39 / 58

第39話

 「麻生!」  重厚な鉄扉を開け放ち対決の場に赴く。  鈍い残響が大気に音の波紋を広げていく。  冬の澄み切った空気に月が冴える。  煌々と月が照る夜空は濃紺に明るみ、吐く息が白く濁りを帯びる。  「遅かったな」  推理は間違っていなかった。  予感は的中した。屋上には孤高にして異端の人影があった。  夜闇に溶け合う漆黒のコート、堕天使の羽をむしって散らしたようなフェイクファー。  底のすりへったスニーカーでコンクリ打ちっぱなしの地面を踏む。  殺風景な屋上、四角く無機質な空間。  全長3メートルはあろうかという巨大な給水塔がずんぐり円いフォルムを際立て聳え立つ。  息が吹きちぎれ空に上っていく。  肩の浮沈に伴い呼吸を整える。  弛緩した姿勢でフェンスに凭れた男が、白い息吐き出迎える。  「なんとか時間に間に合った」  青白い月明かりが冴え冴えと麻生譲の素顔を暴く。本性と言いかえてもいい。  「ーまに、あったじゃ、ねえよ……悪戯電話かと思ったぜ、最初」  「内心きてくれなかったらどうしようとかあせった。開口一番寒いからやだってすげなく断られたし」  「嘘吐け、そんな涼しいツラして。相変わらず余裕ぶって、ムカツクんだよ」  麻生の服装。廃工場に着てきたフェイクファー付き黒のコートの裾が風にはためく。  首に巻いたマフラーが月光に冴え冴え映え渡り、余った切れ端が風になびく。  夜目にもあざやかな青。俺が誕生日に贈ったマフラーだった。  マフラーの片端を吹き流し、端正な人影が口を開く。  「爆弾と俺が別々の場所だとは考えなかったのか」  「そういうのフェアじゃねーだろ?お前らしくない」  断言する。  麻生と爆弾が別の場所だとは考えなかった。  その行動は、なんというか、麻生らしくないのだ。  現場に爆弾を仕掛けてながら結果を見届けず、自分だけ安全圏に退避するようなまねは、俺が知る麻生譲の人物像にあてはまらない。  麻生は最初から逃亡を意図してないという直感を俺は信じた。  「俺を命がけの悪趣味なゲームにひきずりこんでおきながら、自分だけどっか行っちまうようなずるはお前の哲学に反する」  「哲学とか上等なもんでもないけどな」  「悪趣味なかくれんぼはおしまいだ。おにごっこのほうがお気に召すか?一生分の肺活量使い切った心境、ドラクエ風にいうとМPゼロ」  「たまには運動もいい。冬休みだからってゲーム漬けで怠けてると黴がはえる」  「はえねえっつの、寝返りくらいうつよ」  他愛ない軽口の応酬がなんだかたまらなく懐かしく、鼻の奥がツンとする。  背後で慌しく扉が開く。  遅れること一分、階段の途中で息切れし小休止を挟んだ敷島がやっと追いつく。  「……盲点だった」  月明かりを背に立つ麻生と敷島の視線が絡み合う。  息を整える暇も惜しみ、皺のついた背広から携帯を抜く。  「約束の時間は過ぎた。タイムリミットまで三十分を切った、警察に連絡させてもらう」  「待ってください、先生。時間をください」  「まだそんな」  「いいから」  目の端、敷島の顔に焦燥が浮かぶ。苦渋に歪む顔で俺と麻生を見比べ抗弁する。  「悠長に構えてる場合かね、君もわかってるだろう、すでに楽観できる事態じゃないことは!放っておけばもうすぐ爆弾が爆発する、校舎に被害が出る。麻生くんを見付けた、だが私たちだけでは対処に余る、もう警察に頼るより他に手段がないんだ」  切羽詰った声音、真剣な顔。手の中の携帯から切り上げた視線で麻生に切り付ける。  「素直に解除してくれるなら別だが」  麻生は無言で肩を竦める。  眼鏡の奥、硬質レンズの向こうの切れ長の目が、侮蔑と嘲弄の光を孕み細まる。愉快犯じみて人命を軽んじる、酷薄な表情に息を呑む。  「もう少し付き合えよ。あんたはとにかく、秋山にはまだ話したいことがあるみたいだ。そうだろ、秋山。俺に聞きたいことがあるんだろ」  口の端をねじり、挑発的に聞く。  役者は揃った。閉鎖された輪。屋上は即興推理劇の舞台と化す。演出家兼脚本家を気取った麻生をまっすぐ見詰め、囁く。  「たった今、聡史から電話があった。重態の梶が、病院で死んだって」  目の端で敷島の表情をさぐる。驚愕。蒼ざめ、強張った表情で立ち竦む。  「本当かね、秋山くん」  「はい、確認をとりました。刑事さんからの話で……」  「そうか、アイツ死んだんだ」  雑感の口調はヘリウムの如く軽く、死者の尊厳を踏みにじる。もっとも、敬意を払うに値しない死者も存在する。  「殺しても死なないようなタイプだから生きてるかと期待したけど、残念」  それほど残念がってもない様子で淡々と述べる。  自分で爆弾を送り付けておきながら生存と延命を期待するなど、ふてぶてしいを通り越し傲慢だ。悪魔的でさえある。   「お前、よくそんなあっさり言えるな」  「理解不能?」  「梶のマンションに爆弾を送り付けたのか」  「いまさらだな。そう言ったろ。まさかまだ疑ってるのか、犯人は俺じゃないって。低脳な質問で煩わせるなよ」  「梶とはどんな関係だったんだ」  「あの日図書室で見た通りの関係だよ」  フラッシュバック。西日に赤く染まる図書室、書架の陰で重なる人影、抱き合うふたり。  はだけた学ランと首筋の痣、梶に貫かれ喘ぐ淫らな姿、先生と呼ぶ甘ったるい声。  