20 / 34
第20話
画面に意識を集中、コントローラーを高速連打。
戦闘を盛り上げるBGMが流れる中コントローラーを右へ左へ波乗りの要領で傾け、選択画面でカーソル移動させ項目を指定し使い魔を召喚。
ドロンと煙を吐き出しパーティーの最前列に出現した召喚獣と敵モンスターが激しくやりあう画が眼鏡のレンズに反射するも、目を通した情報は頭まで入ってこない。八年間朝昼夜関係なくゲーム漬けだった成果だろうか、頭は空白で思考停止状態でも手だけは脊髄反射で独立して動く。
ひたすら漫然と画面を見詰めながらその実なにも見ていない、ただ画面を向いてるだけ、テレビと向き合っているだけ。
何度目だろうこのゲーム。
この後の展開も予想がつく。
勇者さまご一行は小ボスを倒し中ボスを倒しラスボスを倒しめでたしめでたし大団円、主人公とヒロインはともに旅した仲間に祝福され故郷の村で結婚式を挙げるのだ。
現実はうまくいかない。
みんな仲良く幸せになんて夢のまた夢、安っぽい虚構。
人生の方程式、だれかの幸せはだれかの不幸の上に成り立つ。
勇者の活躍の陰に涙を流す村人や虐げられたモンスターがいるように、勇者の幸せが魔王の犠牲の上に成り立つように、ごく一握りの登場人物の幸せを引き立てるために一山いくらで使い捨てられるものたちがいる。
ただそれは語られない。しらけるから、興ざめするから、脇役のその後はしいて語られずなかったことにされる。
それはもうどこまでいっても、残酷なまでにご都合主義。
最近は平和主義の主人公が増えてモンスターとの争いを嫌ったり魔王と友達になるぬるいパターンが増えたけれど、誰かの幸せが間接的に誰かの不幸を生む根幹の図式は変わってない。
みんな仲良く幸せになんて不可能なんだ、むりなんだ、理想は理想でしかない。
ぼく自身その事を痛感している。
いつだって引き立て役の側に回ってきた身にはよくわかる。
もしかしたら主人公とヒロインの挙式に列席する権利が与えられるかもしれない、拍手を送る役が割り振られるかもしれない、でもそれだけ。お情けのおこぼれ。ぼくは主人公ってキャラじゃない、勇者ってガラじゃない、せいぜいが村を襲ったモンスターに一番最初に遭遇しあわやというところを助けられる幼馴染の役。
モンスターに襲われて泡くって腰ぬかすのがぼくにはお似合いだ。そしてすぐ退場。
「…………」
無意識に手が動く、コントローラーをいじる。
ボタンを連打、カーソル移動、呪文を選択。召喚獣が火を吐き、敵モンスターを薙ぎ払う。
安っぽい効果音。カーテンをきっちり閉め切った部屋は埃臭く薄暗い。
畳一面に漫画ラノベゲームソフトが散らばって足の踏み場もない不浄な腐海。ぼくを中心にブラックホールが発生しそうな勢い。
叩く、回す、押す、抉りこむ。
何百回とやりこんで鍛え抜いた反射神経を発揮し、高速で手を動かす。
毎度改札にひっかかるほど鈍くさいくせにプレイ中の反射神経は異常にいい、八年におよぶ反復のたまものだろうか。ピコピコ電子合成の音が鳴る。画面が放つ光がレンズを漂白し顔に不健康な影がつく。
胸の内を苛む虚無。
胸の内を蝕む寂寥。
抜け殻の如く眠たげな目でぼーっと画面を見詰める。見詰め続ける。
瞬きも忘れ無気力に、ただ映像を映す目。
カンカンカン、切羽詰った靴音が急接近。今しも階段を駆け上り廊下を突っ走りこっちへ向かってくる。体が強張る。コントローラーを持つ手が緊張する。
ドアの前で靴音がやむ。
服をさぐる気配に続き鍵穴にカチャリと合鍵がさしこまれ開錠、だれかが慌しく駆け込んでくる。
振り向くまでもなく、わかる。ぼくが合鍵を渡した人物はひとりっきりだ。三和土に転がり込んだ男が疾走で乱れた呼吸を整える。
靴を脱ぎずかずかあがりこむ。勝手知ったる他人の家、迷いない足取りを無礼と感じる暇もない。その歩幅は強い意志と激しい怒りを感じさせる。
