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第28話

 「ご都合主義にもほどがあります!」  蛍光灯が漂白する駅構内のコインロッカーを背に、ずらり居並ぶヤクザと対峙。  「森さんほどの大物になるとなあ、拉致監禁日常茶飯事で携帯に発信機能必須なんだよ!!」  「ヤクザの携帯は衛星携帯の常識知らねーのか、アキバ系のくせによ!?」  「アキバ系はアキバ系でもぼくはあくまでフィギュアガンプラ漫画オタクでパソコン関連はものすごく詳しいってほどじゃないです、エロゲは黎明期から詳しいけど!!」  油断していた、相手は尾行のプロだ。素人に気取られるような凡ミスは犯さない。  森のバイオレンスでデンジャラスな日常は知ったこっちゃない、現実を見ろ八王子東、打開策を考えろ。  小金井が肩を庇いつつ虚勢で笑う。  「………泳がされてたんだ……しくったね」  「クスリの隠し場所なんざ寄らず逃げりゃよかったのに……もっとも、バカなおかげで助かったか」  肩幅に足を開き、泰然と踏み構える森。  剃刀じみて鋭利な眼光、うっそり陰惨な表情は殺人にもなんら心を痛めぬ冷血漢のそれ。  引き締まった体躯が放つ抑制した殺気は、やたらがなりたて声高に恫喝するチンピラヤクザ十人分にも匹敵する威力を持ち、畏怖の波紋を広げゆく。  「銃刀法違反……なんて、いまさらか。駅で銃抜くなんて余裕ないね、よっぽど追い詰められてんのかな」  「地元コインロッカーとは盲点だな。短絡だが安全な隠し場所だ……鬼ごっこはおしまいだ、リュウ。ハンドバックを渡せ。いい加減上がお怒りだ、下っ端に振り回されちゃしめしがつかん」  「耕二の形見だ」  「価値わかってんのか?お前が奪って逃げたヤクは南米ルートで仕入れた純正品、単価にして五百万はくだらん」  「嘘だあ」  ふざけた桁数におもわず笑っちゃうも、小金井と森は真顔で睨み合ったままだ。  ……どうりでと、執拗な追跡の理由が腑に落ちる。いや、呑気に腑に落ちてる場合じゃないんだけど。  小金井の意志は固く、静かな恫喝にも怯まない。  断固たる決意を秘めた双眸で森を見据え、申し出を拒絶する。  片手に銃を預け、もう片方の手を無造作に虚空にさしのべ返却を促す森が、口端を吊り上げ薄く笑う。  「警察に駆け込む気か?その体で?死ぬぞ、お前。行き先を間違ったな、とっとと病院いきゃあよかったのに……親切に道案内までしてくれた」  「……時間、ないから………やること、やっとかないと」  「生き急ぐなよ」  小金井の息は荒い。凄い汗。前髪から顎先から大粒の玉となって滴り落ちる。  一言しゃべるたびに体力が削り落とされていくのが痛いほど伝わる。  片目はむざんに腫れふさがり、口の端は切れて乾いた血がこびりついた面持ちが、憔悴の度合いを強調する。  「小金井さん……むりしないで、ぼくが代わりにしゃべりますから……」  「ごめん、東ちゃん……世話かけて……」  「世話なんて出会った時からかけてるでしょう」  ずりおちた小金井を苦労して抱き直す。  体重がまともにかかり、二、三歩よろめもくも、意地で持ちこたえる。  小金井はリンチの危険をかえりみずヤクザがたむろう倉庫にぼくを助けに来た。  今度はぼくの番だ、ぼくが小金井を助ける番だ。  「森さんの声が聞こえねーのかよ、さっさとこっち持って来いよ!!」  「ぐずぐずしてっと殺すぞ!!」  殺気立つチンピラの顔面に必殺の裏拳が炸裂、膝から崩れ落ちるように沈没した子分を振り返らず、森が顎をしゃくる。  「場所かえようや。そこの広場でいいだろう。……わかってるだろうが、妙なまねしたらズドンだ」  これ以上音が響く構内で揉みあうのは得策じゃないと踏んだらしい。  断る、拒む選択肢はない。  