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第31話

 「ありがとうございましたー、またおこしください!」  自動ドアがスライドする。  背中を向けて出ていく客を丁寧なお辞儀で送りだす。  「ちょっとまだー?急いでるんだから早くしてよ」  「はっ、はい、申し訳ありません!」  語尾を上がり調子に伸ばしたギャルのブーイングに姿勢を正し、あたふた商品をスキャンする。  小金井の失踪後、コンビニでバイトを始めた。  シフトは午前十時から午後二時まで、月水金の週三日。  朝や昼は弁当を買いに来る人の応対に駆り出され忙しい。  まだまだわからないことだらけ、足手まといの域をぬけきらないがなんとか逃げ出さず頑張っている。  今では小金井がいた期間のことを夢のように思う。  思い返せば激動の一ヶ月とちょっとだった。  秋葉原でオタク狩りに絡まれたところを偶然助けられ免許証を取り上げられ八王子のアパートにまで押しかけてきたヒモ、しめしめ寝込みを襲って居候許可の口約束を取り付けた食えない男、小金井リュウ。  土足でずかずか日常に踏み込んできたヒモに振り回され、じっくり腰を据えゲームもできずネットにも身が入らぬ悩み多き一ヶ月も、過ぎてしまえば懐かしく楽しい事ばかり思い出す。  「ただいまお釣りお渡ししますので少々お待ちください」  慣れない手つきで品物を袋に詰めつつ、小金井がいなくなってからのそれなりに波乱の日々を回想する。  二週間の入院を経て、現実復帰した小金井と結ばれた……この表現は恥ずかしい、訂正しよう。小金井と肌を重ねた……待て、これもどうかと思う、じゃあどう言えばいい、ぼくの語彙じゃ無難な表現が思いつかない。  漫画やラノベ以外の本も一般教養として読んどくべきだったといまさら後悔しても遅い。とにもかくにも、退院した小金井と同じ布団で寝た夜が明けてみれば、ヒモは忽然といなくなっていた。  朝目覚め呆然とした。  開いた口がふさがらないとはまさしくあの状態だ。  前日の夜、気を失うも同然に眠りにおちて日が高くなってから目を覚ましてみれば、小金井は布団の皺だけ残し薄情にも消え去っていた。  姿の見えない小金井を追い求めさてはトイレかとドアを開け覗いてみたがはずれ、押入れの襖を開け呼びかけるも応答なし、机の下はスペースの関係で隠れられない、さすがに張り替えたばかりの畳を剥がすのはためらわれた……そもそも死体じゃあるまいし、常識で考えるならそんなところに生身の人間は隠れたりしないのだが小金井ならばやりかねない。  小金井が部屋から消えた。  漫画アニメゲームが乱雑に散らかり、ゲーム機のコードが植物の如くのたくる部屋にひとり取り残されたぼくは、窓からさす日差しを浴びて、しばらく放心していた。  辛抱強く帰りを待った。  五分、十分、三十分。  一時間、二時間、三時間、半日。  ちょっとそこまで、コンビニに煙草でも買いにいったんじゃないのか?  書置きひとつ残ってないのは、すぐ帰ってくるつもりだからじゃないか?  根拠のない可能性、希望的推測に縋る。  ぼくは小金井を待った。  からっぽの部屋、ひとりぼっちで、一日中待ち続けた。  秒針が時を刻む音だけが静かな部屋にこだましていた。  いつのまにか夜になった。  玄関に小金井の靴は見当たらない。  小金井の服も携帯も部屋からさっぱり消えていた。  小金井は完全に出ていった。  もう帰ってこない。  すぐには現実を受け入れられなかった。  小金井が去った事実を認めたくなかった。  昨日はあんなに幸せだったのに、小金井に抱かれ幸せ一杯だったのに、一日たてば全ては夢のように希薄だった。  小金井のぬくもりが去った部屋はひどく広く空疎で、何をする気もおきなかった。  食事をとるのはおろか、トイレに立つのもパソコンの電源をつけるのも億劫だった。  二・三日、抜け殻のような無気力状態が続いた。  人間、本当にどん底だと涙も出ないんだと初めて知った。  泣く元気を回復したのは四日目からだ。  まる一週間、べそをかいてすごした。  ゲームをやっててもネットをしてても勝手に涙が出てくるのには参った、麻痺した心の代わりに締め忘れた蛇口さながら涙腺がしょぼしょぼ水を垂れ流すのだ。  フィギュアを塗ってる最中に涙が出てきた時は辟易した、何度も眼鏡をはずし目を拭かなきゃいけなかった。