎日の中の癒しはハルさんだったのだろう。 そんな存在に自分が勝てるはずなんてないのだ。 「だからこそ、真宏が目の前からいなくなった時。真宏から別れを告げられた時、お前を離してやれるように頭ん中で予行演習しちゃってんじゃねーかな。アイツそういう奴だろ」 涼雅が困ったように笑って真宏を見る。 「……そう、だね」 俯いて呟くと、いきなりぐしゃぐしゃと頭を力強く撫でられた。 ボサボサになった髪にぽかんとしながら涼雅を見つめると、涼雅はにっこり笑って真宏の頭を今度は優しく大胆に撫でた。 「大丈夫だ真宏。壱哉の中で1番大切な人間が2人居るだけだ。お前はアイツの亡くなった大切な子の代わりなんかではぜってぇねぇし、アイツもそんなことするような奴じゃねぇ。その大切な子だって真宏の代わりにはならないんだから、立場は同じだ。比べるところなんてねぇんだからさ、元気だそうぜ。な」 肩を抱かれて、大好きな兄の声で励まされ真宏は「うん」と頷く。 「お前なら、壱哉を傷つけずになんとでも出来ると思うよ。真宏が選ぶ言葉は真っ直ぐでそれが刺さる時もあるけれど、それは全て真宏の本心からくるものだって、壱哉は真宏を信頼してんだから。言葉が真っ直ぐに伝われば何だって上手くいく」 俺はそう思うよ。 涼雅の言葉に真宏はこっそり微笑む。 「やっぱり、涼兄は宇佐美のお兄ちゃんでもあるよね。俺、宇佐美が東京に来て出会えたのが涼兄で本当にラッキーだったんだなって思う」 それは自分と出会うため、なんかではなく。 「涼兄みたいに、ひとりの人間に寝る間も惜しんで向き合ってくれるような人、どこ探しても居ないと思う。宇佐美も真っ直ぐに生きてきたから、きっと涼兄や天哉さんみたいな人に出会えたんだろうね」 [newpage] [chapter:進級 春] 桜の花が満開になる季節がやってきた。 今日は佐久間高校で迎える二度目の入学式の日。 冬休みが明け、最後の学期を1年B組で過ごし、真宏たちは2年へと進級した。 それに伴い3年生は卒業、宇佐美たち2年生は3年生……高校生活最後の学年へと進級した。 「真宏〜今年は離れちゃったねぇ」 ハゼはクラス分けの掲示板の前で、うなだれていた。 「久我と見嶋が一緒で、ハゼは旭くんたちと一緒なんだね」 「あ、ほんとだ」 気づいていなかったらしいハゼはさほど興味がなさそうに返事をした。 「よ、伊縫」 「あ、おはようございますマオ先輩」 「まおちゃあああん」 マオが昇降口でたむろする真宏たちの後ろから現れる。 マオの後ろには宇佐美もいた。新しいクラスで顔合わせだと言うのに、相変わらず制服の着こなしは宇佐美流だった。 「先輩もおはようございます」 宇佐美のもとへ歩いていくと、宇佐美はにっこり笑って頭をぐりぐりと撫でる。 「おはよぉ、真宏」 暫く先輩たちや、旭くんたちと談笑していると、後ろからどんっという軽い衝撃がきて真宏はふりい向いた。 「杏、おはよ。あ、制服似合ってるね」 「ひろ兄おはー!あ、ハゼくんたちもおはよ!今日から後輩としてよろしくね!」 杏の挨拶に、ハゼたちは目を丸くして驚く。 それは宇佐美も同様だった。 「え!?杏ちゃんウチきたの!?」 「真宏から何も聞いてねぇんだけど!?」 久我とハゼは真宏にじとりとした目を向ける。 ハゼたちは真宏の家によく遊びに来るので、杏とも友達のような関係だ。 杏はハゼたちと話したあと、宇佐美に目を向ける。 「宇佐美さーん!おひさー!元気してたー?」 杏は宇佐美の背中をバシバシ叩き、ご機嫌な挨拶を交わす。 それを見ていた女子生徒が何やらヒソヒソしていた。 それもそうか。新入生の女の子が、宇佐美と顔見知りなんて驚くのも無理はないだろう。 「杏ちゃん、まひと同じトコ選んだんかー。1年しか被らへんけどよろしゅーなあ」 わしゃわしゃと頭を撫でられてご満悦な杏は真宏の腕を組む。 