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ジルコニアブーケを捧ぐ
誠一の異母妹、楓の結婚式が行われたのは6月。梅雨の谷間の快晴の日だ。
「ジューンブライドっていうんですよね」
「賢いっすねみはなちゃん」
「物知りって言ってください瑞原さん、賢いってなんか馬鹿にされてるみたいに聞こえます」
おめかししたみはなが複雑そうに口を尖らす。
彼女ももう16歳、高校1年生だ。現在は私立のミッション系女子高に通っている。幼稚園児の頃に比べてすっかり物腰は落ち着き、肩甲骨のあたりまで梳き流した黒髪のキューティクルが清楚に輝く。
「ごめんごめんっす、昔の癖がぬけなくてうっかり」
「しょうがないから許してあげます」
「確か六月の花嫁は幸せになれるって外国の伝説っすよね、だからきょうを選んだのかな。昨日まで晴れるかどうかびくびくしてたけど、天気予報はあてになんねーし」
後半は独り言だ。頭をかいて弁明する悦巳と隣り合って歩きながらみはなは悪戯っぽく含み笑い、なんでもお見通しといった具合にアーモンド形の目を輝かす。
「それ、お父さんに教えてもらったんですか」
「え゛?」
図星でぎくりとする。
みはなは「やっぱり」としたり顔で頷き、きょどる悦巳をすたすた追い越していく。彼女はとても姿勢がいい。高校は調理部で、最近はお菓子作りにハマってる。
みはなが調理部で手作りしたカップケーキやジンジャークッキーは、家族団欒のお茶の時間に華を添えている。部活で愛用するエプロンには悦巳自らミッフィーのアップリケを施した。「子供っぽいです、もう高校生なんですからこういうのいいですって」と不満げにむくれたものの、結局はただの照れ隠しだったらしく、綺麗に畳んで持って行ってくれた。それを朝の紅茶を啜りながら眺めていた誠一は「過保護だな」とあきれたものだ。この人だけには言われたくねえと悦巳が思ったのは内緒だ。バレたらあとが怖い、ベッドでたっぷりお仕置きされるにきまってる。
父親と家政夫の夜の事情に疎いみはなは、後ろ手を組んで無邪気にからかってくる。ネコを思わせるくりっとした目が笑っている。
「相変わらず仲良しさんでやけちゃいますね」
「か、からかわねーでくださいっすよ……最近はもっぱら倦怠期ですって」
「熟年の危機ですか」
「待ってみはなちゃん、さすがに熟年はひどいっす。誠一さんはそろそろ中年枠かもしんねっすけど俺はギリアラサーでぴちぴちの青年っすから訂正してください」
「ぴちぴちって死語ですよ」
ぐうのねもでない指摘に降参。これがジェネレーションギャップってヤツか、今の若い子にゃ付いていけねえ。
二人は現在高級ホテルの敷地内に併設された瀟洒な教会の内部を歩いていた。本場ドイツから移築されたもので、尖塔の上に十字架を戴く白亜の外観は歴史と伝統を感じさせる。
この教会では一年中利用者の結婚式が行われており、ネットの口コミでも4.5の満足度を獲得する人気の式場だ。なお、教会を抱えるホテルはみはな五歳の誕生会が催された場所でもある。
「懐かしっすねー。みはなちゃん前にここにきたこと覚えてますか」
「はい。……ごめんなさい嘘吐きました、ホントはあんまり覚えてません」
「素直でよろしいっす。まーちっちゃかったから無理ねっすよ、こんなでしたもん」
「あの頃はかわいかったなー」とのろけて悦巳が自分の膝あたりで掌を水平に動かせば、再びみはなが機嫌を損ねる。
「それは言い過ぎです、そこまで小さくありません。瑞原さんはなんでも大袈裟すぎです」
「瑞原さんて……むかしみたいにえっちゃんて呼んでくれていいんすよ?」
「高校生で?痛いです」
よそよそしく他人行儀な呼び方に苦笑いすれば、ばっさり無表情で返される。冗談を真顔でやりこめられた悦巳はがっくりうなだれ、自分の胸を押さえてよろめく。
「今のちょっと、マジで傷付いたっす……」
みはなはお年頃だ。小学校高学年の頃まではえっちゃんえっちゃんと懐いてくれたが、中学に上がる頃から少し距離ができた。相変わらず素直ないい子だが、悦巳の事は「瑞原さん」呼びに戻し、二人一緒に外出する時も手を繋ぐのは避けるようになった。
思春期や反抗期の存在は知っていたが、まさかそれがみはなに訪れるなんて……現実は非情、世間は無情だ。