漫画のページに涙が落ちて印刷が滲んだ時は本気で小金井を恨んだ。  コントローラーを叩きつつ、パソコンキーを叩きつつ、泣いて泣いて泣き腫らしてついに吹っ切った。  キスのつたなさにあきれて?  セックスのへたさに嫌気がさして?  出てった理由はわからない、知るもんか、考えたってわからない、考えるだけむだだ。  きっと小金井には小金井の理由が、小金井の人生があるのだろう。  悶々悩んで鬱々考え、前向きに生きることに決めた。  傍迷惑なヒモと手を切れたのだからむしろ喜ぶべきだ、発想の転換次第で人はいくらでも幸せになれる。  小金井の失踪から一週間後、フロムAに出てたコンビニに面接予約の電話をかけた。  小金井が消えても、小金井が教えてくれたことは覚えている。  小金井がくれたものは、心の中でちゃんと生きている。  面接はところどころ記憶がとぶほど緊張したけど、よっぽど人手不足だったらしく、即採用が決まった。  赤面症でどもりで挙動不審、緊張が頂点に達すると無意識に貧乏揺すりする癖がある二十二歳を、面接に当たったコンビニ店長は「……まあ、きみならレジのお金盗んだりしないだろうしね」と遠い目でぬるーく評価してくれた。  トラウマでもあるんだろうか。  履歴書の趣味特技欄は「読書、ネット、工作」、志望動機欄は「社会勉強のため」と書いてごまかした……嘘は言ってない。  はたち過ぎの男が「社会勉強」と言い張るのもちょっと恥ずかしいけど、まずここから始めよう。  今朝アパートを出る時、ゴミ出しにいく大家さんとすれ違った。  「こ、こんにちは」「あら八王子くん、バイト?」「はい、そこのコンビニで……始めたばっかりなんだけど、」「続くといいわね。朝っぱらから部屋にこもってゲームばっかじゃ体に悪いし親御さんも心配するもんねえ」と、立ち話をした。  二ヶ月前からすれば大きな進歩だ、小金井と出会う前なら頭を低め目を伏せてそそくさやりすごしていた。  ひとの目をまっすぐ見るのは怖いけど、とりあえず逃げずに話せるようになった。  どもってもいい、噛んでもいい、落ち着いてゆっくりしゃべろ。  暑くもないのに一人汗かき、噛みまくりで受け答えするぼくを、大家さんはどこかほほえましげに見詰めていた。  口うるさくて怖い人という印象が先行してたけど、聞き取りづらい店子の話にいちいち相槌打ってくれる大家さんはいい人だ。今のぼくには、わかる。  「リュウくんからまだ連絡ないの?」  「ええ……はい」  「携帯にかけてみたら?番号登録してあるんでしょう」  「……ケータイかえたのかもしれません。試してはみたんだけど」  曖昧に口ごもるぼくにずいと詰め寄り、頬に手をあて嘆く。  「どこ行っちゃったのかしらねえ。リュウくんいないとうるさくなくて物足りないわ」  小金井の行方を案じる口調は、餌をもらいに通っていた野良猫の身を案じる程度には深刻だった。大家としては問題発言だろう。  小金井を行方を尋ねられてもぼくは何も言えない。  ぼくだって何もせず手をこまねいてたわけじゃない、一応行方をさがしてはいるのだ。  かといって、成人済みの居候が突然消えたからと警察に捜索届けを出すわけにもいかない。  小金井は自分の意志で出ていった。  またヤクザ絡みのトラブルに巻き込まれたのか、ぼくに心配かけまいと姿を消したのかとやきもきしたが、現状では無事を祈るしかない。  小金井がいなくなってから、ぼくは煮え切らない日々を送っている。  自動ドアが開き新たな客が入ってくる。  レジに人が並ぶ。  せわしく手を働かせながら、つらつら違うことを考える。  小金井が消えてからも色んなことがあった。話したいことがやまほどある。  でも話せない、連絡がとれない、携帯も繋がらない。  小金井は自分の意志でぼくとの連絡を絶っている、そうとしか考えられない。  やっぱり嫌われたのだろうか。  へたくそだから、幻滅したんだろうか。  小金井を十分喜ばせられなかった自分が歯がゆい、情けない、恥ずかしい。  小金井は笑ってフォローしてくれたけど、やっぱりぼくはへたくそで、自分ひとりで気持ちよくなってたのが本当のところだ。  バイト先へくる途中、ゴミ捨て場で隣の奥さんと出会った。  エロゲの音声だだ漏れ事件以降、顔を合わすのを避けてきたのだが、人には言えないぼくの趣味が暴露されてからも彼女は態度を変えなかった。  