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第27話

 じくじく疼く手で不器用にハンドルを回す。  「東ちゃん運転できんの?」  「一応教習所通いました……よく怒られたけど。ブレーキと間違えてアクセル踏んじゃったりハンドル逆に切ったり」  「……聞かなきゃよかった」  「うるさいな、けが人は黙っててください」  正面を向き一喝、小金井が荒い息遣いのはざまに苦笑する気配が伝う。  肩を庇い助手席のシートにぐったり身をもたせる小金井、顔色は失血で蒼白に近い。  半ば瞼を閉じた顔は血に縁取られ憔悴の色がさす。  集中しハンドルを握る。  フロントガラスに道路が映る。  時間帯が深夜なこともあってか道路は空いてる、ほとんど車がない。  衝突の危険がなくて助かる。カーナビ機能がついてるのも幸いした、こいつが道案内してくれる。  小金井が告げた行き先は予想外の場所だった。  「馬鹿な……寄り道してる場合ですか、病院いきますよ!」  目的地を聞き、思わず怒鳴る。  だけど小金井は頑として譲らず、達観した目でぼくを見て、乱れた息遣いにかき消えそうな声で懇願する。  「……お願い、東ちゃん……」  「―っ、意味分かりません、自分の状況わかってるんですか小金井さん怪我してるんですよ、肩撃たれて服真っ赤に染まって重傷で、今すぐ病院いかなきゃて、て、手遅れになるかもしれないのに……」  「……大丈夫、俺は……殺しても死なないから……まだ動けるし、しゃべれる……けが、たいしたことねー……」  「たいしたことねえ人がんな汗びっしょりで死人みたいな顔色してますか、二重に苦しい嘘吐かないでください!」  とにかくもう小金井にしゃべらせたくない余計な体力使わせたくない温存してほしい、決定だ、小金井がごねてもぐずっても病院に急行搬送する、救急患者なら飛び込みでも面倒見てくれる、事は一刻を争う。  床一面に散乱したダンボール箱を蹴散らし跳ね飛ばしアクセル全開猛然と倉庫を出る、エンジンが獰猛に咆哮する、アスファルト張りの駐車場を突っ切って道路を暴走する。  ミラーを見て追跡を確認する余裕もない、背後で殺気だった怒声が飛び交う、車に振動が走る、揺れる。  おそらくヤクザの放った弾丸のいくつかが車にめりこんだのだ。  「じきヤクザが追ってくる、ぼくたちを殺しに追ってくる!病院に、いや警察が先か、やっぱり病院に?」  「東ちゃん」  「寄り道してる時間ありません、大体そんな苦しそうな息して大丈夫とか大した事ないとか説得力ないです、あんたはいつだってそう……ッ、もうちょっとマシな嘘吐いてくださいよ!」  「東ちゃん落ち着いて」  落ち着いてられるはずがない。  だって小金井はけがをしてる、瀕死の重傷だ、弾丸は貫通してるみたいだけど出血が酷い、はやく手当てしなきゃ命が危ない。  できるかぎり平静を装ってなだめる小金井の気遣いに涙が滲みフロントガラスのむこうがよく見えない。  「兄さんの病院行きます、兄さんならきっとなんとかしてくれる、助けてくれます、兄さんはすごいんだ、ぼくと違って」  「東ちゃん……」  「兄さんは腕のいい医者なんです、優秀なんです、小金井さんの肩治療してくれる、また元通り腕動かせるようになるから心配いりません、お金は……ぼくが働いてなんとかするから、バイトでコツコツ貯めるから、ツケてもらいます。まだ決まってないけど、面接の電話もいれてないけど、大丈夫、いける、なんとかする、します、しなくちゃ、小金井さんは何も心配しないでけが治すことだけ考えて。どうせお金ないんでしょう、お金がないからヤクザ敵に回してクスリ持ち逃げとか無茶を……」  兄さんならきっとなんとかしてくれる、兄さんは優秀な外科医だ、小金井の肩を元通り治療してくれる、兄さんが働く病院に行けば安心だ、ぼくらは助かる。  携帯は?