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Trac05 Desperade/イーグルス②

「どうした?」 スニーカーを脱ぎながら言えば、ユウジが代わりに 「引っ越しのこと言ったらさ、ハジメちゃんは?って言い出してさ・・・」 って疲れきった顔をしていた。 「俺は一緒には行かない。仕事あるし」 「なんで?」 カホは涙声で、叩きつけるように言った。 「ハジメちゃんパパとケンカしてるから?」 ユウジと顔を見合わせた。何かあったこととかユウジとの関係が変わったことは一丁前に感じ取っているらしい。 それに、カホが生まれる前からユウジや姉ちゃんと一緒に住んでたからな。俺がいるのが当たり前になってて、当然俺もついて行くもんだと思っていたんだろう。 「パパのこと嫌いになったの?」 言葉に詰まった。コイツの前で馬鹿正直に言えるか。 「そんなんじゃねえよ、アレだ、大人には色々あんだよ。てか離れろ。歩けねえだろ」 それでもカホは俺の足から離れようとしなくて、でっかい重りをつけたままリビングに向かう羽目になった。 ダイニングテーブルの椅子に座って、「抱っこして」と言われるままに膝に乗せる。 「カホハジメちゃん好きだからぁ・・・」 抱きついたまま、まだグズグズ言ってやがる。 ユウジは「そこまでか・・・」ってちょっとびっくりするやら呆れるやら。 「いいよ、俺がなんとかしとく」 もうどうしようもないから落ち着くまでこのままでいることにした。カホの背中を叩きながらスマホを取り出す。 「オイ、カホの前では」 「やらねえよ」 流石にカホの前でアプリを広げるほど無神経じゃない。手をひらひらしてユウジを寝室に追いやる。案の定、カホは30分も経たないうちに泣き疲れて寝ていた。 「悪いな」 抱き抱えて寝室に連れて行けば、寝転んでスマホをいじってたユウジが起き上がった。 カホを布団に寝かせれば、俺の方を向いて頭をすり寄せてくる。 「・・・しばらくいてやれば?」 ユウジが言わなくてもそうするつもりだった。横になってスマホを開く。 「お前、相当カホに好かれてんだな」 ユウジはこちらに寝返りを打つ。 「ん。なんでだろな」 「・・・ちゃんと可愛がってきたんだな」 「そうか?」 「お前は、セックスと音楽のことばっかだと思ってた」 「そこまで言うか?」 心外だ。スマホをいじる目の端で、ユウジの口元が綻ぶのがチラッと見えた。 「久しぶりに、演るか?」 ユウジが立ち上がって、ギターを手にする。 そんなんやるに決まってんじゃねえか。すぐスマホを閉じて起き上がる。 ユウジはリビングのソファに腰掛け、肇は電子ピアノの前に座る。2人が定位置につき、ユウジが曲のリクエストをする。それがいつもの合図だ。 久しぶりに聞くユウジの音は前と同じように優しくてほっとした。角のない音の粒が弦からこぼれ落ちる。テンポを確かめながら音をぎこちなく重ね合わせていく。だんだんお互いの呼吸を思い出してきて、ハモリが綺麗に重なるようになってきた。曲が進むにつれ、俺とユウジの音が溶け合っていく。穏やかな音色に全身を包まれ、響き合ってできた和音が鼓膜を震わせ、いたるところで甘く響く。それがとても心地良くて、繋がってんだなって感じて嬉しくなる。音楽とセックスは、とてもよく似ていると思う。 そういえば、セックスを覚える前はユウジや店長達と音楽やってんのが1番楽しかった。 「ユウジ、」 伴奏する手を止めると、ユウジはこっちを見た。 「やっぱり、俺はセックスよりユウジと演ってる方が楽しい」 頬が勝手に上がって、にやけるのを止められない。ユウジは「え」とも「へ」ともつかない変な音を喉から出した。それから瞬きが増えて、視線をあちこちに彷徨わせている。 