「東ちゃん」
名前を呼ばれる。振り向かない。ゲーム画面だけを見詰め、手を動かし続ける。
「東ちゃん、こっち向いて」
二度呼ばれるも、無視する。相手の声に苛立ちがまじる。
「東ちゃん!」
「おかえりなさい小金井さん。なんですか?今いいとこなんであとにしてください。耳元でうるさく呼ぶのやめてくださいよ、気が散る。おなかが減ったんなら昨日買ったいちごが冷蔵庫にあるから勝手に……」
脇からのびた手が電源を叩き切る。
画面がブラックアウト、強制終了。セーブさえさせてもらえなかった。
コントローラーを体の前に持ったまま、暗転した画面を凝視する。
ぼくの許可も得ずゲームを中断した小金井が、らしくもない低く、暗い声で呟く。
「あとつけたでしょ」
「…………………」
「鍵かけて、絶対出るなって言ったのに。アパートで待ってるって約束したのに」
小金井がぼくにむかって、こんな物騒な声をだすなんて初めてだ。まるで脅しつけるような声。
コントローラーを握り平静を装う。
「ばれてたんだ」
あんなずさんな尾行ばれないほうがおかしい。
小金井は普段とぼけてるが、妙なところで野生動物なみに勘が鋭い。
「……明……東ちゃんがボール拾ってあげた子から聞いた。優しそうな眼鏡のおにいちゃんていうから、ピンときた」
「……そうですか」
おもわぬところからボロがでた。意外な伏兵がひそんでいたものだ。
元気に礼を言った男の子の笑顔を脳裏に思い描き、複雑な想いに浸る。
深刻な雰囲気、重苦しい沈黙。
背後に立った小金井が、なにかを推し量るようにじっと、ぼくを見下ろしているのが気配でわかる。
「なんでそういうことすんの?俺に黙ってあとつけたりとかさ」
振り向く勇気が湧かない。今振り向いたら、きっと、なにかが決定的に壊れてしまう。
ぼくと小金井の間に存在する何かに、致命的な亀裂が生じてしまう。
「約束したじゃん、部屋から出ないって。ちょっとの間でよかったのに……人のあと黙ってこそこそつけたり、ずりーよ。東ちゃんはそういうことしないと思ってた」
まるで、自分の信頼を裏切ったぼくこそ悪いみたいな言い方。
息を吸う。吐く。そのペースがどんどん速くなる。
内にひた隠した動揺が表に出、激情の水位上昇に伴い、かすかに指が震えだす。
「見損なった」
その一言が、引き金となった。
「見損なったのはこっちです」
「?」
「だれですか、あれ。おなかの大きい女の人。ララちゃんて呼んでだけど」
やめろ、その先は言うな。
素直に謝れ、ごめんなさいと謝ってしまえ、そうしたら何もかも今までどおり丸くおさまる、ごまかして暮らせる。
小金井は細かいところにこだわらない後腐れない性格だ、ぼくが素直に謝ればきっと許してくれる、そうしてまたいつもの日々がもどる。
一つ屋根の下ふたり一緒にのんべんだらりゴロ寝してゲームに明け暮れガンプラ制作を教える自堕落な日々がまたやってくる、ちょっとそこまで散歩にでかけコンビニに寄る日々が帰ってくる、だから
ララ。
ぼくが口にした名前を聞いて、明らかに小金井の様子が変わる。
動揺が走った気配を見逃さず、すかさず畳みかける。
「小金井さん、ちゃんと帰る場所あったんですね。行くあてないとか嘘だったんだ。ヒモとか……嘘じゃないですか。あれ、あそこ、小金井さんが子供の頃いた施設ですか?いい感じのとこですね、仲よさげで……大家族っぽい雰囲気で……こんな汚い、散らかって、畳もしけったアパートの部屋なんかより、よっぽど……」
激情の水位が上昇し、怒りのバロメーターが振り切れる。
コントローラーに痛いほど指が食い込む。
顔を伏せ、呟く。
カーテンを閉め切った薄暗い部屋に、乱れ始めたぼくの息遣いだけがひそやかにひそやかに流れる。
「家、あったんだ」
血が繋がらなくても、迎えてくれる家族がいて。