さっき森にとられたまま、救急車は呼べない。なら直接行くしかない、アポなしだろうが肩を撃たれた患者を追い払ったりはしないだろう。  ちらりカーナビを見る。  八王子まで数十キロ、合成音声が告げる。  よし、いける、だいじょうぶ、だいじょうぶじゃなくてもなんとかする、するしかない。  小金井の生死はぼくの運転テクにかかってる。  肩で息をしつつ急く気持ち逸る心を抑え、慎重にハンドルを回す。  瞼の裏に浮かぶ兄さんの顔。  ぼくが小金井を連れていきなり病院に行ったらどう思うだろう、また迷惑かけてと辟易するだろうか、幻滅するだろうか。  ……それでもいい、小金井が助かるなら兄さんに軽蔑されるくらいなんだ?  ぼくは兄さんを信頼してる、子供の頃からずっと憧れていた、コンプレックスと同じ位の強さで羨望と憧憬を抱いていた。かっこよくて頼りになってなんでもできる兄さん、兄さんならきっと……  一縷の希望に縋る。  深夜の道路は標識のほかに障害物もなく閑散としてる。  カーナビによると現在地は小金井市、くしくも小金井の地元だった。  「……東ちゃん、お願い」   小金井が何度目かのお願いをする。  悲痛な、必死な声音で。  珍しく、縋るような調子を滲ませて。  ハンドルは手放さず目だけで助手席をうかがう。  シートにもたれかかった小金井が、苦痛に濁り始めた目で虚空を仰ぐ。  「行かなきゃいけないんだ、あそこ……耕二との約束だから」  耕二。  その名に一瞬、手の動きが止まる。  「小金井さんの友達、ですか……」  友達。  自分には縁のない単語を口にするように、複雑な表情で呟く。  闇に沈むフロントガラスに映りこんだぼくは、憂鬱な顔をしていた。  どうする?  「小金井駅になにがあるんですか……」  「東ちゃんが推測してるとおりのもんだよ」  「……そうですか」  小金井は多くを語らない。  ぼくも多くを答えない。  多くを語らなくても、気持ちは通じ合う。  逡巡、葛藤。フロントガラスのむこうの闇を挑むように見据える。  ハンドルを握る手のひらに汗をかく。  煙草の火傷のせいでハンドルを握りにくいが、痛みをこらえ運転を継続する。  「……バカなこと言ってんのは百も承知」  「小金井さんがばかなのはいまさらです」  「はは。……さりげに酷いなあ、東ちゃん」   諦めの息を吐く。  葛藤を断ち切り妥協に至る。  カーナビで方向を確かめハンドルを切り、駅の方角へと針路をとる。  「そこ、右に曲がったほうが早い」「左に折れて」小金井が口数少なく指示を出すのに無言で応じる。さすが地元だけあってカーナビより正確、地理に精通してる。  車内に重苦しい沈黙が漂う。  エンジンの排気音、車の走行音が静寂を際立たせる。  ふと小金井が鼻歌を口ずさんでるのに気付く。  二十年も前に流行ったロボットアニメのテーマソング。  「……それ、随分むかしのですね」  「あ、知ってる?さすがオタク、詳しいね」  「小金井さんもアニメソング唄うんですね。意外」  「……まあね。これは特別、思い出があってさ」  口を開くだけで体力を使うくせに、小金井は何故だか上機嫌な様子で、むかし懐かしいアニメソングを口ずさむ。  感傷に浸るように懐古の光をためた目を細め、かすかな笑みさえ浮かべた柔和な横顔に、胸が痛む。  そこには、一ヶ月間見慣れた小金井がいた。  三日前の別れ際に見せたそっけない背中、悪ぶった態度は引っ込んで、あの頃の小金井が戻ってきていた。  「どうして……」  胸の内で激情が荒れ狂い、口からぽろりと疑問がこぼれる。  小金井が聞きとがめたせいで、それは質問になった。  車内に流れる鼻歌が途切れ、初めてぼくがそこに存在することに気付いたように、小金井がこっちを見る。  手をおいたハンドルを見詰め、道路際に設置された常夜灯の反射で表情を隠し、胸を切り裂く痛みを伴う言葉をしぼりだす。  