「ビデオ見たろ」  「ああ」  「そうか」  自分から聞いておきながら、首肯を返せば押し黙る。    麻生に会ったら言いたいことがいっぱいあった。喉元に言葉が殺到して、でもひとつも満足に言えない。  体の脇でこぶしを握り締め、荒れ狂う激情を抑え、低く平板な声を出す。  「梶とできてたのか」  「ああ」  「いつから」  「一年前」  「俺と会う前からだな」  それで救われるのかと麻生が目で問う。  手のひらに爪が食い込む痛みで今にも弾けそうな理性を保ち、口を開く。  「マンション泊まった日に見た体の傷。あれ、梶がやったのか。斜面転がり落ちたときの歯型も」  沈黙の重圧に挫けそうな心の手綱を引き、懸命に前を向く。向き続ける。  距離をへだて正面にたたずむ麻生が、フェンスから背中をおこし、表情を消す。  「梶は真性のサディストで変態だった」  静かな告白に衝撃を受ける。  予想はしていたが直接麻生の口から聞くと、足元が崩れ去るような錯覚に飲み込まれた。  語る内容とは裏腹に弛緩した姿勢でフェンスに凭れ、首に巻いたマフラーに顔を埋め、回想を続ける。   「一年前、入学した時から。お前と知り合うずっと前から、俺、梶とヤッてたんだよ。そういう関係だった。教師と生徒で愛人関係なんていまどき珍しくもないだろう。男同士は……さすがに珍しいけどな。ありえなくはない」  「ありえねえよ」  「ねっからまともなお前には想像できない世界があるんだよ」  言い含める口調に反発が湧く。  梶と抱き合う麻生の痴態を回想し、身の内でちりちり嫉妬が燻る。  「梶がやってたこと、知ってたのか。知ってて関係を続けたのか」  聞きたいことは山ほどある。思い詰めた表情と切迫した声音で、知らず一歩踏み出し問い詰める。  麻生が少し考え込む素振りをし、俺を見る。  「淫乱だからな、俺は。その点梶は絶倫で退屈しなかったよ」  「麻生」  「俺から誘惑したんだ」  「麻生」  「俺の体見たろ。図書室で俺、抵抗したか。しなかったよな。自分から悦んで梶に抱き付いてたろ、もっとしてほしいってねだってたろ。ああいうのが好きなんだよ。お前は俺を過大評価してる。気持ちよけりゃ男でも教師でも関係ない、相手が何人だろうが悦んでケツ振るマゾ犬、それが本当の俺だ。梶とは一年の頃から付き合ってた。倒錯した趣味嗜好の持ち主は態度でなんとなくわかる。持ち物検査の時の触り方とかな」  廊下で呼び止められ、持ち物検査と称し体をあちこちまさぐられた。  制服の胸をねちっこく這う手を思い出し、気分が悪くなる。   「俺から誘ったんだ。案の定梶はのってきた。むこうも興味があったんだ。優等生の建前、問題児の本性。粘着し甲斐があるだろ。適当におだてて自尊心を満たしてやれば、あとは簡単だった」  「そういや梶、一年のときお前がいた……」   「元担任」  口内に湧いた生唾を呑む。俺の動揺を見透かすように麻生が笑う。  「SM趣味だけは頂けなかったけど、案外楽しめたよ。梶は俺を独占したがってたから、お前はさぞ目障りだったろうな」   目障り。嫉妬。麻生に密着しマフラーを巻いてやった時、学校の方から猛スピードで爆走してきた車。  「あれも梶か」  そういや職員用駐車場にとまってたのを見た。高級そうな黒い光沢の車。  「脅しのつもりだったんだとさ。ちょっと掠めてやろうくらいにおもってたらしい」  「弁償させたかった。フレーム曲がっちまったんだぜ、自転車。修理に一ヶ月かかるって。出費も痛えし」  「買い換えたほうが安上がりじゃないか」  「愛着あるんだよ、小学校の時から使ってたから」  思わず本音が出た。麻生が喉の奥でくぐもった笑いをたてる。  梶は麻生に執着していた。放課後も束縛し関係を迫った。独占欲の塊のような男。  自由を制限され、麻生は次第に梶との交際にうんざりしていった。   「部活に入ったのは梶へのあてつけ。だれかさんの暑苦しい説得に折れたわけじゃない」  「梶が売春組織の元締めだって知ってたのか」  「……………」  「なんとか言えよ」  「知ってたとしたらどうなんだ」  肘をずらす。檻のようなフェンスに背中を預け、共犯の笑みを浮かべる。  「梶のヤツ自慢してた。贅沢なマンションに俺を連れ込んで高いソファーにふんぞりかえって、自分には膨大な副収入源があるって。六年前、赴任した時から根を張り巡らせ組織を作り上げた。知ってるか?梶、このへんじゃ有名な不良だったんだ。傷害・暴行で何度も起訴されたけど親が裏から手を回して金積んで、鑑別所に入れられそうになるたび上手く逃げたんだそうだ。東京に行って、大学出て、また戻ってきて。更正したとおもわせ裏で本領発揮、不良時代の人脈を使って売春斡旋業を始めた」  「むりやり仕事させられたのか」  「そこそこ楽しめた。刺激的な体験もできたし」  スクリーンの映像が脳裏に浮かぶ。目隠しでギグを噛まされ前を縛られバイブを突っ込まれ、肉奴隷として傅く麻生のすがた。  「あれを楽しんでたっていうのかよ。たち悪い冗談」  「お前にはわからない」  またそれか。俺にはわからないか。そうやって関係ないと、はなから理解できないと線を引くのか。  「梶が犯罪者だろうが売春組織の元締めだろうが関係ない、気持ちよけりゃそれでいい。束縛には辟易したけど」  「俺を助けに来たのは」  「どうでもいい」  「どうでもいいヤツをわざわざ助けにきたのか。