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S・I・V 前
聞いて驚け、最近の吸血鬼は日光に耐性がついたんだとさ。
「あー。たるー」
青い空へと一筋紫煙が立ち昇っていく。
ご機嫌うるわしい陽気とのどかな光景があくびを誘い、眠たげにぼやく。
「そもそも完全禁煙制っても法的拘束力はないんだよなー。言わぬが華だけど」
今はサボり……じゃなくて、心の洗濯喫煙タイム。
選んだ場所は最近のお気に入り、気持ちいい風が吹くコンクリ張りの屋上。
教師だって一日中授業してるわけじゃない、時間割の調整で体が空くこともある。
そう、俺たちは聖人君子じゃない。
よく言うけど、教師である前に人間なのだ。もちろん、人並みに性欲だってありますよ?
目に染みる青空とマシマロ雲を眺め、一種の感慨に耽る。
休み時間に屋上でぷかぷか煙草を吹かす不良教師もいれば、軽薄でナンパな若造を煙たがる団塊世代の先生方もいらっしゃるわけで、正式に教職についてまだ二ヶ月も経ってない俺は、派閥争いだの何だの面倒くさい人間関係に巻き込まれるの嫌さに適当な口実をもうけ外をふらつくのが習慣になっている。
「教師、向いてなかったかな……」
そもそも、教師ってもっと情熱あるやつがなるもんだと思う。
俺みたいに周りに流されてなんとなく、夢も目的も野望もなく、お前はちゃらんぽらんでてきとーな人間だからせめて食いっぱぐれる心配ない職業につけと親に説得され、補講に補講を重ね教員免許を取得したようなやつは、きっと教師を名乗る資格がないだろう。
軽快な着メロが憂鬱な思考を払う。
ズボンに突っ込んだ携帯を開いてメールチェック、送信者の名前に自然と鼻の下がのびちまう。
先日、大学の同期と合コンした際に知り合った女の子からメールが来てた。
「よっしゃ」
心の中でガッツポーズ、でれでれだらしなくにやけまくってメールに目を通していく。
『こないだの合コン楽しかったー小山内くんて面白いねー今度また飲もうよ(できればふたりで)』
おおまかに要約するとそんな内容で、おお脈ありじゃんさすが俺、女受け上々と、世のモテない男どもから袋叩きされそうな優越感に酔って自画自賛。
俺も楽しかったよと返信を打とうとして、どこからかかすかに流れる異音に気付く。
ずずっ、ずずっと、どこからかなにかを啜る音が聞こえてくる。
「……誰だ、屋上でラーメン食ってんのは」
まさか。
職寝室ならともかくここは屋上で、しかもラーメン屋が高校に出前に来るとかありえなくて。
じゃああの音はなんだ一体?
奇妙な音に興味を引かれ、携帯をしまう。大きく迂回しつつ、音源に赴く。
正体不明の音は隆々とそそりたつ巨大な給水塔のうしろから聞こえてくる。
給水塔の壁面に手をつき、抜き足差し足忍び足でのぞきこむ。
最初に声をかけりゃいいものを、わざわざスパイのような真似をしたのはほんの遊び心。
「誰だ、午前中からラーメン啜ってんのは?罰としてナルト没収……」
笑顔が硬直。
給水塔の、裏。
心臓の弱い人にはおすすめしない、スプラッタな光景が広がっていた。
まず真っ先に飛び込んできたのはブレザーの華奢な背中で、そいつは俺に背中を向け片膝ついて誰かを抱いていて、その誰かは紺のプリーツスカートからすんなり伸びた足を見るにうちの生徒で……
待て、どういうことだ。
ずるずると美味しそうな音がする。液体状の何かを啜る音。
仰向けに寝かせて抱いた生徒の首に口をつけ、ずるずる啜るものといったらただひとつ。
「ひっ………」
腰が抜ける。尻餅つく音でこっちをむく。
金髪翠眼の、おっそろしくキレイな顔があった。
「あれ、先生。困ったなあ、まずいとこ見られちゃった」
そいつは悪びれずにっこり笑う。
口元にべっとり血がこびりついてなきゃ、天使のようなと形容したい、神々しい笑み。
記憶を検索し顔と名前を照合、戦慄く指先でそいつをさしつつあとじさる。
口がぱくつく。酸欠に陥る一歩手前で喘ぐように深呼吸、固い唾を嚥下。
「えっ……と、お前、二年一組の、名前……」
「ステヴァン・パイヤーです。出席番号は八番。ご希望なら生年月日血液型スリーサイズ好きなお笑い芸人も教えますが」
腰が抜けた俺と対峙する少年の名前は、ステヴァン。
今年から二年に編入したハーフの少年で、背景に薔薇でも散らしたい耽美な容貌で全校女子を騒がせている。煙るように長い睫毛が物憂く影を落とす頬はアラバスターの白さ。絹のような質感の金髪は丁寧に巻かれ柔らかに顔の輪郭を縁取り、謙遜するような微笑みは実に感じが良い。
