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S・I・V 後
淫魔。
「……インキュバスとかサキュバスの、あれ?」
思考停止。
「はい。そのあれです。父は吸血鬼、母は淫魔。したがって、生きてくために必要な栄養分は血液外の体液からでも摂取可能です」
唄うような抑揚で説明しつつ、少しだけ気の毒そうに、口パクで狼狽する俺を見る。
「……吸血の方が経口摂取の面で効率的ではあるんですが。少量の血と貞操をはかりにかけたら前者のほうがマシって人も多いし……でも今回は仕方ない、先生の血は不味くて不味くてとても吸えたもんじゃない、だから……」
不自然に言葉を切る。おもむろに手が伸びる。発情した蛇のように淫猥な動きに、身が竦む。
「違う体液を頂きます」
「!やめっ、さわるな!」
体に絡みつく手をぞっとして振り払う、シーツを蹴ってあとじさってついには行き止まりのパイプに激突、ベッドを下りて逃げようとするもステヴァンに両手首を掴んで押し倒される。
揉み合う衝撃で携帯が落ち床を打つ、ステヴァンは華奢なくせに化け物じみた怪力で、というか化け物か、締め上げられた手首に激痛が走る。
「あぅ、ぐっ」
「服従してください」
「だれがっ……」
罵倒を浴びせようと開いた口に唇が被さる、舌がもぐりこむ、唾液を移される。
「―むっ、むう、ぐ!?」
口移しで飲まされた唾液が口の端からあふれて顎を伝う、舌を絡めとられ狼狽する。
噛むという発想が働かず卓抜したテクに翻弄される、息が出来ず窒息、酸欠になる、清楚な顔して恐ろしくキスがディープで上手くて今までは女の子にする側で男からそれも年下の生徒からキスを仕掛けられるのは初体験で、自分の身に現実に起きてる衝撃的な事件を理解するのを頭が拒む。
「はっ、んぐ、ぁむ」
唾液に溺れて組み伏せられる、どれだけ必死に拒んでも絡みついてくる舌に口腔狭しと征服され不器用にそれに応じる、頭の芯に生のアルコールを塗りこめられたような酩酊を誘われ体の力が抜けていく。
「先生、軽くて、遊んでるように見えて……キス、余裕ないじゃないですか」
「うるさ……い」
「……にが。ニコチンタールの味がする」
不味そうに舌を出す。
ならキスするなよ。
「口直し、に、なんのかよこれえ……」
語尾が嗚咽で萎える。
ニコチンタールを上塗りした舌を不味そうに突き出してぺっぺっと唾吐くステヴァン。実に失礼なヤツだ。
初めて男に、それも教え子の高校生から濃厚な舌入りキスされたショックも冷め遣らぬままベッドパイプにしがみつけば、ステヴァンの手がズボンにかかる。
「待てっ、そこはぜひアンタッチャブルの方向で!?」
「魔性に禁忌を説くとは愚かしい」
言ってることはかっこいいが、やってることはえろい。
碧の瞳が性的な欲望全開でぎらつき、顔全体に歪んだ笑みが浮かぶ。
おそらくこれこそステヴァンの本性、吸血鬼の父と淫魔の母もつサラブレッドの正体。
「血はすっかり汚染されて手遅れだけど、こっちは大丈夫なはず」
「手遅れ言うな、俺まだ二十代で肺癌で死にたくない!」
抗う、拒む、おもいっきり蹴り上げた拍子に足からズボンが抜ける、ステヴァンがほくそえみ下着の股間をなでる。
「!ぅあっ、」
そのまま、下着越しにやわやわと手のひらを波打たせ愛撫する。
下着越しの柔な愛撫に煽られ、若く敏感な先端に血が集まりだす。
相手は男で、教え子で、けれど絶世の美少年でそのテクときたら超絶的で、おまけにさっき飲まされた唾液に変な成分でも入ってたのか突き飛ばそうにも体にさっぱり力が入らない。
「ご存知ですか、先生。淫魔の唾液はね、媚薬の成分が入ってるんです」
