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第5話
『本日の瑞原悦巳の行動
午前八時起床、洗顔と着替えを終えたあとみはなさまにトーストと牛乳の朝食を用意。トーストにはみはなさまの要望でいちごジャムとマーガリンをたっぷり。備考・カロリー値の増加と虫歯の危険あり。寝る前の入念な歯磨きを推奨。
のち徒歩で幼稚園へ送る。
保護者間の人間関係は極めて良好な様子。特に若い主婦の評判は上々で「えっちゃん」の愛称で親しまれている。
三十分ほど世間話をして帰宅。洗濯と掃除を済ませ、昼はテレビを視聴しながら昨日の夕食の失敗作(肉じゃがに挑戦したもののいもが原形をとどめぬほど煮崩れた肉とじゃがもどき)をぼそぼそつつく。その後リビングにて社長から貸与されたアイポッドで音楽鑑賞、首の上下動からリズム感は上々と推測。時々鼻歌を唄う。なかなか上手い。備考・リズム感は射撃の上達に不可欠な資質。訓練の仕上がり次第では優れた狙撃手になるだろう。
午後三時、幼稚園にみはなさまを迎えに行く。ふたりで帰宅。
みはなさま、冷蔵庫から自分でおやつを出す。感心。瑞原と向き合いヨーグルトを食す。瑞原、ベランダに干してあった洗濯を取りこむ。みはなさまも手伝う。感心。その後外出』
「外出だと?」
疑問符を発し、見間違いかと一旦読み過ごした記述に戻る。
『スーパーまるいちで買い物したあと帰宅。尾行班の報告では内わけはじゃがいも、にんじん、たまねぎ、豚肉、市販のカレールー。カートの中身から夕飯の献立はカレーもしくはシチューと推測』
手元の用紙には均一な活字が印刷されている。
書類の端にクリップでとめられた一葉の写真には悦巳とみはなが映っていた。隠し撮りしたもので、ふたりはカメラの存在はおろか尾行者の存在にも気付かず自然に振る舞っている。こちらに向けた素顔は無防備そのもので、ふやけきった笑みはすっかり油断しきった証拠。
背景には見覚えある。マンションの近所だ。
スーパーの帰りだろう悦巳は手に食材でふくらんだビニール袋をさげ、傍らに寄り添うみはなに笑いかけている。対するみはなはいつもどおりむっつりとし、口元を一文字に引き結ぶ。
注意深く観察を行い、悦巳が持つビニール袋にみはなが手をかけている事に気付く。
同年代の子と比べても小柄なみはなが袋を持てばたちまち倒れてしまうだろうが、ふたりでならばなんとかなる。
おそらくみはなから「お手伝い」を申し出たのだろう。
みはなは親の贔屓目を除いても自立精神旺盛な娘で、正式に悦巳を雇い入れる前から着替え風呂トイレとなんでも一人でこなしていた。
報告書はそこで終わっていた。
部下に悦巳の監視と報告を義務づけて一ヶ月が経つが、毎日同じ事の繰り返しでいい加減徒労感に巻かれ始めている。
黒スーツの部下たちは優秀で、戦場で叩き上げた忍耐力と組織力を存分に生かし、悦巳の一日の行動を徹底して調べ上げてくる。毎日途切れなく上がってくる報告書こそ彼らの忠誠の証だろうが、肝心の調査対象に警戒したような怪しい動きがないため、最近は惰性で流し読みしたあとはシュレッダーで処理していた。
「買い物か……」
物憂く唇をなぞり思索に耽る。
社長室には現在誠一のみ。
塵ひとつおちてない飴色の光沢放つ床、応接用のリビングはイタリア産の革張り、マホガニーの机にはデスクトップパソコンが一台据えられている。
報告書を無造作に机上に投げ出し、椅子の背もたれに深く身を預ける。
契約成立から一ヶ月が経つ。
いや、あれを契約と呼んでいいのか。相手に拒否権がない状況下での一方的契約は脅迫や恐喝と呼ぶのがふさわしいだろう。なにせこちらは弱みを握っている、その気になればいつだってあいつを警察に突き出せる。年々手口が悪質化し罰則が厳しくなりつつある現在、前科二十件の振り込め詐欺常習犯は見せしめにもってこいだろう。
意地悪く笑う。
奇妙な同居から一ヶ月経つなかでいくつか変化があった。
誠一に啖呵を切った日を境に、悦巳は本とのっぴき睨めっこの傍ら実践あるのみと料理の勉強に励み、鍋をこがしたり肉じゃがを炭化させたり日々失敗をくりかえしつつ着実に成長している。
今では簡単な料理なら一人で作れるようになった。
まあ、ストックが少ない悦巳が作る料理の中で一番無難に食べれるのはお茶漬けなのだが……誠一は大抵商談や交渉を兼ね外で食べてくる為、腹にもたれないあっさりした茶漬けは有難い。