飼い主に呼び出されて、さからえばお仕置きが待ち受けてるのに、どうでもいいヤツのためにわざわざ戻ってきたっていうの」  「梶へのあてつけ。お前なんかどうでもよかった。部活もうざかった。しつこくつきまとわれてうんざりした。けれど梶の束縛のほうがいやだった、全部思い通りになるのは癪だ、だからちょっと手を噛んでやったのさ」  「首突っ込むなってのは」  「トモダチが頼めば引き下がるだろうって笑いながら言ってたよ、アイツ。腐っても教師、お人よしを見抜かれたな」  「……腐りきった教師の間違いだろ」  犬歯を剥いて唸る。麻生は無表情で同意。マフラーを少しずらし、むき出しの首筋をちらりと見せる。  「俺にビデオを見せたのはなんでだ」  「本性を知らせるため」  「梶の?」  「俺の」  さりげなく答え、空を仰ぐ。  「さすがに引いたろ。気持ち悪かったろ。どう思った?興奮したか?まさか、お前は梶の仲間じゃない。ねっから真っ当な人間、常識人だ。ビデオを見て吐き気がしたはずだ、ちがうか」  「ちがわねえ」  「幻滅したか」  返事に詰まる。  麻生がマフラーの内に指をかませ下方へずらす。露出した首筋に痣が咲く。  梶が施した隷属の烙印。  「お前はこっち側にこれない。線をこえるのはむりだ。俺と梶は同類なんだよ。だから気が合った、体の相性があった」  「やめろ」  「梶とのセックスは最高に気持ちよかった」  「いうな」  「俺をマゾ犬って罵りながらヤるのが好きだったんだよ梶は。教師なんかやってる反動かな、プライベートじゃ暴力的なセックスを好んだ。複数プレイも好きだったな。人に犯らせて自分は見てるのも好きだった。梶の部屋には今まで撮り溜めたビデオが山のようにコレクションされてた。廃工場で撮った輪姦ビデオ、趣味で撮った撮らせたビデオ、通販用のビデオ……何回も、何十回も、DVDに焼いたのを見せられた。梶はテープを流しながらヤるのが好きだった」  頭がおかしくなりそうだ。  あんなものを何回も何十回も、テープが擦り切れるまで見せられたっていうのか?俺は一回でギブした、耐えられなかった。廃工場を逃げ惑う女の子、面白半分に奇声を発し狩り立てる不良集団、制服を乱し抗う学生を容赦なく殴りつける男。  背筋を戦慄の氷柱が貫く。  麻生は毎日、あんな映像を見せられてたのか?  「体の相性はよかったけどしつこすぎてうんざりしてたんだ、アイツには。こっちの体がもたない。手を切りたかった」  「だから爆弾で始末したのか」  「話し合いで平和的解決は不可能、梶の性格じゃキレるのがオチだ。俺は一生梶から逃げられない。なにを勘違いしたんだか梶のヤツ、最近じゃ俺の進路にまでうるさく口を出すようになった。地元を離れるな、高校出たら一緒に暮らせ、専属奴隷になれとさ。うんざりだ、アイツのおめでたさには。秋山、お前の方がまだマシだ。俺は梶のドレイだけど、一生縛られてやるほど安くない」  「別れ話が決裂したから、それで梶を殺そうとしたのか」  「ああ。梶が死のうが生きようがどっちにしろ自宅に捜索の手が入る、そこで例のコレクションが見付かったら大変だ。コネ持ちだろうがさすがに言い逃れできない。俺は晴れて首輪が外れ自由の身、梶ともお別れだ」  「一年越しの腐れ縁に決着付けたわけか。随分あらっぽいやり方だな、頭いいくせに」  「追い詰められてたんだ」  全然そう見えない顔でしれっと言い放つ。案外事実を言ってるのかもしれないが、表情はごく冷ややかなものだ。  「麻生、お前」  「がっかりしたか、せっかくできた友達がこんなヤツで」  先回りし、俺の口を封じる。  「ショック受けたか、ビデオを見て。俺が淫乱で。教師でも男でも気持ちよけりゃそれでいい、それが俺だ。ただうるさくされるのはいやだった、しつこいのはうんざりだ。だから殺した。卒業後の進路まで口出しされちゃたまらない。たかが梶の分際で思い上がった、だから殺した。目障りだった、耳障りだった。梶の下半身だけ好きだった、腹から上は嫌いだった、いらなかった。だから吹っ飛ばしてやったんだ、爆弾で。おかげですっきりした。お前だって腹の中じゃ喝采してるんじゃないか、秋山。梶に目を付けられてたから」  「ふざけんな」  「冗談だよ。世界で一番嫌いなヤツ、たとえばボルゾイが死んだと聞いても安堵こそすれ喜びはしない、それがお前だ」  「偽善者だって言いたいのか」  「わかってるじゃないか」  自覚はあるんだなとほくそえむ。手のひらに爪を突き立てだまりこむ。屋上に吹く冷たい風が前髪を煽る。  「もっと知りたいか、俺の本性。梶の性癖。知りたきゃ話してやるよいくらでも、ただだしな。死人に鞭打ってやる」  「麻生」  「お前と話してるだけで轢き殺そうとした男だ、ストーカーだよ殆ど。毎日のようにメール入れてくる、授業中でも。うんざりだった。絶倫が聞いて笑う。アイツ、早漏なんだ。だから道具や人を使ってねちねち長くたのしむ。勃ち直るのは早いけど」  「麻生」  「最近は取り決め破って学校でもさかるようになった。躾が悪いのはどっちだよ、体がいくつあっても足りない。少しはこっちの都合も考えてくれ、優等生で売ってる努力が水の泡だ。だから始末した。お前はついで。首突っ込んだのが仇になったな」  「麻生」  「お前は多くを知りすぎた。大人しく引っ込んでりゃよかったんだ。