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ブライダル・ピンク

キャンドルサービスの起源はヨーロッパ郊外の小さな村。 ある貧しく優しい恋人たちが長い交際の末、めでたく結ばれることになる。けれど彼らには結婚式を挙げる資金がない。恋人たちは挙式を断念したものの、村人たちがささやかなパーティーを開いてくれた。 そこで新郎新婦は祝ってくれた村人一同へのせめてものお返しとして、全員のテーブルを回って火をともし、心からこう願ったのである。 「私たちは幸せになります。皆さんにも幸せが訪れますように」 控え室の鏡の前に本日の主役が座っている。 清楚な純白のウェディングドレスを纏った花嫁だ。選んだのはシンプルで上品なシルエットのAライン、ふんわり膨らみ広がる裾がお姫様みたいで女心をくすぐる。艶やかな黒髪には華奢な銀のティアラを冠し、幻想的に透けるベールをたらしていた。 美しい女性だった。 年の頃は二十代半ば、くっきりした二重瞼の奥の黒目がちの瞳と整った鼻梁はナチュラルな気品を感じさせる。化粧を施した肌はなめらかな透明感を誇り、どことなく浮世離れした存在感を高めていた。 今日の主役は間違いなく彼女……児玉みはなだ。否、正確には既に児玉ではない。入籍は式前に済ませている。 二人そろって市役所に婚姻届けを提出しにいく時パートナーはガチガチに緊張していて、「そっちは出生届の受理係よ」と注意せねばならなかった。彼は恥をかかされたと逆恨みしているが、いい迷惑である。 控え室の鏡と向き合い感慨に浸る。なんだか別人みたいでくすぐったい。もうすぐ始まるということで、先ほどまで控え室に挨拶にきていた親族や友人たちは式場に帰っていた。今頃は予め指定されたテーブルに着いているはずだ。 「あー……入っていいか?」 わざとらしい咳払いと共にドアがノックされる、 「いいよ」 声を張って促せばノブが回り、タキシードに着替えた新郎が入ってきた。髪をきちんとオールバックにまとめ、こちらも男前が上がっている。 「準備できたか?そろそろ出番……」 鏡の前に座るみはなを見るなり眩げに目を細め、言葉を失って立ち竦む。 「フリーズしてるよ」 「あ?ああ、いや……見とれてた」 「これから毎日顔を突き合わせて暮らすんだから慣れてよ」 「明日には脱いじまうだろドレスは。今日で見納めんだからしっかり目に焼き付けとかねーと」 「バカ」 思えば長い付き合いだ、二人は幼稚園からの幼馴染である。そう聞くと大抵の人は驚く。康太にしてみれば苦節二十年以上の片想いが実った結果であり、粘り勝ちでゴールインしたなと同僚たちにひやかされている。 感無量の面持ちで新婦の晴れ姿を見詰め、ずれてもないネクタイの根元をしごきながら康太が口を開く。 「何考えてたんだ?」 「昔のこと。色んなこと。幼稚園の頃の康太すごいやんちゃだったよね、よく泣かされたもん」 「よくいうだろ、好きな子に意地悪しちまうあれだよ」 「されるほうはたまったもんじゃないから。愛情表現ひねくれてるよね」 「こっちも色々事情があったんだって」 「お弁当のことでやきもち焼かれたの忘れてないから」 「いい加減流せよ執念深いな。当時はガキだったんだ」 「それは認める。私たち子どもだったよね」 どちらからともなく顔を見合わせ吹きだす。停戦の合図だ。 康太と結ばれるに至った経緯を話せばくなる。 幼稚園、小学校、中学校とずっと一緒だったが高校は別。みはなはミッション系の名門女子高に進み、康太は公立校に進んだ。大学も別々だったが、社会人になってしばらくした頃に同窓会で再会を果たし、彼から交際を申し込まれたのである。 