「ひろ兄居るからここにしたんだあ。ね!」 「え、そうなの?」 志望理由までは聞いてなかった真宏は純粋に驚き、妹の顔を見る。 杏は満足気に微笑み「涼兄には言っといたんだけどね」と言った。 「いいよなあ真宏、こんな可愛い妹がいて〜」 「この中で兄弟いるの真宏だけ?」 ハゼの問いに「いや」と3人声を上げた。 「下にちっちぇのが2人居んぞ」 「俺は上に姉貴がおるわ」 「俺も姉ちゃんいるぜ」 あ、隆ちゃんはそうだったわ、とハゼは言う。 「え、マオちゃんもいんの?」 「でもマオ先輩ってハゼとか真宏の面倒見いいっすもんね。なっとく〜」 「僕の面倒ってなんだよ」 むすぅと頬を膨らませるハゼにみんなが苦笑したところで予鈴が鳴った。 ・ ・ ・ 「えー、持ち上がりでー今年も俺があーお前らのー担任でぇーす」 今年も真宏の担任となったツバキは怠そうに教壇に立ち、挨拶をする。 恐らくツバキはこのまま3年まで持ち上がりで、この学年を担当するのだろう。 真宏は見知った先生が担任でほっとしていた。 この教師が受け持つクラスではいじめも起きないだろうな、と何となく思うからだ。 「えー今年はこのクラスで修学旅行とかーなんかいろいろ、こう……あるのでえー、問題を起こさずにー俺を定時退勤させてくださあい」 そのツバキの怠惰な台詞にクラスからは笑いが起こり、「それはツバキちゃんの力量次第でーす」とおちゃらけた男子に言われ、ツバキは「じゃあ無理かあ」なんてため息を吐いていた。 「ま、とにかくだ。そろそろ自分の将来を決める時期になる。それと同時に青春を楽しむ時期でもある。今この瞬間をいつでも楽しんで生きられるように、後悔しないように生きられるように自分と向き合って、学校もその他も全部楽しめよ」 締めるところは締めるツバキは、生徒からの憧れだ。 ツバキが担任のクラスは当たりだと言われるほど、人気のある教師である。 緩急つけるのが上手いからこそ、生徒も着いていこうと思えるのかもしれない。 「俺はお前らの味方の1人になれるよう頑張っちゃうんで、何かあればこっそり声かけてくれな。秘密はぜってぇに守るから安心しろ」 ただし定時内でよろ、と一言加えるのはやはりツバキらしい。 「じゃ、去年からの引き続きな奴も、今年初な奴も、これから1年、よろしくな」 ツバキの爽やかな笑顔で締めくくられた新学期初日は和やかに終えた。 初日は授業もなく、簡単なホームルームで終わりだったためお昼で全校生徒解散だ。 久我と共にハゼの教室を訪れ合流し、宇佐美とマオを引き連れ、杏のクラスを覗きにいく。 教室の中で杏は何故か女の子たちに囲まれ、キャッキャ談笑していた。 「うわぁ、あそこの華やかさすげーな」 「杏ちゃん美人だもんなあ」 杏は女の子たちと話すのに夢中で真宏たちの存在に気づいてない。 男どもは邪魔をしないように、とこっそり足を引き、学校から先に出ることにした。 杏には「先に帰るね」とメッセージだけを送っておく。 入学早々友達が出来たみたいで安心した。 「杏ちゃんて男の子に囲まれるタイプだと思ってたけど、そこは真宏と同じで同性の方にモテるタイプなんだね」 「まあ、杏ちゃんくそ美人な上に漢気溢れる子だし、女にモテそうだよな」 ハゼと久我の会話を聞き、真宏も「たしかに」と頷く。 杏の性格は男兄弟の下に産まれたからか、涼雅や真宏よりもガッツや漢気があり、異性からみてもカッコイイと思う。 思い切りや判断力もあり、テキパキと物事をこなしていく。 文武両道で伸びた背筋は憧れざるを得ないだろう。 「男からみてもかっけぇしなぁー。女だったら憧れるわ」 久我は杏の事を溺愛しているらしく、初対面の時から「顔が可愛い」だの「強気な性格がいい」だのべた褒めだった。 我が妹ながらスタイルもいいし、この間都内を歩いていて読モにスカウトされたなんて話を聞いた。 