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ザクとキリンとチョコエッグ

 皆さんお元気ですか。僕は元気です。  「東ちゃん、今日何の日か知ってる?」  ヒモも元気です。  「もちろん知ってますよ、忘れるわけありません」  14インチのテレビ画面ではちょびひげの似合う世界一有名な配管工がぴょんぴょん土管を飛び越していく。  跳ぶ、跳ねる、跳ぶ、跳ねる、跳ねる跳ねる頭突きで金貨を獲得。  空中に浮かぶブロックに頭突きをくれるごとちゃりんちゃりんと音たて金貨が降り注ぐ。  「ねー東ちゃん、ゲームばっかしてないでこっち見てよ」   「さすが元祖マリオは違いますね、ポリゴンでもCGでもない黎明期のドット表現に味がある。操作は基本を踏まえ単純なようでいて奥が深い。複雑なコマンド入力がない代わりに連打の間隔と速さでセンスが試される。ステージは初心者でもこなせるよう平易に設定されてるようでいて、スタート地点を逆走しなければ見つからない隠しアイテムなんて憎いまねを」  「ねえってば。っていうかこんな古いゲーム機どこで手に入れたの」  くぅんくぅんとでっかいわんこのように構って光線を発する。うざい。  無視してゲームに意識の照準を絞る。  中学時代から朝昼晩とほぼ一日中傍らに積み上げたソフトをこなしていって固くなった親指でボタンを叩く。  カメックを踏み台にしてジャンプ、ブロックに頭突き、ちゃりんちゃりん。  「もちろんネットオークションです」  「遊べるんだ」  「保存がよかったんでまだまだ現役です、繋いでやればほら、ちゃんとプレイできます。さすがに画像は劣化してるけど」  赤と白のレトロな筐体に顎をしゃくって自慢げに鼻の穴をふくらます。  小金井が疑い深げに眉をひそめる。  「ネットオークションて何円したの」  「………」  「おーい東ちゃん、聞いてますかー?」  「えいっ、そこだ!イナズマイレブン!」  甲羅にひっこんだカメックを蹴っ飛ばす。  ステージを一直線に滑走していく亀を見送る。  後ろから抱きつく小金井が小さく呟く。  「……言えねえほど高い買い物だったんだ」  「常識ハズレってほどじゃないですよ、妥当な金額です。保存状態よくて現役で遊べるハードならむしろ安いくらい」   「何万円?」  「言いたくありません」  「万単位なんだ」  ひっかかった。動揺で指が滑りボタンを打ち間違える。操作に失敗、あと一歩でステージクリアというところでマリオが倒れる。  「あああああああぁああああああぁあああああ、もう少しでクリアだったのにィいィい!!」  コントローラーを両手にもち悔しがる。  「さっきの質問にもどるけど今日は何の日か知ってる、東ちゃん。大事な日なんだよ」  小金井が耳元でしつこくくりかえす。  コントローラーを握ったまま放心、ややあって自分を取り戻す。  「藤原はづきの誕生日でしょう」  「はあ?誰それ」  小金井が面食らう。ずれた眼鏡の位置を直しつつ、かいつまんで説明してやる。  「おジャ魔女どれみのはづきっちですよ。ほかに同じ誕生日のキャラといえばガンパレードマーチの石津萌、らきすたの小神あきら、ダ・カーポの水越眞子が」  「たんま!」  のべつまくなしに語り始めた僕を制し、疑惑に満ち満ちた目つきで追及する。  「わざとやってる?それとも天然でマジボケ?今日は恋人たちにとって欠かせない大事な日っしょ」  「つまんないこと言ってないでバイト行ったらどうですか」  「今日は休みだってば。以下、話そらすのなしね」  見抜かれてる。  現在僕はコンビニでバイト中、小金井は古着屋の店員にちゃっかりおさまってる。  つい先週バイトから正式な従業員に格上げされたと嬉しそうに報告してくれた。  小金井は抜群にセンスがよく話し上手で接客が上手い。  