「どうして、あんなことしたんですか」  あんなこと。三日前。風呂場の出来事。  回りくどい表現を、しかし小金井は正しく汲み取った。  片手で肩を抱いたまま、ライトの照り返しを沈めた目をすっと細める。  信じていた。  信じていたからこそ、辛かった。  眼鏡のレンズがライトを反射し、情けない表情を隠してくれるのがせめてもの慰めだ。  「合鍵も免許証も置いて出てって、そのくせ倉庫に助けにきて、意味わからないです。ぼくのことなんか無視すればよかったのに。もう関係ないんでしょう?その関係ないヤツのためにわざわざ敵の懐にとびこんで、殴る蹴るされて、ボロボロになって……半殺しの目にあって、あげく撃たれて。損じゃないですか」  見殺しにすればよかったんだ  「ぼくなんて、助ける価値ないのに」  八王子東は死んだほうがましな人間だ  だれもがそう言う、みんながそう言う、僕自身そう思う  「見殺しにすればよかったんです。電話も無視して……バカ正直に来ることなんてなかった。彼女いるくせに、家あるくせに、どうして……」  「彼女なんていないよ」  「え?だって、」  「それ勘違い。ララちゃんは、俺の……」  そして小金井は言った。  もう二度と戻らない日々を懐かしむように、哀悼をささげるように、かすかに伏し目がちに。  「耕二の彼女。俺とは幼馴染。三人、ガキの頃から施設で一緒だった」  「え?だってあの人妊娠して」  「耕二の子供」  愕然。  そんな、ぜんぶぼくの勘違いだったのか?  だって抱き合っていたじゃないか、いかにも親密げに頬擦りまでして、写真も一緒にー……  「嘘、えっ、マジ、じゃあ小金井さん友達の彼女に手えだしたんですか最低だ!?」  「ストップ東ちゃん、ちゃんと俺の説明聞いて。ね?」  自分の信用なさにいささかうんざりし、小金井が淡々と話し出す。   事の発端を。  ぼくと小金井が出会うきっかけとなったトラブルの一部始終、その真相を。  「………どっから話そうかな。長くなるけど。俺と耕二が施設で一緒だったってのはもう知ってるよね?」  「……はい」  「ガキの頃からふたりでいろいろ悪さした。何回も警察のお世話になった。中学出る頃にはいっぱしのワル気取りで、ヤクザとも顔見知りになってた。早くあそこ出たくてさ……中学出た頃からヒモ同然の生活して、女ンとこ渡り歩いてたんだ。耕二も似たようなもん。だけどあいつにはララちゃんがいた。俺と耕二とララちゃんは同い年で、ガキの頃から俺たちが悪さするたび、真剣に心配して叱ってくれたのがララちゃんだった。耕二の世話女房みたいなもん」  写真に写った三人を思い出す。  仲のよい友達というよりは、家族のような特別な絆で結ばれた三人。  辛いこと苦しいこと楽しいこと、全部一緒に乗り越えてきたからこそ生まれる絆。  「施設出てからも耕二と組んで随分悪さした。チンピラたちが言ったことはほんとだよ……俺、ぜんぜんまともな人間じゃないんだ。美人局の真似事したりパー券売りつけたり……でもさ、こんなんじゃだめだって思った。まともな人間になってやり直そうって、今までの自分変えたくて、ヤクザと手を切ろうとしたんだ。ララちゃん泣かすのもいやだったし……マジで心配してくれる子もいたし。美人局やった時知り合った風俗の子なんだけどさ、ホントいい子で。リュウはやればできるんだからこんなとこでくすぶってちゃだめだって真面目に叱ってくれたんだ」  「………その人、兄さんと同じこと言ってる」  まさか小金井がぼくと同じこと言われてたなんてと、親近感を抱く。  小金井もまた変わろうとした。ひょっとしたら、ぼくよりずっと真摯に変わる努力をしたのだ。  並大抵の事じゃないだろう。  相手はヤクザだ。怖かったはずだ。  それでも小金井はやりとげた、自分を心配する人たちの心に精一杯応えようとした。  