推理小説の悪影響か?探偵気取りではしゃいで空回って、傍で見てて退屈はしなかったけど………決定的瞬間、見られちまったからな」  図書室で目撃した教師と生徒の情事。俺が噂を広めれば、麻生の立場が不利になる。  「口封じが目的で呼び出したのか。俺が他のヤツらにばらすかもって疑って、梶と一緒に片付けちまおうって」   「どうでもいいんだよ、お前なんか。梶と一緒に消えてくれりゃせいせいする。俺はまた静かに本が読みたいだけだ」  麻生が切り捨てるようにして笑う。共に過ごした七ヶ月、積み重ねた歳月を踏みにじるように抑揚なく暴言を吐く。  「目障りだ。消えてくれ」  「麻生」  「空気を読めよ、俺がいやがってるのわからないか?ずっと前からうざかった、出会った時からずっとうんざりしてた。しつこくされるの嫌いだって言ったろ。部活もいやいや付き合ってたんだ。それを勘違いして、トモダチだとか喜んで、滑稽だよ」  あの日、携帯で調べた言葉が胸を抉る。  俺は道化だ。麻生に振り回されて、冬休み中の校舎を行ったり来たりして、最終局面でも一方的にやりこめられている。  「一回くらい寝てやってもいいかと思った」  「麻生」  「お前なら抱かれるほうが似合うな。ボルゾイたちにいじられて感じまくったろ?俺とおなじで淫乱の素質がある。あの時のお前、なかなかそそったよ。俺に乳首いじられて感じたろ、下も固くなってたんじゃないか。敏感なカラダ。草っ原で押し倒されたのは予想外だったけど……お前も健全な高校生だったって事か。俺と梶の現場を盗み見て興奮したんじゃないか?カラダは正直だな」  「……………っ、」  「赤面症。すぐ顔が赤くなる」  悠長な動作でコートから携帯を取り出し、高く翳す。  「まだ話すか。時間、足りないぜ。俺の本性はよくわかったろ。俺と梶はできてた。動機は別れ話に端を欲する痴情の縺れ、お前を呼び出したのは次いでの口封じ。お前は俺の予想どおり動いてくれた……」  駄目だ、もうガマンできねえ。  「ははははははははっははははははははははっはははははははっ!!!!」  コンクリートで固めた殺風景な屋上に、狂気を発したような哄笑が響き渡る。  「秋山くん?」  敷島の目が点になる。麻生が怪訝な顔をする。  気にせず肺活量の限界まで笑い続ける、仰け反るようにして空を仰ぎ哄笑を放てばびゅうびゅうと風が渦巻く。  「頭、どうかしちまったか」  麻生が冷静さを回復し、聞く。俺は麻生も梶も無視したっぷり笑う、ここが年貢の納め時と笑い続ける。  笑って笑って笑って酸欠に陥る寸前、深呼吸で涙をひっこませ、笑いの余韻に痙攣する顔を傲然とあげる。   「あー、笑った笑った。壮大な嘘。そんなタマかお前が」  コンクリの地面に踏ん張りを利かせ、巻き返しを図る。  気持ちは妙に清清しい。  今まで深刻に思い悩んでいたのが爆笑と一緒にどっかに吹っ飛んで肝が据わり、肩をすくめ不敵に笑む。  「俺が独善で偽善なら、お前は露悪で偽悪だ」  虚勢を貫けば自信になる。  火事場のクソ度胸を武器に麻生と対峙、毅然と顎を引き強い眼光を放つ。  「いまさら悪党気取んの無理ありすぎ。七ヶ月間、一番近くで見てきた俺にそんな臭い演技が通じるかよ」  そう、俺は誤解していた。  麻生の目的を誤解していたのだ。  麻生の顔が若干真剣みを帯び、試すような光が双眸に宿る。緊迫した視線が絡み合う。  体の脇で汗ばむ手をにぎりこみ、全身に気迫と意志を漲らせ、大股に一歩を踏み出す。  「最初は俺を殺すつもりだとおもった。ぶっちゃけついさっきまでそうおもってたよ、ある事に気付くまで」  「ある事?」  ジャージの懐に手を突っ込み、取り出したものを掲げる。  「ケータイ」  反撃に転じ、巻き返しを図る。  ここが正念場だ。  頭の中で順序を練り、照準を絞った銃口の如くまっすぐ麻生を見詰め、慎重に話しはじめる。  「最初は俺を殺そうとしてるとおもった。お前は俺を憎んでる、だから悪趣味なゲームに巻き込んで始末するつもりだとおもった。一種の仕返しだな、ガキっぽい。だけどお前にはそうするだけの理由がある。俺は多分、選択をまちがったんだ。図書室の出来事を見て見ぬふりすることで、無意識にお前を追い詰めた」  「続けろ」  「あれから……図書室の事があってから、お前とうまくいかなくなった。俺たちの間はぎくしゃくして、まともに目を見れなくなった。決定打は誕生日の一件。気まずいまま冬休みに突入して……メール、一通も来なくって。愛想尽かされたんじゃねえかって落ち込んでたんだぜ」   「それでゲームに逃避か」  「うるせ。……そこに突然、お前から電話だ。内心びびったよ。大晦日いきなり学校に来い、爆弾しかけたって。最初は嘘かとおもった。でも本気だった。聡史の電話で梶の事件を知って、ゲームとそばと妹ほっぽりだして駆け付けた」  一呼吸おき、かすれた声をしぼりだす。  「……復讐だとおもった」  「よく逃げなかったな」  「今度逃げたら二度目だろ?かっこ悪すぎ」  にやけた顔を引き締め、真剣な眼差しで挑む。  「教室と部室で切り抜きを発見した。なにがなんだかさっぱりだった。古今東西の推理小説読んでるくせに我ながら情けねーけど……この中にヒントが紛れ込ませてあるか半信半疑だった。俺をおちょくってるんじゃないかって……お前、性悪だから」  「よくわかってるじゃないか」  「その台詞二度目。