小金井を雇ったおかげで売り上げが伸びたと思わぬ拾い物に店は喜んでるそうだ。  小金井は着々と更正している。  もうぼくなんてとっくにおいていってしまった。  祝ってやらなきゃと頭では分かっていても、なにをやらせてもだめな僕とちがって小金井は環境にさえ恵まれれば素質を磨いて才能を発揮できる人間なんだと思い知らされるようで少し寂しくもある。白状すると、遠くに行ってしまうのが怖いのだ。  畳の上には資格取得が動機で購入した参考書が散らばってる。  僕だって頑張っているのだ、少しでも今よりまともな人間になるために、夢に近付く為に。  けれどもどうしようもなく劣等感を抱いてしまうのは小金井が僕に甘すぎるからで、僕みたいに根暗で卑屈で後ろ向きでうじうじめそめそしたオタクを相手にしなくても小金井は女の人にモテモテなのに、だけどそうなると僕にかまう理由がなくなってしまうからで、しまいにはどうして小金井が今もまだ僕と暮らしてるのかわからなくなる。  逃亡者の汚名が払拭されて危機が去ったのに。小金井を捜していたヤクザは警察につれていかれたのに。  彼がまだ愛想を尽かさないのが奇跡に思える。  自分に自信がない。どうして彼が僕を好きでいてくれるのかわからなくていつも不安だ。  愛されてる実感は我ながらもう贅沢だなとあきれるほどあって  「えいっ」  「ひゃあっ」  たとえばこんな時。  「な、なにするんですかこがねいさ、あひゃっ、脇腹弱いって、ちょ、やめ」  「かまってくんないと悪戯しちゃうぞ」  脇腹に回した手をこちょこちょいかがわしく蠢かせる。たまらない。脇腹をくすぐられ仰け反り笑う。  僕の頭に顎を乗せ、両手でくすぐり倒しながら不満そうに口を尖らせる。  「ゲームなんていつだってできるじゃん、俺がうちにいるときくらいかまってくれたってバチあたんねっしょ。せっかくふたりっきりなのに東ちゃんさっきからテレビと睨めっこでちっとも俺の方見ねえんだもん」  小金井の顔が逆さに垂れる。僕を頭上からのぞきこみ怒ってるんだぞとアピール、おっかない顔をする。ちょっとびくつく。  「ついでに距離近すぎ、ゲームは離れてやりましょうって学校で言われなかった?それ以上目え悪くなっちゃったら困るでしょ」  「いいでしょう、ほっといてくださいよ」  大人ぶった口調での注意に反発、逆さ顔を振り払う。次の瞬間、手で挟まれ頬がつぶれる。目と鼻の先に真剣な顔がくる。  「よくない。東ちゃんが目え悪くしたら俺が哀しい」  「~なんで小金井さんが哀しいんですか、意味わかんないですよ!」  「言わせる気?」  小金井が屈託なく笑う。僕が目下最大の弱みとするところの笑顔。  小金井はでかくて人懐こい犬みたいだ。  僕の顔を手挟んでおもいっきり近付く。  宙に垂れた髪の中心にはにかむような笑顔が浮かぶ。  「のろけなんて言うだけヤボってもんさ」  堪忍袋の緒が切れる。小金井の手を乱暴に振りほどくやドアの方を指さしヒステリックに叫ぶ。  「邪魔ばっかするなら出てってください、僕はゆっくりと一人でゲームがしたいんですっ!」  「なんで俺がでてかなきゃなんねーわけ?家賃半分こしてるのに」  「う」  そう、そうなのだ。この春から親の仕送りは打ち止めとなり、アパートの家賃は小金井と折半で払ってる。  「少なくとも部屋の半分は権利主張していいと思うけど」  「居候が偉そうに……」  「元・居候ね。今はちがうし」  「いまはなんですか」  小金井がにやつく。  「彼氏」  「冗談」  「恋人?」  「却下」  「愛人」  「お断りです」  「飼い犬」  「まあそれなら……」  「っていいのかい」  小金井が手刀をおろしてびしっと突っ込む。ノリツッコミが上手くなった。一緒に暮らし始めてから着々と僕の影響を受けている。  