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頭から食べるか尻から食べるか
「先日はお世話になりました。こちらせめてもの気持ちです」
気色悪いほどのよそ行き笑顔で玉城がさしだしたのは、綺麗に包装された東京銘菓ひよ子の箱。
東京バナナと並んで有名な土産もので、おのぼりさんが嬉々として買っていく和菓子の代表格だ。ちなみに新宿駅構内の売店でも手軽に買える。
腰を直角90度に近く折り曲げて仰々しくひよ子を献上する玉城を一瞥、縄張りにしている新宿駅14番線ホームのプラスチック椅子に座った俺は、警戒心を剥き出して憤然と腕を組む。
「先日?心当たり多すぎてどれのこと言ってんだかさっぱりだな」
「新宿二丁目のラブホテル『毘沙門天』にアベックを装って張り込み、裏ビデオ業者を摘発したあの一件ですよ。善意のご助力まことに感謝致します」
「白昼堂々駅のホームでラブホとかぬかすな、恥はねえのか恥は。ンなもん質に入れてとっくに流れてるか」
「おかげ様で無事書類送検も済み新宿の風紀を正せました。まあ1件潰したところで雨後の筍のように生えてくるのが悩み所ですが」
「刑事ってのも因果な商売だな」
「スリ師に負けず劣らず難儀ですよ。ともあれ、感謝はちゃんと形にして示しませんとね。羽生さんの熱のこもった名演のおかげで怪しまれる事なく職務をまっとうできましたし」
「思い出したくねえ。忘れろ」
苦りきった顔で頬杖付いてぶすくれる。
玉城は神出鬼没だ。携帯のGPSで俺を尾行してんじゃないかと疑いたくなる位に、呼んでもねえのに現れる。
今日も新宿駅のホームで獲物を物色してたところまんまと取っ捕まり、先日の礼の建前の長話に付き合わされる羽目になった。なまじ余罪があるもんで強く出れねえ我が身が恨めしい。
勝手知ったる14番線ホーム、自販機横の椅子にふんぞり返って足を組み、ひよ子を両手でさしだしたままの刑事を皮肉ってやる。
「本当に感謝してんなら金一封が欲しいね」
「いち刑事の身で民間人に賄賂を贈ったら逮捕されますのでご容赦を」
「大体ひよ子って、それ階段下りたとこの売店で買った間に合わせだろ。せめて虎屋のどら焼き持参する誠意見せろよ」
「粒あんって喉乾きません?歯に小豆が挟まりますし。ひよ子なら見た目も愛くるしいですし、中は白いんげんを濾した黄味あんで口あたりも優しいです」
ひよ子推しがすごい玉城。
「へー。お前にもカワイイ小動物に萌える人の心があったんだな」
「まあ本当いうと虎屋の行列に並ぶ労力と時間を惜しんだだけですが」
「前言撤回」
「受け取ってもらえないなら仕方ありません、こちらは署の同僚と分けることにします」
玉城が残念そうにため息して引っ込めかけた箱を咄嗟に掴む。
「いらねーとは言ってねえだろ」
「食べるんですね?」
ぐぐぐと箱を掴んで引っ張り合えば、玉城の野郎が「してやったり」と策士めいたあくどい笑顔を見せる。ぶっちゃけ業腹だがひよ子に罪はねえ、人の腹におさまる前にとっとと食っちまうに限る。
玉城から取り返した箱をいざ膝に置き直し、乱暴に包装を破り捨てる。
銀縁眼鏡の奥で神経質に柳眉を逆立てた玉城が、俺の手際にうるさく注意をとばす。
「もっと綺麗に剥がしてください、再利用できないじゃないですか」
「俺が貰ったんだから俺の物。ってか再利用って何使うんだよ、包んで返す物なんてねーよ」
「手包みで愛情こめた羽生さんの誠意とかいかがです」
「使用済みティッシュで十分」