……次、美術室。真ん中に絵がおいてあった。六年前に自殺した生徒……座間圭の遺作だ」  座間圭の名前を出すやそれまで平静を保っていた顔色が豹変、目つきが険を含む。  牽制のポーズを無視し、続ける。  「これ見よがしに真ん中においてあった。デコイだよ。懐中電灯で照らしゃ真っ先に目に入る。裏側には剃刀が仕掛けてあって、持ち上げたらざっくりだ。お前が俺に害意をもってるのが判明して、楽観はふきとんだ。……どこかで甘えてたんだろうな、俺に危害を加えるはずねえって」  「友達だから?」  嘲弄の台詞に、苦汁を噛み締め頷く。  「……一方的な思い込み。俺を恨んでるってわかりながら、お前が実際手を出すはずないって、剃刀見るまで油断してた」  絵の裏にテープで貼られた鋭利な剃刀。  俺をさしおき不用意に持ち上げた敷島は手のひらをざっくり切った。字義どおり流血の惨事。  「とどめはボーガン。扉を開けたらいきなりズドン、寿命が縮まったよ。扉を開けたのが俺なら即死だった、きっと」  先頭を走る敷島。  廊下を走るなという標語を無視するいい走りっぷり、必死な形相、血走った目。  焦燥に駆られた後ろ姿を思い出す。  「あの二例で害意をもってるのがわかった、俺を殺すつもりだと確信した」  「それが?」  麻生は余裕を失わず、落ち着き払った態度をくずさない。しらけきった表情に腹が立つ。  「学校に呼び出したのは巻き添えで始末するため」  「無理心中を疑ったか」  酷寒の空気が肺を刺す。互角を期し挑み立つ。  硬質な視線がぶつかり削りあう。  視界の隅で敷島が蒼ざめる。  そして俺は言う、立ち上る吐息を追いつつ。  「ミスリードだ」  言葉の駆け引き。どちらが上手に立つかこれで決まる。案の定、予想外の発言に麻生は戸惑う。  「推理小説の常套手段、真犯人とは別の人物に疑いを向けさせるため誤読を誘う伏線をまぎれこませる。俺、単純だからよくひっかかるんだ」  「何が言いたい」  「行動に不自然な点が多すぎる」  人さし指をたてる。  「俺を学校に呼び出し手遅れになる前に見付けろと挑発した。再起不能でリタイアしたら見付けられない、ちがうか。唯一の参加者が負傷したらゲームが継続できなくなる。お前としちゃ手がかり全部集め終えるまでは俺に無傷でいてほしい。だが実際には美術室と放送室、二点の罠が仕掛けられていた。最初は剃刀、二番目はボーガン。剣呑だよな。剃刀はともかく、ボーガンは死に至る」  「それは認める」  「でも俺は生きてる、ぴんぴんしてる」  わざと大げさに両手を広げ、五体満足を主張する。実際、頬のかすり傷のほかにはけがもない。走り回って体力を消耗しただけだ。  俺の宣言に麻生は無反応、目だけで先を促す。  「どうしてだ?おかしいよな?こんだけ頭が回るお前が標的を仕損じるか、時限式ボーガンなんて周到な準備までしといて大事な局面でドジるか。美術室に乗り込んだとき、中央に絵があった。疑似餌だ。俺は真っ先に歩み寄って、そして……煙草に気付いた」  エクスシー。  緑の光沢を帯びた羽の蝶の印刷。麻生が愛飲する煙草。  「エクスシー。お前の煙草。懐中電灯で照らして真っ先に気をとられた。むかっぱらが立った。大晦日の夜、こちとらレコード大賞も紅白も見れずに駆けずり回ってんだ。俺はからっぽの煙草の箱をくしゃくしゃに握り潰し投げ捨てた」  空箱にやつあたりして鬱憤を晴らした。直後、悲鳴が上がる。  「お前がエクスタシーを喫うのを知ってるのは、多分、梶と俺だけ。お前は絵より先に煙草に目が行くと予想した、だからあそこにエクスシーを置いた、注意を引き付けるために」  煙草の箱は疑似餌だった。  そしてタイムラグが生じる。   「俺は煙草に目と手が行く。裏を返せば、そのおかげで無傷ですんだ。不用意に絵にさわったら敷島先生の二の舞になってた。次、放送室。学校中に流れた放送、今考えればあれもおかしい。あれが梶とお前の会話を録音したもんなら相手を消す必要がどこにある、全部聞かせりゃいい。出し惜しみ?まわりくどい、お前らしくない。無意味、いや意味はあった、ミスリードだよ」  また一歩間合いに踏み込み、王手をかける。  「放送で流れた会話が梶とお前のものだって物的根拠はない」    会話の相手は消されていた。  放送では梶が一方的にしゃべっていた。  俺は話の流れから相手は麻生だと安直に思いこんだ、先入観に騙された。    「俺と先生は放送室をめざし走り出した、そこにお前がいると早とちりして」  『麻生くんは放送室にいる!』  そう叫んだのは敷島だった。先頭に立ち、必死な形相で走り出したのも。俺も慌てて後を追おうとして、  「立ち止まった。タイミングよく携帯が鳴ったからだ」  手中の携帯に意味深に一瞥くれほくそえむ。麻生は無表情。  「携帯を取り出す。お前からだ。悪童日記がどうとか、変な謎かけをしてきた。自然歩調が鈍る、遅れる、速度をおとす、引き離される」  廊下を走りながら携帯で会話した。敷島とは五メートル以上引き離されていた。  そして敷島は、真っ先にドアを開けた。直後作動するボーガン。  「あのタイミングは偶然か?」  テープを仕掛けた麻生は、当然俺たちが放送室にむかってると考える。  携帯。電話。足止め。携帯に気をとられ距離が空く。