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第15話「怪しい雲行き」

2人の間にある座卓の上にはポテトフライの盛られた皿とタコわさの入った小鉢、それから焼き鳥の乗っていた平たい黒い皿に芽依の分の鶏皮とネギまの串が残っていた。 「確か、お父さんいないんだよね」 ポツ、と芽依がこぼすように言うと、泰清はお猪口に入れた日本酒をグッと仰いで飲んだ。 「んー、荘次郎がお腹にいるときに別れたって聞いたことある。だから顔知らねーって」 「他に頼れる人いんのかなあ。ひとりっ子だよねアイツ。認知症の介護ってどこがどう大変とか全然分かんねーけど、絶対大変だよな。荘次郎って何でも1人で抱え込むからなあ、、」 「お前とだいぶ違うよね」 「うるさいよ」 芽依は「うーん」と両腕を上に伸ばし、飲み切った生ビールのジョッキをスライドさせ、テーブルの、出入り口に使っている襖に近い方へ寄せた。 「俺は父方のじいちゃんが認知症んなったな」 サラリと言ってのけたのは泰清の方だ。 「え」 「まあ、なって1、2年で死んじまったし、金だけはある人だったから70超えてばあちゃん亡くなってすぐに老人ホーム入って全然会わなくなったから、ほぼほぼどんな状態か分かんなかったけど。お前誰?とは言われた」 「えッッ??それショックじゃね?」 「いや、あんま?すげー成金って感じの人でそこまで好きじゃなかったんだわ。会うたびに小遣いくれたのは嬉しかったけど」 「泰清さあ、、いや、でも初めて聞いた。その話し」 「話すのもなあ?じいちゃんとめちゃくちゃ仲良くて話すエピソードいっぱいあったら言ったかもしんねーけど、別に好きでもねーし。認知症になる前の成金時代の思い出がほとんどだから」 「成金時代、、」 こんなにヤンキーのような見た目をしている泰清だが、家の出だけは良い。 先程から話されている彼の祖父と言うのも、確かそれなりの政治家だった筈だ。 家族の話題に関してはあまり話す事がなかった3人は、今更ながらに荘次郎の身に起きた出来事に対してなりふり構わず力になるから!とドタドタ突っ込んでいけるような雰囲気でもない。 辛い時期にあれだけ一緒にいてもらったのに、と芽依は俯いてしょげてしまい、泰清もああしようこうしようと言える名案は浮かばず、ただ2人で荘次郎のあまり笑わない顔を思い出している。 「頼って欲しいけど、話すのも今は苦しいのかもな」 「そうだよなあ、、大丈夫?って聞かれるのも嫌なんかも」 個室の中はシン、としてしまった。 「今は、離れてろってことか」 芽依は天井を見上げた。 浅い色の板の木目が見える。 座敷席は床下に収納スペースを設けているので他の席と違って一段高くなっており、やたらと天井が近く思えた。 「そうだな」 少しクシャッとなってしまっている箱からタバコを取り出して、泰清は青色のカバーのライターでその先端に火を付ける。 ぷは、と吐き出された煙は芽依の見上げる天井近くで薄くなって消えた。 「で、鷹夜。どした」 酒には弱いくせに、その週の金曜日の鷹夜はやたらとハイボールを注文していた。 「何でもないっすよ、別にぃ、、」 「荒れてんなあ」 「今週そこまで忙しくなかったのにめちゃくちゃ荒れてましたよね」 いつメン。 駒井、駒井の嫁である瑠璃、今田、油島、それから羽瀬、そして新たに長谷川を入れた計6人が、居酒屋のテーブルに上半身を突っ伏して真っ赤な顔で唸っている鷹夜を見つめる。 ハイボールは3杯目だ。 烏龍茶と交互に飲んでいるとは言え、トイレに駆け込んで吐きながら飲んでいる鷹夜を見ているのはやはり不安になる。 何よりいつもなら自制心が強くこんなにも荒れる事がない鷹夜の今週の荒れようが凄まじく、今日はその原因を聞き出そうと瑠璃まで集まって彼を囲っていた。 「どうせ彼女と何かあったんだろ?いい加減写真見せろよ」 駒井が隣の鷹夜の頭に手を伸ばし、コンコン、と頭蓋骨をノックする。 「響く。やめろ」 死にかけの鷹夜はか細く聴き取りづらい声で返事をした。 荒れたと言っても昼飯を頻繁に買い忘れたり電話番号を押し間違えて知らない人に電話をかけたり図面を読み間違えて朝から昼までの作業が無駄になりかけたりしただけで、別に後輩に当たり散らしたり暴れたりした訳ではない。 あとは急にボーッとするので、誰かが「オイ!」と声をかける事が何度かあった。 それくらいの話しだ。 「ま、まさか、またフラれたんすか?」 「違う。今田もうるさい」 「こら、後輩に当たんな」 ぐうたらしている鷹夜を見兼ねて、長谷川はバシンッと頭を叩いた。 その衝撃で気持ちが悪くなったのか、ガタンッと椅子を揺らして急に立ち上がると「パワハラぁあ〜〜!!」と言いながらトイレへと続く廊下に消えて行く。 そうして10分程経って戻ってくると、少しスッキリした蒼白な顔をみんなに向けて弱々しく笑った。 「全部戻しました」 「報告いらねーわ!」 大笑いしながら羽瀬が突っ込んで、駒井もブフッと吹き出して笑う。 ドアなどはないが壁で仕切られ、1ブースずつに分けられたチェーン店の居酒屋の個室に一行は押し込まれていた。 テーブル席は8人がけで、入り口から向かって左側の1番手前に鷹夜、その奥に駒井、瑠璃。 トイレに行きやすいように途中で席替えをしてこの並びになった。 鷹夜の向かい側に長谷川、その奥に今田、羽瀬、油島と並んでいる。 「来週からもこんななら、お前の仕事ぜーんぶ止めちまうぞ。上野さん帰ってくるし」 「あの人のことを今思い出させないで下さい、、」 「じゃあシャキッとしなさいよ」 テーブルに頬杖をつきながら、長谷川は鷹夜に呆れて重たいため息をついた。 本来の彼がこうでない事は知っているが、来週になれば鷹夜嫌いの上野が大阪出張から戻って来てしまう。 そうなったときにこのままの鷹夜でいさせては、返って彼が可哀想な事になる。 それを心配していた。 「すんません、、ホントちょっと、ショックなことあって、、来週からはちゃんとするんで勘弁して下さい」 「分かったよ。お前は普段はそんなにならねえもんな、分かった分かった」 「本当すみません」 「うんうん、辛かったんだな。一緒におっパブ行く?」 「行かないッスね、、」 どうしてそうなる。 流れで「はい」と言いそうになった自分に焦りつつ、鷹夜はハッキリと風俗行きを拒絶した。

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