遠目に姿を確認するなり回れ右逃げようとしたぼくを呼びとめ、普通に話しかけてきたものだから、逆にこっちが困惑した。  「ああ、あれね、あの事?いーのいーのぜんぜん気にしなくて、お互い様だし」  お互い様。  その言葉が含むのは自分も新婚でエロゲなんかよりもっと露骨で過激な夜の「あの声」で迷惑かけてるんだから、ということで  「あの、でも、気持ち悪くないですか。隣に住んでるいい年した男がエッチなゲームにふけって、隣の部屋から昼っぱらから大音量であんな声ながれてきた日には、正直通報されてもしかたないと……」  「だいじょぶよ、わたしそういうの偏見ないから。普通の人がエロ本買うのと同じ感覚でしょ?むしろと安心しちゃった、東くんもエッチなこと興味あるんだーって。だって考えてみてよ、隣に若い子住んでるのにAVの音声漏れ聞こえてこないほうがためこんでるんじゃないか配になるわよ」  「そういうもんですか?」  「そういうもんよ。エッチな本やゲームに興味津々なのは健康な男の子の証拠だもん……あ、でも今度からは音さげてね?私は気にしないけど小さいお子さんいる主婦とか眉ひそめる人もいるだろうし」  バイトに出かけるぼくに手を振りながら、「東くんてへタレ受けよね」と最後に呟いたのは気のせいだと思いたい。  自分を棚に上げて言うのもアレだが、身近に腐女子はひとりで十分だ。  ……あれを腐女子に分類していいのか判断つきかねるけど。  「ありがとうございました、またおこしください」  働き始めて半月、マニュアル対応も板についてきた。  自動ドアを出ていく客にお辞儀をする。  接客スマイルはまだまだ固さがとれないけど、品物を袋に入れる手付きは様になってきた。  最初のころはおつりを渡し間違えたり挨拶を噛んだり失敗の連続で恥をかいたが、続けるうちに少しずつ人に慣れてきたと思う。  正直、まだ実感が湧かない。  八年間ひきこもりだったぼくが、コンビニのレジに立ち、見よう見まねで接客をしている。  少し前までは考えられなかった。  認めるのは癪だが、小金井の影響だろう。  「八王子くんなにぼーっとしてるの、次のお客さんきてるよ!」  「は、はいっ、すいません!次の方どうぞ」  反対側のレジを使うオーナーの注意に姿勢をただす。  前の客と入れ替わりに出た男が、レジに投げ出すように品物を置く。  無造作で感じの悪い置き方にむっとする。  ……親に養われてる身が偉そうに言うのもアレだけどお金を払ってないうちはお店のもの、粗末に扱うのは感心しない。  不快感を顔には出さず、商品をひとつずつ手に持ち、バーコードをスキャンしていく。   ピッ、ピッ、と軽快な電子音が鳴る。  バーコードを読み取る作業中、どんくさいぼくに痺れを切らし客が横柄な声を出す。  「ちょっとー、俺これから約束あって急いでんだけど早くしてくんね?」  「申し訳ありませ……ん?」  聞き覚えある声。  相手も同様の事を思ったか、目を眇めるようにしてこっちを睨む。  ……いやな予感。  「東?」  デジャビュ再び、目の前に黒田がいた。  「あ」  レジを挟み、中学中退以来二度目の邂逅を果たす。  読み取り機をもったまま呆然と口を開けるぼくに対し、黒田は店員が知人とみるや途端にずうずうしくレジに肘を付き、笑顔で話しかけてくる。  「なんだよ、お前ここでバイトしてんの?駅の近くで便利だからたまに使うんだよ、でも品揃え悪ィよなこの店、大学の近くのほうが缶コーヒー種類そろってるしよー。ははっ、その制服似合わねー中学生のコスプレみてー。サイズでかすぎじゃね?」  黒田は相変わらずマイペース、ありていに言えば空気を読まない。  昼が近付き混み始めたというのにレジの前に陣取りどかず、親しげにしゃべりかけてくる。  「あの、お客さん並んでるんであとにしてくれませんか?」  「んだよ、冷てーなーあ。中学のころはあんなに仲良かったのに。あ、俺らが一方的に遊んでやったんだっけ?」  こんなところで黒田と会うなんて誤算だ。  もう二度と会いたくなかったのに。  レジ台をへだて黒田と向き合ううちに嫌な汗が滲み出し、心臓の動悸が速くなる。  例のフラッシュバックが巻き起こり、中学時代のいじめの悪夢が脳裏に荒れ狂う。  