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Trac05 Desperade/イーグルス③

夏が終わったらすぐ正式に正社員として雇用された。仕事の内容はアルバイトとあまり変わらない。でもムカつくことに店長は本当に自分の仕事をちょくちょく振ってくる。でもがむしゃらにやるしかなかった。忙しい方が気が紛れていたし。 ユウジからはカホの写真やらちゃんと仕事してんのかやらメッセージが時々送られてくる。でもユウジへの気持ちがぶり返しそうになって、いつもスルーしていた。そのうち、通知を確認するだけになっていって、ユウジの存在がようやく薄らいできた。 電話も時々かかってきたけど、タイミングが合わなくて出られなくて、でも重要な要件なら掛け直すだろって放置していた。 独りの家は静かすぎて落ち着かない。ユウジにはキッパリ拒絶されたのに、まだずっとモヤモヤしている。最近はもっぱら朝までピアノを弾くか、酒を飲んで寝ちまうか、アプリで相手を探してセックスするかだ。 独りで音のない場所にいると、ユウジの事を考えてしまう。センチメンタルになるのは酒のせいで、時々胸が詰まって息苦しいのは身体を酷使しているからだ。ユウジに振られたからじゃない。絶対。 今日も仕事が終わった後、最寄り駅とは反対方向に行く電車に乗ってターミナル駅に向かう。改札を抜けて出口まで来たけど、ロータリーにもコインパーキングにもまだ黒いフィールダーは見えない。 すると、電話が鳴った。Queenの「I was born to love」が。画面を見なくても、全身に痺れが走る。 ユウジからだ。 通話ボタンを押して、軽く息吸ってから出る。 「何?」 『お前今どこだよ』 もの凄いドスの効いた声が這い出てきた。 「ん?あー・・・出先にいる」 『相変わらずだなお前・・・。まあいいや、帰る』 「え、ちょっと待って。ユウジ今どこだよ」 『お前ん家の前。こっちの方に用があってさ。あ、土産ドアのとこに掛けて』 「すぐ行く。待ってて」 俺は通話を切った。急げば30分もありゃ着く。踵を返して乗り場まで階段を駆け下りていく。 俺は、初めてセックスする約束をすっぽかした。 なんとかホームの電車に駆け込んで肩で息をする。もう横っ腹が痛い。電車は速度を上げていくけど、もっと早くと気が急いて窓の外を睨め付ける。 最寄駅に着けばまた走ってマンションに向かう。タクシーを探す時間も惜しかった。肺が痛くて息が苦しかったけど、独りでいる時感じていたそれよりずっとマシだ。 マンションの明かりが近くなって、玄関口でスーツ姿のユウジ手持ち無沙汰にうろうろしてるのが見えた。少し気が抜けそうになるけど、立ち止まったら多分動けなくなる。 向かい側の道路からマンションに走った。 ユウジは目を見開く。何か叫びながらこっちに走ってくる。 左から来た強い光がその姿を遮る。 クラクションが響く。 光の方を見れば車のヘッドライトが迫っていた。 なぜかスローモーションで近付いて見えるのに、足が動かない。 次の瞬間には、俺のいた場所を車が猛スピードで通り過ぎて行った。 心臓が、まだバクバクしている。休まず走りっぱなしだったし、リアルに死ぬかと思ったし、 ユウジに、抱き留められているし。 俺の足が止まった瞬間、ユウジが手を伸ばして俺をガードレールの内側に引っ張り込んだ。 ユウジの心臓も激しく動いているのが分かるくらい、強く抱きしめられている。 「お前は馬鹿か・・・!?」 ユウジは絞り出すように呻いた。腕は、まだ解かれない。 「お前まで、ユカリみたいになっちまったらどうすんだよ」 ユウジの声も、腕も震えていた。 「ラインも電話も無視しやがって。お前みたいなヤツでも、急にいなくなられたら堪えるんだよ」 そこで、俺はやっと「ごめん」って言えた。 姉ちゃんは、育休が明けてすぐ海外に出張に行って事故に巻き込まれて死んでしまった。身近な人間がある時突然居なくなってしまった衝撃と悲しみが、まだユウジの中にトラウマとして残っていたんだと初めて気づいた。 悪いことしたな。いくらユウジが連絡しても無視してた。それがユウジにとってめちゃくちゃ不安を煽りまくってたらしい。 もしかしたら、俺はそれほどユウジに嫌われてなかったのかもしれない。恐る恐る、腕を持ち上げて、ユウジの背中に回そうとした。 その瞬間、ユウジは盛大に溜息を吐いて、俺から離れた。ほっとしたような、残念なような気持ちだ。放り出した紙袋とその中身を拾い集める背中を見つめる。 「ユウジ、」 名前を呼んだはいいけど、ユウジがこっちを向いたら何を言ったらいいか分からなくなってしまった。だから、1番言いたかったことだけ伝えた。 「好きだ」 ユウジは口をあんぐり開けてアホみたいな顔してた。「あのな」って最初の一言がちょっと裏返ってて、動揺しまくってるのが見て取れる。 「俺、男は無理だから。相手ならアプリで」 「セックスなんかできなくても、俺はユウジがいい」 ユウジは息を飲む。 「ピアノだって、弾けなくてよかったんだ。ずっとユウジの為に音楽やってきたから。俺は、ユウジがいればそれでよかったんだ」 ようやく、言いたかったことが全部言えてスッキリした。これでもう嫌われようが拒絶されようがしったこっちゃない。 