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第38話

 悪夢の上映が終了する。  横倒しになった映写機が沈黙し、視聴覚室を静寂が包む。  「秋山くん、今のは……梶先生か。どういうことか話してくれないか」  敷島が口火を切る。  「あの映像は犯罪現場を撮ったものだ。様子が尋常じゃない。しかも、あのビデオには……」  言いにくそうに口を閉ざし、白紙に戻ったスクリーンに懐中電灯を向ける。  「麻生くんと梶先生が映っていた。あそこはおそらく梶先生の自宅マンションだ。梶先生と麻生くんは、その……親密な関係だったのか?」  曖昧に言葉を濁す。  「親密な関係、か。そんな生易しい関係に見えましたか、あれが」  俺の口。勝手に動く。  俺の声。遠く響く。  「麻生と梶は付き合ってたんです」  頭の働きが鈍り始める。  呂律の回らない口で呟く。  「先生も見たでしょ、あれ。廃工場の。梶が地元の不良に指示して撮らせたんです。通学路の途中にある廃工場に目を付けたヤツ拉致って、よってたかって輪姦して、ビデオを撮って脅すんです。ばらされたくなきゃ言うこと聞けって。きたねえ手口。それで、ビデオを裏にながして……売春斡旋して……荒稼ぎしてたんです、あのクズは」  真面目な教師の顔の裏で、麻生をさんざん弄び、嬲りものにして。全身にしるしをつけて。  教師と呼ぶに値せぬ鬼畜の所業。  映像を回想し語れば胸が悪くなる。  暴かれた同僚の本性に絶句、懐中電灯の照り返しを受けた顔が凍りつく。  「まさか梶先生が……信じられない」  「まだそんなぬるいこと言ってんのかよ、信じなくたって事実は事実なんだ!!」  目と耳と口をふさいで知らんぷりすれば全部上手くいくと思い込んだ、被害者が事件をほじくりかえされるのを望んでないならと自己欺瞞に逃げた、梶と麻生ができてると知って、梶が逮捕されたら麻生まで累がおよぶんじゃないかと勘繰って見て見ぬふりをえらんだ。  俺の選択は間違っていたのか。  なあ麻生、教えてくれ。  なら俺はどうすりゃよかったんだ。  「―っ、俺は……」  泣き寝入りをよぎなくされた名前も顔も知らない被害者より、隣のダチを選んだ。  聡史に嫌われたくないと泣いて訴えた後輩より、お前を選んだ。  偽善。独善。俺のエゴが、お前を追い詰めたのか。  「ただ、一緒にいたくて……」   麻生を、ダチを警察に売るようなまねできるか。  高校入って初めてできた、俺のこと何度も助けてくれた、大切なダチなんだ。  俺のことバカバカばかにして、本読んでるからじゃまするなってツレなくて  「いいヤツなんだ、あいつは」  俺だけが知ってる麻生のいいとこ、いっぱいある。  小便くさい俺を自転車の後ろにのっけてくれた。  不器用なりに一生懸命包帯巻いてくれた。  書き置きを残してくれた。  部屋を出て、もどってきてくれた。  ぼろぼろになったマフラーと本を拾ってくれた。  他にも、他にも……かぞえきれない。  積み重ねた思い出。積み重ねた歳月。たった七ヶ月。重すぎる七ヶ月。  「秋山くん、どこへ!?」  敷島が叫ぶ。引き戸を開け放ち、廊下を突っ走る。正面から冷気が殺到し顔を洗う。  「手紙を見つけにいく!」  寒い。手がかじかむ。心臓が燃え立つ。体の内側と表面で温度が違う。  「麻生が俺に残したヒント、切り抜きだけじゃわかんねーけど手紙とあわせて考えればわかるかも、あの手紙を入れて初めて完璧になるんだ!全部集めなきゃなにを伝えたいかわかんねえ、きっとあの手紙に本当の事が書いてあるんだ!!」  手紙はどこだ?  闇に目を凝らす。すみずみまで視線で薙ぎ払う。見あたらない。時が首を絞めるような焦燥に炙られ、胸元に手を突っ込む。  携帯を手に持ち逡巡、葛藤。毛穴から汗がふきだす。  登録アドレス一覧表示、高速スクロールし該当欄を見つける。  『後藤』  「どのあたりでおとしたんすか先生!」  壁に手を這わせ頬を寝かせ、封筒が落ちてないか片っ端から調べる。  息を切らし追いついた敷島が言う。  「秋山くん、もうやめよう。諦めるんだ。タイムリミットまで一時間を切った、あとは警察にまかせよう。君はやれるだけのことをした」  「まだ時間はある!」  「諦めなさい。手紙も見つからない。こんなに暗くては」  「無駄口叩いてるひまあんなら手伝えよ、あんたがおとしたんだろ!!」  