最前までひとの血を吸ってなけりゃの話だ。
「お前なにしてんだ?!死、死、血……」
「気絶してるだけですのでご心配なく。そのうち目覚めます。念のため保健室に運びますか?貧血って診断されるでしょうけど」
安心させるように微笑む。落ち着き払った口調に激しい違和感を抱く。
口元の血のせいか酷薄で邪悪な色の瞳のせいか、どことなくアルカイックでミステリアスな笑みを浮かべるステヴァンを突き飛ばし、その腕から生徒を奪う。
大丈夫、息はある。
耳をつけ、心臓がちゃんと動いてるのを確かめほっとする。本当に気絶してるだけみたいだ。
腕の中でぐったりする女生徒をざっと観察、しどけなくめくれたスカートを目を逸らし直す傍ら、項垂れた首筋に開いた一対の穴に着目。
鋭利な牙で突き破られた皮膚から新鮮な血が零れる。
「!!お前っ、なにしたっ」
犯人候補はひとりしかいない。
声を荒げ詰問する俺をよそに、ステヴァンは優雅に腰を上げ、そしてー……
「鉄分補給ですよ、小山内センセ」
吊り上げた唇の端から、異様に発達した真珠色の犬歯を覗かせ、哂う。
人間にはありえない長さ鋭さの立派な牙。
「~っ!?」
魂切る悲鳴をあげ四つんばいで逃走、しかけ慌てて逆戻り、動転のあまり放り出した女生徒を拾う。女生徒をひきずるようにして這う背中に視線を感じる、ステヴァンがそこはかとなく不気味さ漂う笑顔で俺を眺め小声で何かを呟く。
太陽の逆光になった顔に、牙の存在感をいっそう際立てる耽美な陰影がつく。
「………口封じ」
物騒な単語に全身の産毛が静電気を孕んで逆立つ。
給水塔の威圧と逆光の効果を背負って、得体の知れぬ魔性のオーラを纏うステヴァンの瞳孔が、猫のそれのように縦長に収縮する。
屋上を全力疾走で突っ切り、ゴールの鉄扉を蹴り開けて転げこむ。
「牙、生えてたよな。血、吸ってたよな。つーことはあれは……」
吸血鬼。
鉄扉を閉めた途端体の力が抜け、へなへなとその場に崩れ落ちた。
「二年一組のステヴァン・パイヤーですか。知ってるもなにも校内一の有名人ですよ、彼」
隣の机の萩尾先生がテストを採点しつつ言う。
女生徒を保健室に預け職寝室に戻るや、早速ベテラン女教師を掴まえて、情報収集を開始した。
さいわい犠牲者、もとい被害者の女生徒は気絶してるだけで命に別状なし。
少し貧血の症状を呈してる他に異常はないそうで、非力な校医の指示を受け、彼女をベッドに寝かせようとしたまさにその瞬間にぱっちり目を開けて「超セクハラ!!」とビンタをくれるだけの元気があった。セクハラ言うならそんな短いスカートはくな、校則違反だ。
右頬に真っ赤なもみじを咲かせ、萩尾先生の話に耳を傾ける。
「父親は俳優上がりの映画監督、母親は日本人女性。幼い頃に両親が離婚して以来ずっと父子家庭で暮らしてたんですけど、両親が再婚して、今年から日本に移住したんだそうです。うちの二年に編入しました」
「ずっと海外暮らし?日本語ぺらぺらでしたよ」
「英才教育のたまものでしょう。もしくはよほど環境への適応力が高いのか」
二年一組のステヴァン・パイヤー。
授業で何回か顔をあわせたが特別意識してなかった。だって男だし。
「成績は上々、テスト順位は常にトップ10内。おまけにものすごい美少年でしょう、ウイーン少年合唱団にいそうな」
「少年合唱団に入るにはとうがたちすぎてるんじゃないかな……」
「特に女子の人気がすごい。彼はスマートな紳士ですから歩く時は常に女子に譲り、あらかじめドアを開けておく。そういうふうにジェントリにエスコートするんです」
「キザなやつだなあ」
父親の名前を聞き、合点がいく。
恋愛映画の巨匠として絶賛される大物監督だった。
「待ってください、そんな有名人のご子息がなんだってこんな偏差値中の下の平凡な公立校に」
「お世話になってる職場にむかって失礼ですよ」
萩尾先生に注意され、反省のふりだけ。いや、だって事実だし。
「よくわからないけど、彼にも色々事情があるんじゃないですかね。気になるなら本人に聞いてみたらどうですか?」
つれなくそう言って話を打ち切る。
「それができれば苦労しません……」
しょげて頬杖をつく。
白髪まじりの髪をきつくひっつめた、化粧気のないオールドミスの横顔をちら見。
緊張に乾いた唇をなめ、タイミングを見計らい、聞く。
「ところで、萩尾先生の授業中ステヴァンは不審な行動をとったりしませんか」