台所で立ち仕事をしている間、エプロンの裾に纏わり付いて離れなかった幼少のみはなを回想して悦巳が涙ぐんでいると、先に行ったみはなが声を張って招く。
「ここですよ、楓さんの控え室」
「おいてかないでくださいっすみはなちゃん!」
慌てて追いかけ、みはなと並んでドアの前で待機。ようやく実感がわいて緊張してきた。ふと見れば隣のみはなも、フォーマルなワンピースの胸元に結んだリボンタイをいじくっている。
「……へんじゃありませんか?」
「とんでもない!すっごい似合ってて可愛いっすよ、今日の準主役級のかわいさです」
「だから大袈裟ですよ……」
本音で褒めれば俯いて恥ずかしがる。女心は複雑だ。親代わりの悦巳の目には、そんな内気さがたまらなく愛しく映る。ちなみに主役は花嫁だ。
本日のみはなのお召し物は、ティーン女子に絶大な支持を誇るブランドのワンピース。控えめなリバティ柄で、お嬢様風のバルーン袖が気品を足している。
「俺はどっすか、どっかへんじゃないすか。スーツって久しぶりだから緊張しちまって……前に着たのは誠一さんから借りたのだし」
落ち着かない素振りで背広の襟を正す。
笑顔が強張っているのは柄にもなく上がってるせいだ、まだ花嫁に挨拶もしてないのにこんな事じゃ先が思いやられる。そもそも結婚式に招待されるのは今日がはじめてだ。誠一とみはなが会社の関係者の式に呼ばれる事は多々あったが、悦巳はずっと家で留守番していた。世間体を気にする誠一がおいていったのではなく、粗相をしでかすのが不安な悦巳が辞退したのだ。自分がトチったら誠一さんに恥をかかす、二人に迷惑をかけると悦巳はずっと思い込んでいた。
別にいいのだ、悦巳の役目は2人を真っ先に「おかえりなさい」と出むかえる事なのだから。
が、今日だけはキャンセルできない。なんたって誠一の大事な人の、長い目で見れば悦巳の身内でもある人の結婚式なのだ。
「大丈夫だから安心してください、とってもかっこいいですよ」
「そ、そっすか。えへへ……なんかみはなちゃんにそーゆわれると照れるっすね、誠一さんだと成人式とかリクルートスーツとかけちょんけちょんに貶すから」
「お父さんは素直じゃないですから」
「意地悪なんっすよ。覚えてるっすかみはなちゃん、小学校のとき宿題で作文書いたでしょ?家族がテーマってゆーから読むの楽しみにしてたのに、誠一さんてば取り上げるんすよ!?俺にはまだ早いとか意味わかんねーことほざくし、挙句どっかに隠しちまうし……どうしたんすか、俺の顔になんか付いてるっすか」
「ナイショです」
何故かみはなが生あたたかい笑顔でこちらを見詰めている。
「あ、髪はどっすか?風呂上がりに自然乾燥はよせって誠一さんが口うるさく言うからドライヤーかけて整えたんすけど、爆発してねっすか」
「背筋ぴんとしてください。髪の毛も大丈夫です、ちゃんと寝てますから」
「うし」
深呼吸して覚悟を決める。ネクタイの位置を調整して顎を上げ、控室の扉をノックする。
「お邪魔します」
「どうぞ」
中から涼やかな声がする。みはなと一瞬目を見交わしてドアを開けると、白い壁と床の赤絨毯を基調にした豪奢な空間が広がっていた。
「わあ……」
「すっげ、まぶしっす」
きらきらしい内装に手庇を作ってたじろぐ悦巳の隣からみはなが駆け出す。
「ちょっ待っみはなちゃん、走ったら転」
「すっっごくキレイです!!」
みはなが無邪気な歓声を上げる。控室の奥、天井近くから床まで切られた巨大な窓の前に、純白のウェディングドレスをまとった花嫁が立っていた。女の子ならだれもが憧れる優雅なプリンセスライン、しとやかにたらしたベール。頭上には造花の薔薇飾りをティアラのごとく冠し、白いリボンで束ねたブーケを持っている。
本日の主役、楓だ。
楓の花嫁姿に目をきらきらさせ感動するみはな。素直な称賛を浴びた楓はくすぐったそうにはにかんで礼を述べる。
「ありがとうみはなちゃん、きてくれて嬉しい。そのワンピースとっても似合ってる」
「えへへ……そうですか?」
「こんにちは楓さん」
「瑞原さんもありがとうございます」
「とんでもない、こっちこそお招き預かって光栄っす」
「だって家族はセットじゃないと」
「みはなちゃん、悦巳くん」
「幹子おばさん、おめでとうございます」
楓に付き添ってた幹子を見、みはながお行儀よく一礼。悦巳も慌ててお辞儀をし、心の底から二人を祝福する。