胸のつかえがすぅっとなくなっていく。俺は、多分、ユウジに面と向かって好きだって言いたかっただけなんだ。 ユウジは口を開いて何か言い掛けて、目を伏せた。 それから、「んなこと言うなよ・・・」って苦しげに眉間に皺を寄せて口元を歪ませる。 「俺は、お前にどうしてやることもできないし、ピアノなんかって言うなよ。 俺は、お前のピアノがすげえ好きなんだよ」 身震いした。だって、ユウジは間違っても俺のことをーーー 「それに、お前とその・・・付き合うとか無理だけど、お前は俺のバンドの仲間で、カホの大好きな叔父さんで、ユカリの大切な弟で、もう家族みたいなもんだろ。それじゃダメなのか?」 コイツ何言ってんだよ。ダメに決まってんだろ。 でも、ユウジはそんなふうに思ってたんだな。 ずっと、ユウジと姉ちゃんとカホが一つの家族で、俺は部外者なんだって肩身が狭かった。 家族か。 まあでも、アプリみたいにセックスしたら終わりの関係よりも、熱が冷めたらハイサヨナラな恋人同士よりもマシかもな。 しょうがねえな。今はそれで我慢してやるよ。 「ユウジ、うち来る?」 「行く」 無防備すぎて笑える。でも、久しぶりにユウジの音が聞けるのが楽しみだ。 セックスは誰とでもできるけど、音楽を一緒にやれるのはユウジだけだ。 マンションの3階にある部屋に入ると、ユウジは「割とキレイにしてんじゃん」と見渡した。 ほとんど寝るためだけの場所と化しているからな。外でナニやってんのかは言わずもがなだ。でも、誰も連れ込んだことはない。ユウジの気配とか匂いとか掻き消えそうな気がして。 ユウジは真っ先に寝室に入ってギターを持ってきた。 「おっ、チューニングしてある。すぐ弾けるじゃん」 弦を鳴らして、嬉しそうに目を輝かせている。 リビングのソファに座って、音で遊ぶみたいに弦を弾く。 「ユウジが宝物だって言ってたから」 俺は電子ピアノの前に座った。背中から、「イーグルスのDesperade」って、前と同じようにリクエストを投げつけられる。 ユウジの方を見れば、ふっと笑みを溢して、長い指からメロディが流れ落ちた。俺はゆっくりとそれを追いかける。和音で相槌を打つような、単純な伴奏だ。 ーーーーWhy don't you (なぜわからないの?)come to your senses? ーーーーThese things that(君が楽しいと) are pleasing you (思っていることが) Can hurt (君を傷つけている)you (かもしれ)somehow(ないんだよ). ーーーーAnd (それから) freedom,oh freedom (自由でいいなあなんて)well     That's just (言う人も) some people(いるけれど)talking ーーーーYour prison is (君は檻に閉じこもって)walking through(たった1人で)this world (この世界を)all(歩い) alone(ている). ーーーYou better (君は誰かに)let somebody (愛された方が )love you (方がいいよ) Before (まだ)it's too(間に合うからさ・・・)late. 曲が終わっても、お互いしばらく余韻に浸っていた。ユウジがぽつりと呟く。 「・・・ハジメ、ありがとな」 ちらりとそちらを見れば、ギターにそっと指を這わせていた。メンテのことかな。 ふいに、茶色い目が俺の目を捕らえてドキリとする。 「この前は、悪かったよ・・・ありがとな」 カホや姉ちゃんに話しかけるような優しいトーンで、俺の目を真っ直ぐ見てきた。 ちゃんと俺の言いたかったことが伝わったんだって直感した。 「じゃ、俺帰るな」 ユウジはギターを下ろして、寝室に戻しに行った。思わず追いかける。 「マジで帰るの?」 「ああ、カホを迎えに行かないと」 ギターをスタンドに掛けて、ユウジは押し入れに、ん?それってもしかして 「ユウジが使ってたやつ?」 ユウジが取り出したのは、黒いギターケースだった。フタを開ければ青いボディが明かりを反射し、オレはまだやれるぜとばかりにピカピカ光って主張する。ユウジがバンドで弾いていたエレキギターだ。 「ちょっと生活が落ち着いてきたし、スタジオも見つけちゃってさ。 できたら、先輩達やお前と演奏もしたい。 プロを目指すわけじゃないけど、また音楽やりたいんだ」 「いいと思う。てかやりたい」 「やっぱお前も、音楽が好きで続けてきたんだろ」 ユウジは無邪気な笑顔を見せる。ギターケースを担いで立ち上がる。メンテは自分でやりたいらしい。 「また来るよ。今度はカホも連れてくる」 「別にいい」 「俺が来たいんだよ。ユカリとお前のうちだしな」 「・・・わかったよ」 ユウジのことを無理矢理忘れるのは、もうやめよう。この調子じゃ無理っぽい。 マドンナの歌みたいに、気長に"悲しみが海へ流れるのを待つ"しかなさそうだ。 仕事をして、ピアノを弾いて、好きな曲を聞いて、たまにセックスして。 よくよく考えれば、中々悪くない生活だった。 WALKMAN3rd end

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