待っててくれる人がいて。
「小金井さん、なんでこんなとこにいるんですか?」
あんなふうに抱きついてむかえてくれる人がいるのに
ララはきっと小金井の彼女で、大切な人で、本命で。特別な存在なのだ。
いとおしげに触れる手で、頬擦りするしぐさで、わかる。ちゃらんぽらんでいい加減な小金井と正反対にしっかりした感じの女の子で、優しそうで、可愛くて、ふたりはすごくお似合いだった。
ララと抱き合う小金井の笑顔がフラッシュバック、胸を切り裂く。
あれからどこをどう歩いて帰ったのか覚えてない。
駅にたどり着き切符を買って八王子に戻ってアパートへの帰路を辿り、そのすべて断片的に分解され、奇妙に現実感が褪せている。現実と地続きのゲームの世界にでも迷い込んでたような実感の希薄さ。
もちろんこれは惰弱な心がへこたれて現実逃避を試みたからで、ぼくが小金井を尾行してわざわざ小金井市まで行ったのは事実で、そこで目撃した光景は全部本当で。『ただいま』『おかえり』家族の合言葉『どこ行ってたのリュウ』呼び捨て『もうどこにもいかないで』嗚咽し、必死に引き止める声。
小金井は必死に縋り付くあの手をやんわり引き剥がし、またここへ戻ってきたのか。
「知らなかった……小金井さん、なんにも教えてくれないから。どうでもいいことばかり話して、大事なことはぜんぜん」
「東ちゃん」
「そんなに頼りないですか、ぼく。信用できないですか。おたくだから、ひきこもりだから、ニートだから……話しても役に立たないし、単なる居候先の住人に話す必要ないって……適当に調子合わせてご機嫌とっとけば匿ってくれるって、そう思ってたんですか」
「たんま、話聞いて」
「ぼくだって好きでつけたんじゃない、しかたないじゃないか、あんたが何も話してくれないから……一ヶ月も一緒に暮らしてるのに自分がどうして逃げてるのか、なにから逃げてるのか、肝心なことはスルーで、こっちはあれこれ勘繰って深入りして」
心配で。
心配で。
生まれて初めてできた友達を失うのが怖くておいていかれるのが怖くて小金井が何から逃げてるのか知りたくて、それがわかればこんなぼくでも少しは力になるんじゃないかと思い上がっていた。隠し事の存在には薄々気付いていた、気付いて知らんぷりをしていた。でももう限界だ、最近の小金井は明らかにおかしかった、なにかを警戒していた。ぼくは、何も教えてもらえなかった。直接問い詰める勇気もなかった、小金井が自分から話してくれない限り聞けるわけがなかった、少しはマシになったって根っこはあいかわらずへたれびびりなぼくが突っ込んだ質問できるはずがない。
「ひ、ひとりで電車にのって、小金井に行って。そしたら、小金井さんが……知らない女の子と抱き合ってて」
「ちがう、あれは」
「子供、いるんですよね。もうすぐ赤ちゃん産まれるんですよね。小金井さんの子供ですよね?」
ひどいどもりで聞き取りづらい。小金井は即答しない。
「これからお父さんになろうって人が、他人の家ふらふら渡り歩いて、なにやってんですか。なんで帰ってあげないんですか」
「東ちゃん」
「可哀想じゃないですか、あの人。泣いてたじゃないですか。小金井さんだってまんざらじゃなかったくせに、優しくなぐさめてたのに、ちゃんと本命いるくせにいつまでぼくの部屋に居座って……!!」
ダメだ、堪えようにも堪え切れず語尾が嗚咽に紛れる。
事実を確認し現実を追認する自分の言葉ひとつひとつが、鋭い刃となって胸をずたずたに切り裂く。
どうしよう、息ができない。
喉が苦しい、かきむしりたい、おもいっきり叫びたい、発狂したように泣いて叫んで喚いて部屋をめちゃくちゃにしたい。
真っ赤な怒りが理性を食い荒らし食い破り激発、発作的にコントローラーを叩きつけ立ち上がる。
「とっとと消えろよ、ヒモめ!!」
「東ちゃ」