「このたびはお日柄もよくえーと……ごめんなさい、忘れちゃったんで省略でいっすか」
「もちろん」
「とにかくご結婚おめでとうございます、すっげえキレイっす。新郎は幸せ者っすね、たしか職場結婚だとか」
「ええ、職場の同僚なんです。失敗をカバーしてもらったりしてあげたりしてるうちに意気投合して……」
「いい人なんすね」
楓の顔を見ればわかる、彼女は人生最高の日の喜びを全身で享受して眩いばかりに輝いていた。
悦巳が笑えば楓も微笑んで頷く。
「よくきたなみはな」
「おじいちゃん」
呼びかける声に振り向けば、楓の後ろからスーツを着た充がやってくる。孫を溺愛している充はすかさずみはなに近寄り、今日のお召し物を絶賛する。
「その服似合ってるぞ、この式場で二番目の美人さんだな。準主役級の輝きだ」
「えへへ……」
「俺が選んだんですよおれおれ」
「なんだオレオレもいるのか」
褒めてもらいたい欲をだした悦巳が自分の顔をゆびさしてでしゃばれば、にわかに鼻白む。露骨な態度の違いにへこむ。充と発想が同じだったことはもっとへこむ。
「まさか本場フランスのシェフが作る式場の料理めあてにタッパーを持ち込んじゃないだろうな」
「ぎくり」
「私の娘の結婚式で乞食のようなふるまいは許さんぞ。誠一はなにをしてる、しっかり家政夫を監督しろとあれほど」
「ここですよ父さん」
「誠一さん!どこいってたんですかもー」
「来賓の席順をチェックしていた、万一粗相があっては困るからな」
「とかなんとか言って、スピーチのおさらいしてたんじゃねっすか?」
扉を開けて合流した誠一が憮然とする。どうやら図星みたいだ。悦巳は調子に乗って暴露する。
「親族代表のスピーチ頼まれて誠一さんすっげーはりきってたっすもんね、何度も推敲して。長風呂で練習してのぼせた時は救出劇に手を焼いたっす」
「馬鹿!」
「えーいいじゃねっすか、微笑ましいエピソードっすよ?」
しみじみと苦労話を語れば誠一が赤面し、こらえかねた楓と幹子、みはながくすくす笑い出す。充も顔をそむけて吹き出す始末。
温かい団欒の空気に包まれた控室にて、楓が口を開く。
「スピーチ楽しみにしてます、兄さん」
「ああ……期待に添えるよう善処する」
照れ隠しに咳払いする誠一に、幹子が続けて感謝を述べる。
「誠一さんたちに来ていただいて本当に嬉しい。本来そんなことをお願いできる立場じゃないのに、厚かましいって」
「幹子」
「母さん」
充が小声で窘め、楓が困った顔で母親を支える。幹子はハンカチで素早く涙を拭いて仕切り直す。
「かっこいいお兄さんができたって、この子本当に喜んでたんです。誠一さんの存在を知った時からずっと会いたがってて……写真を見ては憧れてたんです。何回かこっそり姿を覗きに行ったこともあるんですよ、探偵みたいなまねをするなって叱ったんですけど」
「ちがうわよ、ストーカーって言ったのよ」
「どっちも似たようなもんでしょ」
「全然ちがうって」
楓がむくれて付け足す。
「見学のふりして兄さんの会社にこっそり……今だからいえるけど、馬鹿な事したって反省してる」
「謝罪には及ばない、気付かなかったしな」
「憧れてたのは本当よ。頭が良くて顔が良くて仕事もデキる、こんなお兄さんいたらいいなあって思ってた通りの人だもの」
そこで目を伏せてポツリと呟く。
「……こんなこと言える立場じゃないけど、一緒に暮らせないのが心の底から残念だった」
楓と幹子は日陰者だ。充の愛人と隠し子の立場であり、本妻の息子の誠一に長いあいだ罪悪感と後ろめたさを抱えてきた。
しかし彼女たちが善人であることは誠一もよく知っている。悦巳とみはなも彼女たちが好きだ。幹子と楓はみはなにケーキの焼き方を教えてくれ、花の庭の管理を自ら進んで手伝い、誠一の家に作り過ぎたおかずを届けてくれる。悦巳の愚痴や相談、のろけにも積極的に付き合ってくれるいい人たちだ。
しんみりした雰囲気を破ったのはみはなだった。
「私、幹子おばさんと楓さん好きですよ。お父さんや瑞原さんに言えないことも相談できますし」
「えっみはなちゃんなんすかそれ、言えないことって。彼氏?彼氏っすか?」
「だから最近よく会いに行ってたのか」
「ややこしくなるので二人はちょっと黙っててください」
みはながぴしゃりと言い、楓と幹子を等分に見詰める。
「きょうは家族そろって来れてとっても嬉しいです。いい式になるといいですね」