先に目的地に辿り着いたのは敷島、ドアを開けたのも敷島。  「咄嗟に先生を突き飛ばし転がした。間一髪だった。あと一秒気付くのが遅かったら、先生は死んでいた」  そう、俺の反応があと一秒遅かったら敷島は即死だった。  本気で俺を殺すつもりだ。  ボーガンの矢が頬の薄皮を切り裂くと同時に戦慄が走りぬけた。  「ばかだな、俺」  口元に苦笑が浮かぶ。    剃刀で実際にけがしたのは?  ボーガンが実際にねらっていたのは?  どっちも俺じゃない、俺はぴんぴんしてる、このとおり五体満足で麻生と対峙してる。  絵の裏側に仕掛けられた剃刀。  煙草に注意を引かれた俺の背後、素早く接近し絵を取り上げたのは?  廊下を全力疾走して放送室に急いだのは?  「―っ、何を言い出すんだ突然。推理ごっこは終わりだ、秋山くん。もう時間がない、話は生きて帰ってからすればいい。麻生くん、君が素直に爆弾をわたしてくれないなら私としてもしかたない、警察に連絡を……」  「先生、なんで土足なんですか」  刹那、空気が凍り付く。  「は?」  振り向かず問う俺に、携帯に手をかけた敷島が眉をひそめる。      「どうして土足なんですか?」  もう一度ゆっくりと、噛み含めるように聞く。  理解不能といった様子で立ち竦む敷島に向き直り、足元に視線を落とす。薄汚れたスニーカー、敷島は革靴、両方とも土足。  「校内は土足厳禁、ですよね」  「こんな時に何を……場合が場合だからしかたないだろう」  「そうじゃなくて。先生、最初っから革靴でしたよね。部室で出会った時から」  部室の机の下に隠れた時、真っ先に目に入ったのはくたびれた革靴。  『冬休み中は当番で見回りをすることになってる』敷島の言葉『私は大晦日を割りふられた』くたびれたやもめ男の演技。  「俺も土足なんです。靴はいたまま上がっちゃった。急いでたから……ってのは言い訳になんねーけど、あせってたのはほんと。警備員さんごめんって腹ん中で謝りながらそのまま」  「なにを言いたい」  「人間はずるがしこい生き物で、ばれなきゃいいじゃんという心理が働く。冬休み中だれかが土足であがりこんでも、犯人がわからなきゃ咎められない。俺もその心理が働かなかったといえば嘘になる。でも先生は?当番ですよね?ありえない。敷島先生が当番だって他の先生も知ってるんだ、土足で入って靴跡付けて回ったら怒られるっしょ、あとで。バレバレなのに」  「しかたないだろう、急いでたんだ。麻生くんが爆弾を仕掛けたと知って」  「失言カウントいち。部室で会った時、先生は麻生が学校にいると知らなかった。旧校舎見回ってるうちにたまたま物音を聞き付けたって、先生自身が言ったんですよ」  困惑から動揺へ。  「教職員は校内じゃ室内用サンダルかスリッパをはく決まり。うちの担任もそうしてる」  「たまたまサンダルとスリッパを忘れて、」  「裸足は冷たいですもんね。いやですよね。けど、先生は他にもミスしてる」  「ミスだって?」  穏やかな声が険を含む。心外そうな顔。くたびれた背広姿の中年教師が不快感を露にする。  息を吸い、手の中の携帯を軽く振って指摘する。  「失言カウント二。携帯学校に忘れた俺が、『さっき、メールで』梶の事件を知ったっていっても驚かなかった」  「な」  「失言カウント三。梶の話になったとき、先生なんて言ったっけ。思い出してください」  『梶先生の話を聞いたかい』  『あ、はい。さっきメールで……』  『そうか、既に噂がながれてるんだね。じきに連絡網が回るとおもうが……』  『年に一度の大晦日だというのに梶先生は災難だった。どこの誰の犯行か知らないが、一命をとりとめてくれるよう祈るよ』  『隣近所が巻き込まれなかったのは不幸中の幸いっすね』  『え?』  目を見張る敷島。一瞬の驚愕、狼狽。  妙な成り行きに麻生がフェンスから身をおこす。  「秋山、一体……」  「麻生、お前は人殺しじゃない」  「まだそんなことを。さんざん言ったじゃないか、俺が爆弾を送り付けたって」  苛立ち歩み寄る麻生を制し、言う。    「梶の死因は刺殺」  「は?」   「聡史から電話で聞いた。梶は腹を刺され出血多量で死んだ、直接の死因は爆発じゃない」  爆弾の威力は近隣に被害が出ない程度に抑えられていた。  梶が包みを受け取ったとして、それをすぐ開封せず部屋のどこかに転がしてたら死傷しない可能性はおおいにありえる。  時限爆弾なのだから。  『だって、爆発でしょ。もっと威力があったら壁ぶち破ってたかもしれないし……運送屋も危機一髪っすよね、まさか年末の忙しい時期に時限爆弾なんて危険な代物トラックの荷台にのっけてごとごと運んでるなんて考えねーし、うっかりおとしたショックでボン!となったらたまったもんじゃないな』  『……そうだね、他に怪我人がでずにすんでよかった。梶先生は気の毒だが、警察が必ず犯人を見つけてくれるだろう。なにも心配いらない、私を含む先生方に事後処理はまかせておきたまえ』  不自然な間、思考の空白。  会話の齟齬、膨らむ違和感。  『死人がでたんだぞ』  『気持ちはわかる。麻生くんは友達だろう。だからこうして呼び出しに従って大晦日の夜学校に来た。突然かかってくる電話に振り回され、息を切らし、学校中走り回って彼をさがしてる。どれだけ彼を大事に思ってるか想像つく。