落ち着け八王子東、平常心を保て、今はバイト中、他のお客さんやオーナーに怪しまれたくない。  一秒でも早く黒田を追い払いたい、店から出てってほしい。  あせればあせるほど手がもたつき、袋詰めに必要以上に時間がかかる。  黒田はひとり試行錯誤するぼくを、意地悪そうな笑みを含んだ目で眺めている。  「そういやさ、こないだ電車で……あいつなんなの、すっげー感じ悪ィ」  あいつ。小金井。  電車の中で追い払われたことをまだ根に持ってるのか。  「ダチとか言ってたけど全然タイプちげーじゃん。あ、わかった、パシらされてんだろ?財布扱いされてんだろ、お前。そうだよ、そうに決まってる。中学ん頃からいじめられっ子体質変わってないんだな、東ちゃんは。安心した」  東ちゃんと、  そう呼んだ。  小金井とおなじ呼び方で、小金井とぜんぜん違う不快にねばつく声で  缶コーヒーを袋に入れようとした手がとまる。  ぼくの表情の変化に気付かず黒田がぼやく。  「疫病神に絡まれてからケチのつきどおしでさー……杏里と別れたんだよ」  「え?」  杏里。  たしか須藤さんの下の名前だ。  須藤さんと黒田が別れた。  なんで?  電車の中じゃ乗客の迷惑もお構いなしに、下品な大声でのろけてたくせに……  困惑するぼくの方へ身を乗り出し、顔をくっつけるようにして黒田が囁く。  「電車でお前と会った事、杏里に話したんだよ。だってさー、すっげえ偶然じゃん?中学辞めた元同級生と電車で再会なんてさ。相変わらずネクラで暗くてオタクっぽかった、眼鏡もだせえ、服のセンスはちょっとマシになってたけど根っこはあいかわらずうじうじオーラ炸裂でうざかったって……中学のクラスメイトと合コンやる時呼ぶか、また女装させたらウケるぞって笑いながら話したらいきなりビンタ」  「……それで、別れたんですか」  「あったりまえだよ。付き合ってらんねーよあんな凶暴女、意味わかんねー」  自分の声が低く、物騒になっていくのを感じる。  須藤さんが、ぼくのために怒ってくれた。  ぼくのために、黒田と別れた。  胸が熱くなる。  八年前、体育用具倉庫に誘い出され暴行を受けた。  あのとき須藤さんもそこにいた、ぼくを「東くん」と呼んでくれた優しい女の子、消しゴムをひろってくれた初恋の女の子。  いじめの現場に居合わせながら目を背け続けた須藤さん、後日不登校になったぼくに謝罪の電話をかけてきたただ一人の同級生。ドアの隙間からさしいれられた子機から漏れた震える「ごめんなさい」、須藤さんは罪悪感に苦しんでいた、ぼくをだまし裏切り傷付けた罪の意識に苛まれ精一杯の勇気をふりしぼり電話をかけた、純粋にぼくを心配し電話をくれた。  ぼくのこと、忘れたわけじゃなかったんだ。  八王子東を、覚えていてくれたんだ。  酷いことしたのに  ろくに話も聞かずに電話を叩ききったのに  「別にいいけどな、あんな女。どーせ飽きがきてたし」  口端を吊り上げるようにしていやらしく笑い、混み始めた店内に目を走らせ、再び向き直るや耳打ち。  「知らないだろ、お前。あいつ、エッチ下手なの。なめるのへたくそだし、マグロみてーに寝転がってるだけで全然使えねーの。一回二回の浮気ですぐキレるし面倒くせえったらねーよ、せっかく笑かそうとして冗談言ってもノリ悪ィし……別れて正解だった」  『東くん、ごめんね』  嗚咽を堪え心細げに震える声、ぼくを傷付けた女の子の、傷付け返した女の子の  黒田は須藤さんがぼくの初恋だと知っている、知っているからこんなことをいう、ふられた腹いせに憂さ晴らしに思い出をぶち壊し踏みにじり元の彼女をさんざんに貶す。  なおも話を続けようとする黒田、ズボンの尻ポケットから携帯をとりだしフラップを開く。  一向にどく気配のない態度に後続の客が眉をひそめる。  「お前も今度の合コンこいよ、懐かしいメンツ集まるから。コスプレリベンジで笑いとれよ。うーし決定、つーことでアドレスおしえ」  考えるより先に手が出た。  「て、」と同時に黒田の胸ぐら掴み、おもいっきり引き寄せる。  まさか胸ぐら掴まれるとは予期せず、面食らう黒田に近付く。  「女の子に飽きたんならぼくが舐めてあげましょうか?」  眼鏡ごしの双眸を細め、口角をねじるように不敵に笑い、挑発的な媚態を作る。  黒田が絶句。  間抜け顔が笑いを誘う。  上着の胸からするりと手を放し、音速で手を動かし、商品を完璧に詰めた袋を落ち着き払って渡す。  