「不審な行動?カンニング疑惑ですか」
風紀に厳格な萩尾先生の顔がにわかに真剣みを増す。
険のある目つきで一瞥、背筋を伸ばしてペンを置く。
「いえいえ、そういうんじゃなくて」
「煙草?覚せい剤?携帯ゲーム機持ち込み?」
眉間の皺がどんどん深くなっていく。
目元が神経質に引き攣り、今にも亀裂が生じそう。
生徒の一人に校則違反の疑惑が持ち上がるやがぜん興味を示し、セルフレームのメガネを押し上げ詰め寄る剣幕にたじろぐ。
「ひょっとして大麻ですか、むこうの高校では遊び感覚で普通に吸うとか……ああ、なんておぞましい退廃文化。偏見は持ちたくないけどお父さまが映画監督だとやっぱりインスピ得るために大麻を吸うのは日常で、息子の彼も影響されて」
萩尾先生こそ何の雑誌に影響されてるんだろう。意外とミーハーだこの人。
慌てて手を振って妄想を打ち消し、軌道修正を図る。
「いえいえ大麻じゃなくて!たとえばですね、女子と話すときに物欲しげに首筋を見てるとか、やたら首筋にさわるとか、噛み癖があるとか」
「犬猫じゃあるまいし」
萩尾の体からすっと殺気が抜ける。
興味が失せたように椅子を引いて自分のデスクに戻る。
「私が見る限りそんなの全然ありません。だいいち異性と話すときに首筋の一点見つめて動かないなんてふしだらです」
「ですよねー……」
胸ならわかるけど首でもセクハラなのだろうか。判定きびしい。
萩尾先生はメガネをはずしレンズを拭く。近眼、いや老眼?
「質問の意図が不明確です。一体ステヴァンくんの何を知りたいんですか」
吸血鬼か否か、そして願わくば身を守る方法を知りたい……なんて、口が裂けても言えない。こっちの正気を疑われる。
屋上で衝撃の出会いをしてから一時間後、間の悪い事に次は問題の二年一組の授業。
予鈴が鳴る。びくりとする。
職員室で茶飲み話に興じていた先生方が一人また一人と予鈴につられ席を立ち、教科書やレジュメ小脇に教室へ向かう。
萩尾先生も席を立つ。
採点済みの答案を束ねてまとめ胸に抱き、ついでのように言う。
「小山内先生も早くしないと。先生が遅刻なんて生徒にしめしがつきませんから、いつまでも学生気分でいられちゃ困ります」
あとはもう振り返りもせず、職寝室を出て行く。
ああ、憂鬱だ。
「吸血鬼の苦手なものってなんだっけ……そうだ、にんにく!」
がらりと引き出しをあけ、そこに常備しといた栄養ドリンクの中からにんにくエキスが入った一本を一気飲み。
「うー、効っくう」
これから吸血鬼に会いに行く。
「で、百年戦争の影の主役といえばジャンヌ・ダルクだが、彼女は魔女裁判にかけられた悲劇の乙女でもある。別名オルレアンの乙女。このオルレアンってのは百年戦争の趨勢を喫する要衝の町の名前で、ジャンヌが勇敢に仲間を率い守り抜いた町。ジャンヌの名はこの戦いを機に一気に認められるようになったわけ」
俺の担当は世界史。
本筋からずれているのを承知で、ジャンヌの武勲と数奇で悲劇的な人生について講釈をたれる。
ジャンヌ・ダルクの生涯については別に受験にもテストにも出ないが、かといって、年号と地名と人名だけを暗記させるような無味乾燥な授業じゃあ退屈を誘うだろう。教師もサービス業だしね。
教壇に立ち、一息ついてぐるりを見回す。
「ここまで、何か質問は」
「はぁいせんせー」
最前列の女子が挙手。
「なんだ安達」
「せんせー彼女いますかあ」
「残念だが、特定の彼女はいない」
「じゃあ私りっこうほしちゃおっかな」
「十八歳以下のガキに興味はない。ちなみに十八歳でも高校生は論外、教員免許剥奪されるから」
「先生の腰抜けー」
「ちきんー」
「セクハラ教師ー」
たちまちふざけた非難があがる。セクハラは冤罪です。
若い教師をからかって遊ぶハイテンションな女子高生どもをてきとうにあしらいつつ、目でステヴァンを追う。
ステヴァンは真面目にノートをとる、ふりをしていた。
俺にはわかる、あれはふりだ。
板書の最中、背中とうなじに異様な視線を感じた。犯人はあいつだ。
へたに振り向いたらあの猫みたく瞳孔が縦に細まった気色悪い瞳とかちあう気がして、勢いとって食われそうな予感がして、黒板全体をチョークの字で埋め尽くすまで振り向く決心がつかなかった。
生徒にばれないようため息ひとつ、教壇に両手をつき前傾し平静を装う。
「他に質問はないか。ないなら次、百年戦争後のフランスの政治的変化について」
すっと手が挙がる。白鳥の首のように優美で洗練された動き。