セロテープをいちいちこそぎ取るのが面倒くさく、包装紙を手荒く引き裂いてそばの屑籠に放りこめば、玉城がさも嘆かわしげにかぶりを振って許可も出してねえのに俺の隣に腰かける。
「勝手に座んなしっしっ」
「いいじゃないですか空いてるんだから」
「せめて1つ、いや2つ離れろ。お前とダチだと誤解されたら俺の人生おしまいだ」
「ご安心ください。上から下まできちんとアイロンがけしたスーツを着込んだ私と、色落ちしたシャツとスラックス姿のあなたとが並んだどころで、サラリーマン金融の窓口係に付き添われて現金を下ろしに行く利用者にしか見えませんから。誤解を受けて終わるのはむしろ私の人生なので自己責任です」
「妙にリアルな具体例出すのやめろよへこむから……」
玉城の言い分も一理ある。ケチなスリ師とプライベートで付き合いあるのがバレて困るのはコイツの方だ、公私混同の事実はキャリア組出身のエリートの立場を危うくするはずだ。
なのになんで俺に構うのか理解に苦しむ。
「ここで開けるので?」
「お前は信用できねえ。ハズレ掴まされて恥かくのはこりごりだ、中身検めさせてもらうぜ」
「傷付きますねえ。心配なさらないでも中身はちゃと食べられる物ですよ、賞味期限も大丈夫ですし」
「蓋開けたら大人の玩具とか入ってるに決まってる。お前はそーゆー人の期待をけちょんけちょんにするふざけたサプライズを仕掛けるヤツだ」
六角形の箱の蓋を開けると中心に一個、周囲に六個、白い和紙に包まれたひよ子が行儀よく並んでいる。
俺の予想を裏切り、中身はちゃんとひよこの形をしていたがまだ油断できねえ。世の中にゃ外見詐欺って言葉もある。
和紙を剥がしてひよこを取り出し、念の為尻からひとかじり。すると口の中に黄味あんのまろやかな甘みが広がり、脆く繊細に焼き上げた薄皮がほろほろと崩れていく。
「間違いねえ。ひよ子だ」
「何故尻から」
「たい焼きも尻から食べる派だけど文句あっか」
横から伸びてきた手がすかさず一個を掴み、和紙を剥くや否や円らな目をしたひよ子に頭からかぶり付く。
「久しぶりに食べると美味ですねえ。お茶がほしいところです」
「頭から行く派か……エゲツねえ食い方しやがって」
「もしや羽生さん、ひよ子と目が合うと可哀想だから頭から食べられない派ですか」
図星だ。
玉城は実に感じよく笑い、ひよ子への同情からムッツリ尻をかじる俺を慰めるようにくどさ全開の講釈をたれる。
「包丁を入れて断面図をご覧になればわかりますが、ひよ子は白インゲン豆から作られる黄身餡を小麦粉と卵を練った皮で包んだただのお菓子ですよ。昔は一つ一つ焼き鏝で目を入れてたんですが今はレーザーによる流れ作業だそうで、シームレスな時代の変遷といえばそれまでですがマシナリーな利便性を追求するあまり古き良き職人芸が失われてしまうのは世知辛い話です」
「断面図とかしれっと言うんじゃねえ、お前には人の心ってもんがねえのか……そういやなかったな」
ドン引く俺をよそに玉城はあっというまに一個目をたいらげて、図々しくも二個目に手を伸ばす。
「待てよ、俺への詫びの品をお前がたいらげてどうする」
「お金を出したのは私なので半分は食べる権利があります」
「領収書切って経理課に出しゃいいだろ」
「民間人への賄賂の贈与は禁じられています、故にひよ子に自腹を切ります」
堂々と言いきってひよ子に舌鼓を打ちやがる玉城に負けじと、俺も尻からひよ子を食らいまくる。
乗車と下車を促すアナウンスが鳴り響く新宿駅14番線のホームにて、プラスチックの待合椅子に大の男が並んで腰かけ、昼っぱらからひよ子を貪る絵面が利用者にどう映るかはできるだけ考えないようにする。