大声で助けを呼ぼうにも森が引き金を引くほうが早い、駅員の到着を待つあいだに小金井もろとも始末される。  深夜の構内に大勢の人間がいたら目立つ、それが人相と目つきのよくない男たちときたらなおさら異彩を放つ。  森の命を受けたチンピラが殆ど足音をたてず素早く駆け寄ってきて、ぼくたちを挟みこむ。  いくら鈍感なぼくでもわかる、駅構内で発砲したら駅員に気付かれずにすまない、ぼくと小金井に危害を加えるつもりなら場所を移動する。  「!!あぐっ、」  「やめ、乱暴しないでください、けがしてるんですよ!?」  チンピラが小金井の脛を蹴り、邪険に腕を引く。  前のめりによろめく小金井を案じ手をのばすも、もう一人がぼくの肩に鉤の形に曲げた指を食い込ませる。  「っあ………」  「手間かけさせやがって」  片手でぼくの背中を突き飛ばす。  突き飛ばされ蹴飛ばされ、捕虜として手荒く扱われながら、森の背中を追って一段ずつ階段を下りる。  横目で小金井をうかがえば、顔色は青を通りこし白くなっている。  何も出来ない自分が悔しい。無力感に苛まれ唇を噛む。  広場へと誘導される。駅前の店舗はすべてシャッターがおりて人けがない。  人けが絶えた駅前を不気味な静寂が包み込む。  闇に沈み散らばる男たちから伝わる殺気が、帯電したように空気をひりつかせる。  ここが、処刑場だ。  「ブツを渡せ」  「いやだ」  森が二度くりかえす。  頑として拒む小金井の肩を、後ろに回ったチンピラがしこたま殴りつける。  「!こがねいさんっ、」  鋭く悲鳴を上げる。激痛に二つに身を折り、膝をつく小金井をあわてて支える。  殴打でまた傷口が開き、出血の勢いが激しくなる。  服に範囲を広げ、手のひらをべとつかせる血液の量に言葉を失う。  ハンドバックはぼくの膝の上。  「東ちゃん、バッグ……渡さないで……」  息も絶え絶えな小金井の懇願に我に返り、バッグを胸にひしと庇う。  チンピラの不意をつき、地面を蹴って猛然と走り出す。  「こいつっ……森さんが下手にでりゃつけあがりやがって!」   激したチンピラが振りかざす手をこけつまろびつかいくぐる。  蹴っ躓く、転げる、尻餅を付く、立ち上がる暇を惜しみ横に回転、手の甲に頬に剥き出しの肌のあちこちに砂利と小石が食い込む、地面にへばりつくガムが髪の毛にまつわる、視界がぐるぐる回転反転空と地面が交互に映る、ヤクザの逆さ顔、森の倦んだ顔、脂汗にまみれた小金井の切実で悲痛な顔。  飛び交う怒声が鼓膜を叩く、混乱する靴音。  ぼくは?  どうする、すぐつかまる、袋叩きにされる、小金井もろともおしまいだ。  このままじゃバッドエンドを回避できない、どうする?  手を考えろ八王子東、きっとなにかあるはず、小金井に託されたハンドバッグ、耕二の意志が託された形見、耕二が守ろうとして果たせず小金井に託した形見をやすやすと渡してなるものか!    小金井に信頼された、初めて人にお願いされた、その事実が胸を熱くする。  「東ちゃん!」  小金井の叫び声、必死な。  ヤクザの怒鳴り声、苛烈な。  逃げきれるはずがない、広場の面積は大した事ない。  この時間タクシーも走ってない、多勢に無勢で現に取り囲まれている。  袋のねずみ。  けどこっちに有利な点もある、敵は人数が多すぎて同志討ちの危険があるため迂闊に発砲できない。注目を避けて車のライトを落としているため、暗闇に乗じ、ポールや花壇や自販機などの遮蔽物に隠れ逃げ回る獲物が判別しにくい。  運動音痴なぼくにできる戦い方、すなわち地形を利用した戦略。  小金井駅前広場はどことなく八王子駅前と似ている。  自販機やベンチの配置道の交差し方に既視感が働く、ポールやベンチや車や歩道橋の手すりを遮蔽の盾にしつつ音速で飛来する弾丸を躱す。  