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第57話「怖がり」
そんなに日数は経っていない筈なのに、芽依の目の前にあるその扉はやたらと重そうで、そうして久しぶりに見ている気がした。
「ッん」
唾を飲んだと同時に、ゴキュッと喉の奥が鳴る。
インターホンに伸ばされた手が、微かに震えていた。
仕事が終わったのは20時半を過ぎていて、帰りの車の中で鷹夜からの連絡が来たときは胸が苦しくなった。
今日はやたらと予定が詰められていたがそれぞれの撮影スタジオや練習スタジオが近かったからか、疲れはしたもののヒョイと仕事は終わりを迎えた。
芽依は、車内で中谷と話していて自分に足りないものや鷹夜との喧嘩の原因がやっと解けて、何がずっと自分の心に引っかかっているのかを認める事ができた。
そんなときだったからこそ、鷹夜からの久しぶりの連絡を見て、今話さないと手放されそうだと思った。
事実、自分がそれだけの事をして、それだけの事を言っていたのだと分かったからだ。
中谷に明日の予定の確認をして、車に乗る前から打診されていた午前休を貰う事にした。
もしもでも鷹夜に会える可能性があるのならそうすべきだと思い、また、そうしないと落ち着かなくて、せっかくのチャンスを逃したくなくて縋り付く事にした。
このままうやむやにして荘次郎の一件の解決を待つなんて嫌だ、と恋人に返信を送ってから5分。
いや、もう少し経ったかもしれない。
自分のマンションに着いてしまった芽依は中谷にバレないよう動揺を隠しながら彼女に別れを告げ、そそくさとエレベーターに乗るフリをして車が地下駐車場から出ていくのを確認すると、すぐさま自分の車に乗り込んで鷹夜からの返信を待った。
(鷹夜くん、鷹夜くんお願い、鷹夜くんッ)
今が良い。
今やっと分かった。
鷹夜が自分に何を言いたかったのか、どれだけ自分が愛されていて大切にされているか。
「た、、鷹夜くん」
どれだけその愛に応えていなかったか。
(会いたい。謝りたい)
携帯電話を両手で握り締め、コツンと角を額に充てながら、目を閉じた。
暗い車内は無音で、ここに閉じ込められているような気分がして、自分の息遣いが大きく聞こえる。
実際胸が苦しくて息が出来ず、何とか深呼吸を繰り返しては芽依は自身を落ち着かせていた。
ブブッ
「ん、」
ドクン、ドクン、と全身が鼓動していて、鷹夜からの返信を見るのが辛い。
拒絶されたらどうしたら良いのか。
「俺はまだ会いたくない」なんて言われたらどうしたら良いのか。
(いや、待つしかないんだ)
自分がしでかした事でここまで関係が危なくなっているのだから、もしそうなったとしても謝るしかないし、会いたい会いたいと鷹夜にせがんだり望んだりすべきではない。
ただ待つのだ。
鷹夜が答えを出すそのときまで。
ブブッ
「ッ、!」
カッと目を開けて震えた携帯電話の画面を見る。
鷹夜[明日仕事は?]
「ッあ、」
会ってくれるの、、?