「みはなちゃん……」
「顔を上げてください幹子さん、楓も……色々あったがあなた達のおかげでその、助かってるのも事実だ。うちは男所帯だから思春期の女の子の気持ちに疎くてな……悦巳は頼りにならんし」
「は?めっちゃ頼りになってますって、誠一さんこそ仕事仕事にかまけて放任じゃねっすか、こないだだってディズニーランド連れてくって約束したのに破るしみはなちゃん無茶苦茶怒ってましたよ」
「私は友達といくから別にいいです、いちばん怒ってたのは瑞原さんです」
「なんでばらすかなー!?だって大志とアンディにおみやげたくさん買ってくるって約束しちゃったんすもん、そりゃ怒るっしょ!?」
話が脱線する。誠一は改めて幹子親子と向かい合い、きっぱり告げる。
「おめでとう楓。とても綺麗だ」
「兄さん……」
「幸せになれよ」
大好きな兄にストレートな祝福を受け、感極まった楓が泣き崩れる。幹子が娘を宥めるあいだ、やや所在なさそうに脇に控えていた充が口を開く。
「私からも礼を言わせてくれ。ありがとう誠一」
「気持ち悪いな……あなたに感謝されるいわれはない」
「いや、ある。お前にはさんざん苦労をかけた。そっちの家政夫……瑞原には暴言を吐いたし、みはなの気持ちもろくに考えない振る舞いをした。なのにお前は、私を許してくれた」
今までの行いを恥じてしおらしく呟けば、幹子が繋げる。
「私からもお願いです……充さんや私たちがしたこと、許してくれとは言えません。でも充さんが誠一さんのこと忘れていたっていうのは間違いです。楓にあなたの写真を見せてくれた時、充さんは自分に似ず出来のいい息子だって言ってました。出来が良すぎて、今さら合わせる顔がないって……」
「余計なことをいうな!」
充が顔真っ赤で叱るが後の祭りだ。悦巳は盛大にニヤニヤし、同じ位照れている誠一の脇腹を肘で突付く。
「ツンデレは父親譲りっすね~」
「そっくりですね」
みはなに援護射撃をされ誠一はかたなしだ。
「もうすぐ式がはじまる、積もる話は後回しだ。悦巳、くれぐれもタッパーは出すなよ」
「誠一さんまで失礼なこと言わないでくださいっす、いくら俺がいやしんぼだからって時と場所は考えて物乞うっすよ!」
「でも鞄の中にタッパーが……」
「あー!あ゛ー!聞こえねっす!」
みはなの告げ口に耳を抑えて喚きまくる悦巳に、誠一が特大のため息を吐いてあきれた時。
「入っていいかしら」
「お母さん!」
「やっときたのか美香」
澄まし込んだ声と共に登場したのはみはなの実母、美香だ。現在はパリに移住しバリスタとして活躍しているが、楓の結婚式に出席するため一時帰国したのだ。
スマートなスーツできめた美花の印象を一言で評すならデキる女だ。みはなは顔を輝かせて美香に駆け寄り、美香は久しぶりに再会する娘をおもいっきり抱き締める。
「久しぶりねみはな、またお姉さんになったわね。背が伸びた?メールは毎日してるけど」
「去年から4センチ伸びました」
「間に合ってよかった、遅いからひやひやした」
「道がこんでたのよ」
美香がくるりと振り返り、誠一と悦巳に相対する。
「元気でやってるみたいで安心した。仲良しすぎて妬けちゃうけど」
「お久しぶりっす美香さん、相変わらず圧がすごいっすね」
「嫌味?」
「いえいえ前にも増して美に磨きがかかったってゆーか、カフェオレ薫るパリジェンヌの優雅さが身に付いたってゆーか」
大急ぎでフォローする悦巳をよそに、前妻に頭があがらない誠一は微妙な距離感で声をかける。
「むこうじゃバリバリやってるみたいだな」
「バリスタにひっかけただじゃれ?」
「いちいち突っ込むな」
「今度飲みに来てよサービスするから、家族で海外旅行できる貯金はあるんでしょ」
「カフェオレにミッフィー描いてください」
「インスタ映えするリクエストね、もちろんOKよ。悦巳くんは?何かリクエストある」
「え?じゃあ誠一さんを」
「いや」
「即答っすか!?夫婦関係冷え切ってるっすよ……」
「私たちはみはなの親だけどもう夫婦でもなんでもないもの、夫婦なのはそっちでしょ」
気位高く鼻で笑ったあと、うってかわって猫かぶりで楓と幹子への挨拶に移る。
「初めましてですね、児玉誠一の前妻の美香です。このたびはご結婚まことにおめでとうございます……私までお呼ばれしちゃってよかったのかしら?この人とはもう赤の他人なのに」