「小山内先生は、どうしてジャンヌが火刑に処されたかご存知ですか」
丁寧な敬語。非の打ち所ない礼儀正しさ。質問ないかと聞いて、逆に質問された。
「……教師に逆質問とはいい度胸だな」
教室の雰囲気が若干変わる。
それまでうるさく囀っていた女子が口を噤み、居眠りしていた男子がぱちりと目を開け、メールや爪の手入れや枝毛いじりの内職に励んでいたヤツらがそれぞれ比率の違う興味を覚えてステヴァンを見る。
しかもステヴァンのヤツめ、「先生」と呼べばすむところを、あえて「小山内」と名前をつけやがった。
個人的な挑戦状を受けて立つ。
「もちろん、知ってるさ。ジャンヌ・ダルクは少女時代に天啓を受けて出陣した。有名な神の声だ。それで勇敢に戦って味方を大勝利に導いたが、戦況が傾くにつれジャンヌの威光は陰りを見せ始め、敵の捕虜になると同時に魔女の烙印を押された。そして火あぶりに」
途中から笑い声が混じる。
奇妙におもって顔を上げれば、ステヴァンが楽しそうに笑っていた。
「やだなあ先生、わざととぼけてるんですか?ぼくが聞いたのはジャンヌが火刑に処されるまでの経緯じゃなくて、なんで処刑法が火あぶりだったのかって事です」
「なんでって……そりゃお前、魔女だからだろ。当時、魔女裁判で有罪と断定された者は見せしめとして火あぶりにされる決まりで」
「残念ながら、見せしめだけが目的じゃないんです」
ステヴァンが含み笑う。天使のような悪魔の笑顔。
「キリスト教徒にとって火あぶりほど恐ろしい刑罰はない。終末の日、復活したキリストは土の下でねむる死者を蘇生させ神の国に連れて行く。だから向こうは土葬なんです。火あぶりにされれば、神の祝福をうけるべき肉体が完全に灰になる。いくら万能のキリストでも、灰から死者を甦らせるのはむりだ。だから……魔女の烙印を押されたキリスト教徒にとって、火刑ほど恐ろしく残酷な罰はないんです。もちろん、生きながら焼かれる苦痛も凄まじい」
「すごーいステヴァンくん物知りー」
「博学」
「さすがガイジン」
教室のあちこちから無邪気な賞賛があがる。
だが俺は、それよりもステヴァンが発した最後の一言にぎくりとする。
「……灰から復活できるのは、吸血鬼だけですよ」
「えっ、そうなんだ。初めて知った。あれ、でもこないだ読んだ漫画の吸血鬼は灰になったらそのまんまだったよ」
「普通の吸血鬼はね。吸血鬼の中でも始祖と言われる、すべての吸血鬼の長は例外」
「そうなんだー」
「さすが半分ルーマニア人、その手の知識にはくわしいなあ」
「ステヴァンくんひょっとしてオカルトマニア?ねえ、ネッシーてほんとにいるの?」
「いるんじゃないかな」
教師を無視して盛り上がる教室。
ステヴァンはにこやかに周囲の疑問質問に受け答えしつつ、挑発的に俺をうかがう。
屋上で目撃した光景が脳裏にちらつき、心臓が早鐘を打つ。
スピーカーから流れるチャイムが授業の終わりを告げる。
「……おしまい!百年戦争は中間にでるからきちんと勉強しとくように!」
教壇を教科書でひとつ叩き宣言を放つ。
教室に弛緩した空気が流れ、席を立った女子が二、三人まわりに寄って来る。
「せんせーなんかイライラしてない?こないだの合コンうまくいかなかったの?」
「ノーコメント」
「また振られた?」
「ノーコメント」
「なぐさめたげよっか、体で」
「どの部分で?見たところお前の体の使い道なんて二の腕枕しかなさそう」
「ひどっ!!セクハラじゃないの今の!?」
今日も女子高生に大人気。というかお前ら、授業の質問しろ。
一刻も早く教室から出たい、遠ざかりたい。
その一心で女子を振り切り、教室を出る。
足早に廊下を歩く俺の背に、聞き覚えある、二度と聞きたくなかった声がかかる。
「小山内先生」
まただ。「小山内」を強調する呼び方。
振り向くのに、一瞬躊躇を覚える。
誰がそこにいるかわかっていて、無視して逃げたい衝動を辛うじて堪える。
教室から駆け出た生徒が歓声をまきちらし他の教室へ遠征する。
おしゃべりしつつつるんでトイレに行く女子グループが、廊下のど真ん中で立ちすくむ俺をスムーズに避けていく。
「………まだ何かあるのか、パイヤー」
「ファーストネームで呼んでください。かっこ悪くてやなんです、その呼び方」
ステヴァンがはにかむ。
見た目は黄金の巻き毛くるくる、寄宿舎ものの少女漫画にでてきそうな中性的に整った顔立ちの美少年なのに、弧を描く唇の下に搾取と捕食の為の牙を隠し持つ。