ほーら、そういうオチだとおもったさ。
「やめ、頼む、さわん……ないでくれ、帰れ、今日の事は学校にも警察にも言わないから……それが目的できたんだろ、口止めが本題だろ、ならもういいじゃないか約束したんだ、口約束が不満なら印鑑でもカードでも好きなだけもってけ泥棒!」
布と擦れ合う感触がひどくもどかしく、滾り始めた前を恥じ、内股でもぞつく。
「せ、せめてぼんきゅっぼんの美女か十八歳以上の美少女に化けるオプションを……期待したいなーなんて、だめか?」
「性別のみぞはテクニックでカバーします」
有無を言わせぬ笑顔で力強く請け負い、下着を脱がす。
淫魔は夢を魅せるのに、こいつは悪夢を見せる。
「………っ………」
外気に晒された下肢をじろじろ視姦され、顔が赤らむ。
淫魔という割には角も羽もしっぽも持たないステヴァンが、猫のような目を嬉々として好奇心に輝かせ、いっそ無邪気な手つきで俺のものに触れる。
「ぅあ、ひ」
やめろ。
拒絶の言葉は塊となって喉にひっかかり出てこない。
生理的嫌悪と本能的恐怖とで全身硬直、股間を隠す知恵も働かない俺を、上目遣いにうかがう。
口をあけ、それを含む。一瞬の躊躇も抵抗なく。
「!―っあぁあああっ、ひ、あつっ……」
股間に顔を埋めぴちゃぴちゃと舌を使う。唾液を捏ねる音が淫猥に響く。
裸の股間に突っ伏したステヴァンはとろんとした目つきで頬を淫乱に上気させ美味しそうに竿をしゃぶる、ステヴァンの口の中は溶けそうに熱くて舌使いは極楽で鼻にかかって湿った声が漏れる。
「保護者に連絡するぞ……」
「この状態で?いいですよ、どっちが淫行罪で捕まるか試してみますか」
……この野郎。
高をくくった挑発に殺意が沸く。
股間にむしゃぶりつくステヴァンの髪を掴み力づくで起こそうとする、その途端カリ首に舌が巻きつく、小魚の如く踊る舌先で裏筋をちろちろなめあげる、鈴口をちゅうと吸う、強弱緩急つけた刺激を与えられ腰が砕ける、結果として手に力が入らずステヴァンの頭を抱きこんで突っ伏す格好になる。
「ふぁ……あっ、あう……も、やめ……」
息を荒げびくつく。
情けなさと悔しさとで目に涙が滲み視界がぼやける。
こいつ上手い。反則だ。体が浮つく。
前のめりに突っ伏し、もっともっととねだるように、上ずりつつある腰をステヴァンに押しつける。
やばい、でる、耐えろ、教え子の口の中でイッちまうとか最低プライド台無し、どうにか気をそらせ注意を他にむけろ……
「問題。ブルゴーニュ公フィリップとシャルル7世の間に休戦が締結されたのは、いつだ」
俺のものをくわえ込み、微妙に上下させつつ愛撫していたステヴァンが、とまる。
「わからないのか?今日授業でやった範囲だぞ、ちゃんと聞いてたらわかる、はず」
時間稼ぎ。
よし、ステヴァンが考えてるこの隙に逃げ
「1431年」
「はやっ!?」
つまさきを床につける暇もなかった。
「うあっ、あっ、あくっ、あ」
パイプにうつぶせにしがみつく俺の膝をこじ開け、四つんばいに立たせ、後ろから股をさぐる。
「すいません、先生。これが一番簡単確実な方法だから……」
「強姦がかよ!?」
うつぶせにした俺の首筋を唇でなぞる、唇で烙印を施された部位の皮膚が毛羽立つ、後ろでステヴァンがくちゃくちゃと音をたてる。
指に唾液を絡める音。
淫魔の唾液には媚薬の成分が含まれてる。
「痛みはそんなにないはず……」
どうするんだ、なんて馬鹿な質問はしない。
男同士がどうやってヤるか、さすがにそれくらいの知識はある。
「許してくれ……」
プライドを捨て、哀願する。たっぷり唾液を塗した手が尻たぶを割り、ひやりと窄まりに触れる。