「でかくてうるさくて茶色くてかまってちゃん、実際犬みたいなもんですから」  一人でゆっくりゲームをしたいのに空気を読まずじゃれついてくる小金井につれなくし、顎をしゃくって境界線を示す。  「そっちの畳の縁からむこうが小金井さんの私有地です。トイレと風呂があるこっち側はもらいますからね、許可なく入ってこないでください」  「ケチ」  「元から僕の部屋ですってここは」  ああもううるさいなあ。構ってる時間がもったいない。口論に飽きてコントローラーを握りなおす。再びピコピコやりだした僕に相手にしてもらえず完全に拗ね、畳をごろごろ転がって境界線のむこうへと移動する。  五分経過。  「そろそろ寂しくなったっしょ」  「よし、第二ステージクリア」  十分経過。  「東ちゃーん」  「今助けにいくよピーチ姫」  三十分経過。  「お~い……」  「クッパめ、なんて卑劣な手を!!世界一有名な配管工をなめるな、えいっ」  「東ちゃん」  「うるさいないまいいとこなんだからあとに」  「これ捨てていい?」  音速で振り向く。畳のへりのむこう、頬杖ついて寝転がった小金井が片手にひらつかせているのは……  「返せ僕のまりなたん!!!」  一番お気に入りのヒロインの名前を絶叫、ラストステージ直前でコントローラーを放擲するや小金井が人質にとったエロゲソフトを体当たりで取り返す。  「エロゲソフトをたてにとるなんてクッパより卑劣なひとですね……見損なった!」  「やっとこっち見た」  満足そうに笑う顔に不覚にもときめく。むきになったのが急に恥ずかしくなりそそくさとゲームに戻る。小金井なんてもう知るか、空気のように無視してやる。最終決戦に臨む僕の背後に忍び寄る気配、背中に被さる体温。  「さて質問、今日は何の日だ」  「またですか……」  うんざりする。もちろん、答えはとっくにわかってる。でも言わない。意地でも言うもんか。ここで正解を口にしたら負けだ、小金井の思惑どおりじゃないか。むすっとしてボタンを叩く。マリオが画面の中を走り回る。クッパは手ごわい。手こずる。よそ見しながら勝てる相手じゃないとわかってるのに気が散ってしまうのはうなじに息があたるせい、背中にひっついた小金井が首筋に頬擦りし頬を引っ張ってうにょ~んと伸ばしとこりずにちょっかいかけてくるからだ。藁のような質感の髪が首筋を掃いてくすぐったい。  根負けし口を開く。  「……髪伸びました?」  「ん~?そうかな」  「それ、おかしいですよ」  「長くて?」  「じゃなくて……色ちがうの」  動揺で舌が縺れてしまう。大きくなるばかりの心臓の音が聞こえてしまいそう。  くっつきすぎだ。暑い。というか熱い。小金井は強すぎず弱すぎず、適度に力が抜けてリラックスした絶妙の按配ですっぽり僕を抱きしめている。ただでさえ同年代に比して小柄で華奢な僕はたやすく丸めこまれてしまう。  「新しいの生えてきて中途半端に色ちがうし」  小金井の髪は綺麗に二色に分かれている。髪の半分は軽薄な茶色、もう半分、毛根に近い方は天然の黒。染めてからだいぶ経つせいで髪の色が元に戻りかけているのだ。しかし元ヒモは僕の控えめな指摘というかアドバイスも一向気にした様子なく飄々としてる。  「ツートンカラーもイケてね?」  「イケてません。かっこ悪いです。染め直したらどうですか」  「このままほっとく」  「どうして……」  訝しげな僕に悪戯っぽい流し目をおくり、僕を抱く手にぎゅっと力をこめ、誇らしげに宣言する。  「伸びた分だけ東ちゃんと過ごした時間。染めないのは今自分の意志でここにいる、意地でも立ち直ってやるって覚悟」  けっしてなくしたくない大事なものを守るように。  もう十分立ち直ってる、古着屋の店員の仕事を立派にこなしてるじゃないか。  そう言いたいのを寸手でこらえ、ゲームに集中するふりをしつつ、一言たりとも聞き漏らすまいと耳をそばだてる。  