体ごと振り返る。
当惑顔で立ち尽くす小金井に面と向かい、激しく腕をふってドアを示す。
「さあ消えろ今すぐ消えろぼくの目の前からいなくなれ、家があるんだから帰れ、ちゃんと家族がいるくせにふらふらすんな!小金井さんはぼくとちがう、色んな女の子と付き合った経験がある、でもあの子は特別だってそんなのぼくにだってわかる、一目でわかった!中学中退だからってばかにすんな、頭悪くたってちゃんとわかる、あのララって子は小金井さんの彼女なんだ、おなかの子は小金井さんの子なんだ!!あんた、あんたこんなところで何やってんだよ、こんなとこに入り浸って呑気にゲームやってていいのかよ、一番不安な時に彼女ひとりぼっちにして見損なったよ!!小金井さんはそんな人じゃないとおもってた、ああそうだよずっとずっと騙されてた、どこにも行くあてないって嘘真に受けて一ヶ月も居候させたぼくが馬鹿だったんだ、全部全部大嘘だった、小金井さんは家族に見限られたぼくとちがう、実家に帰れないぼくとちがう、血なんか繋がってなくたって温かく迎えてくれる家族がいるくせに!!」
ぼくは実家に帰れないのに、だれも歓迎してくれないのに、ぼくが玄関に立ったところでせいぜい迷惑そうな顔をされるのがおちなのに
実の親とは現金を振り込まれ口座を確認するだけの疎遠な関係で、実の兄さんはぼくをダメなヤツと蔑んで罵って、家族に見放されたぼくの居場所はこの汚くて狭苦しいアパートしかないってのに、小金井にはずっと帰る場所があって待っててくれる人がいて、こんなのって詐欺じゃないか。
勘違いして浮かれて、馬鹿みたいだ
「出てけよヒモ、ごく潰し!!」
行くあても帰る場所もないなら、ずっと一緒にいられると思ってた。
「ホントはずっと迷惑だった、うざくてうざくてたまらなかった、一日も早く出てってほしかった!得体が知れなくて怖くてずっと黙ってた、けど言わせてもらう、この一ヶ月ずっとあんたに迷惑してたんだ!初っ端からひとの寝込み襲って、図々しく居座って、いやだっていうのに無理矢理外連れ出して前髪切って着せ替え人形にして……っ、なんだよホントに、ぼくはあんたの暇つぶしのおもちゃじゃない、あんたがそうやってぼくのアパートでぐうたらずぼらに過ごしてるあいだ可哀想なあの女の子はずっと待ってたんだぞ大きいおなか抱えて、何がヒモだよ何が主夫だよ、えらっそうにひと変えるとか立ち直らせるとか言える立場かよ!?」
激情に乗じ堰を切ったようにあふれ出す暴言。
ぼくの剣幕に気圧されたじろぐ小金井に大股に詰め寄り、机上に放置された作りかけのガンプラをひったくる。
ぼくが小金井に教え、八割がた完成したガンプラを畳に叩き付ける。
衝撃で腕がもげて転がる。
自分の手でガンプラを壊したショックや罪悪感を自分勝手な小金井に対する怒りが上回る。
騙されていた、裏切られていた、ぼくひとり浮かれていた。小金井がこのままずっと一緒にいてくれると信じて疑わなかった、こいつと一緒なら立ち直れると無邪気に愚直に信じきった、もう一度やり直せると思った。
なのに
「ーっ、信じてたのに!!」
あんたを、小金井リュウという人間を。
襖を開け放ち手をさしのべてくれた初めての人を、ぼくを冷たい暗闇から連れ出してくれた男を、その笑顔を
『手伝うよ、やるだけやってみよう』
『世界中のくだらない百人に否定されたって、目の前のたった一人が生きろって言ったら、生きるっしょ』
その言葉を。希望を。
信じさせて裏切るなんて、反則だ。
口端をひくつかせ、卑屈に笑う。
「あんたがどこにも行くあてないっていうから、手伝うよって言ったから、やり直そうって思えたんだ。嘘、だったんだ。ぼくはただの隠れ蓑で……使い捨てで……ッ、小金井さん、いつでも消える準備できてたんじゃないか」
ぼくはばかだ。
八年前と同じ間違いをした。