ぼくのように諦めず投げ出さずふてくされず、一生懸命頑張ったのだ。  「………俺は抜けた。ヤクザと手を切った。だけどさ、真人間になるのって意外とむずかしくて……ついラクなほうへラクなほうへ流されちゃって。何年か、知り合った女のところを渡り歩く生活続けて……別に不満もなくて、そこそこ充実して、楽しくて……女の子大好きだし、セックスも好きだし、ああ、こういうふうにテキトーやって生きて死んでくのが俺にはお似合いかもって思ってた頃に、耕二に相談受けたんだ」  話が核心に迫る。  小金井の顔が若干引き締まる。  緊迫した雰囲気に引き込まれ、生唾を飲む。  「耕二、売人やめたいって言ったんだ。きっかけはララちゃんの妊娠。ララちゃんに子供ができて……自分が親父になるってわかって、ヤクザと手を切って、クスリから手を洗って、まともな人間になりたいって言い出したんだ。だけど耕二は杯をもらってる、やめたい、はいそうですかと簡単には行かない。それに、あいつ……組から卸されたクスリに手をつけてたんだ、内緒で」  「……横流しですか?」  小金井が肩の力を抜いてシートにもたれる。  脂汗が滲んだ顔が悲哀に歪む。  「……出産費用稼ぎたくて。ふたりで住むアパートの敷金払いたくて、それで……ばかだよなあ。んな無茶やって、死んじまったら元も子もねーじゃん」  小金井は笑う。痛々しい笑顔。  耕二はララと生まれてくる子供のために切り売人をやめようとしたが、はいそうですかと簡単にはいかない。  使い込みがばれる前に、耕二はせめて、ララの出産費用に足る分とアパートの敷金だけでも稼ぎ出そうとしたのだ。  その無茶が、結果として裏目にでた。  「相談受けて……説得したよ。あせるな、待て、俺がなんとかするからって。だけど、間に合わなかった。耕二のヤツ、ひとりで突っ走って……あいつ、昔からそうなんだ。一回こうだって思い込んだらひとの話まるで聞かねーでやんの」  耕二は使い込みがばれてリンチを受けた。  おそらく使い込みがばれた最悪のタイミングで、組を抜けたいと言い出したのだろう。  「……一ヶ月とちょと前、ケータイにメールがきた。耕二からだ。俺に会いたいって……会って渡したいものがあるっていうからそこ行って、びっくりした。あいつさ、倒れてやんの。腹刺されて、路地裏で。なにそれ?血のり?どうしたの?って半笑いで聞いたらさ、リンチにあって……必死で逃げてきたって……」  「もういいです、小金井さん」  「ハンドバック持ってて。俺に渡して。これもって、逃げてくれって……最後の頼みだから、聞いてくれって……わけわかんねーよ、いきなりさ。耕二のヤツ、最後に良心でも芽生えたのかな。むかしさんざん悪さしたくせに……最後の最期で親父の自覚が芽生えて、たったひとつでいい、生まれてくるガキに誇れる事したかったのかなって」  「小金井さん」  「自分はもうだめだから……できねーから……俺に、代わりに。こんなこと頼めるのお前だけだって、そんな信じ方されても迷惑なのにさ、ちょっとはこっちの都合考えろよ?警察に届けてくれって、遺言で……ララちゃんと生まれてくる子供のこと、よろしく頼むって……」  「もういいから」  「耕二のヤツ、見栄っ張りで……自分がクスリ扱う売人だってこと、ララちゃんに言ってなかったんだ。ララちゃん巻き込むわけにはいかない、ただでさえ耕二が死んでショック受けてんのに危険な目にあわせられない。ララちゃんは施設に預けた、あそこなら安全だ、市営だしヤクザも迂闊に手を出せない。施設から一歩も出んな、理由はあとで話すってケータイで言い含めて、俺は……女のとこ渡り歩いて……山手線ぐるぐる逃げ回って……偶然おりた秋葉原で、東ちゃんと出会った」  「こがねいさん」  「追いつかれそうになって、偶然降りたのが秋葉原。あてもなく歩いて……東ちゃん、見つけた」  まるで、かくれんぼをしてるような口調で言う。  「運命の出会いってヤツ?」  