「変な験担ぎっしょ?ララちゃんに話したらリュウらしくないって笑われた」  「ララさんと会ってるんですか」  僕が知らない間に小金井がララさんと会ってたという事実に少しだけ胸が騒ぐ。  そんなんじゃないとわかっていてももしかしたらと疑ってしまう、意志の弱さが恥ずかしい。  息を呑み続きを待つ。腕がほどける。急に寒くなった。反射的に振り向こうとして、振り向きたい衝動をなにもかも台無しになってしまう未知の恐怖から辛うじて抑制し、ただひたすらに返事を待つ。  いつか見た光景が瞼の裏を過ぎる。  子供たちが歓声上げて走り回る養護施設、大きなおなかの妊婦と抱き合う小金井……  「ほい」  赤ちゃんのドアップ。  「うわっ!」  突如として視界を遮られコントローラーを持つ手が狂う。  次の瞬間、爆音が轟いてマリオが自滅。  放心する僕をよそに、目の前に携帯の液晶を突き出した小金井がさも嬉しそうにしゃべりだす。  「ララちゃんが送ってくれた子供の写真。親子だけあって目と鼻のあたりが耕二に激似」  「う、産まれたんですか!」  「もうかなり前に。言わなかったっけ?」  「あ、いや、そういえばお見舞いに行くとか言って出てったことあったけど」  「東ちゃんエンリョするんだもんなー」  「だ、だって小金井さんはともかくララさんとはほぼ初対面だし会ってもなに話したらいいかわかんなかったしあの時はまだ対人恐怖症治ってなかったし、いや今も完治してるとは言いがたいけど多少はマシになったし、じゃなくてそうですか、もうこんなに大きく……」  ほぼ初対面という奇妙な言い方をしたのはこちらが一方的に小金井との抱擁を目撃したからだ。あちらは僕の事など知らないだろう。  一緒にお見舞い行こうという誘いを辞退したのは勝手に勘違いして空回った負い目があるからだ。  よく知らない女の子と引き合わされたところで何話せばいいかわかんないしきっと赤面症がぶりかえす。同じ施設育ちのララと小金井は兄妹とも幼馴染ともつかぬ特別な絆で結ばれていて、亡き耕二を介して強く結ばれていて、そんなふたりが忘れ形見を囲んで故人を偲び、これまでを振り返りこれからに思い馳せるだろう場所にお邪魔虫がいちゃ悪いと思った。  過ごした年月の長さではララや耕二に勝てないから。  彼らの思い出を壊すつもりも彼らの絆に割りこむつもりもない。  当たり前だけど、本当に当たり前の話だけど、小金井が僕だけの小金井じゃないと思い知らされるようで内心とても複雑だ。  「可愛いっしょ」  まるで自分の子供のようにでれでれと写メを見せつける。  液晶の小さい画面に映った赤ちゃんは目一杯あくびをしている。まだ乳歯もはえてない小さな口。  「わらび餅があくびしてる」  つい正直な感想を零してしまう。頬がしまりなくゆるんでいるのが自分でもわかる。  確かにものすごく可愛いけど、個人的にもっと気になることがある。  「小金井さんその、ララさんとよくメールのやりとりしてるんですか?」  「ん~そうだね、会うのはなかなかむずかしいけどメールならいつでもどこでもできるし……耕二ジュニアの成長ぶりも気になるし。あ、こないだのメールではようやくお乳から離乳食になったって」  耕二ジュニアは元気に育ってるらしいと安心する。ララさんはあれでいて肝っ玉母さんのようだ。小金井の身を案じ銃撃戦の現場に駆けつけてくる行動力を鑑みればさもありなん。写メを眺めつつ感慨に耽る僕を現実に引き戻したのは、意外な一言。  「こんど東ちゃんに会いたいって」  「え?な、なんで?」  「東ちゃんのこと話したらぜひ会いたい、会ってお話したいってさ。俺がいろいろ世話かけて悪いとか面倒みてくれてありがとうとかじゃね?会うの楽しみにしてたよ」  「え、だ、だってそんなむり、心の準備が……」  「一番の友達だって言ったら興味津々で」  固まる。