チンピラは小金井に気を取られ一瞬ぼくから注意がそれた、だから不意をつくのに成功した。  のるかそるかいちかばちかの賭け。  抑えた銃声が空気を震わせ、次の瞬間灼熱の風が頬を裂く。  「!!ぶっ、今う、弾丸、銃撃!?」  走りながらしゃべったいせで危なく舌を噛みかける。  サイレンサーつきらしく発砲に際しても殆ど音がせず、頬を掠めた風圧に一呼吸遅れ痛みと血が伝う感触が襲う。  頬を銃弾が掠めた際に毛髪が何本かちぎれ宙を舞う。  前方の花壇に弾丸がめりこみ土が弾ける、頬の薄皮が裂けて血が滲む、撃った今撃たれたあと数ミリそれてたら確実に死?  顔が削れて抉れていた嫌だいやだどうしてぼくがこんな目に、怖い、死に瀕した恐怖の絶頂で失禁寸前、思考が拡散して舵を切るのが遅れる、足が縺れ地面が急接近  衝突?  「どわっ」  花壇に躓き豪快にダイブ、頭から泥をひっかぶり跳ねた土くれが口に入りこむ。  激しく咳き込み吐き出す顔を上げー……  後頭部にごりっとめりこむ固い鉄。  「タイムアウトだ」  後頭部を削る固い鉄の塊……銃口。  いつのまにか忍び寄っていた森に背後をとられた。  「手を挙げろ」  言うなりに片手を挙げる。  それでもハンドバックは片手に持ったまま、絶対放さない。  「まりろ、森さん………」  「その名前で呼ぶな」  冷えた鉄の如く無慈悲な声音にわずかに不機嫌な成分が混じり、引き金にカチリ圧力がかかる。  「バッグをよこせ」   「いや、です」  「死ぬか」  「じにだぐないでず」  口の中に広がる泥のくすんだ味。  唾吐きたいのを堪え、ぐずつく鼻声で答える。  死にたくない、いやだ、こんなところで死にたくない、ヤクザのトラブルに巻き込まれ撃ち殺されるなんて最期みじめすぎる、怖い、冷えた鉄の感触、頭蓋骨を削る銃口、裂けた頬に外気がしみてじくじく疼く、だけどバッグは手放さない、手放すもんか、これには小金井と耕二の想いが一杯詰まってる、ふたりは友達だった、施設から一緒の腐れ縁の悪友で家族でかけがえのない人で、耕二は小金井を信頼してこれを託して小金井はぼくを信頼してこれを託して  裏切れない。  「なら渡せ」  「わたぜまぜん……」  かすかに顎を引き首を振る。自分の動悸と呼吸音がうるさい。  花壇にダイブすると同時に、ズボンの尻ポケットのふくらみに気付く。  さりげなく後ろに手を回し尻ポケットからそれを抜き、チューブから透明な中身を搾り出し、バッグに塗りつける。  「!ひっ、」  上着の背中を掴まれ放り出される、起き上がるのを待たず眉間に銃口がくいこむ。  眼前に無表情の森が立つ。  ぼくを見詰める目に漂う殺伐とした色。  頬を斜めに過ぎる傷跡が禍々しく闇に映える。  眉間に固定された銃口の重量に喉が収縮息がし辛い、目の前に立つ森に不可避の死を予感、死臭を嗅ぎつけたサメのように群れてやってくるヤクザたち。  殺される殺される殺される嫌だ助けて土下座でもなんでもする『返してほしかったら土下座しろよ』『やだーホントにする?』情けなくて構わない、笑いたきゃ笑え、やるだけのことはやった、必死に逃げた、逃げきれなかった、ぼくのせいじゃない、ぼくにしちゃ頑張った、だから許して『オタクが息吸うなよ』『学校くんな』たすけてくだしあ『うぜえ』『死ね』『アニメでオナニーしてんの?』ぼすけて『まったくだめなヤツだな、お前は』ぼくはだめなヤツだ、精一杯あがいてあがいてあがいたけど限界なんだこれが、現実の壁は高く厚い、フィクションのぬるま湯にどっぷり浸かりきったひきこもりが太刀打ちできるはずなかったんだ  身の程知らずだった。  今だって死ぬほど怖い、漏らしそうに怖い、銃口の暗黒を覗きこめば気が遠くなる。  なのになんで、バッグを手放さないんだ?  頑固に、強情に、しぶとく。    