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第36話「悪人の寂しさ」
14歳で芸能界へ入った森沢幸穂は、朝ドラの子役から有名舞台の主役までこなす、今で言う天才子役だった。
可憐な見た目と品のある喋り方が人気で、子供ながらにも淑女と言うものを掲げる事ができる。
そんな、少し大人びた感じのある女の子だった。
「でもね、20歳から23歳まで、パッタリとテレビに出てないんだ」
そんな早熟な雰囲気のせいか、彼女は良い意味でも、悪い意味でも、多くの男性に注目される女優でもあった。
(20歳から、23歳まで、、)
芽依は烏龍茶の入ったグラスから滴り落ちた汗が気になって、一度、お手拭きでテーブルの上を拭いた。
元から水を含んでいるおしぼりでいくら拭いても細かい水滴が残ってしまったが、拭かないよりはマシだった。
妻戸のする話しは七菜香にとって聞きたくないと耳を塞ぎたくなる程残酷なもので、途中、本当に気分が少し悪くなってしまった。
安達と言う男は今ではもうよぼよぼのじい様に過ぎないが、30代から60代前半にかけては高山芸能内外の女優や女性タレントを食い物にする、権力と地位に胡座をかいた最低な男だったようだ。
「森沢さんは20歳のときにおそらく妊娠してる。でもこれから大人っぽい役をやってくってときに妊娠と言うのはね、、良い顔をしない人は、本当にしないから」
妻戸本人も、こう言った話しを七菜香に聴かせなければならないと言うのは気分が良くないのだろう。
難しい顔をしたまま語っている。
「当時の彼女のマネージャーと仲の良かった知人がいて聞いたんだ。安達さんの命令で、マネージャーも含めた数人で逃げようとする森沢さんを捕まえて、産婦人科に入れて中絶手術を受けさせたそうだよ」
「なんてことを、、」
思わずそうこぼしたのは七菜香だった。
微かに唇が震えている。
そうだ、彼女は感情移入が激しく、一度演じるとなった役にどこまでも入り込めるような憑依型タイプの役者だ。
こう言う話しだって、きっと聞いているだけで自分の身に起こった事のように感じるのだろう。
芽依は静かに彼女を見つめて、付き合っていた頃を思い出した。
「岡田宇治彦さんは分かる?」
そして、妻戸の問いでフッと我に返った。
「あ、はい。分かります。七菜香ちゃんも知ってます」
胸が痛いのは芽依も同じだったが、黙り込んでしまった七菜香の代わりも務めながら答える。
彼女は俯いてしまった。
「うん。安達さんと彼女がどういう関係だったにしろ、できた子供を森沢さんは産みたかった」
「はい」
「でも、安達さんには他に奥さんがいたからね。それも高山芸能の女優さんだったんだけど、、森沢さん自身の今後の役者人生と、不倫って言うのをプラスすると、やっぱり堕ろさせるべきって会社が決めたみたい。結局、その後3年にわたって、森沢さんは精神的に不安定になって、芸能界に出て来れなかった」
それは、そうなってしまっても仕方のないような内容だった。
「それこそ、今の荘次郎くんと同じだね。辛くて、田舎から出て来たから家にも帰れず家族もいなくて、1人ぼっちで苦しみ続けた。その結果、話しを聞いてくれた占い師とか、霊媒師とか宗教関係にどっぷりハマっていった」
妻戸の声のせいだろうか。
森沢幸穂の半生が、まるでナレーション付きのドラマのように頭の中に湧き上がって映像を見せてくる。
想像でしかなかったが、それでも、彼女の身に起こった事が「可哀想」である事は変わりない。
産みたかった筈だ。
20歳なんて、まだまだ世間がよく分からない年齢だろうに。
それでも彼女は宿してしまった小さな命を、必死に守ろうとしたのだろう。
若いながらにも抱いた母性、母親としての自覚、責任感から、お腹の子と向き合おうとしていたのだろう。
それを壊されてしまった後の虚しさ、悲しみ、恨みは、男の芽依では想像し切れない部分がきっとあるのだ。
そして壊れかけた心が求めた安心できる場所が、歪な者たちの集まる場所だった、と言う事なのだろう。
「でも、間違った方向にしろ、元気が戻って来た彼女にそろそろ復帰を、ってことで出ることになった時代劇で、岡田さんが森沢さんを見つけたんだ」
「見つけた、、?」
首を傾げた。
そうか、森沢幸穂は岡田宇治彦と結婚している。
それは安達との一件の後だったのか。
「うん。あの人はすごい良い人だからね。それなりに年齢差はあったけど、まだ病み上がりで精神的にも弱かった森沢さんを支えたのがあの人で、その縁もあって結婚したんだそうだよ。岡田さんと出会ってからは人が変わったように明るくなって、3年くらいどっぷり浸かってた占い師とかとも一旦は縁を切ってたんだって」
「ん?一旦、と言うのは」
そこが引っかかる。
芽依は眉間に少しだけ皺を寄せていた。
この騒動の大元はきっと森沢幸穂自身は悪くはない。
ただ彼女の周りのいる人間達に彼女自身が心酔し過ぎて、逃げ場を求め過ぎた事が大きくなっているように感じられた。
しかしだからと言って、今回の荘次郎の一件や細田の事を考えると、善意からだったにしろ人の金をむしり取っていく連中との繋がりに自分より若く、そして弱っている人間を巻き込むと言うのは許せる事ではなかった。
それをしてしまうともう、彼女を傷つけ続ける彼女の周りの人間達と同じになってしまうと言う事だ。
「森沢さんがちょうど40歳のときに岡田さんが亡くなってまた1人になった。結局、頼る先は岡田さん以外いなかったんだろうね。地方にいるご家族にも不幸が続いたって聞いた。それに安達さんの子供を堕ろしたときに、多分、森沢さんはもう妊娠ができない身体になってたんだと思う。だから、岡田さんとの間に子供がいないんだ。今はもう、本当に天涯孤独の身なんだよ、あの人は」
「、、、」
1人、と言うのは本当に駄目だ。
芽依だからこそ、その辛さはよく分かる。
しかも、今の芽依にとっての鷹夜が、きっと森沢にとっての岡田だったのだ。
芽依にとってなくなるなんて考えられない、絶対的な存在を失くしてしまった、森沢幸穂。
そんな彼女が、孤独や不安を埋める為にそばに置くようになった多くの胡散臭い人間たち。
それが今、結局は細田や荘次郎、彼女自身までもを食い物にし続けている。
(、、可哀想だ)
あまりにも自分と被る。
救う、救わないなど、芽依と森沢は関係が無さ過ぎて考える事もできない。
けれど彼女が今、どんなに辛くて、どんなに不安か。
そしてその人生が今、どれだけ虚しいものになってしまっているのかを、芽依は考えずにはいられなかった。
「だからってやって良いことと悪いことはある」
「そうですね、、」
それは、確かにそうだ。
芽依だって鷹夜に教えられたのだから。
簡単に人に傷つけてはいけない事、そして、簡単に死んではいけない事を。
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