小金井が携帯を閉じてひっこめる。どうしたの?と目で問う小金井の顔をまともに見れず、深く俯く。  「ぼ、ぼくなんかが一番でいいんですか?」  こんな僕なんかが、  「一番の友達は耕二さんじゃ……」  結局のところ、僕はあんまり成長してない。  外で働きだし家賃を折半するようになって、バイトに励む傍ら原型師になるため猛勉強をはじめ一皮むけたつもりでも、根っこのところはうじうじめそめそした八王子東のままちっとも成長してないのだ。  小金井が帰ってきてくれてすごく嬉しかったのに変な意地を張ってしまう、冷たくしてしまう。  愛されるに足る自信がなくて、率直すぎる愛情表現にどうこたえたらいいものかわからなくて、つい反発してしまう。  悄然と俯く。無言で畳の目を数える。かっこ悪い。ザクだって笑ってる。しっかりしろ八王子東、これじゃまるでララと耕二にまで嫉妬してるみたい……  肩を強く掴み体ごと振り向かす。叱責されるのかと首を竦め待つ。  「耕二はララちゃんの一番、ララちゃんは耕二の一番」  一呼吸おく。  「んでもって、俺の一番は東ちゃんだよ」  誇らしげに笑う。心臓のリズムが狂う。  「こんどの休み一緒に会いに行こう、耕二ジュニア生で見せてえし抱っこだってしてもらいてえし……よしそうしよ!」  「小金井さんあの、」  「いや?」  「いや、じゃないけど」  「赤ちゃんだっこしたくね?」  「だっこしたい、させてください、ぜひ!」  噛みまくりつつ、ようやくそれだけ言う。  頭の中では小金井の東ちゃんが一番という台詞が際限なくリフレインして心臓の鼓動と競うようにして鳴り渡って、全身がひとつの鐘になったみたいだ。どんだけゲンキンなのさと自分の変わり身のはやさにあきれる。  「おっしゃ!」  小金井がこらえかねたように急に抱きついてくる。  「うわっ」  後ろから抱きしめられ大の男の膝のあいだにもたれかかる。かなり恥ずかしい体勢。  「ちょ、やめてくださいって!」  「誰も見てないんだからいいじゃん」  「そういう問題じゃなく……もー」  小金井は僕を膝で挟み、僕はといえば照れ隠しの渋面を作り、体育座りでゲームを再開する。  ぴこぴこちゅどーんとエコノミーな効果音が響く。いつしかこの体勢に馴染んでしまっている自分に驚く。サイズ的にしっくりくるというか抵抗をやめてみれば意外に快適というか、ぬくもりに包まれて安心感を憶える。  いつしか隣にいることがあたりまえになっていた、小金井のそばが一番居心地いいと感じていた。   脇腹に膝がくっつく。膝にぶつけないよう手を上げ下げコントローラーを操る。  敵を撃破するたび「おー」と小金井が上げる賛嘆の声にはまんざら悪い気がしない。  いい加減じらすのはやめてやる。  「……知ってますよ、今日が何の日か」  「え?なに、聞こえない」  テレビの音声がうるさくて聞き漏らしたのかそれともわざとか、小金井が耳に手をあて倍でかい声で聞き返す。  今日が何の日か忘れてしまうほど仙人じみて浮世離れした生活をしてるわけじゃない、世塵に塗れた下界の情報はメディアを通しちゃんと入ってくる。今週刊行の漫画雑誌ではやたらそのイベントに関したネタがとりあげられネットではゴディバかロイズかモロゾフかとアンケートが白熱してるのだ、ストイックに無視を貫くほうがむずかしい。  「目をつぶってください」  腕の間をすりぬけ抜き足差し足忍び足、ブツを持って戻ってくる。小金井と向かい合い正座、緊張した声音で命じる。  「手をだして」  小金井がさしだした手にそれを乗せる。  「開けていいですよ」  ゆっくりと目を開けつつある様子を固唾を呑んで見守る。自らの手にあるものを見、驚きに目を剥く。  「チョコエッグです」  なんともいえぬ沈黙。いたたまれずそっぽを向けば、棚の特等席に飾ったザクと目が合う。  