敷島が悟りきって首を振る。  「今回の件は個人の手に負えない、警察にまかせるべきだ。さっきのビデオ……梶先生が売春組織の元締めで、麻生くんはじめ多くの被害者が実在するなら、事がおおきくなるのはふせげない。仮に手紙を見付けたとして、本当に爆弾のありかが記されてる保証はない。全ては麻生くんの気まぐれに左右される。一連の出来事を例にとればわかるだろう」  本当に敷島の言い分が正しいのか。  手に負えないと判断して、大人にまかせちまうのが正しいのか。  この件から手をひいて。  悪趣味なゲームからいちぬけて。  こんな時、後藤さんならどうする?  コンビニの駐車場で会った、麻生の保護者を名乗る男の顔が思い浮かぶ。  『譲さんにもしもの事があったら内緒でこっそり教えてください』  冗談めかした台詞。本気の目。  あの人なら頼れるんじゃないか?  液晶に表示したアドレスにかける。敷島が困惑。  「秋山くん、だれに」  『はい』  すぐに応答があった。  「後藤さんですか。俺、秋山です。前に駐車場でしゃべった……送ってもらった……麻生の友達の」  『秋山くん?どうなされたんですか、こんな時間に』  「………」  麻生の友達。  今の俺に、そう名乗る資格があるのか?  あいつを裏切って大人を頼ったくせに  『もしもし。譲さんになにかあったんですか』  後藤は勘がいい。  俺の沈黙にただならぬ気配と事態を察し、警戒心をこめ囁く。  「後藤さん………」  麻生が突然、電話をかけてきたんです。  学校に爆弾を仕掛けた、だって。  俺、そば食うところだったのに。ドラクエの途中だったのに。  笑っちゃうっしょ?  妹とそばとドラクエほっぽらかして、急いで駆け出して、愛用の自転車修理中だからママチャリ飛び乗って。  ジャージ一着で、身を切るように寒い中がむしゃらに突っ走って。  学校呼び出されて、さんざん駆けずりまわされて、やんなっちゃうよ。  「パシリじゃねーっつのに」  『え?』  深く息を吸い、吐き、意を決し口を開く。  「後藤さん。麻生のお袋って、国会議員の友永唯でしょ。よくテレビに出てる」  沈黙。  「あたり?」  『………気付かれていましたか』  「だって顔似てんもん。そっくり。ツンケンしたとこがさ」  『……はは。さすが部長、洞察力が鋭い』  心なしか嬉しげに後藤が笑う。つられて、幾分力なく笑う。  テレビで見た時から既視感があった。雑誌を立ち読みし、その後後藤から渡された名刺の「秘書」の肩書きと、図書室で麻生が口にした「手本」の台詞で確証を得た。  『君にはいずれ話すつもりでしたが、ばれてしまったならしょうがない』  「三者面談に来なかったのも」  『本当に忙しかったんです』  「しょっちゅう国会中継に映ってましたもんね」  『税金で食べさせてもらってる身分ですから』  週刊誌の記事。若い頃の乱れた私生活、隠し子の存在。クリーンが売りの議員にとっては致命的なダメージ。  『それを聞きにかけにきたんですか?』  後藤の声が不審げな色を帯びる。むりもない、大晦日の忙しい最中ジャマされたんだ。  『私としては譲さんから直接話してもらうのが理想でしたが……譲さんと唯さんは疎遠でして。私が間に入って調整したところで疎まれるのがおちなんです』  「潤滑油として期待した?」  『譲さん、君のことは信頼してるみたいですから。君と出会ってからです、顔つきがやわらかくなったのは』  「……………」  『不器用な性格ですからね。子供の頃から友達ができにくく、いつもひとりぼっちでした。一時は随分よくなったんですが、六年前……例の事件があってから完全に周囲に心を閉ざしてしまって』  「大切な人がなくなったっていう?」  『はい。譲さんの支えだった人が亡くなったんです』  「その人、なんで死んだんですか」  突っ込んだ質問に一瞬だまりこむ。  一呼吸遅れ、答えが返る。  『……自殺です』  やっぱり。  どこかで予感していた、覚悟していた。  衝撃を受け流し、ジャージの胸を掴み動悸をおさえ、慎重に聞く。  「正直に答えてください。その人、ひょっとして、学校の屋上からとびおりたんじゃないですか」  『………』  「名前は圭ちゃん。座間圭」  『譲さんが話されたんですか』  亡霊の正体がやっとわかった。  