しかし現実に犠牲者がでた、梶先生の事件は生徒の間に広がり波紋を生む。警察も動き出した。捜査の手がのびるのは時間の問題、いつまでも隠しとおせるものでは』  「犠牲者って言いましたね、センセ。あの時点じゃ生死は不明だったのに」  敷島が沈黙する。  「先生は梶を過去形で語っていた、死亡したものとして扱っていた。なんで?おかしい。ニュースでは梶は爆発に巻き込まれ病院送りになったとだけ伝えられた、聡史もそう言った。先生だけが犠牲者と明言した。疑問に思わず流された俺も俺だけど、よくよく考えればこれっておかしい。すごくおかしい。実際現場にいたわけでもないのに、梶の死を断言できるはずない」  「勘繰りすぎだ。私は爆発に巻き込まれたとだけ聞いて、なら助かるはずない、即死だと短絡的に考えて」  「現場にいたんですか?」  鋭くきりこむ。  「先生の背広、やけにくたびれてるなっておもった。皺くちゃで、だれかと揉み合ったみたいだ。聡史が今の時間まで署に足止めくらったのも、現場の状況が不審だからじゃないか?」  「…………」  「警察は他殺を疑ってる。爆発はあと、たまたま重なったんだ。隣の住人が爆発前に客が訪ねてきたと証言してるそうです」  「私と関係ない」  「もう少し頭が回ったら靴を脱いであがったはず、けど余裕がなかった、殺人の直後で気が動転してたから。当番も嘘、見回りなんてほんとはなかった。冬休みの学校で先生と会ったのは偶然じゃなかった、先生は用があってここに来た、呼び出されたんだ」  言葉を切り、大声を張り上げ後ろに呼びかける。  「そうだろ、麻生」  「………………」  「お前の目的は最初から敷島だった、俺は眼中になかった。心中相手に選んだのは残念、俺じゃなかったわけだ」  「秋山」  麻生が呼びかけ、だまりこむ。ただでさえ白い肌が蒼ざめている。梶の死因を知ったショックからだ。  苦いものをのみこみ、吐き出す。  「不自然なんだよ、矛盾だらけだ。俺とお前中心に考えてたからわからなかった、先入観にジャマされた。よく考えれば冬休みの学校に先生がいること自体不自然だ、見回りだって普通もっと早い時間にする。警察に連絡すると口では言いながらぐずぐずしてたのは、今の今まで引きのばしたのはなんで?決まってる、怖かったからだ、自分が犯人だってバレるのが。先生はジャマな俺を家に帰したかっただけだ、適当に言いくるめて」  「秋山くん」  「俺はジャマだから、逢引の。呼び出した目的は?放送で流れた録音テープ、不自然に消された台詞。梶は一回も麻生の名前を呼ばなかった、相手への呼びかけは不自然に音が抜けてた。梶は相手を脅してた、共犯のくせに自分だけ抜けるのかって……」  「待ちたまえ、誤解だ。君は突っ走りすぎだ。警察への連絡が遅れたのは事を荒立てたくなかったからで、他意はない」  取り憑かれたような饒舌。舌が勝手に回る。  騙された、裏切られた、嘘を吐かれた。  その悔しさ怒りが沸騰し理性を剥ぎ取り、口調が激昂の熱を帯びていく。  「俺をだましてたんだ。なにが見付けてほしいだ、てっきりご指名だって思いこんだ、でも違った、麻生俺はなんのために呼ばれた、なんのために悪趣味なゲームに付き合わされた?敷島を呼び出すだけじゃ足りなかったのか、やっぱり俺も殺そうとしたのか、目障りだから次いでに口封じしようとしたのか、俺はおまけで殺されそうになったのかよ!?」  怒号を発し、詰め寄る。  「本当の事を教えろ、ここへ呼び出した本当の理由を教えてくれ、話してくれなきゃわかんね」    言葉が切れる。  突如動いた敷島が、俺の首に腕をまわし、背広から抜き取ったナイフを擬す。  「え?」  ナイフには乾いた血がこびりついていた。  「さっき梶先生を刺したナイフだ。切れ味は悪いよ」  「センセ……え、本物?」    迂闊だった。  真犯人と糾弾しておきながら、背を向けたのが仇になった。  「………っ!だから言ったろ、無防備すぎるんだよ、お前は!」  麻生が舌を打つ。  俺は、動けない。金縛りにあったように硬直する。  梶を刺した犯人だと推理しながら、心のどこかで油断していた。敷島を信頼していた。  背後からいきなりしがみつかれ、ナイフをつきつけられる事態は想定してなかった。  頚動脈に切っ先が触れる。  硬質な刃から皮膚へと剣呑な冷気が染みていく。  「やっぱり先生が……」  「幻滅したかね」  声音はいっそ落ち着いていた。開き直りに似た不吉な沈着。  静謐な諦観と凄絶な覚悟を均等に宿す目が、ふしぎな穏やかさでもって、腕の中の俺を見下ろす。  「……教え子にこんなまねはしたくなかった。残念だよ。君はいい生徒だったから」  凪いだ表情で口を開く。  首筋に擬されたナイフは赤黒く染まり、ああこれが梶の血の色か汚いなと頭の片隅で妙に冷静に考える。  「人質か。古典的だな」  呆れた表情で歩み寄る麻生をナイフを首に食い込ませ牽制、威嚇。刃から伝わる圧力に息を呑む。  「彼とは友達なんだろう」  「…………」  「秋山くんが傷付くところを見るのはいやなはずだ。君の良心を信じてる」  敷島が微笑む。この状況で笑えるなんてすでに神経が普通じゃない、狂気に冒されてる。  「あそう……」  下手に動くと圧力が増す。唾を嚥下すれば、喉の動きに伴い、刃がさらにくいこむ。  「調子にのるからだよ、ばか。得々と推理すんのはいいけど、後ろには気を付けろ。