悪戯っぽい流し目で誠一を皮肉れば当の本人が返す。
「当たり前だ。俺はそこまで心が狭くないからな」
「もちろん、みはなちゃんのお母さんですもの。誠一さんもいいって言ってくれましたし、充さんも数々の失礼を謝りたいって」
「お義父さんてば、過ぎたことはいいのに。私が子どもを置き去りにするような不出来な嫁だったのは事実ですもの」
幹子に支えられた充がひどく居心地悪そうに空咳をする。
「いや……あなたが家を出てったのは長男の嫁に注文を付けすぎた私のせいだ。すまなかった」
あれから十年経ち、充もすっかり丸くなった。誠一との和解や長女の結婚を通し、彼なりに思うところがあったのか。
真摯な謝罪を受け入れ、充を許した美香もまた、十年前から変化した1人だ。彼女はさばさば笑ってこう言ってのける。
「いいんですよ。離婚は私たちが決めた事、選んだ決断です。夫婦の問題を当事者以外の誰かのせいにするほど落ちぶれてませんから」
次に挨拶したのは楓。
「わざわざパリから来てくれて恐縮です、美香さんがインスタに上げてるラテアート拝見してます」
「そんなこともやってるのか……目立ちたがりだな」
「宣伝を兼ねてよ、喜んでもらえてるんだからいいでしょ」
「まーまーお二人とも、子どもの前で大人げねっすよ?」
誠一の皮肉を鉄壁の笑顔で跳ね返す美香。険悪なムードをあたふた悦巳がとりなす。続いてみはなに向き直り、心配性の母親の顔で聞く。
「高校はどんな調子?」
「楽しいですよ、友達もいっぱいできました。こないだ調理部のみんなでマカロン焼いたんですけど、先生たちに差し入れしたらすっごく喜んでもらえて」
久しぶりに再会した母娘の会話は饒舌に弾む。悦巳は誠一の袖を遠慮がちに引っ張って隅へ連れて行き、みはなと美香に聞こえない距離でこっそり耳打ちする。
「ふたりきりにしてあげましょ」
「ふたりきりって……花嫁の控室だぞ?」
「言葉の綾っすよもー、母娘水入らずで話させてあげよって意味っす!」
悦巳の申し出に誠一は不承不承頷く。
「この前の世界史のテストで……」
「学年3位?すごいじゃないみはな、さすが私の子ね!」
思春期に入ってから気難しくなったみはなが久しぶりに見せる輝かんばかりの笑顔と、それに応じる美香の愛情深い物腰にほだされたのだ。
二人の邪魔をしないようそっと退室、カーペットが敷かれた廊下に出る。
「ふー……汗かいちゃったっす、ハンカチハンカチっと」
進歩なく火花散らす誠一と美香のフォローに消耗した悦巳は、スーツのポケットをさぐる。
「え……?」
指先に固い物があたる。
「何これ……入れた覚えねーぞ」
疑問に思いながらおそるおそるとりだし、さらに驚愕。
「ダイヤの指輪……!?」
ポケットから発見した異物に目玉がとびだすほどの衝撃を受ける。悦巳のてのひらにのっていたのは、きらきらしい光沢帯びたダイヤモンドのリングだった。
「えっ、なんっ、ええっ!?なんでスーツのポケットから指輪から、しかもめっちゃお高そうだし、ぜってー三桁下手したら四桁するっしょこの神々しい輝き!?いくら俺が手癖悪くたってやらかしたのはせいぜい摘まみ食い程度、パクった覚えなんてねーぞ!?ひょっとしてサイズはかってる時に店員さんの指から抜けて……落とし物?警察届けねーと、誠一さん見て」
瞬きする。
「誠一さん?なんで真っ赤なんすか」
「……ほっとけ」
片手で顔を覆い、ぶっきらぼうに吐き捨てる誠一。そのわかりやすい反応と手中の指輪を見比べ、徐徐に成り行きが飲み込めてくる。
まさか。そんなばかな。
「これ、ひょっとして誠一さんが……」
「おーい悦巳ー」
「大変遅くなりました、出発の準備に手間取りまして」
そこへ背広でばっちりキメた大志とアンディがやってくる。大志は髪を染め直し、アンディはイカツい肩幅をスーツに押し込み、ぱっと見SPの先輩後輩といった趣だ。
「準備ってアンタがネクタイ選びに悩んでただけだろ」
「誠一さまの妹さまの結婚式、万が一にも服の組み合わせに失礼があってはならない。来賓の方々の目もある、あくまで主人を立てて出しゃばらず」
「ここのメシって本場のシェフが作るフランス料理なんだろ、レシピとか教えてもらえっかな。なあ、そこに突っ立ってるアンタの口利きでどうにか……」
「ごめん大志アンディ、ちょっと外すな」
「おい?」