「その本は?」 「来週読み聞かせをするの」 「結婚式の控え室まで持ってくるこたねェだろ」 「お守りがわりだよ。一番好きな本なの」 現在はみはなは絵本朗読のボランティアに参加している。 図書館の児童書コーナーや本屋のフロア、あるいは幼稚園や小学校に出張して絵本の読み聞かせを行うのだ。鏡に面したカウンターに伏せられた絵本のタイトルは「雪の女王」……みはなが子供の頃から親しんだ、いちばん大好きな童話だ。表紙には橇にのって吹雪の森を駆け抜けていく男の子と女の子が描かれている。 「雪の女王」は思い出深い本だ。 大好きな人たちとの縁を結んでくれた宝物。 「今度行くのは悦巳さんがいた養護施設なの。後輩たちをよろしくって頼まれちゃったら手抜きはできないでしょ、みんな喜んでくれるといいな」 「だな」 家政夫の名前を口に出す時のみはなは嬉しそうで、ちょっと妬ける。康太は花嫁の後ろに立ち、肩から腕を回して抱きしめる。みはなは気恥ずかしげに微笑んで康太の片腕をとって揺らす。 「みんなきてくれてよかった」 「欠席は一人もいない」 「安藤さんと大志さんのデュエット楽しみだね」 「いや、俺はギリギリまで止めたんだけど……本気?」 「もちろん、私たちのために歌ってくれるんだよ。止められるわけないじゃない」 「友人代表スピーチは岡田さんだよな」 「私が子供の頃書いた作文のエピソード話すって聞かなくて、あっちこそ止めてほしい」 「『わたしの家族』だったっけ?いいタイトルじゃんストレートで、歴史に残る名文だ」 「声に出して読まれたら蒸発したくなるもん」 無自覚に語尾ですねて甘える。そんな花嫁を可愛くてたまらない様子でからめとり、手の甲でベールを上げた頬にキスをする。みはなはふくれる。 「やめてってば、お化粧とれちゃうんでしょ」 「ごめん我慢できなくて。そろそろ行くぞ」 「うん」 「新郎新婦様、こちらです」 ちょうど係員が呼びに来た。互いの目を見詰めて微笑み合い、手を繋いで出ていく。控え室のカウンターから仲睦まじいカイとゲルダが見送っている。康太と並んで廊下を歩きながら、心の中でおまじないを唱える。 ばらのはな さきてはちりぬ おさな子エス やがてあおがん 結婚式のクライマックスにはキャンドルサービスが組み込まれている。新郎新婦が招待客のテーブルを回り、共同作業でキャンドルに火をともすロマンチックなイベントだ。 「知ってるっすか誠一さん、キャンドルサービスには闇や悪霊を払って聖なる天使を呼ぶ尊い炎って意味もあるんすよ」 結婚式の進行表を見返してはしゃぐ悦巳の隣で、誠一はあきれはてため息を吐く。 「常識だろ?もちろん知ってる、むしろこの場で知らなかったのはお前だけじゃないか」 「ンなことねっすよ、たぶん大志も知らないっす」 「友達を巻き込むんじゃない」 「でもホント最高だったっすねー飯もうまかったし。友人代表スピーチはうるっときちゃいました、その後の大志とアンディのデュエットで吹っ飛んだけど」 「お前はずっと号泣してたじゃないか、アラフォーが鼻水たらすんじゃない」 「誠一さんだってうるうるしてたっしょ、見逃さねっすよ俺は!美香さんの方が大泣きしてたから目立たなかったけど、新婦のスピーチの時感極まって唇噛んでたじゃねっすか。人前で膝から崩れ落ちて泣き出すんじゃねーかヒヤヒヤしました」 「そんな醜態さらすわけないだろ」 「やっぱヘアバンドしてくりゃよかったすっかね、涙目隠すのに便利なのに」 悦巳は笑っていた。今日は二人ともオーダーメイドのスーツで出席している。家政夫と社長の左手薬指には、ダイヤよりなお尊いジルコニアがペアで輝いていた。 