バッグをてこでも放さぬぼくに森は鼻白み、子分に顎をしゃくる。  子分が恭しく捧げ持ち、森に献上した物を見て、愕然と目を剥く。  「ザク………!」   「倉庫に忘れてったろ」  子分から受け取ったザクを片手で退屈げにもてあそぶ森の指摘に、頭が真っ白になる。  ぼくは、オタク失格だ。  命の次の次の次くらいに大事なザクを倉庫に忘れたまま、今の今まで気付かなかった。  チンピラに殴られ蹴られた間中身を挺し庇ったザクなのに、傷だらけになってまで庇ったザクなのに、小金井登場の衝撃ですっかり忘れていた。  「あ………」  「取引だ。ザクを返してほしかったらそれを渡せ」  ザクは傷だらけだ。  乱暴に扱われたせいで腕がもげ足が折れ、塗装があちこち剥げて実にみすぼらしく哀れを誘う。  無意識に腕をのばし取り返そうとするが、森が素早く引っ込めてしまう。    ザクと小金井の板ばさみとなり、脂汗を流し苦悩する。  視界の端、チンピラに押さえ込まれた小金井が固唾を呑む。    ザクか?  小金井か?  二者択一、究極の選択。  「おいこいつマジに悩んでんぞ……」  「悩むような選択かよ」    外野の野次は気にしない、気にする余裕がない。  小金井は重傷だ、早く病院に運ばなきゃ命が危ない、出血多量で死ぬ危険もある。  だけどザクはぼくの友達、八年間辛い時苦しい時一緒にいてくれた親友だ。  思い出す、初めてザクを作ったとき。おそるおそる箱を開けた時の胸ふくらむ高揚感、ときめき、慣れない手つきでパーツを切り離し接着剤を丁寧に断面に塗った。  「ザクを人質にとるなんて卑怯です……!」  「卑怯で上等。ヤクザだからな」  どうする八王子東?  森の手の中のザクが赤い複眼で何かを訴える、地べたに這い蹲った小金井の思い詰めた顔、揺れ動く心。  現実か?  フィクションか?  八年間一緒だったザク、悪夢にうなされ添い寝した、そうしたらふしぎと安らかに眠れた、八年間いつもそばで見守ってくれた、ぼくにとっては友達以上の存在、分身、この世でたった一体のザク。  公国軍にとっては量産型でも、ぼくにとっては八年前、生まれて初めて作ったザクで。  悩みに悩んだ末、断腸の決断に至る。  「小金井さん、ごめんなさい……ぼく、やっぱり、ザクを見捨てられない……」  小金井は一瞬目を見開くも責める言葉は吐かず、しかたなさそうに苦笑する。  「………いいよ、ザク以下で。それでこそ俺の好きな東ちゃんだ」  「おい、なんかいい話風にまとめてるけどおかしいだろこの展開!?」  「あれザクだよな?おもちゃだよな?子供が遊ぶもんだよな?」  チンピラがどよめく。小金井は納得した表情。  この選択もまた八王子東の一部だと受け入れる寛大な笑みに、胸が疼く。   森が手に掲げるザクに視線を定め、予断を許さず警戒した動作で、ゆっくり慎重に立ち上がる。    一歩一歩間合いを詰めるごと、駆け引きの緊張に張り詰めた空気が撓む。  チンピラが睨みを利かせる中、森の正面で立ち止まり、ハンドバッグを手渡す。  森が銃をもったのと逆の手をのばし、ぼくがさしだしたバッグを掴み、そしてー……  「?何、」  狼狽。  森の手のひらにぴったり貼り付くバッグ、無表情に動揺が走る、その隙を見逃さず体当たり、銃をひったくる。  「!このっ、」  森が憤怒の相に豹変、銃を取り返そうと手を振りかざすのを引き金に指かけ制し、叫ぶ。  「攻めの反対はなんだ!?」  「受け!!」  間髪入れず答えるも、自ら口走った失言に愕然と立ちすくむ。  森ーまりろんの口から想定内の言葉を引き出し、勝利を確信した笑みが閃く。  「それでこそまりろんちゃんだ!!」    