貰った名刺は涼雅が破り捨て、「モデルやりたいなら俺が事務所選んで応募してやるから」と言って杏に爆笑されていたのが記憶に新しい。 「つかこの後どする?どっか集まる?このまま帰んのも味気ねえーよなあ」 マオの台詞に全員が頷き、昇降口で足を止める。 「あ、もしかしたらうちで兄が─……」 真宏が言いかけたその時、凛とした高くするどい声が真宏の声を遮った。 「壱哉さん」 声の持ち主はすらっとしたスタイルに、黒のさらりとしたロングヘアー、白いワンピースの上にライトグリーンのカーディガンを羽織った美しい女性だった。 目鼻立ちもはっきりしていて、黒いパンプスを履く目立つ風貌の彼女は一直線に宇佐美へと向かう。 そこでやっと呆気に取られていた皆が宇佐美に目を向けた。 宇佐美は目の前に立つ彼女を見下ろして驚くこともなく、無表情を貫いていた。 「壱哉さん。迎えに来ましたわ。向こうに車を停めてますの。乗ってくださらない?」 話しかけられても宇佐美は微動だにしない。 真宏たちはどうしたものか、とばれぬように顔を見合わせる。 「貴方たちは壱哉さんのご友人ですかしら」 いやに品のいい彼女はきっとどこかの裕福な家の育ちなのかな、と推測してみる。 なんだか良いも悪いもわからないような人だ。冷たいような、かと言って冷酷というわけでもないような。 笑顔がないからだろうか。にこりとも笑わず、美形が無表情でいるからだろうか。 すると彼女はツカツカとヒールを悠々と鳴らし、何故か真宏の前に立った。 「ご友人、かと訊いているのです」 何故俺なのだ、と不思議に思うも、どうしてか「恋人です」とは返せず、彼女のぱっちりとした大きな瞳を見つめ返して、答えた。 「そうですね、とても大事で特別な。けれど、こちらが答える前にそちらが名乗るべきではないんでしょうか」 そんな棘のある返しをしなくても良かったんじゃないか。 言ってから、そんな考えが頭をよぎる。初対面なのに言いすぎてしまったような気がしてしまう。 でも真宏からしたら、いきなり恋人を下の名前で親しげに呼ぶ女性が現れてしまったら、動揺するし、本当はちょっとむかついた。 涼雅、が皆暇ならウチへ連れてこい、ごちそう作るから、と言ってくれたのに。 皆と、宇佐美とワイワイできるかと思ったのに。 宇佐美を久しぶりに涼雅に会わせられると思ったのに。 真宏が複雑な感情のまま、返すと、彼女は僅かに目を見開き「ええ。そうね」と納得したように頷き、一歩下がって、改めてその場にいる全員を見渡して口を開いた。 桜色のリップが可愛らしい。 「不躾な態度をお許しくださいませ。改めまして私、櫻庭 かれん(さくらば)と申します。宇佐美さんとは─……」 「かれん」 ぴしゃりと、櫻庭の言葉を遮ったのはずっと黙っていた宇佐美だった。 ……下の名前で、呼び合うんだ。 真宏の心の中で、もやり、と黒く染まる。 「洋士(ようじ)さんおんねやろ」 「ええ、あちらで待機してるわ」 「わかった」 2人で何やら話を進め、真宏たちは蚊帳の外になった。 真宏も、ハゼたちも不信感を募らせ、事の成り行きを見守っていると、宇佐美がぱっとこちらに顔を向け、きれいに笑った。 「すまん。俺はここで帰るわ。また学校でな」 「……え」 声がすぐには出なかった。 行ってしまうと思わなかった。だって、こっちには俺がいるのに。 恋人でしょう。宇佐美に会えるの杏だって楽しみにしてるのに、なんでその子と行っちゃうの。 ハゼが宇佐美を引き止める声が聞こえるけれど真宏は、困った顔をして笑いながら背を向け彼女と並んで歩いて行ってしまう宇佐美の背中を見つめた。 「おい真宏、良いのかよ」 久我が背中を小突いて真宏にこそりと耳打ちする。 時折、宇佐美と彼女は何かを話しながら歩いていく。 絵になる2人。背格好までお似合いだ。 もやもや、心が黒く染まってゆく。 