1 / 14
一章一話「不遇」
「国歴、天祥 の時代にあった大厄災にて、京を中心に甚大な被害を受けた。天司官長代理の藤御籠 を筆頭に天司官の謀反であったが、当時の帝である聖帝の側近の小槻澄典 、治世官長である宗方雅重 によって鎮圧され、天司官という役職は廃止された。」
春の肌寒い空気の残る教室で、藤原業 は眠気を隠しもせずに教科書の文章を読み上げた。教師からのやる気のなさげなハンドサインに従ってギシギシと音が鳴る椅子に座り、窓際から外を眺めると吹き上げた風が花弁を巻き上げて目の前を過ぎりながら、心のなかで「いかにも青春らしいな」と皮肉じみた感想を転がしていた。
運動場では隣のクラスの青年たちがガヤガヤとサッカーボールを囲んで走り回っている。その中で、走ることもせずに高い背を伸ばして横切る美しい姿があった。太陽の下で発光するように白い肌と、浮世離れしたほど美しい青年に吸い寄せられるように彼の足元にボールが落ちて、眉ひとつ動かさずに彼によってゴールへと放たれたそれは絵空事みたいに綺麗に得点を決めた。
「おぉ」と小さく呟くと、前の席に座っていた少女も小さく悲鳴をあげて、目線は同じものを見つめていた。赤い耳が、雄弁に彼女の想い人を語っていた。ずるい人だ、なんて親しげに心の中で語りかけながら、昔からよくモテていたものだ、と懐かしんでいた。
そう、昔。ずっとずっと昔のこと。あのしゃんと伸びた背に長い濡れ羽色の髪が揺れて、冷たい美貌の変わらない時代。承延、そして天祥と呼ばれた頃。およそ千年前。その頃から貴方を知っています、なんて気でも狂ったようなことを言い出せないまま、入学して数日が過ぎていた。
淡い期待を抱かなかった訳じゃない。けれど、廊下であの背中を見た時、手が震えて、目頭が痛いほどに熱くなった。振り返ったあの目は以前の自身を慕うそれではない、と気づくまでは。
それで良かった。仕方がないのだ。「前世」なんてものも、頭がおかしい自身の妄想では無いかと今だって思わない訳ではないのだ。ただ、あの頃みたいに、霊力を持っていることは変わらなくて、人よりずっと小さな声を持つ霊たちが確かに業の知る過去はあったと語りさえしなければ、よく出来た妄想だと死ぬまで抱えてたであろう、あまりにも現実離れした記憶だった。
それを思い巡らしながら眼下の青年に目をやると、彼は自身の腕に着いた端末を確認した後に教員の元へ向かい、そのまま校舎の中へと下がってしまった。
「修祓師」の仕事であろうと業は検討をつけて文字が羅列した黒板へと向き直ると、前の席の少女も用がないとばかりに外からの目を正面へと向けていた。彼女の名前も知らない、そんな午後の一時間目の出来事。
「修祓師」とは、国からの免許を貰い、穢れにより悪霊に転化してしまった精霊の穢れを祓う仕事である。中にはフリーの人もいるが、国家に所属し働く人が殆どであり、適性を持つ人間が多くないため、年齢も様々であり、任務は学業、仕事よりも優先され、先程の彼のようにすぐにでも対応に当たるのが常である。
彼、久慈和仁 が国家修祓師というのは学校でも有名な話だった。以前、少女たちがヒソヒソと「彼は修祓師のなかでも優秀らしい」と噂をしているのが耳に入った。それをマスクの下で隠した口元で笑って、変わらないな、と懐かしんだ。
修祓師がまだ「天司官」とよばれ、国の高官であった頃にも、彼は秀でた人であった。それに比べると、自身は驚くほど変わってしまった自覚はある。目立つ色の目をカラーコンタクトで隠し、以前は色素の抜けきった白かった髪も、くすんだ灰色になっていた。変わらないよく跳ねる髪を撫で付けて、彼がどこかで自身を見つけてくれるのではないか、と過ごした15年間を思い返しては振り払って、教員に向かって右手を上げた。
「体調が悪くて、帰ってもよろしいでしょうか」
呆気に取られているのは伝わっている。けれど、そうしている時間も惜しく、「失礼します」と告げて教室をでた。こんな時の為に、自身の保護者である籠目 は、入学の際に業は体が弱いという情報を捏造していたので、この件に関してはたいしたお咎めなどもないだろう。和仁が派遣されたということは、悪霊による事件が付近であったのだろう、と算段をつけ籠目に端末からメッセージを送ると、すぐに情報が返ってきた。
場所は、ここから30分。霊力による転送を使えば、数分で済む。修祓師の免許を持つもの以外はみだりに術をつかうことは法で禁じられていた。
そんなことなど理解しながら、業は現場へ足を進めた。藤原業がこの法を破ったのは、今が初めてではなかった。和仁と関わらない術を頭に幾つも思い浮かべながら、現場へとむかっていった。
ともだちにシェアしよう!