できる、やれる、いける  森をこけにされ激怒周囲のチンピラが一斉に動き出す、殺到する靴音、吹きつける猛烈な殺気、小金井が必死な形相でなにかを叫ぶ、チンピラの一人が銃をとるー  『あいつはだめなヤツなんかじゃない』  兄さんの言葉が、勇気をくれる  「八王子東は死んだほうがましな人間なんかじゃない!!」  『東ちゃんは俺のダチです』  小金井の言葉が、勇気をくれる  ぼくは死んだほうがましな人間なんかじゃない、決めつけるのはやめだ、やる前から諦めるのはなしだ  小金井と一緒に生きたいから  「今ここで諦めたら、八王子の名前に泥を塗る!!」  八王子は、小金井に恋してるから   ビシッと亀裂が生じる音、腋に挟んだザクの覆面に銃弾がめりこむ。  ザクを盾にし無我夢中で引き金を絞る、反動で後ろ向きに吹っ飛ぶ、靴裏で地面を掴む、轟音、広場に斜めにとまっていた車のフロントガラスに放射線状の亀裂が生じ白く染まる、飛散したガラス片をまともに被りチンピラ何人かが取り乱す、続けざまに発砲、反動で腕が痺れる、肩が抜けそうだ、両手でしっかり銃底を支え歯を食いしばり耐えて撃つ、狙いもなにもあったもんじゃない、霍乱が目的で無差別に  発砲、  反動、  発砲、  反動、  夢中で撃って撃って撃ちまくる、ドーパンが血管中に拡散し最高にハイな気分、後ろ向きな自分にさよならだ!!  「八王子に誇れる男になる、小金井を助ける、友達と生きて帰る、そして兄さんに紹介する、バイトだって見つける、黒田や須藤さんを見返す、真人間になる!!」    ザクがキュアレモネードが八年間ぼくを見守ってくれたものたちが応援してくれる  がんばれと、お前ならできると、ひきこもりおたくニートの意地と底力を見せてやれと   両手で銃を構え踏ん張り、腹の底から絶叫し、夜気を震わす。  「こんなところで死んでたまるかああああああああっ!!」  「東ちゃん!!」  「小金井さん!!」  たがいに名前を呼び合う、ガラス片の直撃を受けたチンピラの拘束をふりほどき駆け出す小金井、森の手から剥がれたハンドバッグをそっちに蹴飛ばす、小金井がスライディングキャッチ、血糊と脂汗と生傷にまみれた会心の笑顔で親指を立てる。  ヤクザが応戦開始、銃弾が肩を腕を脇腹を掠める、だけど当たらない、紙一重で逃げ回り回避、ポールに跳弾する弾丸、自販機にめりこみ破壊する弾丸、地面を穿ち抉る弾丸、奇妙なダンスでも踊るように足縺れさせそれらをよける、よけてよけてよけてー……  「リュウ!?」    聞き覚えのある声に引き金を引く手から力が抜ける。  予期せぬ闖入者。けたたましいサイレンを鳴らし広場に滑り込んできたパトカーが一台二台、ランプの鮮烈な赤が尾をたなびかせ闇を染め抜く。  銃撃戦を中断し愕然と立ち尽くすヤクザを乱暴にドア開け放ちパトカーから続々降りた刑事なり警官なりが取り押さえにかかる。  「畜生、なんでサツが!?」  「どうなってる、誰が連絡した!?」  「森さん、早く逃げてください!」  一台のパトカーから大きなおなかを抱えララが転げ出る。  「なんでここに……っていうか、どうして警察!?」  いきなりの展開に頭がおいつかない。  連射の反動で腕が痛い。手のひらの火傷も痛い。  銃撃戦の現場に殴りこんだパトカーを見るなり、引き金にかけた指から力が抜け、膝が盛大に笑い出し、ぺたんとその場にへたりこむ。  安堵のあまり腰が抜けてしまった。  逃げるヤクザ追う刑事、高音域のサイレンが夜の静寂を切り裂く、パトカーから息せききって駆け下りたララが泣きべそかいて小金井に抱き付く、ヤクザと刑事が乱闘に発展する喧騒が現場を包む。  「言うとおりにしたよ、日付変わっても戻ってこなかったら警察に電話しろって……ってどうしたの、そのけが!?だいじょうぶ、痛くない!?」  「いたくないいたくない……はは、ちょっと気が遠いだけ……」  「顔白いよ!