八年前須藤さんに裏切られて、もう二度とだれも信じないと決めたのに、ころっとだまされてしまった。
ようやくまた、人を好きになれたのに。
八年ぶりに、だれかを好きになれたのに。
好きになった人に、また裏切られた。
「!?ちょっ、待」
「免許証返してください」
凄まじい剣幕で小金井に掴みかかり、シャツの懐をまさぐる。
体の線にそって手を滑らせ大雑把に身体検査、ズボンの膨らみに気付く。
「俺の話聞いてよ東ちゃん、ララちゃんは俺の……大事な人なのはほんとだけど、東ちゃんが思ってるような関係じゃないんだって!」
「言い訳は聞きたくありません。免許証返して出てってください、警察に突き出されるのがいやなら自分から」
もっと早くこうすべきだった。一ヶ月決心つかず、ぐずぐずしてた意志の弱さを悔やむ。
ぼくが甘い顔してたから小金井が付け上がった、もっと早くに断固たる態度をとるべきだった。
抗う小金井を押さえつけ服の上から性急にまさぐる、激しく揉みあう。こんな時まで小金井は優しい、うんざりするほど優しい。本気を出したらぼくなんか一発で倒せるのに怪我させないよう手加減して、肩を掴んで引っぺがそうとする。小金井の腕の中で駄々こねるように身をよじり暴れ、尻ポケットからはみ出た免許証入れを抜き取る。
「東ちゃんたんま落ち着いてよ、黙ってたのは悪かったけどこれには理由が」
見苦しく弁解する小金井に自制心が破裂する。
「好きだって言ったじゃないか!!」
『見苦しくあがいてる今の東ちゃんが大好きです』
『俺もララちゃん大好き』
ふたつの好きは重みが違う。
好きの意味が違う。
憤激に駆られ激烈な拒絶反応を示し、小金井の手を肩から払う。
はずみに免許証入れがぱたりと落ち、免許証入れにつられ、ポケットから半ばでかかった財布も落ちる。
「あ」
同時に視線が行く。
畳の上に落ちたはずみに二つ折りの財布が開き、中に挟まれた写真が目にふれる。
そこにはララと呼ばれた女の子を真ん中にして、若い小金井と、もう一人、男が写っていた。
「………」
写真の小金井は、若い。少年と形容したほうがまだしも違和感がない。
今より少し髪が長く、いかにも悪ガキっぽい、やんちゃそうな顔をしている。
小金井に肩を抱かれキスされたララは恥ずかしそうに笑っていて、その隣の少年もまた、ララの肩に腕を回し笑っている。
『俺のダチ。悪さするときはいつも一緒だった』
小金井の話に出た施設の悪友だろうと直感する。
三人はすごく仲が良さそうに見えた。
ぼくが入っていく隙なんて、どこにもなかった。
小金井はこれを肌身離さず大事に持っていた、友達と彼女と撮った写真を大事に大事に隠し持ちずっとぼくを裏切りだまし続けていた。
ぼく以外にも友達がいるくせに
「……ぼくには、あんたしか」
ぼくには、小金井さんしかいなかったのに。
だから依存した、だから縋った、だから夢を見た、だから信頼した、だから
小金井は最初からひとりぼっちじゃなかった。
ひとりぼっちなのは、ぼくだけで。
両親にも兄さんにも愛想尽かされてご近所さんともまともに挨拶できなくてコンビニの店員にも言いたいこと言えず人目を避けて歩いて、友達なんかずっとずっとひとりもいなくって、漫画アニメゲームだけが友達で、ガンプラ作りとフィギュア集めに心の安らぎ見出して、そんな情けないぼくを小金井は心の中でこっそり笑っていた。
写真の三人は自然に密着し、心底楽しげな笑みを浮かべていた。
「……中学中退だから。ぼく、卒業アルバムもってないんです」
自分の声が、遠く聞こえる。
ひどく、死ぬほど、惨めな思いを噛み締める。
「修学旅行とか……いやな思い出しかなくって……集合写真なんか、どれも隅っこで俯いてて……友達と撮った写真、一枚もなくって」
だから?だから?何が言いたいんだ、八王子東。