「見たこと誰にも言わない、黙ってるから……頼む、見逃してくれ……あぅっ、ひう!?」
語尾が上がる。唾液にぬれそぼった指が、肛門をくちゃりと押し広げて、体内へともぐりこむ。
「はっ………はあっ………」
背中がしなる。
両手でパイプを掴み背筋をぞくぞく伝う悪寒と紙一重の快感を逃がそうとどこにもないはけ口をさがす。
挿入の痛みは恐れてたほどなくて、だけど本来出す器官に指を突っ込まれた違和感は酷くて、窄まりをかき混ぜる動きに吐き気を催す。
不快な肉襞のうねりの中に、一筋熱湯が混ざる。
「ベッドの先生って可愛いんですね。友達にも見せてあげたいな」
二本に増えた指が、窄まりの奥深く、快感の源泉を掘り当てる。
「!んうっ、う」
「直接吸ってもいいけど……どうせなら快感の絶頂で吐き出された蜜を啜りたいな。ご存知ですか?男性の体でも女性と同じように絶頂を体験できるんですよ、後ろさえ使えば……ね。その蜜は、とても甘いんです。癖になる味だ」
「精液に味なんかねえよ」
「人間はそうでしょうね」
俺の肩甲骨に唇をつけ、窄まりに突っ込んだ指で中をほぐしながら囁く。
「淫魔は違う。吸血鬼にとっての血がこの上なく美味なように、愛液だってえもいえず甘い。両方味わえるぼくは二倍お得、素敵な両親に感謝しなきゃ」
指を抜く。
潤滑油代わりの唾液をすりこんで入念にほぐした窄まりに、熱く固い怒張をあてがう。
筋肉が弛緩した窄まりが物欲しげにひくつき、それはぬめりに乗じて一気にすべりこむ。
「ーーーーーーーーーっああああああっあああ!!」
窄まりを押し広げ穿つペニス、ステヴァンがリズムをつけ抉りこむように跳ねるように腰を使う、曲芸のように軽快に動く。
「あっ、ああっ、ふあ、や、やめ、うあ、からだ変っ……」
体の中で剛直が膨らむ、鼓動にあわせ熱く脈打つ、犬のように四つんばいで犯されてるのに一突きごと快感が加速して脳裏で白い閃光が爆ぜる、相手は男でそれも生徒で高校生でレイプで気持ちいいわけないのに媚薬の成分を含む唾液のせいか相手が半淫魔だからか窄まりが蠕動してますます強く締め上げる。
「お前せいとっ、俺教師っ!」
「だから?悦んで銜え込んでるじゃないですか」
「ちが、―っ、不可抗力……ああっ、あ、ああっああ!」
体前に回った手が乳首をつねりもてあそぶ、もう一方の手が股間に伸びて勃起したペニスをくすぐる、窄まりがうねる、前立腺をがんがん突かれて次第にわけがわからなくなる、女を抱くのとは全然違う受身の快感は強制的に与えられるから一層濃く激しくて
「も、でる……!」
朦朧と口走れば、汗まみれの背中に密着したステヴァンが、ぐいと俺を抱きしめる。
「よくできました」
先生が生徒に言うように、褒める。
耳朶に吐息が触れた刹那、それまでにも増して強烈な快感が、脊髄から脳天まで一直線に駆け抜ける。
「あっ………!!」
ステヴァンの手の中に大量の白濁を吐き出す。
中を埋めていたものがずるりと糸を引いて抜け、同時にバランスを失いベッドに倒れこむ。
指に絡んだ白濁に丁寧に舌を這わせ、一本ずつ根元からしぼりとるようにしてなめとり、天使のような悪魔のような、吸血鬼にして淫魔が微笑む。
「思った通り、こっちは極上だ」
「お前……」
一滴残らず精を搾り取られた体はだるく、芯がふやけきって指一本動かすのも億劫。
爪の先、毛穴のすみずみまで泥が詰まったような疲労感に抗い、行為が終われば用がないとばかりシャツを羽織ってドアへ向かうステヴァンをねめつける。
「待てよ、これで済むとおもってるのか!?」
「ええ、口止めは終わりましたし」
「終わったって、単にヤッただけじゃないか……」