やだリュウが死んじゃう、やだよ、耕二の次はリュウが……耕二のばかの代わりに俺が出産までついてるって言ったじゃん」  激しくしゃくりあげるララの肩を、泣き虫な妹を慰めるような保護者的手つきでよしよしさする。  耕二の仇のヤクザと決着をつけにいく前に、小金井はあらかじめ保険をかけていた。  小金井が帰ってこなかった場合、居残り組のララが警察に連絡を入れる手はずになっていたのだ。  「……どのみちバッグは警察が回収する予定だったんだ。キーは俺が持ってたけど番号教えてあったし……」  「……っ、まわりくどい……じゃあ最初から警察に」  「ごめん……」  胸に縋って泣くララを優しく引き剥がし、改めてぼくと向き合う。  「……通報遅らせたの、俺のわがままなんだ。耕二を殺したヤツらが逮捕されるとこ、この目でちゃんと見届けたかった」  「そのために自分がおとりになって……袋叩きにされて……」  小金井リュウはばかだ。  傍迷惑な友達の遺言を守って、一ヶ月もの間バッグを持って逃げて逃げて逃げ続けて、危険を承知で戻ってきて、思い出深い地元で弔い合戦を繰り広げて。  友達の仇をとるため、自分の命を質に入れ予定調和の茶番を仕組んだ。  本当に、ばかで、友達思いだ。  「東ちゃんだけは……無事に帰したかった。あいつらも、素人の命までとらないだろうって。でも……」  続きは言えず、深くうなだれて足元に目を落とす。  「ザク……壊しちゃった」  力なく呟き、足元に落ちたザクを拾い、真心こめた丁寧な手つきで汚れを払う。  パトカーのランプが点滅し、逃げ惑うチンピラと刑事が格闘を繰り広げる修羅場で、向き合うぼくと小金井の間だけ沈痛な空気が漂う。  「ごめん」  叱られるのを待つ子供のようにしょげきった小金井の手から、変わり果てたザクを受け取る。  憔悴した横顔を、眩く旋回するランプが赤く染める。  おくれ毛がほつれまとわりつく顔はひどく子供っぽくて、ぼくは、再び手にもどってきたザクをそっと抱きしめる。    「………いいんです」  「でも、」  「………おかしいな。チンピラに殴る蹴るされた時、必死で守ったザクなのに、今の今まで倉庫に忘れてきたことさえ気付かなかったんです」  ララは怪訝な顔。小金井が押し黙る。  静かに目を瞑り、倉庫の惨劇を回想する。  あの時ぼくは小金井の事で頭が一杯で、どうやったら小金井を救い出せるか二人で無事逃げ出せるかそればかり考えていて、八年間身近にいたザクのことをド忘れていた。  ぼくの中では、もう答えが出ていた。  ぼろぼろになったザクを見詰めるうちに、鼻の奥がツンとする。  「……ごめん。今までありがとう」  八年間ずっと一緒にいてくれた友達と、初めてちゃんと向き合い、心からの感謝を述べる。  八王子東は腰抜けでへたれびびりのひきこもりニートだ。  二十二歳にもなって漫画アニメゲームを卒業できず就職もせず、親の金で遊んで暮らす社会不適合者だ。  だけど  「まりろんちゃん!!」  チンピラがあらかた手錠をかけられパトカーに連行され、残る一人となった森もまた手錠を嵌められ、刑事に挟まれ歩いていく。  ザクを抱いてそっちに駆け寄れば、森が胡乱そうに目を細める。  正直、その一睨みで足がすくむも、ありったけの度胸をしぼって頭を下げる。  「あの、さっき、逃がそうとしてくれてありがとうございます」  「………バカか、あんた。殺そうとしたんだぞ?」  「……いえ……時間稼ぎでした、あれは」  本気でぼくを殺そうとした割には、あまりにも隙だらけだった。  覚せい剤と銃を詰めたハンドバッグは警察が回収した。  森やチンピラはこれから署で取り調べをうけるのだろう。   耕二への傷害致死とぼくと小金井に対する拉致監禁暴行がどの程度の罪になるかわからないけど、そうあっさり釈放されまい。  