そう言って軽薄に茶化す。  激痛をこらえ、むりしてるのが見え見えの笑みは、壮絶に痛々しい。  目が曇って顔がよく見えない。  風呂場の時とおなじだ。  こんなに近くにいるのに遠い、だからせめてぬくもりを感じたい、小金井の体から抜け落ちていく体温を取り戻したい、その一心で片手をのばす、小金井が力なく投げ出した手に触れる。  ひどく冷たい。  「なんでぼくなんですか?」  嗚咽に濁り始めた声で、それだけ聞く。  「ほかにもたくさん人いたのに……ひと、歩いてたのに……もっととっつきやすそうなひと、感じ良さそうなひと、たくさんいたのに……よりにもよってぼくなんか、こんな……見るからに根暗で、うじうじして、気持ち悪いヤツ……脂っぽい前髪伸ばして、顔わかんなくて、ひとの目もまともに見れない腰抜け……ダメなヤツ……」  どうしてぼくを選んだ?  どうしてぼくだった?  世界には大勢の人がいる。  ぼくよりもっと見られる容姿、性格のいい人たくさんいる。  こんな気持ち悪くてダメなヤツわざわざ選ばなくても、小金井のルックスなら引く手あまただったろうに。  縋るように小金井の手を握り締める。  おいてけぼりを恐れる迷子の必死さで、体温の失せた指を温める。  助手席のシートに仰向け、服の胸を浅く上下させつつ、小金井はかすかに笑う。  「キュアレモネード……身を挺して、庇った……」  「はあ?」  「自分が盾になって……地面に這い蹲って……」  「なんでそんな……見てたんならわかるでしょ、かっこ悪い……人通りのど真ん中であんな……」  「かっこ悪い……?ちがう、すっげえかっこよかった……一生懸命……なりふりかまわず……大切なもの、守りきった……」  小金井の目には、そう映ったのか?  かっこ悪いぼくが、かっこよく映ったのか?  小金井が再びアニメソングを口ずさむ。  今にも途切れそうな弱々しい調子で口ずさみつつ、疲れきった瞼をおとす。  「耕二とダチんなったきっかけ……思い出した……俺、捨て子で……親の顔知らなくてさ……保護された時、当時流行ってたロボットアニメのおもちゃ抱いてて……親の手がかり、残してくれたもん、それだけで……大切にしてたんだけど、ある日、年上のいじめっこにとられて……相手、図体でかくって、俺、当時ちびで、びびって声もでなくて……返しての一言言えなくて……そしたら、耕二が……俺の代わりに……いじめっこに立ち向かってったんだ」  『返せ!』  聞こえるはずのない声が、確かに耳に響く。  小さい男の子の必死な声。  恐怖のあまり漏らしそうなのをこらえ、自分より強い相手に立ち向かっていく背中。  「案の定、ぼろぼろにされた……ロボット、目の前で地面に叩き付けて壊されて……だけど……代わりに、ダチができた」  耕二は小金井の大事な友達だった。  腐れ縁の悪友で、施設からずっと一緒だった家族で、いじめっ子からかばってくれた恩人で、かけがえのない人で。  だから小金井は、亡き友達との約束を守るため、傷だらけで奔走した。  亡き友達が守ろうとしたものを守り抜くために、誰にも相談せず、ひとりで頑張った。  「あの時、フィギュアを必死でかばう東ちゃんが耕二とだぶった。そんで、こいつならいいかもって思った。こいつなら信じられる……」  「こがねいさん……」  ぼくは、キーホルダーを守れなかった。  いじめっ子に窓から投げ捨てられたキーホルダーの記憶が常につきまとって、だから  「………巻き込んで、ごめん」  小金井が殊勝に詫びる。  「ぼくに……あんなことしたのは……」  わかってる。今ならわかる。三日前の小金井の行動の目的、本音。  どうしてあんなことをしたのか、その理由が。  「突き放して……断ち切って……さがさないように、追いかけてこないように、自分が抱えてるトラブルに首突っ込まないように……?」  