困惑する俺に向き直り、性悪な碧の目を細めるようにして、衝撃的な発言を投下。
「先生はもうぼくなしではいられない体になったんです。知ってますか?淫魔の体液には強烈な依存性がある。一度関係をもった人間はもっともっと欲しくなる」
「嘘だろ……」
素っ裸で、呆然。
「ぼくにしてほしかったら、言うこと聞いてくださいね?」
悪戯っぽく唇の端から牙を覗かせ、あろうことか教師を脅迫。
完璧なめてる。
一戦終えて枯れ果てるどころか俺の精気を吸い尽くし健康的に色艶増して、香油を塗ったようなバラ色の頬に大輪の笑みを咲かせてステヴァンがのたまう。
「ああ、でも小山内先生には荷が重いかな?先生、なんとなく教師になっちゃったんですよね。自分に向いてない、どうしようか、やめようかってずっと悩んでたんですよね」
「どうしてそれを」
「わかりますよ、屋上でぼーっとたそがれてる姿見れば。あれが初めてじゃないでしょう?」
図星だ。
「もし先生がぼくの顔も見たくない、金輪際ぼくのような化け物と関わるのがいやだっていうなら逃げたっていいですよ?マンション引き払ってどこへでも逃げてくださいな、そうだな、先生はそれがお似合いかも。口ではかっこつけても全然実力が伴わない、えーと、なんていうんでしたっけ……そう、へタレ。一生徒にあっさり下克上されちゃったし、明日から恥ずかしくって学校これませんよね。牙を抜かれた負け犬のまま町を去ればいいんです。教え子に下克上されるなんて教師失格だし、この上顔出して恥の上塗りしなくても」
頭で考えるより先に手が出た。
ベッドの端っこに伏せておいてあった映画雑誌を手に取り、ステファンの顔面めがけ、おもいっきりぶん投げる。
全力で振りかぶった放物線の先、ステヴァンは猫の目で完全に軌道を読んでそれを避け、ステヴァンの頬を掠って抜けた雑誌が壁にあたって跳ね返る。
水溜まりの上に落下、たまたま開いたページには、何の因果か悪魔の偶然かステヴァンの親父の特集が組まれていて。
『今度の新作は淫魔の美女と吸血鬼の美男、その血を受け継ぐ息子が人間界と魔界を股にかけ繰り広げるファミリーコメディ』
「はっ」
冗談きついぜ。
「………絶っ対、更正させてやる」
たった今生まれた、教師のプライドにかけて。
教師に向いてないとずっとずっと悩んでいた。辞めようかどうしようか悩みに悩んで、ずるずる惰性で仕事を続けてきた。
だが、それも今宵まで。
教師を平然とゲボク扱いする吸血鬼と淫魔のハーフにさんざん体をもてあそばれた上言いたい放題こけにされ、溜めに溜め込んだ怒りが沸点に達する。
教師を続けていく上での目的ができた。
どっちの立場が上か、どっちが生徒で先生か、たとえそれが他人から見てどんなにくだらないどうでもいい理由だろうが
ベッドから跳ね起きステヴァンに掴みかかる、ろうとして転落、ぶざまに倒れこむ。
固い床でしこたま顎を打ち瞼の裏に星屑が散る、手をついて這い上がり断固としたまなざしに宣戦布告をのせステヴァンをにらみつける。
「この程度でやめるもんか、生徒にこけにされたまま辞めれるか、いいか、次来るときは絶対答えられない世界史の超難問用意しとくからな」
「ベッドの上で予習復習ですか」
ステヴァンがかすかに苦笑する気配が暗闇を縫い伝う。
「楽しみにしてますよ、小山内先生」
「楽しみにしてろ、吸血鬼もどき」
かちあう視線が静かに火花を散らす。
飛び石代わりの雑誌を踏んで玄関にたどり着いたステヴァンが指を弾けば、あっけなくロックがはずれ、チェーンがひとりでに浮く。
貴族的に一礼し退散するステヴァン、金色の巻き毛が繊細に揺れて魅惑のフェロモンを振りまく。