『14番線に列車が到着します、お乗りの方は白線の内側まで下がってお待ちください』
車掌のアナウンスが響いてふとよそ見し、再び膝上の箱を覗きこんで唖然とする。
なんと、箱の中心のひよ子たった一匹だけになっているではないか。
「玉城、お前半分以上食ったろ?」
「ご冗談を、羽生さんの方が多く召し上がられてますよ」
「しらばっくれんのか」
「上の空でむさぼっておられましたから、ご自身の手癖の悪さに気付かなかったのではないでしょうか」
「食いしんぼ万歳な上にいやしんぼ犯罪の二重苦か俺は。さすがに食ったら気付くっての」
「羽生さんはご自分への理解が足りてませんよ。あなたの右手は荒ぶるハブと一緒、美味しい物が目の前にあればひとりでに動いて仕留めるんですよ。サラリーマンの尻の財布しかり箱の中のひよ子しかりね」
「大体人への贈答品に手え付けるってなあどーゆー了見だ、俺への詫びの品じゃなかったのか」
「とはいえよくよく考えれば羽生さんは余罪持ちの前科犯、今この場にいるのも一般人の財布を物色する為。敵に塩を送る行為は美談ですがハブにひよ子を送っても冷血の極みで丸呑みされるだけ、しかもそのハブは罪なき人々に毒牙を剥いて噛み付こうとしているのです。ならば差し引きゼロなのでは?」
「丸呑みしてんのはテメェだろ冷血断面図野郎」
憎たらしくそらっとぼける玉城にむきになって食い下がるが、その時14番線ホームに電車が滑りこんできて、生温かい突風がお互いの前髪を舞い上げる。
「おっと」
最後の一個が残った箱が傾いで滑り落ちかけ、反射的に手を伸ばす。箱を掴んだ俺の手に同じく伸びた玉城の手が重なり、至近距離で互いの顔と向き合ってから、なんとなくバツが悪くてそっぽを向く。
「……いいよ、やるよ」
椅子に戻った俺は口を尖らせ、最後の一個のひよ子を玉城に投げる。てのひらで受けた玉城が少し意外そうに瞬き、斜に構えた俺に聞く。
「負けず嫌いな羽生さんが一体どういう風の吹き回しで?」
「ひよ子一個で喧嘩すんのも馬鹿らしいし。お前が買ったんだからお前が食え」
玉城と手が触れ合った瞬間、胸裏でせこい打算が働いた。
ぶっちゃけ不満がないと言えば嘘になるが、ここはあえてポーカーフェイスで虚勢を張り、最後の一個を譲る度量を示して玉城の優位に立ってやる。
「さーどうぞ。がぶっといけがぶっと。血も涙も容赦もなく、遠慮会釈も人道もなく、かわいくてかわそうなひよ子ちゃんを一口で食らいやがれ」
未練たらたら……もとい、恩着せがましく手の甲で急き立てる俺をよそに思案げに黙り込んだ玉城は、几帳面な手付きで白い和紙を剥き、愛くるしいひよ子をてのひらにのっける。
「ではお言葉に甘えて」
「!?」
俺が見ている前でひよ子を胴体から半分こにする。
「これが断面図です」
絶句する俺の片手に半分を押し付け、もう半分をにこやかに頬張って嚥下する羽生に対し、俺は白い餡が詰まった断面をさらすひよ子を持て余して呻く。
「……血も涙も情もねえ」
「半分こにしてさしあげたのですから情はある方だと思いますが」
ひよ子の片割れを一口で食べる俺を生温かく見守り、手と口元をハンカチでお上品に拭き浄めた玉城がいけしゃあしゃあのたまいやがる。
「2人で食べるとおいしいですね、羽生さん」
「……喉渇いた。綾鷹おごれ」
「承りました」
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