ぼくを危険に巻き込まぬために憎まれ役を演じた。  ヤクザが居場所を嗅ぎつけたと知って、アパートを出ていく潮時を読んで、だけどあの時すでに、ぼくは小金井なしじゃ生きられないほど依存しきっていた。  あのタイミングで小金井が蒸発したら、死に物狂いでさがしたろう。  「……………もうひとつ。くだらない理由……聞きたい?」  「………はい」  緩慢な動作で腕を持ち上げ、額にのせ、天井を仰ぐ。  車の規則的な振動が眠気を誘う。  「………前に話した初恋の先生……結婚決まって施設辞める時、俺、いじけてさ……みんなが門前まで見送りに出てるのに、ひとりだけすねて、部屋にこもってたの。外からにぎやかな声聞こえて……他のヤツらがバイバイって手え振って、先生も振り返して……最後に背中向けて……全部、窓から見てた……ホントは今すぐ飛び出して、いかないでってしがみつきたかったのに、つまんねー意地張って」  小金井の声が湿っぽくなる。  表情は片腕にさえぎられ見えない。  「……あの日……東ちゃん、俺帰ってきたのわかってたのに、ゲームに夢中で振り向かなくってさ。背中、先生と重なって。彼女んとこ帰ればいい、出てけって怒鳴られて……あの日、先生がいなくなった日と同じ……背中向けて……」  ああ、そうか  そうだったんだ  「気付いたら、夢中で腕掴んで、風呂場に連れ込んでた」  おいてけぼりにされるのが怖かったのは、小金井のほうだ。  「写真汚されてカッときて……おしまいだって思うとたまんなくって……怖くて……どうせ終わりなら、最後に、俺がいた証残したくて」  「こがねいさん……」  「自分で決めたのに、おしまいにするって。いざ時がくると……やべえ、かっこ悪、ぜんぜん……同じなのに、これまでやってきたようにするだけでいいのに……今までは大丈夫だったのに、色んな女に世話んなって、でてく時ちゃんと笑ってられたのに……畜生……失敗した……」  追い詰められて、余裕を失って、あがき苦しんで  「後悔ばっかだよ、俺の人生」  片腕で顔を隠し、嗄れた声を絞り出す。  口の中が切れてしゃべるのも辛いはずなのに、言い残すのを恐れるように、衝動に駆り立てられ続ける。  「先生にも、ちゃんと別れの挨拶したかったのに。最後だったのに。耕二のことだって……あいつ、俺がふざけてララちゃんにキスしたらマジぶちぎれて……あのあと、半殺しにされたっけ……畜生、なんでだよ……ぜんぜんうまくいかねえ……」  「後悔しないで生きるなんてむりです」  ハンドルを握りながら、もう片方の手で、自分を責める小金井の手をぎゅっと握り締める。   「どんなに用心深く生きたって、絶対、きっと後悔するんです。けど……後ろを振り返るから前に進めるんだ」  前だけ見て歩いてたら自分が今どこにいるかわからなくなる。  だから来た道を振り返る。  人の中で生きる自分を確認するために。  人との関わりの中で生かされる自分を確かめて、信じ直すために。  「………東ちゃん、怒ってる?」  「怒ってますよ。何の相談もせず勝手に出てって」  根っこは子供みたいな小金井。  臆病で、腰抜けで、びびりで……不器用で。  十四歳のまま、成長してないぼくといい勝負。  「じゃなくて……風呂場の」  「……怒ってます。三日間寝込みました。今もだるいし、熱っぽいし……腰痛いし。でも、むかえにきてくれたからチャラです」  噛まずにすらすらしゃべっていることに気付き、軽く驚く。  小金井相手なら、卑屈で人見知りのぼくだって、こんなふうに自然にしゃべれるんだ。  小金井の手を少し強く握り、運転に集中するふりで呟く。  「………次はやさしくしてください」  一瞬、小金井の指がぴくりと震え、繋いだ手から驚きが伝わるもしらんぷりをきめこむ。  「着きました」  ブレーキを踏む。駅前広場に車を斜めにとめる。  ロックを解除、ドアを開け放つ。  