ステヴァンの姿が完全に消え、マンションの廊下を遠ざかっていく靴音を聞きつつ、水浸しの床を見回し途方にくれる。
「………後始末くらいしてけよ………」
小山内宅を後にしたステヴァンは、ご機嫌に鼻歌口ずさみ夜道を歩く。
ポケットに手を突っ込み、等間隔に常夜灯が照らす閑静な住宅街をぶらつくさなか、十メートル先に人影をとらえる。
常夜灯が作るぼやけた光の中にたたずむ一人の女性。
髪をきつくひっつめ、化粧けのない顔を厳格に引き締めてステヴァンを待ち構えるのは、萩尾。
夜間外出中の不良を咎めるように眉間に皺を刻み、目元を癇症に引き攣らせた萩尾のもとへ、ステファンは無邪気に手をふり駆け寄っていく。
「母さん!」
「首尾はどう、バカ息子」
「上々」
正面に立ち、親指を立てる。
息子の報告を聞いた萩尾は鷹揚に頷き、左手で眼鏡を、右手で髪にさしたピンを抜く。
常夜灯が作るスポットライトの中。
仕事の邪魔にならぬようピンでとめていた黒髪が滝の如く艶やかに波打ち流れ、だて眼鏡を取り払った美貌に熟れた色香が滴る。
毒花の如く官能的な肉厚の唇に嫣然と笑みを刻み、女は囁く。
「どうなることかとひやひやしたけど、災い転じて福となす機転の勝利ね」
職員室にいた時とは口調さえがらりと変わる。
そこにいるのはオールドミスと陰口を叩かれるヒステリーな女教師でなく、グラマラスな肢体を禁欲的なスーツに包む妖婦。
萩尾は息を吐き、男の視線を絡め取る手つきでスーツの胸元をはだけ、豊満な乳房の上半分を覗かせる。
「だろ?だろ?ぼくのおかげだろ?」
「調子にのるんじゃないわよこの食いしん坊さんが、学校でつまみ食いはやめろってあんだけ言ったのに」
人類の半分を悩殺する脚線美を一閃、スーツの裾からパンツが見えそうで見えない絶妙な速度と角度でステヴァンの尻を蹴る。
「なんだよ、蹴るなよ、だいじょうぶ心配ないって吸ったのちょっとだけだし催眠かけたから何も覚えてないって!」
「そういう問題じゃない。家に帰れば冷蔵庫に輸血パックがたんまり残ってるってのに、あんたねえ、少しは兼業主婦の苦労も考えなさい?どうすんのよ、もうすぐ賞味期限切れちゃうじゃない」
「養殖は口に合わないんだよね」
「贅沢言わない」
「やっぱ生がいいよ、生が」
「今度は卑猥」
「でもさ、ぼくが屋上で吸血したせいで小山内先生に近寄る口実できたし」
「はい、口答えしたからぼっしゅー」
萩尾の手が音速で動き、ステヴァンの髪を頭皮ごと容赦なく毟る。
否。
萩尾がステヴァンの頭からひったくったのは本物と区別がつかない精巧な金髪のかつらで、その下から日本人特有のストレートの黒髪が流れ出る。
「母さん、道の真ん中でやめてよ!」
「慌てるくらいならつまらない見栄はるのよしなさい、ほんとは黒髪黒目のくせにかつらとカラーコンタクトで外人偽装なんて寒いわよ」
「ステヴァン・パイヤーなんて外国人名前のくせに黒髪黒目だったら学校でいじめられる」
「なら太郎ってつければ満足だったの?悪くないわねステヴァン・太郎・パイヤー、いい名前じゃない。今度改名したらどう?」
「……百年後に考えるよ」
魔性の本性隠す神秘的な碧色の目は、カラーコンタクトをはずせば何の変哲もない平凡な黒目。瞳孔の収縮を操る吸血鬼特有の能力こそ目の色関係なく健在だが、本当のステヴァン・パイヤーは、日本人の母の血を濃く受け継ぐ少年だった。
「小山内先生、学校やめないってさ」
小山内を容赦なく辱めた口調も、母親の前となると途端に子供っぽく砕ける。
胸の谷間に挟んだ箱から一本とりだすや、セクシーな唇にそれを銜え、惚れ惚れするようなポーズで紫煙を燻らせつつ相槌を打つ。