悦巳が児玉家に来てから二十年以上、初めて会った時は幼稚園児だったみはなも立派に成長した。そのぶん誠一と悦巳も年をとるのは否めない。 誠一はちらほらまじりだした白髪を染め直し、悦巳は本来の黒髪で愛娘の結婚式に出席した。 人には若作りだのまだ二十代でイケるとおだてられるが朝に洗面台の鏡と向き合うと老け込んだよなと痛感する。三本並んでコップに入っていた歯ブラシは二本に減った。みはなが使っていた日用品および雑貨は康太と住む新居に移動済みだ。 黒髪に戻っても終ぞ口調は改まらなかった悦巳が、仏頂面の誠一を間近で覗き込んでニヤケる。 「本当に康太くんにやっちゃってよかったんですか、内心悔やんでないっすか?」 「まさか」 「お前なんかに大事な娘はやらんって殴り込んでったり」 「娘の結婚式を台無しにしたくない」 「ちぇー」 「そもそもみはなが選んで俺とお前が認めた男に間違いがあるはずない」 誠一の発言に虚を衝かれたあと、悦巳がとろけるような笑顔を見せる。夫婦として、家族として歩んできた時間の長さを感じさせる幸せ一杯の表情。 「ま、そっすね」 『これよりキャンドルサービスを始めます。お色直しを終えた新郎新婦が入場しますので、皆さん盛大な拍手でお迎えください』 マイクを持った係員が華やいだ声で盛り上げ、招待客一同温かい拍手を送る。悦巳と誠一も同時に手を叩く。 お色直しを終えたみはなは薔薇の花びらにも見える淡いピンクのドレスを纏っていた。純白のドレスとはまた異なる可憐さに誰もが感嘆の吐息をもらす。誠一が遠い目をして薄く笑む。 「ばあさんが好きだった薔薇を思い出す。品種名はブライダル・ピンクだったか」 「ぴったりっすね。そーいやお色直しには『相手の家に染まる』って意味もあるんだそうです」 「少し癪に障るな」 うっかり本音を零す。 急激に明かりが落ち、ムーディーな間接照明が式場を塗り替えていく。新郎新婦が手を携えたキャンドルトーチの先端では暖色の炎が燃えている。 春薔薇の妖精さながら装ったみはなは康太と腕を組んでテーブルの間を練り歩き、招待客たちと親しげに言葉を交わしている。優しく微笑む横顔には五歳の頃の面影が生きていた。 「甘えん坊さんだったのに、今じゃすっかりお姉さんっすね」 「俺たちも老けたな」 「言わないでくださいっす」 「白髪がまじってるぞ」 「マジで!?即抜かなきゃ、って暗くてよく見えねーし!絶対嘘っしょ、なんでこの暗闇で一本二本の白髪の有無がわかるんすか鑑定人っすか!」 「だまされる奴がバカなんだ」 皆がみはなを祝福する。アンディが男泣きをし大志が鼻を啜り、美香が肩を抱き寄せて何かを囁く。旦那を上手くコントロールする秘訣でも教えているのかもしれない。楓は夫と娘を連れて出席し、幹子と充も涙ぐんでいる。 こんな日がくるなんてあの時は考えられなかった。 何も持っていなかった十九歳の頃、そして今。悦巳がたっぷりの愛情を注いで育てた娘は美しく花開き、人生最良の日を迎えた。 オレンジがかった炎をテーブルに分け与えていくみはなと康太を見守りながらテーブルの下に手をもぐらせ、すぐ隣の誠一の手をそっと握り締める。 「長い間お疲れさまっす、お父さん」 「お前もな」 子育ては漸くひと段落だ。安堵を上回る寂しさが押し寄せ、鼻の奥がツンとする。 どんなに愛していてもだからこそ手放さなけばいけない時がくる。 愛しているからこそ胸を張って送り出さねばいけない。 キャンドルがささやかなしるべとなる暗闇の中を粛々と巡り歩む新郎新婦。最後の最後に誠一と悦巳のテーブルに赴き、挨拶を述べる。 「今日はきてくれてありがとうございました、悦巳さんと誠一さん」 「水くさいっすよ康太くん。