深夜、とっくに日付が変わり、終電が出てしまった駅前は無人だ。都心ならいざしらず、小金井や八王子は本当に人けがなくなる。  傷にさわらぬよう細心の注意を払い小金井の肩を抱き、車をおりるのを手伝う。  「……駅……」  「終電でちゃいましたよ?」  「コインロッカー……そこにある……」  小金井はぼくより上背がある。やせて見えるけど、結構重い。  ぐったりした小金井をなかばおぶさるようにして駅へ向かう。階段を上る。  宿直の駅員がいるだろうし、まさか銃撃戦には発展しまい。  そう楽観し、一段一段注意深く階段をのぼり、閑散と静まり返った構内を突っ切ってコインロッカーをめざす。  小金井とぼく二人分の靴音と、苦しげな息遣いだけが広い構内に響く。  「……クスリと銃はそこに?」  「……灯台もとくらし……なんてね」  「でも小金井さん、三日前まで地元に帰らなかったんでしょ?山手線沿いぐるぐる逃げ回ってたのにどうやって……」  「世話んなった彼女のひとりに運んでもらった。その子俺と入れ違いに海外留学したから今日本にいないんだ……中身はテキトーにごまかしたけど」  小金井がちょっとしょげる。  「……やっぱ最低だ、俺。女の子に運び屋の真似事させて」  「今さらですよ。でもなんで小金井駅……新宿駅とか、もっと人多い場所のがよかったんじゃ?地元で安心感あったとか」  「………俺、ここに捨てられてたんだ」  構内の、ちょうど真ん中あたりで歩調をおとす。  息を呑み、間近の小金井を見る。  血糊がこびりつき、ばらけた前髪に憔悴した顔を隠し、淡々と言う。  「殆ど覚えてないけど……小金井駅の隅っこで、ロボット抱いてうずくまったとこ保護されて……二歳か三歳かそこらで、自分の名前も言えなくて……ホントの名前わかんないから、保護された市の名前をもらったんだ。小金井って」  言葉を失うぼくに寄りかかり、頬に頬をこすりつけるようにして呟く。  「ドラえもんの道具でほしいもの……タイムマシンて言ったじゃん?親の顔見たいのもほんとだけど、タイムマシンがあれば、耕二助けられたんじゃないかって……先生にも、きちんと別れの挨拶できたんじゃないかって……ずっと、ずっと、息が詰まるほど後悔してる。だけど……」  ぼくの目をまともに覗き込み、晴れやかに笑う。  過去の葛藤も鬱屈も吹っ切って、前向きな自分を取り戻し、笑う。  「東ちゃんと出会えてよかった。その事だけはきっと、何があっても後悔しない」  ゴールは近い。  もうすぐだ。  一歩一歩、踏みしめるようにして歩く。肩によりかかる小金井をひきずって、コインロッカーのゴールをめざす。  「キーもってますか」  「ここに。……俺、手、使えないから。頼んでいい?」  「一緒にやりましょう」  とうとう辿り着く。小金井が顎をしゃくる。ジーパンの前ポケットをさぐり、番号札がついたコインロッカーの鍵をとりだす。  深呼吸し、コインロッカーのひとつと向き合う。小金井もぼくの隣で真剣な顔をする。  「「せえの」」  どちらからともなく声をあわせる。  キーを持つ小金井の手に手を重ね、強く握り締め、鍵穴へと導く。カチッとかちあう音がし、ゆっくり扉が開いていくー……  「案内ご苦労だった」  清潔な明かりで満たされた構内に朗々と響き渡る太いバリトン。  硬質な靴音を響かせ、今やっと階段をのぼりきった黒背広の男が、こっちに銃を向けている。  男を中心にして散開、迅速に包囲網を敷く生傷擦り傷だらけのチンピラたちが、殺気にぎらつく目でこっちを睨む。  「っ……なんで……!」  「気付かなかったか?車から落ちる間際、運転席の下に携帯すべりこませた。発信機付きのな」  不自由な体を押してぼくを庇い立つ小金井の問いに応じ、森が宣言する。  「ブツを渡してもらおうか」

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