小金井が辛い体を押してぼくの隣にやってくる。  森を見詰める目には複雑な色……親友を殺された怒りと哀しみが綯い交ぜとなった色。  「……あんたが耕二を殺せって指示したのか」  「下っ端の暴走だ。信じる信じないは勝手だがな。これだから今の若い連中は加減を知らなくて困る」  ララが聞き耳をたてる気配。  小金井が放った台詞に反応し、その表情がみるみる強張りゆく。  悪びれず言う森と、十歩空けて対峙する小金井とララの表情を、規則的に回るランプが不明瞭に暴く。  「……それが知りたかった」  小金井が薄く息を吐く。  「まさか、俺が耕二殺しを指示したかどうか知るためだけにこけおどしの茶番を仕組んだのか?」  「……ヤクザだけど、あんたには世話になったから。耕二を手にかけたなんて信じたくなかった」  「甘いな、相変わらず」  小金井から目をそらし、ちらりとララを見る。感情の読めない無表情。  ララは唇を噛み、あらん限りの怒りと憎しみを滾らせ森を睨みつける。  「……あんたが嫁か。耕二のヤツが自慢してた、もうすぐガキが産まれるって」  ララの表情が動く。  憎しみに歪んだ形相が弱々しく揺れ、大粒の涙が目に浮かび、なおなかを庇う手が震える。  声をたてず啜り泣くララを森は無表情に見詰めていたが、ふいにその顔に苦渋が滲み、唾と一緒に辟易と吐き捨てる。   「………ったく、因果な商売だよ」  森が刑事に挟まれ歩行を再開、ぼくらに背を向け去っていく。  パトカーに半身入れ乗り込んだ森に駆け寄り、途中から歩調をおとし、大声で叫ぶ。  「チャットで待ってますから!」  森が凝然と振り返る。  半ばパトカーに乗り込みかけた体勢で振り返った顔には、紛れもない驚きの色。  「……幻滅したんじゃないのか、俺に」  「お互い様でしょう」  多かれ少なかれ皆嘘を抱えている。  現実を離れた虚構の世界で、違う自分を演じている。  森はきっと心のどこかで、ヤクザという因業な商売に嫌気がさしていたのだ。  偉くなれば偉くなるほど、若者に慕われるようになればなるほど、自分を慕ってくれる相手に対し時に冷徹に制裁をくださねばならぬ立場のジレンマに苦しんでいた。  だからこそチャットでは、現実の自分とかけはなれたお気楽な女の子になりきっていた。  互いの顔を見ず付き合えるチャットは、弱肉強食がまかりとおる殺伐とした世界に身をおく森にとって、貴重なガス抜きの場だったのだ。  現実は辛い。  だから逃げ道を作る。  それ自体はきっと悪いことじゃない、そうしなきゃ追い詰められた精神の均衡が取れない。  八年前、いじめから逃れて暗い部屋にひきこもったぼくのように。  訝しげな森と向き合い、小金井とララの視線を背に感じながら、人前でしゃべる羞恥に顔を熱くし、早口に畳みかける。  「たしかに酷い事されたけど、まりろんちゃんに色々相談のってもらったの事実だし……紅一点まりろんちゃんがいるのといないのとじゃチャットの雰囲気が全然ちがう、タートル仙人さんもハルイチさんもまりろんちゃんが大好きです、たまに腐った思考回路にうんざりするけど賑やかで楽しくて、ハイテンションなまりろんちゃんと話してるとこっちまでつられて明るくなるんです。だからえーとその、何が言いたいかっていうとつまり……」  一呼吸おき区切りをつけ、森の目をまっすぐ見て言う。  「帰ってきてください」  禍根はある。恐怖もある。  なにもかも全部、綺麗さっぱり水に流して元通りというわけにはいかないだろう。  だけどこれっきりまりろんちゃんがいなくなってしまうとすれば、それはとても寂しいことで。  まりろんちゃんはタートル仙人さんにとってもハルイチさんにとっても、もちろんぼくにとっても、大事な仲間なのだ。  