「当たり前。あの子に辞められたら私の仕事が増えるじゃない。だからあんたをさしむけたの」
「……母さんて真面目に見えて不真面目だよね……」
ステヴァンがため息をつく。
新たに外気に晒された癖のない黒髪をあきらめたようにかきあげて、上目遣いの双眸にちらりと疑問の色をやどす。
「あのさ、ひとつ聞きたいんだけど。母さんが自分でやろうとはおもわなかったの」
「私はだめ、淫魔は引退。父さんとより戻して早々浮気なんて女の仁義に反するわ。それにあんた年上好みでしょう、譲ってあげたの」
「まあ、確かにタイプだけどね」
すべては萩尾が仕組んだ計画だった。
小山内が屋上でステヴァンの吸血シーンを目撃したのは偶然。
萩尾はこれを逆手にとって、仕事に悩む小山内に斬新なやりかたで発破をかけた。
「小山内の血はどうだった?美味?」
「まずかったよ、とても飲めたもんじゃない」
「そう、残念。あっちの方は」
「極上」
反芻するように舌なめずり、太鼓判を押す。
「でもさ、血も飲みたかったな」
「舌は父さん譲りだものね」
「血は主食、愛液はデザート。あっちだけでもいいけど、抱いてる最中にちゅうって血をすったら、ぼくも先生もきっと二倍気持ちよくなるよ」
萩尾はひとつ頷き、煙草をつまんだ指をちょいとあげる。
「淫魔の体液は人体に作用する。肝心の血が口に合わないなら、これからたくさんセックスして自分好みに変えてけばいいのよ」
「もとからそのつもり。ああ、でもひとつ不安要素が」
「なあに?」
「小山内先生の寿命、あと二十年くらい。血がね、だいぶニコチンタールに汚染されてて……四十代の初めに肺癌で召されそうな感じ」
「バカねえ」
小山内の身を純粋に案じ、陰鬱な顔で呟く息子に向かい、萩尾は母親の顔で微笑みかける。
「言ったでしょ?淫魔の体液は人体に作用する。淫魔に精を絞りとられた人間は早死にするけど、逆もしかり。こまめに精を与えてやれば、百歳まで長生きするわ」
「ああ、そうか!」
ステヴァンの顔が明るくなる。
この子が一人に決めてくれるならいい。
男女問わぬ息子の「つまみぐい」にしばしば頭を悩ませていた萩尾は、紫煙で肺を満たしつつ、小山内延命の策が見つかってはしゃぐステヴァンを見つめる。
自分が勤める公立校に息子を呼んだのは、よそで暴飲しないよう監視するため。
ステヴァンが一人の人間を生涯のパートナーとするなら、母としての悩みは解決する。
そして萩尾は、軽薄でナンパに見えるが、内実は生徒思いな小山内になら大事な息子を預けてもいいと思っていた。
「……性別とか、私たちにはあんま関係ないしねえ」
魔性はそれそのものがひとつの性。
特に淫魔や吸血鬼は生殖を目的前提とせず、体の相性でパートナーを選ぶ傾向にある。
そこに真実の愛が芽生えるなら性別などささいなことだというのが、人と違い永きを生きる、彼ら彼女らの価値観なのだ。
「母さん、ぼくこれから頑張る」
「頑張りなさい、ステヴァン。あなたの努力で彼の血中からニコチンタールコレステロールの毒素を駆逐してやるのよ」
「えっ、コレステロール高めのほうがコクがあって美味しいよ、トンコツぽくて」
「適度に抜いておあげなさいな」
「あ、母さん白髪発見」
「枯らすわよ?」
平和な月明かりのした、淫魔の母と吸血鬼もどきの息子の話題の的になっているとも知らず。
ふやけた雑誌がちらばる床のど真ん中にへたりこみ、水浸しで壊れた携帯を抱き、小山内は泣くのであった。
「メールもアドレスも新しい恋の予感もパア……くそう、あの疫病神め」
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