困惑顔の大志とアンディに素早く断り、誠一の腕を引っ張って男性用トイレへ連れて行く。豪華ホテルのトイレだけあり中はどこもかしこもぴかぴかで、清潔に磨き抜かれている。
適当な個室にとびこんでドアを閉じ、指輪を掲げて聞く。
「犯人は誠一さんっすか」
「……そうだ」
「いつのまに……今日はじめて袖通したのに」
「仕立てた時だ」
「って、もー六年も前じゃないっすか!?みはなちゃんが小4の時っすよ」
「鈍感こじらせたお前のことだからみはなの結婚式までばれないと侮っていたが」
「どーゆー……」
「察しが悪い」
誠一がいらだち、苦りきった顔で白状する。
「結婚指輪、まだだったろ」
その瞬間の悦巳の反応はといえば。
片手に掲げた指輪を見、もう一度見、それから正面の誠一を穴が開くほど凝視して特大の疑問符を顔に浮かべる。次いで理解が浸透し、驚愕に剥かれた目に戸惑いの波紋が広がりゆく。
最後に行き着いた感情は純粋な喜びだ。
「俺のために……?え、え、マジっすか?あの誠一さんが?」
「どういう意味だ」
「だってそーゆーの興味ねーって」
「思い違いだ」
「なんて回りくどい……フツーに直接渡せばいいじゃねっすか、クローゼットの肥やしになってるスーツのポッケなんかに入れても気付かねっしょ、一生知らねーままだったらどうすんすか!?」
怒りながら喜び喜びながら怒る、めまぐるしく表情を変える悦巳に対し誠一は低く咳払いする。
「それならそれでいい」
「よくねっしょ!!!!!」
少なくとも悦巳は全然よくない。
指輪をぎゅっと握り締め、泣き笑いに似て不細工な表情で目の前のへそ曲がりに訥々と言い募る。
「俺指輪、全然気付かなくって……せっかく誠一さんが用意してくれたのにスルーで、たった今気付いて。こんなトイレで」
「恥ずかしかったんだ……言わせるな」
「ツンデレがすぎるっすよ」
なんて愛しい人だろうと悦巳は思う。誠一も気持ちは同じだ。
感極まって言葉が閊えた悦巳は、指輪を握りしめた拳に反対の手を添え、切なさがこみ上げる胸へと押し付ける。
「超うれしっす……」
「悦巳。スーツが皺になる」
「かまわねっす」
「いやかまう、妹の結婚式で恥をかかせるな」
「あとで直すっす」
誠一の不器用さが愛しくて、優しさが嬉しくて、彼に贈られた指輪をポケットに戻して抱き付く。
勢いあまってトイレの壁に背中があたったものの、反射的に悦巳を受け止めた誠一がたじろぐ。
「はめないのか?」
「今はいいっす。だって……」
悦巳が今したい事、誠一にせがもうとしている事は、指輪をしてるとやりにくい。その程度の分別が付く程度には悦巳も大人になった。
「あたっちまうと痛いし」
「考えすぎだ」
「念のためっす」
本当は今すぐはめて見せびらかしたいが汚すのはいやだし、万一のめりこみすぎて紛失なんてしようものなら目もあてられない。
「キスしていいっすか」
「ここでか」
誠一の話もろくに聞かず、悦巳が熱烈にもとめてくる。
夜はもっぱら誠一が主導権を握って責め立てるが、今ばかりは悦巳が先走り、胸を満たす幸せと限りない愛しさに駆り立てられて唇をむさぼる。
「んッ、ふぁ」
重ねた口の間から唾液があふれ、舌と舌が夢中で絡み合い、誠一の手が腰へ伸びていく。
「そーゆーのじらし放置プレイってゆーんすよ」
「せっかちだなお前は」
「もっと早く言ってほしかったけど、超レアな照れ顔に免じて許してあげるっす」
「上から目線はやめろ、家政夫の分際で癪にさわる」
「俺誠一さんのお嫁さんっすもん」
いい加減そう名乗っていい頃合いだ。情熱こめたキスは次第に激しさを増し、誠一の手がベルトを外して悦巳の中へもぐりこむ。
「もうすぐ式はじまっちゃうっすよ」
「わかってる……我慢できない、すぐ済ます」
「あッあ、ぁあっ、ふッあぁっあ誠一さっ、ぁっあ」
悦巳が好きだ。誠一が好きだ。
一度堰を切ってあふれだした気持ちは止まらなくて、狭い個室でその気持ちを確かめ合って、悦巳の片足を抱え上げ、今こそ繋がり合えた幸せを噛み締める。
悦巳の目尻から零れる水を人さし指ですくいあげ、誠一がうっすら微笑む。
「泣くほど嬉しいか」
「いじわる言わねーでください……そっすよ、これで満足っすか」
「ああ。もちろんだ」
二人が互いを抱き締めて余韻に耽る間、ポケットの中ではずっと指輪が光り輝いていた。
結婚式は滞りなく進行し、新郎新婦へのフラワーシャワーと花嫁によるブーケトスの時間がやってきた。
