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世界中の名なしの猫
「あ、ねこさんです!」
買い物帰りのみはなが駐車場にすっとんでいく。
ふと目で追えば、駐車場のブロックの上にちょこんと子猫が丸まっていた。
「ほんとだ、迷子かな?」
「かわいいですねえ」
たんぽぽの綿毛を集めたような白い子猫だ。みはながアーモンド形の目を輝かせ、猫背に手をかざしてゆっくりなでる。
猫は甘えるように鳴き始め、みはなのてのひらに自ら頭を擦り付けてきた。
悦巳はスーパーのビニール袋をごそごそ探る。
「魚肉ソーセージ食うかな。ツナ缶のほうがいいか」
プルトップを引っ張り、ツナ缶のねじぶたを開ける。
か細く鳴く猫の前にツナ缶を置くと、おっかなびっくり匂いを嗅いでから食べだした。
みはなは膝をそろえてしゃがみこみ、子猫の食事風景を夢中で見詰めている。
子猫とみはなの横顔を見比べ和んだ悦巳は、昔飼っていた猫の事を思い出した。
可愛いヤツだった。
小学校の帰り道、近所の駐車場で鳴いている所を大志と見付けた。
「迷子かな。親もいねェし」
「捨てられたんじゃねーの」
「こんな可愛いのに?」
「関係ねえよ、邪魔になったんだろ」
悦巳の抗議を突っ張った横顔で封じ、そっと子猫を抱き上げた大志の目には、意固地な反発が浮かんでいた。
施設では動物を飼うのが禁止されていたから、こっそりシャツに隠して持ち帰った。
給食やご飯の残りを分け与え、二人で可愛がっていたが、ある日姿が見えなくなった。
「あっちは?」
「もう探した」
「じゃあ庭」
「だから探したって!」
「台所じゃねェよなまさか」
大志は殺気立っていた。猫がさらわれたとでも思っているのかもしれない。
猫の行方を案じる友達を宥めようと、悦巳はおどけて口走る。
「親猫が迎えに来たんじゃねーかな」
「ンなわけあるか馬鹿!」
大志に殴られた。
施設中どこを探しても発見できず、がっくり肩を落として部屋へ帰ろうとした時、玄関口で騒ぎが持ち上がる。
顔を見合わせて走って行けば、若い女の先生が片足にスリッパをぶらさげて慌てていた。
「なんで猫がいるの!?」
スリッパの窪みにすっぽり入ってしまうくらい小さな子猫だった。
悦巳と大志はこってり絞られた。
先生たちはひそかに相談し、主に大志が反対して大暴れするのを見越したか、悦巳たちが学校に出かけている間に猫はだれかに貰われていった。
案の定大暴れして夕飯抜きにされた大志はしばらく塞ぎこんで口もきかず、悦巳は玄関に体育座りし、スリッパをくり返し投げた。
犬じゃないから、とってこいをしても猫は帰らなかった。
背中合わせの体温と沈黙だけを、今も鮮やかに覚えている。
「もりもり食べてますね」
「腹減ってたんすね」
のんびり相槌を打ち、ためらいがちに子猫の頭をなでる。
「お母さんがむかえにきました」
みはなの声に振り向けば、スレンダーな母猫が緩やかにしっぽを振っていた。
「またなー」
「さよならー」
みはなと並び立ち、そろって手を振って送り出した後、当たり前に手を繋いで家に帰る。
「俺も子供の頃猫飼ってたんすよ」
「本当ですか?お名前はなんていうんですか」
「付ける前にいなくなっちゃったんです」
「それはさみしいですね……」
「大志はタイガーがいいって言い張って、俺は二人の名前を足して悦志がいいって譲んなくて、平行線で決まんなかったんです」
「大志さんとえっちゃんの子どもみたいです」
「はは、言われてみればそっすね。オスかメスかわかんなかったけど、メスだったらどっちもセンスサイテーでお断りされちゃったかもしんねっすね」
「えっちゃんと大志さんが一生懸命考えたお名前ならしょうがないからいいよって言ってくれますよ、きっと」
みはながキュッと悦巳の手を握り締める。
悦巳は愛おしげに微笑み、優しい少女の手をしっかり握り直す。
駐車場の子猫にゃちゃんとむかえがきたぜ、大志。
スリッパで居眠りするのが好きなあの猫も、きっといい人に貰われていったに違いない。
世界の片隅のありふれた駐車場、ひとりぼっちでうずくまっているすべての名なしの猫にむかえがきますようにと悦巳は祈った。
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