「さっきの授業でわからないことあったんで、改めて聞きに行きたいんですけど、いいですか」
「ここで聞けばいいだろう」
「ここじゃちょっと……長くなりそうだし」
唇の端から鋭いきらめきが覗く。
ちょうど俺の首のすぐ近く、ステヴァンさえその気になりゃがぶりとやれる距離。
首筋を妖しくなでる吐息にびくつき、ステヴァンを追い払いたい一心で承る。
「………わかった。あとで来い」
ステヴァンが離れていく。
廊下で立ち話していた友人に合流し、ごく自然に話の輪に加わる。
努めて意識せぬようその横を通り過ぎる際、ステヴァンと友達のおしゃべりがとびこんでくる。
「小山内となに話してたんだ?めずらしい」
「授業でわからないとこあったから教えてもらう約束したんだ。いい人だよ、親切で」
「俺は嫌いだな。女にモテるしてきとーだし、調子が軽いじゃん」
「でもね、ああ見えて意外と口が堅いんだよ。……意外と」
「そういやさ、お前、二組の相原に呼び出されたろ?あいつ、倒れて保健室に運ばれたってうわさだぜ」
「んだよー、まあた振ったのか?相原結構イケてんじゃん、なにが不満なんだ」
「血液型が合わない、かな」
「ステヴァンて血液型占い気にする人?」
「相性っていうか、嗜好の問題」
騙されてる。
俺を除く全校生徒(教師含む)が、猫かぶりの吸血鬼に騙されてる。
その日、結局ステヴァンはたずねてこなかった。
昼休み中も放課後もいつあいつがたずねてくるかとどきどきして仕事が手につかなかったが、杞憂に終わって安堵した。
職員室の先生方に会釈し、すれちがう生徒に片手を挙げて校門に向かいがてら、今日はなんとか無事に乗り越えられそうだけど明日からの日々を考えて欝になる。
これからステヴァンと授業で顔をあわせるたび心臓に汗をかく。
あいつの正体を知ってるのは学校で俺だけ、いや、ひょっとしたら世界中で俺だけかもしれなくて
『口封じ』
去り際、背中に投げかけられた台詞を反芻し、鳥肌立つ。
帰りに百円均一によって十字架のアクセサリーを買い、即身につけた。
気休めでも、なんの対抗策もこうじないよりはましだろう。
まさかその六時間後に、メッキが剥げるとはおもわなかった。
深夜。
住人が寝静まった、夜。
独身者用1LDKマンションのパイプベッドに寝転がって悶々としてた俺を、ピンポンが叩き起こす。
「はい?」
枕元の携帯を開いてデジタル時刻表示を確かめる。
深夜0時、丑三つ時。こんな時間にだれだ?
その日はなかなか寝つけなかった。
昼間屋上で見た光景がよみがえって、牙を剥いてにっこり笑いかけるステヴァンの笑顔が瞼の裏にこびりついて、浅い眠りにおちては悪夢にうなされ絶叫し飛び起きる繰り返しで、精神的にかなりどん底の状態だった。
だから。
寝ぼけた俺が、無防備にドアを開けてしまったとしても、誰も責められまい。
「どなたですか」
「ステヴァンです」
力一杯叩き閉める。
一瞬だけ覗いたドアの向こうに見覚えある少年が闇を背景に立っていて、聖書を売り歩く牧師さながら宗教家くさい笑顔を湛えて、条件反射で身の危険を感じドアを閉じる。
「どうして住所がわかった!?」
「失礼ですが、尾行させていただきました」
「尾行っていつから、学校出てから、あれからもう六時間たって……まさかずっと表で見張ってたのか!?おまっ、夜間外出と不順異性交遊は校則違反だって生徒手帳にのってんの読んでないのか!?」
「大丈夫、家にはちゃんと連絡入れましたから」
「お前の両親はストーキング許可したのか!?」
「むしろ奨励の方向で。ぼくの不注意で例の現場を先生に見られたと言ったら、ちゃんと口封じするまで帰ってくるなと申し付けられました。中世の魔女狩りを例に出すまでもなく、迫害は怖いですから……」
しおらしく言うが、全然ちっとも同情できねえ。
「父は特にナーバスなんです。幼い父を可愛がってくれた叔母の一人が、とある屋敷の住人を狩ったんですが、うら若いメイドにほだされてその子だけ逃がしたら、後日吸血鬼だと噂がながれて……胸を杭で貫かれ、三百四十二年の短い生涯を終えました」
「十分だよ!!」
四つんばいで引き返し、雑誌や脱ぎ散らかした服やインスタントラーメンの空き容器やらで混沌係数が高い室内をあさって、百均で勝ったばかりの十字架のアクセサリーを掴む。
ドアの方でがちゃがちゃ音がする、むりやり鍵をこじ開け入ろうとしている、背中がびっしょり汗をかく、十字架を強く強く握りしめ退散を祈る……
あれ?