「楓さんたちが階段おりてきたらカゴに入ってる花びらを撒けばいいんすね」
出席者1人1人に配られた藤カゴにはカラフルな花びらが盛られている。悦巳と誠一、みはなは3人並んで沿道に待機し、新郎新婦の登場に今か今かと期待を高めていた。
「料理おいしかったですね」
「フォアグラなんて俺生まれてはじめて食べたっす、太ったガチョウの肝臓なんておもえねー美味さっした」
「俺だってその気になりゃ作れる」
「その言葉しかと覚えた」
レッドカーペットを挟んで対岸にいた大志が対抗心を燃やし、彼の料理の腕に一目おくアンディが重々しく頷く。
「そうか?褒めそやすほどじゃないぞ」
「誠一さんは毎回接待で食べてるから」
「お父さんはうちで食べるごはんがいちばん好きですもんね」
娘に見透かされた誠一が不機嫌にだまりこむ。
「えーマジっすかーだったら今日の夕飯は腕によりかけて」
「昨日の残り物に腕をかけるもなにもないだろ」
「ちゃんとアレンジ加えるっすよ、クックパッドのレシピ印刷しましたし」
「手抜きだな」
「クックパッドユーザーに謝ってくださいっす。そうだ誠一さん、もう目は乾きましたか」
「は?泣いてないぞ」
「嘘だー、スピーチんとき目元が光ってたっすよ」
「離れてたのに見えるわけない」
「泣いてたの認めるんすね」
「…………」
誠一が苦虫を噛み潰した顔で黙り込み、一本とった悦巳が「勝った」と満足げにドヤる。見かねたアンディが対岸からフォローをとばす。
「良いスピーチでした。泣きました」
「まあ悪くはなかったんじゃねーの?きちんとですます言えてたし」
「俺は冠婚葬祭で丁寧語を使えない人種か」
「まーまー誠一さん、おさえておさえてどーどー」
悦巳が雑になだめれば、誠一を挟んだみはなも「どーどー」と語尾に便乗する。数年間一緒に暮らしてるだけあり呼吸は抜群だ。みはなの隣にいた美香は「なにやってんだか」とあきれ顔だが、ゆるんだ口元は隠し切れない。
「きたぞ」
「!」
誠一に促されて全員前を向く。教会の正面入り口、両開きの巨大な扉が威風堂々開け放たれ、仲睦まじく腕を組んだ新郎新婦が姿を現す。
沿道に居並ぶ招待客にはにかみがちに手を振る楓、いかにも好青年風の新郎もにこやかに手を振っている。
「おふたりともおめでとっす、末永くおしあわせにー!」
「世界で一番きれいだぞ楓」
「あなたってば……ハンカチが足りませんよ」
扉のすぐ近くに陣取った充が十回目のもらい泣きをし、隣の幹子がさすがにあきれる。
父親とその愛人のやりとりを遠目に眺めた誠一が苦々しげに腐す。
「まったく恥ずかしい人だ」
「誠一さんだってみはなちゃんがお嫁にいっちゃったらあーなるっすよ」
「何年先の話をしてる、その頃にはもっとどっしり構えてる」
「これ以上オレオレサマサマになんなくていいんすけどねー」
何年先でも何十年先でも、隣で悦巳が支えてくれていれば誠一はひとりじゃない。
誠一と悦巳とみはな、大志とアンディ、その他大勢の人々が新郎新婦を祝福し、カゴから手掴みした花びらを盛大に投げる。カラフルな花びらが青空にふぶく中、誠一が唐突に呼ぶ。
「悦巳」
「よそ見はめっすよ誠一さん、せっかくの妹さんのハレの日に」
お説教モードで振り向いた悦巳のポケットから指輪を取り上げ、問答無用で家政夫の左手を掴む。
「トイレで指輪交換というのはさすがにな」
澄みきった青空の下、どんな顔をしていいかわからずほんのり頬を染めた誠一が、極彩色の花吹雪が舞い散り、他の人々全員が新郎新婦に注目する中で悦巳だけを見詰める。
見詰め続ける。
「愛してる」
不器用すぎる求愛の言葉は、周囲の歓声にかき消されず悦巳の耳にだけはっきり届く。
「……俺も」
遅れてきたエンゲージリング、愛が形を成した結婚指輪が、毎日の家事でやや肌荒れした左手薬指にゆっくりはまっていく。
「愛してるっすよ」
今日最高の笑顔で宣言した悦巳の薬指、最愛の人に贈られた指輪が日光を浴びてきらめく。
「ブーケトスはじめるよーみんな集まってー」
沿道の終点に辿り着いた花嫁が、白いリボンでまとめた薔薇の花束を掲げるなり女性陣がわっと群がる。
「みはなも行きます!」
「俺たちも野次馬しに行きましょうよ誠一さん、大志とアンディも」
悦巳が元気よく誘えば誠一は渋々、茶化すのが好きな大志と主人に忠実なアンディも乗ってきて、レッドカーペットの先端へみんなして小走りに急ぐ。