小金井とぼくは違う。ぼくは小金井と釣り合わない。普通に考えればわかることだ、小金井がぼくなんか本気で相手にするはずない、本気で友達だと思うわけがない、好きになってくれるはずがない、好きになる理由がない、好きになったふりをすれば得をする。
「押しが弱くて、流されやすくて、利用するにはちょうどいい」
つまりはそういうことで
「ぼくは」
だれもぼくのことなんか好きになってくれない。
兄さんも本当は腹の底でぼくを馬鹿にしてるだめなヤツだと思ってる黒田は今でもそう思ってるだから無神経にも須藤さんとのツーショットを見せた、ご近所の奥さんも大家さんも目でわかる哀れんで蔑んでる、すれちがうやつみんなみんなぼくを馬鹿にしてる
手が、勝手に動く。
自分でも何をしようとしてるかよくわからぬまま、億劫げな動作で机上の缶スプレーを掴み、そしてー
「うわっ!?」
小金井めがけ放つ。
フックを押し込み噴射、その勢いで小金井を玄関のほうへ追い込む。
漫画やゲームソフトを蹴散らしあとじさる小金井を容赦なく追い詰める、小金井が脱ぎ散らかした服を踏み付け尻餅をつく、腕を掲げ顔を庇う、茶髪が肩が服がどぎつい赤色に染まっていく。畳に飛沫が散る、ぼくの顔に飛ぶ、眼鏡のレンズと前髪をべっとりぬらしていく。
「出てけ!!」
非力で無力なぼくが唯一思いついた反撃の手段。
小金井は腕を掲げ顔を守りながら何か言おうと口を開き、でもスプレーを噴射され、たまらず口を噤む。
防御に徹し、無抵抗を貫く小金井の優しさがまた癇に障り、大きく腕を振り上げるー……
「あ、」
塗料でぬれた手が滑る。
畳の上におちた写真に猛烈な勢いで噴射。
「!」
小金井の顔が固まる。
驚愕に目を見開く小金井の視線の先、たった今まで大事に持ち歩いてた写真は今やべったり赤い塗料を吹きかけられ汚れている。
左端の少年は赤い塗料に完全に塗り隠され、真ん中のララは腹から引き裂かれたように血に染まり、小金井だけが辛うじて原形をとどめる。
ごめんなさい?
わざとじゃない?
謝罪も言い訳もできず立ちすくむ。
畳に這い蹲った小金井が、変わり果てた写真にのろのろ手を伸ばす。
自分が見ているものが信じられないというふうな放心の顔つき、うつろな目。
塗料でべとつく写真を胸に抱きしめ、感情のこもらぬ平板な声で呟く。
「見損なった」
前髪の奥から放つ辛辣な眼光。他人を見るような目。
足元が揺らぐ。頭がぐらつく。キュアレモネードが見ている、ザクが見ている。住み慣れた居心地いいはずの部屋がなぜだか息苦しくなっていたたまれなくって、罪悪感と怒りと悔しさとがせめぎあって
「はははははっはははははははははははははっ!!」
仰け反るようにして笑い出す。
畳に這い蹲って写真を握り締める小金井の醜態をめちゃくちゃに笑いのめす、追い討ちをかける、失意のどん底に叩きおとす。
「ざまあみろ、いい気味だ、ずっとぼくをだましてたからばちが当たったんだ!なんだよその目、言いたいことあんならはっきり言えよ、どうせ情けないかっこ悪いヤツだと思ってんだろ、でもこれがぼくだ、今あんたの目の前にいるのが本当の八王子東だ!!」
情けなくて、意気地がなくて、かっこ悪くて
視界が真っ赤に染まる激情に駆り立てられ、涙腺が熱くじんと痺れて、泣くな、今泣いたらかっこ悪すぎる、ならいっそ嫌われたほうがましだ、とことんいやなヤツになってやる、心にもないことを口走る。
手をすりぬけた缶スプレーがからから畳を転がっていく。
「わざとだよ、あんたが大事にしてたからわざと台無しにしてやったんだ、なに落ち込んでんだよわざとらしい写真一枚くらいで!どうせ他にもあるんだろ、ぼくと違ってモテますもんね小金井さんは男にも女にも、友達たくさんで彼女もたくさんで幸せ一杯でぼくとは全然ちがう、二次元しか逃げ道ないぼくと違って現実でやってけるんだからそんな古い汚い写真一枚……」