そこはほらもっと別の呼び方があるんじゃねっすかほらほら」 「やめろ恥ずかしい」 「それじゃあお義父さんたち。みはなさんは俺が幸せにします」 パートナーを片手で押さえる誠一に苦笑いして康太が約束すれば、ふいに悦巳が真顔になる。 「ちっちっちっ。康太くんは思い違いしてます。幸せっていうのは誰かにしてもらうものじゃねっす、ふたり一緒になるもんっす」 「悦巳さんの言うとおりよ、自分の幸せを人まかせにするのはずるい」 「はは……肝に銘じます。改めて、みはなさんと一緒に幸せになります」 「はなまるの答えっすね」 康太が姿勢を正して宣言すれば、漸く納得したように身を引いた悦巳が笑顔に寂しげな色をまぜる。彼の中では康太もみはなもまだ小さい子供なのかもしれない。 今度はみはなが一歩前に出て、誠一と悦巳に向き直る。 「お父さん、悦巳さん。今まで育ててくれてありがとうございました」 「ああ」 むすっと答える誠一の脇腹を肘で小突き、悦巳が睨みを利かせる。誠一は降参し、不器用に微笑む。尽きせぬ父性愛が染み出た笑顔だ。 「……キレイだよ、みはな」 「『世界一』がぬけてるっす」 「うるさい」 照れる誠一をからかいながらも一抹の哀愁を拭えない。思春期に入った頃から呼び方が変わり、えっちゃんは悦巳さんになった。仕方ないとわかっていてもやはり寂しい。 台所で料理中に纏わり付いてきたみはな、ちょこんと膝に抱っこされていたみはな、一緒に洗濯物を畳んだみはな、並んで歯磨きしたみはな、幼稚園の送り迎えの時に手を繋いだみはな……無邪気に甘えてくれた少女が遠くへ行ってしまったようで、どうしようもない喪失感に胸が疼く。 それでも悦巳は。 「幸せになるんすよ、みはなさん」 「えっちゃん……」 「さん」がとれて「ちゃん」に戻り、二十年の歳月が一瞬で巻き戻される。みはなの目から一粒透明な涙がこぼれ、手の甲で弾ける。誠一が目を驚きに見張る。康太が切なげに唇を噛む。不意を打たれた悦巳の顔を炎が照らす。 「いっぱいいっぱい幸せになります」 キャンドルは献身的な愛、あるいは無償の愛を意味する。暗いところを照らし、寒いところを温める一方で使えば使うほど小さくなっていくそれは、身を削って周りに尽くす愛情の象徴だ。 もらったぶんを返しきれなくても自分が幸せになることで少しでも報われるならと信じ、瞬きで涙を追い出して言いきる。 「私はずっと二人の娘です。えっちゃんとお父さんに負けない最強の夫婦になって、康太くんとバタバタしながら家族を作っていきます。だからずっと元気で見守ってください」 テーブル中央のキャンドルの炎が誠一と悦巳の顔を照らす。暗闇に咲くブライダル・ピンク、世界一美しい花。 悦巳の顔がくしゃりと歪み、泣き笑いに似た情けない表情に変化する。 「……はは。花嫁の父親ってこんな気持ちだったんすね」 「今さら遅いですよ」 「本当に今さらだな」 みはなと誠一が共犯めいた笑みを交わし、新しく家族に加わった康太が優しい目をする。 「お父さん、えっちゃん、大好き」 何も持たなかった青年が家政夫から御曹司に、そして親になった。何も愛せなかった男が経営者から親になった。二人に愛情を与えられた女の子はもうひとりぽっちではなくなった、名前にこめられた願いのとおり美しく咲いている。 「ほらな、俺たちの娘はいい子だろ。父親の育て方がよかったんだ」 誇らしげにのろける誠一を見上げ、ジルコニアのペアリングがきらめく手をテーブル下で握り合い、悦巳が聞く。 「どっちのっすか?」 「決まってる。両方だ」 そんなハッピーエンドの話。

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