どん引いた黒田の手に袋を握らせるや、一回深く息を吸い、挑むように強いまなざしで断言。  「……男女不問セフレ募集中ならともかく、普通の友達として付き合う気はこれっぽっちもありませんのであしからず。ケータイ教えるつもりもありません」  「!おまえっ、オタクの分際で逆らうのかよ!?」  黒田が激発、怒りに顔を紅潮させ殴りかかる構えをとるのを冷ややかに見返す。  レジの下に隠れた膝は震えていた。  内心の怯えを虚勢でひた隠し、慇懃無礼な表情と態度でもって、醜態を呈すかつての同級生をあしらう。  「たしかにぼくはオタクだけど、同級生をむりやり女装させて興奮するような手合いよりマシだ」  「ッ……」  黒田の顔が醜く歪む。  憤怒で真っ赤に染まった顔が揺らぎ、ぼくに対する一抹の引け目が発露。  次の瞬間、ぼく如きにびびった事実にショックを受け、感情に任せ振り上げたこぶしを引っ込める。  「おいお前、いつまでそこにいるんだ。会計終わったんならとっととどけよ、急いでるんだよこっちは!」  「空気読んでほしいよねー」  いよいよ痺れが切れたか、後列の客が黒田に盛大なブーイングをとばす。  客の辛辣な目と非難に晒され、劣勢を悟った黒田が舌打ちひとつ、ぼくの手から乱暴に袋をひったくって駆け出していく。  「もうくるかこんな店!!」  「ありがとうございました、二度とこないでください!」  「ちょ、ちょっと八王子くん、今のはなしだよ!?」  別のレジで接客にあたっていたオーナーが慌てふためく。  「すいません、気をつけます。つい本音が」  「当たり前だよ、気を付けてもらわなきゃ困るよ!?」  オーナーに悪いと思う一方、腹の底からこみ上げる痛快さに顔が自然に笑うのを抑えきれない。  八年前は逃げてばかりだった。  今は違う。  現に今、ぼくは自分の意志と力で黒田を追い払った。  須藤さんを侮辱され全身の血が逆流した、黒田に対する怯えや恐れを上回る怒りと衝動に突き動かされた。  黒田なんか怖くない、ヤクザの銃弾のほうがもっと怖い、風呂場で小金井に襲われた時のほうがもっと  「……………こがねいさ、」    目の錯覚?  袋詰めをしていた手がとまる。  今しもレジにならぶ客の後ろを通り過ぎていく若い男、黒地に髑髏の悪趣味なパンクファッション、耳朶に嵌まるピアス。  本人か確かめる暇もなくレジの前を突っ切って自動ドアを抜けていく。  願望が生んだ幻覚、錯覚、白昼夢?  あんまり会いたくて、一日中あいつのことばかり考えていて、幻を見た?  「八王子くん!?」  「すいません、すぐ戻ります!!」  気付けば駆け出した、床を蹴り必死に、猛然と。  レジ前にたむろうお客さんが驚く、一陣の風と化し自動ドアを抜け通りに走り出る、通行人が何事かと注目する。  駅へと向かう雑踏を突っ切り走る、人ごみに見え隠れする背中を追う。  見覚えある後ろ姿に手を伸ばす、人ごみをかきわけ突き進む、すれ違う人に見られるのが怪しまれるのが恥ずかしいとか言ってる場合じゃない、そんなこと言ってるあいだに行ってしまう、だから追いかける、今度こそ追いつく。  また会えた、  「小金井さんっ!!」  やっと会えた、  白昼の往来を全速力で走る。  ひさしぶりの運動はきつい。  がむしゃらに足を蹴りだす、ボロいスニーカーでアスファルトの地面を蹴る、両腕を吸い寄せられるように前へ前へのばし空を薙ぎ払う。  駅前の繁華街、派手派手しい看板、低空を席巻するさまざまな雑音、路上に溢れる大勢の人の中でたったひとりを見分ける。  「待てよ、出戻り!!」  肺活量いっぱい、絶叫する。    深呼吸し、恥も外聞もかなぐり捨ておもいっきり叫ぶ。  喉から振り絞った声が空に響く、通りにごったがえすサラリーマンが女子高生が大学生が年寄りが親子連れが訝しげにこっちを見る。  人ごみに紛れ前を行く背中が止まる。  「出戻りに反応した……ってことは、やっぱり小金井さんだ」  確信をもち、泣き笑いに似て滑稽に崩れた顔で、ふらつきつつ間合いを詰める。  五メートルまで迫った頃、ようやく男が振り返る。  「……ひさしぶりだね、東ちゃん。元気してた?」  ばつ悪げに笑うその顔は、見間違えようもなく、小金井。  突然現れ突然消えた、人騒がせなヒモに違いなくて。  「―っ、あんたってひとは……」  言いたいことは山ほどある。  