犯人に背を向ける探偵なんて最低」  「最低なのは犯人を自殺においこむ探偵、二番目に最低なのは助手を人質にとられる探偵、自分が人質にとられんのは最低の三番目だよ!」  なに言ってんのか自分でもよくわからねえ。パニックを来たし、意味不明支離滅裂な事を口走る。  こめかみで汗が玉を結ぶ。  頼りなげに見えて梶の腕力は侮れない。首を締められ、息苦しさに喘ぐ。  「さあ、渡してくれ」  敷島が片手を突き出す。麻生は冷笑まじりにあしらう。  「ひとにものを頼むときは跪いて足をなめろって教わらなかったか」  「君にそれを教えたのは梶先生か。私の趣味じゃないね。折角だがズボンが汚れるから断る、安物だから膝が破けてしまう」  「斬新なファッション」  「保守派だからね、私は。若者の服装は理解できない。早くあれを……持ってきてるんだろう、約束どおり」  あれ?あれってなんだ、爆弾のことじゃないのか?  話が見えない。困惑する俺をよそに、敷島は追い詰められた様子でくりかえし要求する。  ナイフが首筋に食い込み、皮膚がプツンと裂ける。  「!痛ッ」  「秋山くんがどうなってもいいのか」  「安い悪役の台詞だな」  緩慢な動作でコートの内側に手を入れ、四角い封筒を取り出す。  俺が美術室で入手したのと同じ封筒……  「それ……」   梶が落とした手紙を、どうして麻生が持ってるんだ?  素朴な疑問が浮かぶ。  麻生が翳した封筒を見るなり敷島の顔色が豹変、純粋な恐怖と安堵がまじりあう。  「あんたが欲しいのはコイツだろ。寒い中、薄っぺらい紙きれ一通のためにわざわざご苦労なことだな」  「渡してくれ」  「秋山を放すのが先だ」  「こっちに渡すんだ、さあ」  「秋山をはなせ」  傲慢な調子で命じる。敷島の顔が焦慮に歪む。  敷島の腕の中、麻生と目が合う。俺を見る目に複雑な色が浮かぶ。  手紙をちらつかせる麻生の方へ敷島が歩を進め、俺から注意がそれるー……    「-!?くっ、」  おもいっきり二の腕にかぶりつく。  力一杯突き飛ばされ前のめりにたたらを踏む俺を、反射的に手を出し俺を抱きとめる麻生。  手紙は?  宙に舞う手紙を敷島が追う、風に遊ばれ舞う手紙につられ走る。  無防備に背を向けた敷島。麻生がコートの内から何かを取り出す。  鞘を払い抜き放つは大ぶりのナイフ、清冽な月光をあび切れ味よさげな銀に輝く……  「やめろ!!」  白銀の軌跡を引くナイフ。  俺の制止を振り切り地を蹴り走り出す、敷島が気付く、ナイフが弧を描く。  激しく揉みあう麻生と敷島、激しくかちあい火花を散らす硬質ナイフの音。  別人のような顔つきの敷島が必死に抗う、麻生は冷静な表情、眼鏡の奥の双眸は相変わらず冷え切って、バッドをぶんまわしてボルゾイの腕を叩きおった時さながらつまらなそうだ。  優勢、劣勢、上、下。ナイフがコンクリを穿つ。  敷島のマウントポジションをとり、一気にナイフを振り上げとどめをさそうとー……  「殺すな!!」  叫ぶと同時に体当たり、敷島の上から麻生をどかしふたり縺れ合ってたおれこむ。  転倒のはずみにジャージの肘と膝を擦る。  麻生の腕を掴み手をこじ開け、なんとかナイフを奪おうとも抵抗にあう。  「麻生、おまえっ、なにやってんだよ!!おにごっこのケリに刃物持ち出すな、もうゲームじゃねえよ!!」  「お前に関係ない」  「お前が巻き込んだくせに勝手いうな、んな危ねーもん捨てろ、けがしちまったらどうする!」  「人殺しをかばうのか」  ずれた眼鏡の向こうに冷徹な眼光を湛え、この上なく邪悪に楽しげに笑う。  「人殺しだから殺していいって理屈はねーよ、敷島が梶殺したなら警察に突き出すべきだ、梶が仕切ってた組織のこともひっくるめてちゃんと話すんだ、今度こそ逃げずに、逃げ出さずに!!」  吠える俺の馬鹿さ加減を哀れむように麻生は笑う。  「秋山、知ってるか?そいつが殺したのは梶で二人目なんだよ」  「え?」  「死んで当然なんだ、そいつは」  予想外の発言に耳を疑う。  「!!がはっ、」   不意打ちをくらう。  麻生が突然膝をはねあげ、胴にのっかってた俺はひとたまりなく吹っ飛ぶ。  風圧で捲れた髪を鋭利な風が薙ぎ、髪の毛を何本か持っていく。  俺の後ろに忍び寄った敷島がナイフを振るったのだ。  視界が回る。悪酔い。  後頭部に衝撃が炸裂脳を攪拌、フェンスに激突し意識が急速に霞んでいく。  「秋山っ!!」  敷島と揉み合いつつ麻生が叫ぶ。  こいつのこんな顔、初めて見る。こんな状況なのに、なんかちょっとだけ愉快になる。  取り乱す麻生を見れて得した気分、なんて。俺もだいぶひねくれてる。  後頭部が熱を持ち疼く。コンクリをひっかき、むなしく手を伸ばす。  待ってろ麻生、今助けに行く。  いつもいっつも助けられて、足手まといで、たまには俺にもかっこつけさせろよ。  麻生が口パクで何か叫ぶ。おかしい、聞こえない、耳がどうかしちまったのか。どうかしちまったのは頭の方か。  瞼が重く垂れ下がる。視界が狭窄し、完全に暗闇に沈む。   感覚がこぞって遠ざかる中耳だけが辛うじて生きてる。固い床と激しくぶつかり合う音、悲鳴、罵声、そして苦鳴ー……    「圭の遺書を渡せ!!」    あらん限りの憎しみを込めた絶叫を最後に、意識は途切れた。 

ともだちにシェアしよう!