その瞬間に、期待やら不安やらが入り混じった汗をドッとかいた。
毛穴から噴き出したように感じられた。
体内で太鼓が打ち鳴らされているかのように心臓の音がうるさい中、何とか頭を回して明日の朝の予定を思い出す。
そうだ、午前休を先程、車を降りる前に確約されたのだった。
大丈夫、落ち着いて、と自分に言い聞かせ、芽依は返事を画面に打ち込んでいく。
芽依[元々半休にしても良いって言われてた日だから、午後からにしてもらった。鷹夜くんと話したい]
それから、と1分しない内に、鷹夜からの返信が来る前に一瞬で考えて再び文章を打ち込む。
芽依[こないだの、鷹夜くんが本当は何て言いたかったのかきちんと考えた]
荘次郎の事でいっぱいいっぱいになった自分がしてしまったあの夜の事。
それに対して、鷹夜が本当は何を言いたったのか。
何を求めてくれていたのか。
彼と会えない間に、芽依はその答えを探し出し、向き合い、鷹夜や過去の自分、過去に起こった暗い出来事と向き合う覚悟を決めた。
それだけはできたら口で言いたかったが、誰よりも早く鷹夜に知らせたかった。
謝りたかった。
芽依[何日か前のメッセで、まだ怒ってるの?なんて聞いてごめんなさい。俺の方が、まだジェンのこと引きずってんの?ってはなしなのに]
言いたい事だけ送るのも悪い気はするが、でも今は鷹夜を引き留めて何とか話し合う時間が欲しい。
自分の都合や勢いばかり押し付けて悪いと思っているのは芽依の本心だったが、けれど、それよりも今は鷹夜と分かり合いたかった。
気まずいままでは嫌だった。
逃げ場が欲しいのでも何でもない。
このまま鷹夜と気まずいと言う現状維持だけは、どうしても嫌だったのだ。
(会いたい。抱きしめたい、ごめんて言いたい。許して欲しい。それから、)
雨宮鷹夜の隣にいるにふさわしい人間に、少しでも近付きたい。
芽依[いつも押し付けてごめん。でも、今すぐ会いたいです]
それだけを最後に送り終わると、芽依は再び、先程のように目を閉じて携帯電話を両手で握り締め、角をコツンと額に押し当てて背中を座席の背もたれに押し付けた。
「、、好き」
手放されたくない。
「好き」
手放したくない。
「愛してる」
車内にポツンと、小さく聞こえた。
ブブッ
「、、、」
手の中の携帯電話が震える。
指の先がジンジンと熱いように思え、心臓が、今度は止まっているかのように静かで苦しい。
無音の車内に布擦れの音がして、芽依はゆっくりと携帯電話を下げ、画面を見つめた。
鷹夜[分かった。今、来て」
「ッ、、はあ、ハアッ」
気がつくと息が止まっていて、鷹夜からのメッセージを見終わった芽依は、急いで必死に酸素を肺に取り込んだ。
それらの時間を乗り越え、芽依は今、鷹夜の部屋のドアの前にいる。
携帯電話で「もう着く」と連絡を送ったのだが、返信はなかった。
もう寝てしまったのだろうか?
だったら無理矢理に起こすのではなく、明日、出直すべきだ。
「、、、」
とりあえず一度、インターホンを押すか、否か。
ドアの前で1人、そこに着いてから2分程はおろおろしている。
(ど、ど、どうしよう、なんかひとつでも行動を間違えたら追い返される気がするッ)
何度目か、携帯電話を上着のポケットから出して見たが、やはり返信はない。
合鍵もあるけれど、使って良いのかが分からない。
変な事に、恋人の家に来ただけだと言うのにそのくらいには緊張していた。
(でも、、いや、だって来てって言ってくれたし、とりあえず一回インターホン、)
ガチャッ
「ひんッ、!?」
「は?」
いきなりドアが開き、芽依は扉を避けつつ変な声を上げてドアとは反対にある廊下の手摺りを両手で掴んで片足を上げた。
その姿を、ドアを開けた本人である鷹夜は訝しげな表情をして睨む。
「鷹夜、くん、、?」
パチパチ、と瞬きをすると無駄に長い芽依のまつ毛が揺れる。
「本当に全然入ってこないから何かと思ったわ、、早く入れよ。で、座れ」
「は、はいッ。あの、」
「なに」
明らかにまだ、少し冷たい鷹夜の態度。
けれど、言う程ではないが久々に再会した鷹夜の姿に芽依は目頭が熱くなるのを感じながら、意を決して口を開いた。
「久しぶり、こんばんは、鷹夜くんっ」
「、、、ふはっ」
馬鹿みたいに丁寧な挨拶に、思わず鷹夜の頬が緩んだ。
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