そういえば、鍵、かけたっけ。
「まずい!」
弾かれたように駆け戻る。
ドアの鍵はさっき開けたまま、だけどもチェーンが繋がったままでステヴァンは入れない。
貴族的にノックをするステヴァンをよそに、防犯チェーンを二重に掛けなおそうと汗で滑る手で作業を行う間に、呟きが落ちる。
「………しかたないな」
ステヴァンが消失。
「!?うぶあっ、」
ノックを続けていたステヴァンの輪郭が消滅、その肉体を構成する物質が分解、粒子と化して大気に拡散。
闇よりなお黒い漆黒の霧がドアの隙間から流れ込む、両腕で顔を覆う、交差した腕の隙間から暗い室内を透かし見れば雑誌や服が散らかった真ん中で再び凝結し人の写し身をとる。
「お邪魔します」
「い、今のきり、きりきりきり!?」
「ご存知ですか?吸血鬼は時に霧に姿をかえ人の家にもぐりこむのです」
ステヴァンがあっさりネタばらし。
「先生が快く申し出を受けてくれて助かったな。吸血鬼は人に招かれなきゃ家に出入りできないし、結構不便な体質なんです」
『さっきの授業でわからないことあったんで、改めて聞きに行きたいんですけど、いいですか』
「あ……」
てっきり職員室に聞きにくると誤解して、まあ、職寝室なら他に人がたくさんいるし危険もないだろと楽観して請け負ったのが裏目に出た。
まさか直接家にやってくるとは。
「口封じって、俺をどうする気だ?あの女子みたく、啜って食うのか」
「それが一番簡単かな?」
砕けた雰囲気で肩を竦める。部屋にふたりきりになったせいか、徐徐に地が出始めている。
電気をつけない暗闇の中、碧の瞳が夜行性の危険な輝きを放つ。闇の眷属特有の邪悪な精気が、ステヴァンの体から濃厚に漂う。
どうする?
逃げるか、逃げて助けを呼ぶ、そうだそれがいい!
咄嗟に判断、ノブを掴んでドアを開けようとしたが妙な抵抗を覚え狼狽、引いても押しても開かない。
「くそ、なんで突然開かなくなったんだ、まさかこの最悪のタイミングで壊れたのか中古物件め!」
「ノブは無実ですよ」
くすくすと笑う。
そして俺は知るのだ、ドアが開かなくなったのはステファンのせいだと。念動力とか、多分そんな感じの。
「サイコキネシスまで使えるなんてゴシックホラーの設定無視しすぎだろ、だいたいSFとホラーは相性悪いんだよ!?」
「心外な言いがかりだなあ。獲物は檻に、食糧は貯蔵庫へ。ぼくらの一族に代々受け継がれてる能力ですよ?」
往生際悪くドアと格闘する背後に、闇に紛れて忍び寄る足音。
ステヴァンが、くる。
「―っ、立ち去れヴァンパイア!!」
振り返りざま、十字架をつきつける。
俺の予想では十字架をつきつけられたとたん目が眩み肌が焼け爛れていくはずだったんだが、なぜかステヴァンは平気のへいざで、俺の顔と十字架をしげしげ見比べる。
「なんで利かないんだ……」
「百円均一で勝った安物じゃ不足です」
「見てたのか!?見てたんなら言えよ恥ずかしい!!」
ステファンは悪戯っぽく目を細めて十字架を取り上げ、それを遠くへほうる。
俺が買った十字架は放物線を描き、ゴミに埋もれ見えなくなる。
絶体絶命、八方塞がり。
ステファンは吸血鬼だけあって夜目が利くらしく暗闇の中危うげなく歩いてくる。
「く、来るな、ケイサツ呼ぶぞ、家宅不法侵入の容疑で……」
四つんばいで逃げつつ、散らかり放題の床に手を這わせ携帯を捜す。
ない、ない、見当たらない、くそどこへやったこの時ほど自分の片付けられない癖を呪った事はない、そうだ枕元!