なんで何も言わず突然消えたのか声を大にして問い詰めたい、胸ぐら掴んで揺さぶりたい、今までどこ行ってたのか、どうしてひとりぼっちにしたんだ、好きだって言ったのは嘘か、まただましたのか、どうして、どうして……  人さし指で頬かく小金井と向き合う。  時間に追われる人の流れが、道のど真ん中で対峙するぼくたちを左右に避けていく。  「今までどこいってたんですか。どうしていきなり消えたんですか」  「ごめん」  「心配したんですよ、すっごく……何も言わず、書置き一つ残さず、ケータイも繋がらないし……ララさんも知らないっていうし、完全に行方知れずだし、っ、ほんと、最低だ……」    胸の内に激情が吹き荒れる。  油断すると視界が滲む。  ぶん殴りたい衝動を体の脇で指をにぎりこみ懸命に堪える、理性の抑制を働かせる、どうして消えたいなくなったひとりにした寂しかった、小金井がいなくなってから何を食べても味気なくて部屋が広くて色んな物あふれててもからっぽで  何から話そう、何を言おう、小金井と会ったら最初に話すことずっとシュミレートしていた  深呼吸で昂ぶる心を落ち着かせ、渇いた喉を唾で湿し、口を開く。  「バイト、始めたんです。コンビニで」  「うん」  「失敗ばっかでぜんぜん役に立たないけど……レジ打ち覚えたんです。袋詰めもできるようになったし、ちょっとずつ、仕事おぼえて」  どうしよう、小金井の顔がまともに見れない。まっすぐ目を見れない。  ぼくは変わったのに、あれから少しマシな自分になれたのに、久しぶりに会う緊張と興奮でともすれば舌が縺れ言葉を噛みそうになる。  小金井の優しい目にいたたまれず下を向くや、何年間も履き古してボロボロになった靴が目に入る。  「オフ会、もうすぐなんです」  「うん」  「新しい靴買いたくて。皆の前に出ても恥ずかしくないように、自分が働いたお金貯めて……まずは靴から、バイト続けてもっと貯まったら家賃も払う。いつまでも親に甘えっぱなしじゃいられないし……その」  まずは靴からはじめて、そのうち家賃も払えるようになるのが、今のぼくのひそやかでささやかな目標。  それだけじゃない。  夢ができた。  まだ誰にも明かしてない夢、無謀な夢、それを明かすなら一番最初はこの人だと心に決めていた。  深呼吸で度胸を吸い込み、一回目を閉じて覚悟を決め、開き、今度こそまっすぐ小金井を見つめる。  「フィギュアの原型師になりたいんです」  他人にバカにされるかもしれない夢、大きな声では言えない夢、本当はずっとずっとなりたかった、心の奥に秘め続けていた、八年前ザクを作りながら八年間ザクを作りながらフィギュアを作りながら原型師に憧れていた。  収入の不安定な仕事だとわかってる、成功者はほんの一握りの業界だ、世間は甘くない、趣味を極めた職人を本気で目指すなら荒波にもみくちゃにされ何度も挫折を味わうだろうと予感してる  でも  「……親には恥ずかしくて言ってない、言えば叱られる、いつまで夢見てるんだって……だけど、ぼく、ほんというとずっと原型師になりたかったんです。尊敬するハクトさんのフィギュア見て……感動して……フィギュアとか、ガンプラとか、八年間飽きずに毎日こつこつ作りまくった。写真撮ってブログにアップしてたけど、だんだんそれじゃ飽き足らなくなって……実力、試してみたくて。自信なくてずっと言い出せなかったけど」  そこで言葉を切り、はにかみがちに笑う。  「今、バイトしながら色々資格の勉強してるんです。将来のこと考えたら資格とっといて損ないし……中学もまともに出てないから難しいけど、真面目に勉強するの久しぶりで、意外と楽しくて」  繁華街に溢れる多彩な人々、他愛ない日常の喧騒。  道の両側に建つ店舗から流れる音楽が活気ある人声とごたまぜになって、雑音が渦巻く。  「脱ひきこもりしたばっかで将来の夢とか語るの思い上がりかもしれないけど……バイトはじめて、資格勉強して、オフ会参加して。色んな人と出会って、色んな経験して、これからもっと……自分を好きになりたい」  そう思えたのは、小金井がいたからで。  「頑張ってるんだね、東ちゃん」  小金井が嬉しそうに笑い、今度は自分から近付いてくる。  近付きがてら尻ポケットをまさぐり何かをさしだす。  思わず受け取ったそれを見下ろし、当惑。  