それは俺の恋人なんだ。 その人の隣に1番似合うのは俺なんだ。 君の場所はそこじゃない。 そこは俺の場所───…… 真宏はその場から駆け出し、ガシッと宇佐美の腕を掴む。 「え、まひ、」 驚く宇佐美のネクタイを引っ張り、真宏は背伸びして八重歯がちらると見える彼の薄い唇にキスをした。 「え……」 彼女と宇佐美と、どちらが声を上げたのかはわからない。 コーヒーを飲んだのだろうか。 高校の自販機にあるBOSSの缶コーヒーかもしれない。 キスは苦くて芳ばしかった。 真宏は往来だということなど気にもせず、そのままへっぴり腰の宇佐美の頭をわしゃわしゃと両手で激しく撫でた。 ふわりとシャンプーの香りが広がる。 「ちょ、ちょっと……」 櫻庭の戸惑う声が聞こえたが満足するまで撫で続けた。 やっと手を離し、最後に宇佐美がいつも付けている小指のシルバーリングをさらりと外す。 「これ、帰ってくるまで俺が持ってます。あと、今日の夕飯は宇佐美の大好きな俺のツナマヨの卵焼きと、肉じゃがです」 だから、……その場所を必ず、俺に返してね。 「……ちゃんと、帰り待ってます。気をつけて行ってらっしゃい。先輩」 目を丸くした宇佐美は、しばらく呆けていたけれど、次の瞬間、ぷはっと吹き出して、お返しとばかりに真宏の頭を片手で大きく撫でた。 「うん。それお気にやからなくさんといてな。それから、卵焼きは絶対残しといて。あ!味噌汁は……」 「なめこ」 「なめこ」 2人の声が重なり、思わず吹き出す。 「壱哉さん」 櫻庭の少し不機嫌な声に宇佐美はハッとする。そしてまた優しく真宏に笑いかけた。 「行ってくる。またな、真宏」 「はい。気をつけて帰ってきてね」 ばいばい、と手を振り合い、不機嫌な櫻庭を連れた宇佐美は路地へと去っていった。 その後ろ姿を見送った真宏は、宇佐美から強引に奪ったリングを左手の人差し指にはめた。 僅かに大きいその指輪は、宇佐美の指が存外男らしいことを表していた。 そのリングを見つめ、「真宏……」と気まずそうに声をかけてくるハゼたちに笑顔を貼り付けて振り向いた。 「今日このあと、家来ない?マオ先輩も!杏の進学祝いでごちそう作ってるらしいから、友達誘っていいよって言ってるんだ」 真宏の言葉に、3人は少し固まった後、安心したように笑った。 「勿論。お邪魔させてください」 ぺこりと頭を下げたハゼに真宏も笑って、「うん!」と頷く。マオは真宏の肩を抱き、ハゼは真宏の腕に抱きつき、久我は真宏の頭を撫で、言葉なんてなくとも励まされているのがわかった。 宇佐美と深い関わりがあるのだろう櫻庭は、一体宇佐美にとってどういう人物なのだろうか。 少なくとも、対面したときの様子から、嬉しい存在ではないのだろうな……。 まさか、義父となにか関係しているのだろうか。 宇佐美の進路のこととか……。 いやわからない。憶測だけで人を判断してはいけない。 宇佐美の大切な子かもしれないし、もしかしたらあのハルさんと関係がある人なのかも。 けど結局どの想像も、真宏にとって嬉しいものではなかった。 そろそろやっぱり、宇佐美と真剣に向き合うべきなんだろうな。 宇佐美の将来の話や、本音をじっくり聞きたい。 そうして自分も、どれだけ宇佐美を想っているか、伝えたい。 離れることはないだろう。 けれど、しっかり通じ合うにはまだ時間も言葉も何も足りてない。 とりあえず今は、宇佐美が無事に帰ってきてくれることを祈って待つしかない。 傷つかないまま、無事に。 宇佐美の方から言ってくれた「またな」の言葉を信じて。 頭上で交わされるマオたちの会話を意識の端でぼんやりききながら、真宏は嵌めたばかりの平打のシルバーリングをそっと撫ぜた。

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