「・・・なんでもない」 笑いを噛み殺しながら寝室に戻れば、カホがうっすらと目を開けた。やべ、起こしちまった。 カホはふにゃふにゃと 「きれいだねぇ・・・」 と笑った。 「きれいな音だねえ」 っていいながら目蓋が落ちていって、また寝息を立て始める。 次の日は、目覚めたカホはぐずらず機嫌よく起きてきて、「おはよう」と声をかけてきたユウジは穏やかな顔つきだった。視線を弾き返すような壁はもう感じない。こうして、ユウジとのいつもの毎日が戻ってきた。 それから、カホは俺とユウジの演奏を度々聴きたがるようになった。俺としてはユウジと2人きりがよかったけど、ユウジが凄く嬉しそうにしていたから好きなようにさせてた。 夏休み中に引っ越す予定だったから、梅雨入りとともにバタバタし始める。演奏する時間もなくなってきて、すぐ引越しの日が来た。 その日は快晴だった。 新幹線で県を一つ跨いで、町並みの向こうにうっすら山が見えるような地方都市に到着する。 前住んでいたとこより階数も部屋の数も小さなマンションだけど、セキュリティがしっかりしていて玄関に各部屋に繋がるモニターが設置してある。 今日は管理人に声を掛けて部屋を開けてもらった。 まだ家具が届いていない部屋はだだっ広くて、フローリングの床が窓から入る日差しを白く照り返していた。そこをカホがパタパタと駆け回る。 音が反響して、今ここでギターやピアノ弾いたらいい音が出そうだ。 あれ?そういえばーーー 引越しの業者から荷物が届いて、それを広げている時確信した。やっぱり、ユウジのアコースティックギターがない。 「ユウジ、ギターは?」 「置いてきた」 「はあ?!」 マジかよコイツ。俺だけじゃなくて音楽まで置き去りにする気かよ。 ユウジはダンボールから食器を出しながら 「ここ、あんまり防音がちゃんとしてないし。それに、向こうに行った時お前と演れるしな」 なんて穏やかな笑みを向けてくる。 「壊すなよ、俺の宝物なんだから」 悪戯っぽく顔をくしゃっとするユウジに、もう何も言えなくなっちまった。 カホとユウジの荷解きが終わったのは夕方で、メシは近所のファミレスで食べて駅まで見送られた。 あっけないもんで、カホはニコニコしながら「ハジメちゃんバイバイ」って手を振ってた。 自分のとこのマンションに戻れば、ひと回り小さくなった冷蔵庫とダイニングテーブルがリビングを広く見せていた。テレビもそこかしこに散らばっていた玩具も無くなって、なのにカホが遊んでいた姿がふっと目に浮かぶ。 寝室には1人分の布団しかなくて、部屋の隅で畳まれている。明日から多分敷きっぱなしになるな、なんて考えながら広げていたら、スタンドに立てられたアコースティックギターが目に入った。 マジで置いていきやがって。 黄色いニスが塗られたボディに指先が引き寄せられた。木の温かみを感じて、少し心が和らぐ気がする。俺の宝物なんだからってユウジの言葉を思い出す。それを、俺に預けていったんだな。 表の板にうっすら俺の影が映って、胸のあたりでサウンドホールがぽっかり穴を開けている。 それを見ていたら、無性にピアノが弾きたくなってきた。ひたすら指を動かして、音を耳に詰め込んで、脳を音楽で満たしていく。 目がだるくなって、眠くなって指が動かなくなるころには空が白み始めていた。まだどこかで音が鳴っているような感じがする。でも、これでいい。 立ち上がると腰も手首も鈍く傷んだ。窓を開ければ冷たく澄んだ空気が入ってくる。一晩中かき鳴らした音たちの残響は、みるみるうちに消えていった。 俺はまた、静かになった部屋に取り残されていた。

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