「せーの!」
楓が高々とブーケを掲げ、勢いよく腕を振り抜く。
「私のよ!」
「ちがうわよ私のよ二十代はひっこんでなさい!」
「こっちは5年婚活中なのよ、理想のダーリンに巡りあえるなら悪魔に魂だって売ってやる!」
「アラフォーバツイチ新しい旦那募集中の底意地なめないでほしいわね!」
「って、美香さんまで加わってるっす!?」
「なんで俺の身内は俺に恥をかかせるヤツばかりなんだ」
片手で顔を覆って嘆く誠一をよそに、目の色変えて殺到した女性陣の頭上を飛び越えたブーケは綺麗な弧を描き、吸い込まれるように意外な人物の手中におちる。
「みはなちゃん!?」
「もらっちゃいました」
殺気立った女性陣に最後尾へと押しやられたみはがブーケを受け取りきょとんとするのも束の間、大股に娘のもとへ突き進んだ誠一が、まんざらでもなさそうなその手からブーケを奪取。
「みはなはまだ高校生だ、嫁にやらんぞ!!」
「ブーケ返してください、意地悪するお父さんは大嫌いです!」
「大人げねっすよ誠一さん、ただのセレモニーじゃねっすか。ンな目くじらてねーでも」
口々に非難されても断固として主張は譲らず、手にもったブーケを無造作に背後の青年に投げ渡す。
「くれてやる」
「は?俺??ちょっ待、野郎がこんなのもらってどーしろって」
「せいぜい幸せになればいい」
ブーケを回された大志が目をまん丸くして狼狽、隣のアンディが何を思った鉄面皮のまま耳たぶを染める。
好対照なリアクションに我慢しきれず吹き出す悦巳の隣、父親の暴挙におかんむりのみはなが語気強く申し立てる。
「お父さんとは絶交です、家出するからさがさないでください!」
「みはな、言うこと聞きなさい」
「いやです!私がとった私のブーケ大志さんにあげちゃうなんてひどいです、私だって大志さんとアンディさんには幸せになってほしいけどそれとこれとは別です」
「無神経な男ってサイテーね、そーゆーとこよ誠一」
「お前はブーケを横取りされて悔しいだけだろ」
「同じクラスの佐々木さんにメールして泊めてほしいってお願いしますからねっ!」
「だったら私の部屋に泊まりなさいよ、いいホテルとってあるのよ」
「誠一さん、早くフォローしねーとみはなちゃんとられちゃいますよ」
美香と意気投合するみはなをチラ見、悦巳が声をひそめて囁けば、女性陣の非難の視線を一身に受けて追い詰められた誠一が最大の譲歩を示す。
「……もっと綺麗な花束を好きなだけ買ってやるから」
苦渋の決断を下す誠一にみはなは意外な提案をする。
「だったらおばあちゃんの庭に咲いてる薔薇がいいです、花束にして学校にもってけばみんなびっくりします」
してやったり、あるいは最初からこれが狙いか。
「そんなのでいいのか」
「おばあちゃんの薔薇は世界一ですから。ね、えっちゃ……瑞原さん」
初めて会った頃と面影の重なる微笑みで仰がれ、嬉しさと幸せでじっとしていられなくなった悦巳は、人さし指で鼻の下をこする。
「みはなちゃんに一票。こんどは誠一さんも手入れにきてくださいっす、ばあちゃんの庭すっげーキレイなんすよ」
充が、幹子が、楓が、美香が、大志が、アンディが。
にこにこするみはな、にこにこする悦巳と相対し、出席者に遠巻きにされた誠一を優しく見守っている。
「かわいいみはながこうして頼んでるんだ、父親なら一肌脱げ」
充が背中を押す。
「がんばってね誠一さん、みはなちゃんきっと喜ぶ」
幹子が追随。
「私と母さんも剪定お手伝いしたの、今が見頃よ」
楓が便乗。
「そんなに綺麗ならパリに帰る前に寄ってこうかしら、新しいラテアートの構想浮かびそうだし」
美香が検討。
「トゲに刺されちまえ」
大志がやんちゃな笑顔で憎まれ口を叩く。
「車は私が運転します、なんならこれからでも」
そしてアンディ。
血の繋がりを問わず一同に会す身内に祝福とプレッシャーを同時に受け、予定調和の大団円に立たされた誠一にとどめをさすのは悦巳。
「返事は?」
「……決まってる」
指輪をはめた悦巳の左手をぶっきらぼうに掴み、反対の手でみはなの手を握る。
十年後、実際のみはなの結婚式には祖母の庭でとれた薔薇が使われるのだが……それはまた別の話。
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