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第20話「ゆっくり」
「鷹夜くんごめん、本当にごめんね?ね?」
「いや、まあ、俺もごめん。顔に投げちゃって、石鹸」
「ううん、びっくりしたよね。ホントごめん、、」
騒動が終わりお互いに冷静になると、鷹夜は温まった身体にTシャツとスウェットのズボン姿になり、ラグに座って体育座りをしている芽依の隣に並んだ。
「赤いなあ。腫れてきた、、本当にごめん」
「違うって!俺がいけなかったんだから」
投げ付けられたお尻用石鹸が当たった額は赤くなり、ぽこんと少し腫れている。
鷹夜は眉尻を下げながらいつも冷蔵庫に入っている冷却ジェルシートを取り出し、芽依の隣に戻ってジェルに貼られたビニールを剥がし、彼の額にピト、と貼っておく。
残業続きでパソコンの画面を見過ぎると眼精疲労からすぐに頭痛を起こす鷹夜にとって、カイロと冷却ジェルシートは常備しておかなければならないアイテムだ。
「携帯電話見てなかったから、まさか来ると思ってなかった」
突然現れた芽依にそう言うと、ゴミをまとめてゴミ箱に放ってから座り直し、鷹夜はやっと落ち着いた。
仕事終わり、どうしても今の気まずさをどうにかしたくて鷹夜の家に来た芽依は、確かに仕事が終わってすぐに「今から行くから家いてね!!」と鷹夜の携帯電話にメッセージを送っていたのだが、それを鷹夜自身が見逃していた。
気が付いたら寝ていて、起きたら思ったよりも身体が冷えていたので携帯電話を確認せず、どうせ芽依も仕事で疲れていて来ないだろうと気を抜いて風呂に入ってしまっていたので、完全にすれ違っていたのだ。
結局返信はないものの鷹夜の家に来た芽依は、彼が寝ているのだと思って合い鍵を使って静かに部屋に入り、浴室から音がする事に気がついて、風呂に入っている鷹夜に一応は声をかけたものの、鷹夜は鷹夜でシャワーの音でそれに気がつかなかった。
そして先程、あまりにも必死に自分を呼ぶ声に「あ、俺がいるって分かってたのか。何だろ?」と勘違いして浴室のドアを開けた結果、こんな事になってしまった。
「どうしても今日会いたくて、、」
「ん、何で?何かあったっけ?」
鷹夜に迷惑をかけてしまった事と額の痛みでしゅん、としている芽依。
そんな彼を見て何かが掻き立てられ、思わず頭を撫で始める鷹夜。
「最近、と言うか、ほら。こないだエッチできなかったからって、鷹夜くんと気まずくなってたから」
「ああ、、」
やはりそう思っていたか。
実際、芽依に対して連絡したくなさそうな雰囲気を醸し出していた心当たりのある鷹夜は、彼の言葉にウッと胸を痛める。
ぽんぽん、とセットされたままの仕事帰りの芽依の頭を撫で終わると、ラグの上に正座をして頭を下げた。
「それは、俺が気まずそうにしたからだ。ごめん」
「えっ?」
突然の改まった謝罪に、思わず芽依は体育座りを崩してアワアワと胸の前で手を振った。
「違う違う!謝ってとかじゃなくて、俺が、その、、気まずいままで流したから」
「いや、俺の方が、ごめん。色々考えたら話しづらくなっちゃって、、俺が、あの、」
「だ、だからね!?だからね、鷹夜くん」
「ん?」
このままではお互い謝り続けて、また先週のように気まずくなってしまう。
気まずいを更新しに来たわけではないのだ、と芽依は鷹夜の言葉を切り、慌てて彼の手を取り、両手でギュッと握った。
「もっともっと、ゆっくりにしない?」
あまりにも真剣で、必死な表情だった。
「え、、でも、ほら、芽依には溢れ出る若い性欲?がある訳だしさ、」
「うんまあ、ありますけれども。いやでもそれ、結局鷹夜くん相手じゃないと嫌なんだよ」
「ん、?」
「鷹夜くんとじゃなきゃエッチなことしたくないんだよ」
芽依は恐ろしい程に真っ直ぐだ。
言葉の裏や含みがなく、良い意味でも悪い意味でも突き刺さる言葉を鷹夜にくれる。
「風俗くらい、いいのに」
それに対して、たまに素直になれない彼はひねくれた言葉を返してしまうときがある。
今がそうだ。
芽依に愛されてるなあと強く感じ過ぎてしまうと、どうしても嬉しさが溢れて照れ臭くなる。
そして、思ってもないような事を口にしてしまう。
(また、馬鹿なこと言ったな、俺)
そんな自分が情けなくて、鷹夜はガクンと肩を落とした。
せっかく分かり合いたいから、と芽依が「もっとゆっくりにしよう」と言ってくれたのに、罪悪感やら嬉しさやらでよく分からなくなっている。
「やだってば。勃たねーもん」
掴まれた手が引かれて、芽依の頬に押しつけられる。
柔らかくて温かい、すぐ骨があたる、彼の頬だ。
「、、ふふっ。嘘つけ」
どこまでも芽依の真っ直ぐな様子と彼の体温に安心して、鷹夜は強張っていた顔をフッと崩す。
ああ、もう、強がっている場合ではない。
そんなものは芽依も求めていないのだな、と頬を緩ませた。
「えっ、本当だって。ちゅーもエッチも鷹夜くんとだけしたい」
「ん、はいはい」
「ちゃんと聞いてよ」
「はーいー」
気まずさはいつの間にかどこかへ行ってしまっていた。
芽依がそう言ってくれるなら、嘘が言えない彼を信じて、「もっともっとゆっくり」にしてみようと鷹夜は肩の力を抜いた。
もともと、そうお願いしようとも思っていたのだ。
「本当にいい?今よりゆっくりで」
「いいよ。だってこの先ずっと一緒にいんだから!俺は、鷹夜くんのぜーんぶ貰えるんなら、どんなに時間かかってもいいよ」
「何だそりゃ」
ふはっ、と可笑しそうに吹き出して笑う鷹夜を見て、芽依はどこか安堵している。
たまに驚くほど強く拒絶反応を示す鷹夜が「そうしてみよう」と思い直してくれた事が嬉しく、そして愛想を尽かされた訳ではなかったのだな、とふぅ、と息をついた。
「鷹夜くん」
「ん?」
「寂しかったから抱っこして」
「んはは。いいよ、おいで」
抱っこ、なんて言ったって、芽依よりも20センチ近く背が低く、身体付きも細い鷹夜が彼を抱えられるわけではない。
して、と言いつつ芽依がベッドの上に乗り、両手を広げて鷹夜を待って、結局鷹夜が彼に抱え込まれるのだ。
「んー、幸せ。良い匂い」
「風呂入ったからね。芽依も入ってくれば?」
10月の始め、今日は少し暑かった為に半ズボンを履いている芽依の膝をゴリゴリと撫でる鷹夜。
芽依にギュッと抱きしめられて、応えるように彼の背中に手を回した。
「後で鷹夜くんと入る。さっき何してたかまだ聞いてないし」
「あのさあ、見たまんまのことしてただけなんだけど。恥ずかしいからもうやめてよ。また石鹸投げられたいの?」
「それはイヤ」
「んふふっ」
コツン、と額を合わせると、しばらくそうやってお互いの体温を感じ合っていた。
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