名刺だった。   物問いたげに見上げるぼくに照れくさそうな笑みを返し、小金井が言う。  「仕事始めたんだ」  「ホストですか?」  「名刺読んで」  言われた通り、じっくり二回名刺を読み返す。  刷られていた店の名前に覚えがある。  「東ちゃんの服を買いにいってた古着屋、あそこの店長と仲良くなっちゃってさ。人手たりないからバイトしないかって誘われて」  「ホストじゃないんですか」  「……そんなにホストっぽいツラしてる、俺?」  小金井が自分を指さし情けなさそうに肩を落とすのに、心のままに頷く。  手持ちぶさたの手をポケットにひっかけ、自分を避けて流れゆく雑踏に視線を投じ、ぼくの前から突如消えた理由を話し始める。  「ホストも悪かねーけど、夜の世界からいったん距離おいてこっちで頑張ってみたくて」  再び向き直った目には感傷の光、口元には儚い笑み。  「黙って出てって悪いと思ってる。けどさ、ああでもしないと……決心つかなくて。俺、自分がダメなヤツだってよくわかってるし。意志、すっげー弱いんだ。あの日……東ちゃん抱きながら、ああ、このままじゃだめだなーって思った。また流されてんなーって」  「出戻りヒモって呼んだの気にしてたんですか?」  「……まあそれもあるんだけど。俺に抱かれながら東ちゃん言ったでしょ、自分を好きになる努力するって。で、そこではたと思っちゃったんだよね。俺はどうよ?って。今のままでいいワケ?東ちゃんが変わる努力してんのに、俺は相変わらず無職のヒモでひまな一日ぶらぶらして、東ちゃんの金……正確には東ちゃんの親の金だけど……食い潰してる。ふと自分の現状に立ち返って、すっげー情けなくなった。ああ、このままじゃだめだ、まーたラクなほうへ流されてる、このままずるずる一緒にいても一生懸命やり直そうとしてる東ちゃんのジャマになるだけだ」  「そんな……」  否定しかけ言葉を失う。  小金井の指摘もまた事実だった。  ぼくはとかく依存心が強い。  小金井が隣にいたらぬるま湯の日常に浸かりきって、バイトを始める踏ん切りがつかなかった。  「小金井リュウとして仕切り直して、東ちゃんに会いにきたかった」  「でも携帯も繋がらないし……」  バイト中電源を切っておいた携帯をポケットから抜き出し、目の前の本人にかけてみる。  「買い換えたんだ」  「え」  「前使ってたヤツ……東ちゃんに番号教えたヤツだけど、ほら、元カノのアドレス登録したまんまの。脅しのネタに使われちゃたまんないから履歴削除しようとしたんだけど、片手間にやってたもんだからついトイレにおっことしちゃって、防水加工してなかったらヒサンな目に」  「トイレでケータイ使わないでくださいよ非常識な!?」  「ごめん」  反省はしてるらしく、素直な謝罪に毒気をぬかれる。  「それならそれで書置きくらい残してくれたって」  「字、へたくそだし」  「そんな理由で!?いや、たしかにへたくそですけど!!」  「書置きとか残すとかえって心配させちゃいそうで……がらじゃないじゃん。いや、嘘、今の見栄。ホントは俺の問題で……まあぶっちゃけると、書いてる間に決心鈍るのびびったんだよね。東ちゃんが起きる前に出ていきたかった」  「起き出せば止めるから、それで……」  小金井が静かに首を振り、言おうか言うまいか迷い、息を吸う。  「あんなかわいい寝顔反則。いつまでも見てたくなる」   そう言って、自分こそ反則気味の笑顔を浮かべる。  「バカじゃないか……」  「俺もそう思う」  白昼の往来でだらしなくにやけのろける小金井を、顔を赤く染め睨みつける。  手に持った携帯が、ふいに軽快なアニメソングを奏で始める。  個別の着メロに反応し、慌てて通話ボタンを押す。  『東か』  耳にあてた携帯から漏れたのは、聞きなれた兄さんの低い声。  『今バイト中か?大丈夫か?休憩中か?』  「兄さん、どうしたんですか」  『別に用ってほどのことはないんだが、その……失敗してないか?叱られてないか?店の人に迷惑かけてないか、クレームきたりとかは』    小金井が目だけで「お兄さん?」と聞いてくるのに携帯を手で隠し頷き、困り果てた息を吐く。  「兄さんこそ、忙しいのに一日に二回も三回もかけてこなくていいですって。ぼくは何とかやってますんで」  『そうか?