「往生際悪いですね。素直に吸われてください。……痛くしませんから」
「下僕にする気だろう!?」
吸血鬼に血を吸われたらドレイになる。
ホラー映画や本で仕込んだ知識が、牙穿つ苦痛にも増して本能的な恐怖を煽る。
「先生に見られちゃったのは誤算でした。十分気をつけてたつもりなんだけど……屋上にはめったに人こないし、あそこなら安全だろうとおもって、相原さんと落ち合ったんだけど」
「ずずっ、ずずってあんだけ音させてりゃいやでも気付く!」
ステヴァンが頬を染めてうつむく。
「食事の仕方が下品だって母によく叱られます。血を啜る時は音をたてないのがマナーなんだけどついつい……ラーメンのスープだって音たてて飲んだほうがコクがあって美味しいし」
「一緒にするな、謝れ、ラーメンに謝れ!」
しかもそこで照れるのか。
透明度の高い碧の瞳が、飢餓に支配された狂気の輝きを増す。
「大丈夫、優しくするから」
唾液滴る牙の先端を覗かせ、処女を誘惑するように甘美に囁く。
まずい。
まずいぞこれは危機一髪、屋上で血を吸われ青ざめた顔で気絶した女生徒とその女生徒を抱いたステヴァンの姿がフラッシュバック、俺もああなるのか全身の血を一滴残らず絞り取られてミイラになるのか、合コンで落とした子にまだメールしてねえのに……
脳裏に天啓の如く、窮余の策がひらめく。
回れ右で水道にとびつき蛇口をひねる、全開にした蛇口をステヴァンのほうにむける。
「!?あ、」
ステヴァンがたまらず顔を覆う、上向きに固定した蛇口から噴き出す大量の水がフローリングの床にたまりちょっとした海を作る。
「一体なんのつもりですか先生、この期に及んで悪あがきを……」
「わたれないだろう」
唇の端を吊り上げ指摘すれば、ステヴァンがおのれの足元を見下ろし、ぎょっとする。
「『吸血鬼は水が苦手、水を渡れない』。確かそうだったよな」
何かで読んだか見たかしたおぼろげな知識が役に立った。
蛇口からは今だ噴水の如く水が舞い上がって、長大な弧を描いてフローリングの床を浸しつつある。
階下の人、ごめんなさい。だけど俺は命が惜しい、苦情は覚悟しよう。
「………悪知恵がまわるなあ」
ステヴァンが舌打ち、不承不承足を引っ込める。
どうやらその伝説は事実だったらしく、悔しげな面持ちで音もなく広がりつつある水溜まりを睨む。
「水道水、利くんだ……」
百均の十字架はきかなかったくせに。助かった事は助かったが、なんとなく釈然としねえ。
「わかったら帰れ。この有様じゃこっち来れないだろ?それとも朝になってお日様あがるの待つか?灰になりたいなら止めねえけど」
そこまで言いかけ、ひとつ疑問にぶちあたる。
「そういえばさ、お前、昼間フツーに屋上にいたけど……」
「吸血鬼っていってもぼくの場合混血ですし体質が中和されるんです。昼間の活動に支障ありません」
「だから十字架もきかなかったのか……待てよ、じゃあ水も渡れ」
ないか。本気で困ってるっぽいし。
「吸血鬼っていっても色々です。水が苦手な吸血鬼もいれば日光が苦手な吸血鬼、A型しか吸えない偏食もいる。父方は特に水が苦手な一族なんです」
「ルーマニア内陸だもんな………はははははっ、お気の毒さま!」
緊張の糸がプツンと切れ、ヒステリックな笑いをたてる。
ステヴァンは水溜りにおそるおそるつまさき近づけてはひっこめるを繰り返し、忌々しげに顔を歪める。
この分なら安心だ。水を渡れないステヴァンは、絶対俺に近付けない。放っとけばそのうち諦めて帰るだろう。
「じゃあ、おやすみ」
「え?おやすみになるんですか」
「お前も明日学校なんだから早く帰って寝ろ」
安心したら、途端に猛烈な睡魔が襲う。
ステヴァンはまだ部屋にいるが、直径1メートルはあろうかという巨大な水溜まりを挟んであっちとこっちに分断された状況下で、俺に手出しできないだろう。
ケイサツに通報するのは、やめとく。
一応、俺の生徒だし。まだ何もされてないし。
そもそも「吸血鬼が霧に姿を変えて不法侵入したんです助けてください」と電話したところで、カウンセラーを紹介されるのは予想がつく。
とりあえず、寝る。一眠りして、明日の朝考えよう。
その頃にはきっと、ステヴァンも諦めて帰ってるはず。
パイプベッドに身を横たえ、タオルケットを羽織って丸まった俺の耳に、ステヴァンのうってかわって情けない声が届く。
「放置プレイは酷いです先生、ぼくまだ一滴も吸ってないのに!!」
そうですか。
お引き取りください。
熱く湿った吐息が首筋をなでる。
「んぅ……明日早いんだからやめろよ、麻美……」
三ヶ月前に別れた元カノの夢は肉感的な生々しさとたゆんたゆんたゆむ乳の量感を伴い、シーツの布擦れに混じる息遣いに股間がむずがゆく反応を示す。
「……あちゃー。体の一部が先に起っきしちゃったみたいですね」
悪戯っぽい含み笑いが耳朶をさし、咄嗟に跳ね起きようとして、逆に押さえ込まれる。
闇の中、燐のように不吉に炯々と輝く碧の瞳。