「東ちゃんこれ……あんだけ長いお前ふりしてじらして期待もたせてオチがこれ!?」  「い、いやなら食べなくていいですよ悪かったですね!こっちにだって事情があるんです、デパートやスーパーで綺麗にラッピングされたチョコなんか買ったら彼女がいない誰からも貰うあてのない寂しい男が自分の為に買ってヤケ食いするって思われるじゃないですか、いやですよそんなの絶対オタクのプライドが許しません、そりゃ彼女いないのはホントだし貰うあてないのも事実だけどじゅうぶん二次元で充実してるんです間に合ってるんです、見るだけさわれない生殺しだけどバレンタインイベントはギャルゲーエロゲーのお約束だし二次元の世界ならチョコくれる美少女ヒロインたくさん」  しどろもどろ言い訳しつつ精一杯の勇気をふりしぼって上目遣いにうかがう。  まずかったか。がっかりしたか。そりゃそうだ、あんだけ期待させといてチョコエッグ一個きりだなんて……  無表情にチョコエッグを見つめる小金井に若干引く。異様な気配が濃厚に漂う。  ちゃんとしたチョコを買うべきだったか?  でも今月お金ないしチョコって結構高いし大事なのは外側より中身で気持ちだし、僕だって一応真面目に選んだのだ。小金井に喜んでもらいたくて、日頃の感謝と好きって気持ちをこめて、どれにしようかなとひとつずつ手にとってためつすがめつ十分以上かけて決めたのだ。  悪ノリしやすいチャット仲間には「東ちゃんはカレ(笑)にチョコあげないの?」とさんざんからかわれ恥かいたし……  「いやならいいですよ、食べますから。ついでに中身ももらいます」  耐えきれず膝を浮かせかけた次の瞬間、小金井がチョコエッグを真ん中からふたつに開く。  「!?なっ」  そうしてから、外側のチョコのコーティング部分だけを食べ始める。軽快に齧られ、チョコの殻がたちまち欠けていく。  「ごちそうさま」  呆然としてる僕の前であっというまにたいらげて、精巧にできたキリンの模型を指先に挟んで見せびらかす。  「キリンさんは好きです。でも東ちゃんのほうがもっと好きです」  「!!―んっ、ぅむ」  八重歯を剥いてやんちゃな笑顔を見せるやおもむろに肩を掴んで押し倒す。  唇に吸いつかれる。口の中で溶けたチョコの甘い味が唾液と舌を介して僕の口へと引っ越す。  「ひとりじめしちゃ悪いからおすそわけ」  「―いっ、なっ、ばっ、ばかですかあんた!」  火をふきそうに赤面し頭が沸騰、呂律が回らぬ口で罵倒するも反省の色なく、小金井が僕の頭にちょんとキリンの模型をのっける。  「あああああっ」  テレビ画面で爆音轟きまたしてもゲームオーバー、つられて這いずりよればバランスを崩してキリンが転げ落ちる。  「あちゃ、首なげーからやっぱバランスわりいなあ」  「呑気に感心してないで反省してください、小金井さんの悪ふざけのせいでま~たゲームオーバーしちゃったじゃないですか!」  畳の上に転がっていた携帯がアニソンの着メロを奏でる。アンパンマンのマーチ。  小金井と向き合ってると頭の血管が軽くぶち切れそうなので、咄嗟に携帯を拾って怒り任せに怒鳴る。  「はいもしもし!」  『東か?嫁がお前にチョコを作ったから渡したいそうなんだが』  聞き覚えある声―低く威厳に満ちた、これぞ大人の男という声が耳を打つ。  「ひゃうあっ!?」  『東?おいどうした?』   「いや、なんでもありませんこっちの事情、ちょ、やめ、電話中はやめてくださいって小金井さんほんともーいい加減にしないと怒りますよ、やっ、あっ、くすぐった……そこ弱いんですって、さわんないで……!」  不意打ちでキスしただけじゃ足りないのか、ケータイで話し中の僕を後ろから抱きすくめ耳にべとつく舌を絡めてくる。  同時に服の裾をさばいて手をいれ痩せた腹筋をねっちょり愛撫、ズボンをずりおろして今度は下着を毟りにかかる。  「いや、やっ、あ」  声が続かない。