でもお前ちゃんと外に出るの八年ぶりだし、お前のことだから職場で意地悪な上司やバイト仲間にいじめられて誰にも言えず悩んでたりするんじゃないか。要領悪いお前のことだ、レジ点検のとき合わなくて店長にあらぬ疑いかけられて泣いてやしないかと』  「妄想です!というか当事者でもないのに被害妄想膨らませないでくださいよ、ぼくはいいから自分の仕事に集中してください、医療ミスとかされたらこっちが罪悪感です!!」  『だが東、』  心配性な兄さんにうんざりする。  携帯と言い争うぼくを行きかう人が面白そうに眺め忍び笑う、不特定多数の視線が注ぎ顔が熱くなる。  「もう切りますよ、休憩終わりだし!」  『またかけるからな』    「当分いいです」  『東』  まだあるのか。  過保護な兄さんに辟易し、どうせお説教だろうという諦念から「なんですか」となげやりに聞けば、予想外の台詞が返る。  『………甘えるな。頼るのは許可する』  ……意訳すると、「悩みがあれば相談しろ」だろうか。  一方的に切れた携帯にため息ひとつポケットにしまえば、小金井が笑いをかみ殺すような、大変むかつく顔でやってくる。  「お兄さんの着メロ、アンパンマンなんだ。東ちゃんも言うようになったね」  兄弟そろって不器用だねとでも言いたげな顔に腹が立ち、赤みがさした頬を悟られぬよう高速でそっぽを向き、弁解する。  「心配性なんですよ兄さんは、ヤクザ絡みのトラブルに巻き込まれてからというもの一日一回は必ずケータイにかけてきて仕事は順調か風邪ひいてないかテレビ漫画ゲームは程ほどにって口うるさく探り入れてくるし、神出鬼没のだれかさんと一緒ですごく迷惑です!あーもー、ぼくもう帰りますからね、まだ仕事中なんです、レジ任せて飛び出してきちゃったから早くもどんないと」  途端にあたふた回れ右し、コンビニへ取って返しかけた背中に、間延びした声がかかる。  「ねー東ちゃん、俺、一度どーしてもやってみたいことがあったんだけど」   「なんだか知らないけどやればいいじゃないですか、勝手に」   「そ?じゃあ遠慮なく」  背を向けたぼくをよそに小金井が胸一杯空気を吸い込む。  構うもんか、小金井なんかもう知らない、どこへでも勝手に行けばいい、テキトーに生きればいい  小金井なんかいなくても八王子東はぜんぜん平気だ、立派に更正して見返してやる、ひとりでもちゃんとー……  「小金井リュウは八王子東を愛してます!!」  白昼の往来に馬鹿でかい声が響き渡る。  道行く人々が一斉に歩調をおとし振り返る、通りのど真ん中に仁王立ち口の横に手をあて叫ぶ小金井、雑音と人声を圧し空へと吸い込まれたそれは愛の告白    「なっ、なっ、な………」  肺活量いっぱい絶叫を放ち、野望をなしとげた者特有の清清しい笑みを浮かべ、小金井が嘯く。  「愛の告白っていったらやっぱこれっしょ?」  けっして悪びれないその笑顔。  悪戯が成功したやんちゃな子供のような笑顔は、初めて出会った時からちっとも変わらない、ぼくが大好きな小金井の笑顔  右向き左向き後ろ向き逃げ場をさがす、雑踏のど真ん中で大胆にも愛の告白をやってのけた小金井に道行く人々が好奇のまなざしを投げかける、そこかしこから沸き立つくすくす笑い、告白した方より告白された方がいたたまれないって不条理だ、理不尽だ、不公平だ、納得いかない  頭と顔に血が上る、しれっとした顔の小金井に憤然たる大股で詰め寄る、憤激に駆られ怒鳴りちらす。  「なんで居直り出戻りヒモ風情に生き恥かかされなきゃいけないんだ、正直エロゲ大音量ご近所羞恥プレイより恥ずかしいです、人生最大の生き恥だ!!」  「東ちゃんは?俺のこと好きくないの?いないほうがいいの?」  小金井が悪戯っぽく含み笑う、わかりきった答えを問うように。  ああ、くそ、答えなんか決まってる。  言ってやる、言ってやるさ、今のぼくに怖いものなんかない、銃弾の嵐をかいくぐるのに比べたら全然へっちゃらだ、人の目なんて怖くない、くすくす笑いはしらんぷり、せいぜい八王子の青い空の下道化を演じてやる  そしてぼく、八王子東は  二十二年間生きてきた中で、文句なく一番おおきな声を出す  「八王子東は小金井リュウを愛してます!!」    小金井は八王子に恋してる。  そして八王子は小金井に恋してる。 

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