端正な唇の端から覗く牙が一対。
やけに首筋がくすぐったくて正体はステヴァンの吐息と髪の毛でどうしてこいつが俺の上にのっかってるんだ水を渡れないはずなのに、吸血鬼のくせにまたしても設定無視か。
「~水をわたれないってのは嘘か、騙したのか!?」
「本当ですよ」
あらぬ疑いに気分を害したか、さも心外そうに言う。
人さし指でこめかみをつつき、自分がやってきた方向を振り仰ぐ。
「いわゆるカルネアデスの板です」
合点した。
直径1メートルはあろうかという巨大な水溜まりには即席の橋が架かっていた。
橋の正体は部屋中に散らばった雑誌。
「……飛び石?」
「渡るのが不可能なら、渡れるようにするまでです」
「反則……」
俺、すでに涙目。
まさかこんな展開になろうとは。
「びっくりしました、血を吸うのは初めてじゃないけど正体バラしたあとで堂々寝こむ人がいるなんて……神経図太いですね、先生。命知らずです」
「いや、だって夜遅いし、俺眠いし……」
「生徒より睡眠を優先するんですか?」
「え、なに、俺が悪者なの?責められてる?」
堀さえ作れば大丈夫だろうと油断しきってタオルケットかぶったのは認めるが。
突然の事態にたじろぐ。
本能と欲求に忠実に、生徒よりも睡眠を優先した結果大ピンチに陥った。
「どけよ、お前に吸わせる血は一滴もない、言っとくけど俺の血は激マズだぞ、吐くぞ!」
「吸ってから後悔するのでご心配なく」
脅しとも警告ともつかぬ俺の怒声を余裕であしらって押し倒す。
華奢な体躯のどこにこんな力が秘められてるのかと疑う。
手足をばたつかせ激しく揉み合う、パイプを軋ませ撓ませどうにかステヴァンを押しのけようと格闘抵抗する、俺の首筋をつけねらい牙を剥くステヴァンを引っぺがさんと限界まで腕を突っ張る。
「それ以上近づいてみろ、俺の血を吸ったら停学にするぞ!」
「先生にそんな権限ないでしょう」
「ばかにすんな、立派な犯罪だろこれ、ストーキングと家宅侵入と傷害……」
「どう説明するんです?授業で週何回か顔をあわせるだけの生徒が住所を突き止めて、深夜に突然やってきて、ドアの隙間から霧になってもぐりこんだとでも?カウンセラー紹介されるのがおちです」
口止め。口封じ。
俺もあの女生徒とおなじ運命をたどるのか。
軋むベッドの上、ステヴァンの細い腕を死に物狂いで払う。
だけどすぐさま肩を掴まれ正面に固定、ステヴァンが恍惚と宣言。
「大丈夫。血を吸われるのって、慣れると快感になるんですよ……」
碧色の瞳に倒錯した愉楽が浮かぶ。
口元が妖艶にほころんで、唇の赤さと好対照を成す純白の輝きが零れる。
「!やめ、ぅあ」
懇願を遮るようにして、覆い被さる。
シャツの襟元を手際よくはだけ首筋から鎖骨にかけて大胆に露出させる、外気に晒された範囲が鳥肌立つ、人さし指が首筋をなぞれば皮膚の下で官能がさざなみだつ。
闇に白い残像をひき、獰猛に牙を剥き、俺の首筋にかぶりつく。
「!?―っああああああ、」
牙が突き立つ箇所から血流に乗じ、全身に麻薬がめぐりゆくような感覚。
全身の皮膚が毛羽立つ。
感電したようなショックを受け、意志で制御できず体が跳ねる。
不規則に痙攣する体でシーツを蹴る、目を剥く、口の端から一筋唾液が伝う、皮膚を突き破って深々埋められた牙、傷口から容赦なく吸い上げられる血、恍惚とした虚脱感……
そのまま昇天しちまうんじゃないかという刹那の絶頂を体験し、無意識にステヴァンのシャツを掴む。
「うっ」
「?」
突然、突き飛ばされる。
口元を手で覆いぷるぷる震えるステヴァン、その顔がみるみる青ざめていく。
「ま、まずい……たとえようもなくまずい……ニコチン、タール、にんにく……なんだこれ、有害物質の濃縮ジュースじゃないか!!」
俺は喫煙者。一日十数本煙草を喫う。
汚染された血のまずさに胸掻き毟り身悶えるステヴァン、天を仰ぎ地にひれ伏し神を呪う、嘔吐を堪え両手で口を押さえ突っ伏す、悶絶ぶりがあんまり大げさなんで本来被害者のこっちの方が心配になってくる。
「……大丈夫か?シーツ汚すなよ。うがいならトイレで……」
「まずい、まず、まずすぎ、舌が死ぬ!口直ししなきゃ、今すぐ」
痺れた舌を棒みたく突っ張りステヴァンが言う、別人の如くやつれきった形相で俺と向き合うやおもむろに服を脱ぎだす。
「はい?」
上着を脱ぎ捨てたステヴァンが改めて俺を押し倒す。
「ちょっと待て口直しでなぜ脱いで押し倒す必要が、」
ふいに眩暈が襲う。頭の芯が甘美に痺れて思考力を奪う。
「ぼく、混血だって言いましたよね。父は吸血鬼、母は……なんだと思います?」
天使のように中性的な美貌が一皮剥けて妖艶な色香が匂いたつ。
まさしくヴァンプの媚態を演じ、煙るような睫毛が覆う碧の瞳を濡れ濡れと欲望に輝かせ、シーツを擦ってにじりよる。
「ぼく、吸血鬼と淫魔のハーフなんです」
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