とても話ができる状態じゃない。  さかりがついた元ヒモは僕をはりつけにし、首筋に性急にキスし、はだけたシャツの下から大胆に覗く貧弱な胸板や腹筋を唇ではむようにしてついばみ、ほつれたおくれ毛がまつわる顔に切迫した劣情と物狂おしい情熱をたたえ、色っぽく潤んだ瞳で凝視を注ぐ。  「ゲームの続きはあとで」  「昼っぱらから……!」  「お隣さんや大家さんに聞こえないようできるだけしずかにやる」  しかし通話中の兄さんには確実に聞こえるわけで。  「せ、せめてケータイ切らしてください繋がったまま繋がるとか羞恥プレイだから……!」  非力な腕を突っ張り死に物狂いで小金井を押しのけ、畳に転がったケータイを手に取る。  『……今行く。そこを動くな』   「誤解です兄さん、今の変な息遣いはやりっぱなしのエロゲの声で!」  『五分で行く。正座で待て』  土下座で待てと言われなかっただけマシなのか、ケータイが切れる。五分とか物理的に無理だ。  「さっき言ったでしょ畳のあっち側からでてくるなって!」  してやったりとほくそえみ、僕の肘の下敷きになった部分を見ろと促す。  畳の縁。  「越えてる……いつのまに」  「こっち側なら好きにしていいんでしょ?」  完敗だ。  ああいいさ、好きにすればいいさ。どうせ惚れた弱みだ。  「………もう一回お裾分けしてください。それでちゃらにしますから」  もうお金を送らなくていいと親に言った。  二十歳過ぎて親に家賃の面倒まで見てもらうのは情けない、これからは自分で稼いだ金で衣食住を賄うと宣言した。  一体どういう心境の変化だと驚く両親に対し、ケータイを握り締めてこう言った。  『友達ができたんだ』    父さんは『そうか』と言った。一言呟いてからだいぶ間をおき、『いい友達か』と噛み締めるように訊いた。  切々とこみ上げる色々なものを押さえ込んで、泣くまいと最後まで踏ん張りぬいて、『うん』と頷き返した。  父さんの後ろで母さんの嗚咽が聞こえた。  「了解」  小金井がくすぐったげに笑い、つられてぼくも笑う。ふたりして顔を見合わせ笑い合う。  子供に返って転げまわったせいで天井壁床に振動が響いて埃が舞い、頭や肘や足がぶつかってそこらへんに積み上げた漫画やソフトが雪崩を起こし、小金井が咄嗟に僕を庇い、僕は小金井に抱かれ、互いに一分の隙なくくっつきあって二重奏の笑い声を響かせる。  「あ、待ってください」  「どうしたの?」  「テレビ消さなきゃ。電気代もったいない」  「ケチくせー……」  「生活苦しいんだから節約しましょう」  「じゃあネットオークションで散財すんのやめてよ」  押し倒され仰向けになった姿勢からぎりぎりまで腕を延長、ファミコン本体に届かせスイッチを切る。  画面を暗闇が包む。至近距離で見つめあう。  僕の額に唇を押し当て、ついでレンズをずらし瞼にくちづけ、耳をまわりこんで冷たい弦を噛みながら囁く。  「眼鏡とっていい?」  「………こがねいさ」  「リュウ」  「……どうぞ、リュウさん」    小金井には内緒だけど、コンビニで普通に売ってるチョコエッグをあえてバレンタインにあげたのには本命の理由がある。  言葉にしてみればあんまりにも乙女チックで恥ずかしくて口にした途端蒸発してしまいそうだけど。  来年もチョコエッグを  再来年もチョコエッグを。  その次もその次もチョコエッグを。    全種類コンプリートするまで彼が僕の隣にいてくれますようにと、チョコでできたたまごを手にとって、夢が孵るよう胸で温めた。  大好きな人とともに在るしあわせがいつまでも続きますようにと願掛けし、最後にそっとキスをした。  この日チョコエッグから生まれたキリンはザクと仲良く並んでいる。

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