「どうしてわざわざ買い物に行く?」
悦巳の行動は不可解だ。
買い物の動機が不明だ。
児玉家には誠一が手配した業者が二日に一度の割合で配達にくるためわざわざ近所のスーパーで食材を仕入れる必要などない、児玉家の冷蔵庫にはいつでも不足なく食材がつまってるはずだ。一応生活費として一日二万円を渡しているから買物には不自由しないだろうが……
「買い物は口実でかつての仲間と接触するつもりだったか……ちがうな」
写真に撮られた悦巳はまったくもって尾行に気付いてない、のほほんとみはなに笑いかける様子からは尾行を巻こうという隠された意図も追跡者を出し抜こうという狡猾にして巧妙な企てもさっぱり感じ取れない。演技なら大したものだが、素だろう。誠一の目は節穴ではない。
悦巳が買い物に出かけた理由は不明だが、写真から受けた印象では、みはなとは順調にやってるらしい。
書類に付された写真をもう一度見直す。
施設育ちの前身が影響してるのか、子供と話すときは無意識に目線をさげる癖がついている。
頑固で無口なみはなも悦巳にだけはいくらか心を開き懐いているようで、一緒にスーパーの袋を持つ姿からは本物の兄妹さながら微笑ましい空気が伝わってくる。
「詐欺師だけあって女子供と年寄りに取り入るのはお手のものか」
冷徹に呟き、仕事の片手間にパソコンを操作してデータを呼び出す。
「瑞原悦巳19歳、養護施設愛育園出身。江東区立羽田第一小学校卒業、同区立羽田第一中学校卒業、都立昭和坂工業高校中退後施設から逃亡。おなじ施設で育った友人とともに恐喝・万引きなどの非行を重ねる。補導歴五回……」
いまどきの不良にしてはぬるいというのが率直な感想だ。
経歴を見るかぎり覚せい剤に手を出した形跡はなし、少なくとも十代前半から中盤の時点では恐喝万引きなどの軽犯罪にしか手を染めてない。
どこでどう道を踏み誤って振り込め詐欺の常習犯にまで堕ちてしまったのか来歴に興味をそそられないといえば嘘になるが、それより優先すべき事項がある。
「友人……こいつがネックか」
マウスをクリック、新規作成された窓に施設時代の集合写真を表示。
悦巳はすぐわかった。列の右端から二番目でVサインをし笑っている。この頃からお調子者だったのだろう。が、影が漂う。おどけて振る舞う笑顔はどこか無理をしてるようで痛々しく傷つきやすい内面がうかがえる。
問題の人物は悦巳の隣にいた。悦巳と競うようにしてVサインをし前に乗り出す少年。
悦巳よりやや背が高く、当時は十一・二歳だろうが、こちらは悦巳と違い場を茶化し盛り上げるため道化を演じるのではなく、他を制しても目立とうとする自己顕示欲と上昇志向の強さがぎらつく。
一瞥しただけで仲の良さがうかがえた。
「………」
悦巳の生い立ちは把握済みだ。特に何の感慨も抱きはしない。ありふれた不幸、ありがちな悲劇。
悦巳は親の顔を知らず物心ついてから施設で育つ。
そこで馬の合う友人と出会う。
その出会いは後々悦巳の人生を大きく左右する。
写真の少年たちは将来自分の身に起こり得る事件など知らずじゃれあい笑いあう。
「……割に可愛いガキだったんだな」
子供嫌いな誠一にそう言わしめるほど、子供時代の悦巳の笑顔はあどけなかった。
同じ笑顔で電話をかけ、年寄りに擦り寄り取り入ったのか。
気色悪い猫なで声で口座振込みを誘導したのか。
ネックは友人の存在だ。そこを衝く。
唐突に間遠なノックが響く。
「どうぞ」
会社で誠一が敬語を使う相手はひとりしかいない。
足を組み落ち着き払ったポーズを演出して促せば、ゆっくりとドアが開き、こしのない白髪をなでつけた上品な中年男が立つ。
「例の件で話せるか」
「せっかちですね、父さんは」
誠一の父、みはなの祖父にあたる児玉充だ。
充は廊下に秘書を待たせ、一人で入ってくる。
毛足の長い絨毯を悠然と踏みしめ、ドアが閉まるのを待つや口を開く。
「もう一ヶ月がたつ、我慢の限界だ。お前のマンションにいるんだろう」
「家政夫として雇いました。行くところがなくて困っていたから住みこみでね。悪くない条件を提示したつもりですが」
「様子見なんて悠長にやってる場合か、期限は着々と迫ってるんだぞ。親戚連中もうるさく口出ししてくるし、こちらで適当に言い繕うのも限界に近い。近いうちにまた親族会議を開く、さぞかし紛糾するだろうな」