後ろ向きで落ち込みがちなぼくが、まりろんちゃんの底抜けの明るさに救われていた面は否定できない。  それが演技でも、救われた事実に変わりない。  性別や履歴を詐称してようが、漫画アニメゲームを愛する気持ちに偽りないなら、まりろんちゃんはまりろんちゃんだ。    ぼくはまりろんちゃんを信じる。  わざと隙を見せ憎まれ役を演じ、ぼくを逃がそうとしてくれた森の良心を信じる。  森が罪を償って、まりろんちゃんとしてチャットに復帰したら、「おかえりなさい」と迎えてあげたい。  なんとも言えない顔で頭のてっぺんから爪先までぼくを眺め、張り詰めていたものが切れたように、ふっと表情を和ませる。  きっと笑ったのだろう。  「……おれも昔はいじめられっ子だったんだ」  突然の告白に戸惑う。  右頬の傷を不器用に引き攣らせ、面映げに視線を斜めにそらし、続ける。  「なめられたくなくていきがって、あげくこんなになっちまった。だから他人とは思えなかった。けどな……いーちゃんはまだ間に合う、やり直せる」  一瞬だけ森が垣間見せた笑顔には、過酷な現実と戦い続け、修羅と呼ばれた男の精悍さが刻まれていた。  肩越しに片手を挙げ、今度こそパトカーに乗り込む。  ランプの残像を引いて走り去るパトカーを見送り、心のどこかで、森はこの結末を予期していたのではかと思う。  「そういや東ちゃん……さっき、森があわててたのって?」  ズボンの尻ポケットをさぐり、一本のチューブをとりだす。  「強力接着剤です。ガンプラ作りの途中で突っ込んどいたの忘れてました。これをバッグにぬりたくって、はいどうぞと手渡して……」  あっけないネタばれに小金井が豪快に吹き出す。  「はははははっはははっ、マジ?そんな単純なの?ばっかだー、森のヤツ見事にひっかかってさ!ザクを笑うのものはザクに泣く、機転の勝利だね、ザクを人質にとったからバチが当たったんだ!」  「ちょ、小金井さん、そんなに笑うと傷に障りますよ?」  いわんこっちゃない。  目に涙を浮かべ仰け反るようにして爆笑する小金井が突如バランスを失い倒れこむ。  「リュウ!?」  「小金井さん!!」  ララと同時に手を伸ばしその体を支える、弾丸が貫いた肩の出血は洒落にならない範囲に広がりつつある。  「救急車よんでくる!!あの、すいません、この人持っててください!」  「うわっ、ちょ、もってろっていきなりむりっ……!」  ぼくの叫びむなしくララは大きなおなかで走り出す、刑事に掛け合って大至急救急車を呼んでもらうつもりだ。  ララの背中を追って宙にさしのべた手はすかっと空振り、小金井と二人分の体重を支えきれず縺れ合って倒れこむ。  ザクを真ん中に挟んで川の字に寝そべる。  パトカーのランプが煌々と夜を照らす、広場を照らす、何かが吹っ切れたように快活に笑う小金井の顔を照らしていく。  「あははははっ、痛でっ、ちょ、これ洒落になんねーし、マジ痛いんだけどははっ、やべー超ウケる!!」  「ウケないしぜんぜん面白くないです、小金井さんのせいでこっちは大迷惑です、大事なザクは再起不能だし部屋の畳も張り替えなきゃだし、ああ、エロゲもインストールし直さなきゃ面倒なんだよなあれ、てかご近所さんと顔合わせらんないです恥ずかしくて、大家さん兄さんに叱られる……」  「一緒に謝る」  「当たり前です」  笑いの発作が鎮まるのを待ち、どちららともなく手を絡め、パトカーのランプに照り映え、喧騒が包む夜空を仰ぐ。  ここは八王子じゃないけれど。  ぼくのアパートでもないけれど。    やっぱり今、一番ふさわしい台詞はこれだろう。  「……お帰りなさい」  「ただいま」  小金井は全治二週間だった。

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