腕を掴まれ、強引に引き寄せられる。
ぼくの腕を掴み、力尽くで引き寄せたかと思いきや、畳一面を覆う漫画や服やゲームソフトを蹴散らし大股で部屋を突っ切る。
「!?なっ、どこへ……」
「知りたいんだろ、俺がどんな人間か」
腕に指が食い込み、痛い。
腕をねじりあげられる痛みに顔が歪む。今度は容赦がない。
ぼくの私物を雑に蹴散らし、あるいは蹴飛ばし踏み付け突き進みながら、殺気立つ気配とは対照的に抑揚を欠いた口調で言う。
「本性見せてないのが自分だけだとか思ってた?」
ぼくの位置から仰ぐ小金井の顔は返り血を浴びたように赤く染まり、ばらけた前髪が額にへばりつく。
「はな、せ……はなしてください、警察呼びます、大声あげますから!」
小金井の豹変に身の危険を感じる。辛うじて抑制してはいても、ひりつく殺気が伝わってくる。
揺れる前髪の奥から覗く暴力的な眼光、険悪な形相。
抵抗するなら腕を折るとでも言いたげな力のこめ方に寒気を覚える。
踏ん張り抗うぼくの腕を引きずり、風呂へと通じるガラスの引き戸を乱暴に開け放つ。
「!?ぅあっ、」
浴室に放り込まれる。
タイルを貼った壁に寄りかかる呼吸を整える。
ピシャンと甲高い音たて戸が閉まり、小金井が前に立つ。
「教えてやるよ、俺が本当はどんな人間か」
低く押し殺した声が胸をざわつかせる。すさみきった眼光に気圧され、生唾を飲む。
いつも口元に乗せてる軽薄な笑みを払拭し、凄みを帯びた顔でにじり寄る。
逃げろ。
頭が命令を飛ばすも足が竦んで動けない。浴室は狭い。引き戸はすぐそこ、手を伸ばせば届く。
咄嗟に身を翻そうとするも小金井がばんと壁に両手を付き、すかさず顔を寄せてくる。
「………ばれちゃったんならしかたない」
目を細めるようにして、残忍に、嗤う。ぼくが知らない顔で嗤う。
フックに掛かったシャワーを取り外し、片手で器用にコックを捻る。
「!?げほっ、な、うあ」
次の瞬間、勢いよく迸った湯が顔面を直撃。
頭からぬるま湯を浴びせられ狼狽する、顔の前で腕を交差させ防御の姿勢をとるぼくめがけシャワーを浴びせる小金井、タイルを貼った浴室に意地悪い忍び笑いが陰々と響いて渦を巻く。
髪が、服が、水を吸ってしどとにぬれていく。水が口に入ってむせる、激しくみせる。缶スプレーの飛沫がとんだ髪からしずくが滴る、水滴がレンズに付着して視界が曇る。
「汚れちゃったからキレイにしてあげる」
「がほ、やめ、ふざけ……ふざけっ、ないでくださ、げほげほっ!」
ぬれそぼつ髪が額にへばりつく、大量の水を吸った服がぴっちり肌にへばりつく。
窒息しそうな密着感に喘ぐも、口を開ければまた水が流れ込み、溺れてむせる悪循環。
壁際に追い詰められ逃げ道を絶たれた状態でシャワー責めにされる。上着はおろか下着にまで水がしみこんで滴ってすごく気持ち悪い、肌がどんどんふやけていくのがわかる。髪や顔、服から溶け流れた塗料が渦を描いて排水口へ吸い込まれていく。
『暴れんなって言ってんだろ、可愛くしてやるから』
『そっち持て、押さえつけとけ』
『ねーリップクリーム持ってるー?ぬったげようよ、口紅がわりにさ』
いつだったか体育用具倉庫で聞いた嘲笑がタイルを打つ水音とまじりあう。
封印した悪夢を追体験し、体の芯から震えを発する。
「………は……………」
「よし、キレイになった」
シャワーホースを片手にもった小金井が満足げにひとつ頷き、ちょっと身を引いて頭のてっぺんから爪先までぼくを眺め、口端を持ち上げるようにしてサディスティックに笑う。
その笑みが、いつかの黒田にだぶる。
陰湿に陰険に、ぼくを嬲り倒す行為に快感を覚えていたあの顔と、だぶる。
そして小金井は
「東ちゃんて童貞だっけ?……お気の毒さま」
シャツの裾におもむろに手をさしいれた。
ともだちにシェアしよう!