「あせりは禁物ですよ。こちらは身柄を押さえている、有利と考えていい」
「婆さんを騙して金を毟り取った悪党に住まいと仕事を提供するなんて……息子ながらなにを考えてるんだかさっぱりわからん、親戚連中も口を揃えて同じ事を言う、お前の酔狂にはあきれてしまう」
「父さんと同じ事をしてるだけですよ」
「なに?」
憤慨し一方的にまくし立てていた充がたじろぐ。
誠一は椅子を回しつつ言う。
「マンションに若い愛人を囲う」
「………!」
充の面が憤怒と恥辱で朱に染まるも、外へもれるのを恐れてか、それとも経営者の前に父親である体面を取り戻してか、わずかな自制心をふりしぼって威厳を保つ。
「……冗談がすぎる」
「事実でしょう。男妾じゃどう頑張ったって子供は作れませんが」
「誠一」
初めて息子を名前で呼ぶ。
心労滲むため息ひとつ、嘆かわしげに訴える。
「お前は憎くないのか、その男が。婆さんにはさんざん可愛がってもらっただろう、子供の頃は懐いてたじゃないか?婆さんがあんな死に方した原因はそいつにあるんだぞ、大事に貯めてた金をふんだくられて……ショックで倒れて……」
「お婆様の死因は脳梗塞です。心臓に疾患があったとは聞いてませんが」
「どうでもいいだろうそんなことは!」
実の母親の死因がどうでもいいそんなことか。
のらりくらりとはぐらかす誠一に痺れを切らし、癇癪を破裂させる父を冷ややかに見返す。
「診断漏れですかね。今度主治医に聞いてみます、面白い結果がでるかもしれない」
「……毒を盛られたとでも?」
「容疑者は数知れず」
「故人を不謹慎な冗談に使うのは慎め」
苦りきった顔で呟く充に失笑を浴びせ、机上に転がった万年筆を無意識に指に囲う。
「あなたも候補の一人ですよ、父さん。もちろん俺もね」
万年筆の芯先でとんとんと写真をつつく。
悦巳の顔にインクが滲み、黒く染まる。
黒い斑点に蝕まれ行く悦巳の顔を見ているうちに胸の内を憎悪が食い荒らし、鋭利なペン先でその顔を執拗に抉り穿つ。
「今度の会合では人数分のインディアン人形でも用意しときましょうか」
「悪趣味だな」
「推理小説の趣味は合いますね」
もっとも、この男との共通点はそれくらいだ。他の共通点など持ちたくない。
血が繋がってるだけで全身の皮膚を掻き毟りたくなるほどおぞましいというのに。
「父親に向かってあなたはやめろといつも言ってるだろう」
「部下の前では社長と呼べとしつけたのはだれでしたっけ」
「今の社長はお前だ」
「会長の命令なら従いましょう」
口とは別に手が動く。
悦巳の顔に無数の点描を施す。
ついに破れて穴が開く。
不愉快極まりない渋面を作った充が、次の瞬間心底心配そうな声を出す。
「みはなは平気なのか?どこの馬の骨とも知れない男に預けっぱなしで、万一のことがあったらどうする」
こんな男でも一粒種の孫娘は可愛いらしい。あるいは誠一以上にみはなを溺愛している充にとって、母の仇でもある青年と孫の同居を黙認せざるえない現状はさぞやきもきするだろう。
漆黒の光沢放つ万年筆を指に乗せもてあそびつつ、取り澄まして応じる。
「既に手は打ってあります。ご心配にはおよびません」
「お前は信用できん。結婚も入籍も果ては海外渡航も勝手に決めて……私は反対したというのに。軽率な振る舞いは身を滅ぼすぞ」
どの口が言う。
「御忠告痛み入ります」
白けた内心はおくびにも出さず、親の愛情からではなく重役の保身からでたのだろう叱責に礼を述べる。
「みはなはしっかりした子です。そう簡単に他人に心を許したりしませんよ、警戒心だけは人一倍なんです」
本当に俺の娘ならなと心の中で自虐的につけくわえる。
「……ならいいが……とにかく、頼んだぞ。全く、厄介者を抱え込んだものだ。この世から消えてくれれば一番なんだが」
「殺しますか」
独白じみた充の呟きに自然な調子で提案すれば、化け物でも見たように凍りつく。
「本気にしないでください。立場くらいわきまえてますから」
慄然と立ち竦む充にそう微笑んで安心させてやり、水平移動させた手で穴の開いた写真を払い、惜しげもなくゴミ箱に落とす。
みはなと一緒に。
「毎日催促に来られないでもできるだけ早く決着をつけます。……悦巳は俺の手の中ですから」
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