口の中の苦味を噛み締め、絶望と紙一重の諦念に至り、そっと目を閉じる。  「……麻生が呼んだんです、寝言で。熱にうなされて、圭ちゃんて」  『私が訪ねた時ですね。様子がおかしかったから気になっていたのですが、しつこくしたら追い払われてしまって……』    圭ちゃん。座間圭。六年前死んだ麻生の大事な人、心の支え、学校の屋上から飛び下り自殺した生徒。  ばらばらだった点がひとつの線になり仮説を導きだす。  「教えてください後藤さん。六年前、なにがあったんですか。当時、麻生は小学生ですよね。俺と同い年だから十一歳、たった十一歳の子供だった。その子供が……っ、やっぱ信じらんねえ、なんかの間違いだ、だってそんなことあるはずねえ!」  『落ち着いてください秋山くん』  「十一歳のガキになにができるっていうんだ、俺が十一の頃なんてどこにでもいるただのガキで聡史子分にして廃工場探検とか毎日遊びまくって、ゲームのやりすぎでお袋に怒られて、ジャンプの立ち読みが習慣で、分数の割り算が苦手で、さされて赤っ恥かいて」  『秋山くん?』  少年期が死んだのです  彼は大人でも子供でもない  「……熱出して、辛くって、それで寝言で呼んだんだ。体、辛くって。頼りたくって。一番大切な人、呼んだのに」   麻生が呼んだのは俺じゃなかった。  圭ちゃんだった。  俺はずっと、圭ちゃんの代わりだったのか?  当時、圭ちゃんとの間になにがあったか知りたい。  麻生が圭ちゃんを殺す動機なんて、俺の貧相なオツムじゃ想像できねえ。  とっかかりがほしい。  「後藤さん教えてください。圭ちゃんて、麻生のなんなんですか」  あまりに抽象的で漠然とした質問。  圭ちゃんは麻生の心の支えだった。その支えを自分で殺したりするもんだろうか。そんな事したら、麻生は本当に孤独になっちまう。  ひとりぼっちが怖いのは、俺だって、だれだっておんなじなのに。  「麻生、今でも圭ちゃんに縛られてるんです。クローズドサークルなんです」  『…………』  「教えてください、知りたいんです、知らなきゃいけないんだ」  『座間圭は、譲さんの……』    着信が入る。  名前表示欄を見る。聡史。  「―-っ、大事なとこなのに!?」  思い余ってパニックをきたし、一発ガツンと言ってやるつもりで通話を切り替える。  「もしもし聡史、お前空気読」  『見付かりましたよ先輩、例の卒業生が!』  「あ」  そういやすっかり忘れていた、卒業生と連絡とってくれるよう頼んであったのだ。     携帯のむこう、待合所の喧騒を背景音に聡史がはしゃぐ。  『大晦日だから捕まらないかもっておもったんだけど駄目もとでかけあってみたらいいって』  「でかした聡史!」  『直接聞いたほうがいいと思ってアドレス控えてあるんです』  交友範囲の広さに感心、守備範囲の広さに感謝。  後輩へのねぎらいもそこそこに、早速教えられた番号を入力。  緊張と興奮に乾いた唇を湿らす。五秒ほど待たされてから電波が届く。  「もしもし?俺、御手洗高二年の秋山っていいます。聡史の知り合いの。七不思議に詳しい人って」  『W大ミス研的王様ゲーム!!一番が二番にメルカトル流告白!!』  「は?」  音響から察するに、どうもカラオケボックスにいるらしい。  『一番は……三村か。よしやれ。なにメルカトル知らない?おまっ、メルカトル読んでねーのにミス研入ってくるか!?メルは基本だろ基本、メタを語る上で欠かねー唯我独尊名探偵だろうがよ!!いいかよく聞けメルカトル京極龍宮はメフィストが生んだ三大黒衣の名探偵、メルカトルを知らずメタミスを語ろうなんざ十年早い、エラリィ・クイーンから出直してこい!!っとわりわり、携帯が』  「気付くの遅っ」  『もしもーし?わりわり、今絶賛忘年会の最中でさ。ちょっとうるせーけどガマンして』  全然反省してねーお調子者の声色に不安が募る。  しょっぱなから脱力。  「あ、俺、秋山って言います。聡史の知り合いで……」  『おー、よくぞかけてくれた後輩。俺こそはW大ミス研のヒーロー、二階堂だ』  「黎人ですか?」  『英生だ』  火村か……じゃなくて。  気を取り直し、既にできあがっちゃったかんじの卒業生の尋問を開始する。  「聡史から聞いてると思うんすけど、俺、今度書く小説の参考に七不思議しらべてて。うちの卒業生なら詳しく知ってるんじゃねーかって、教えられた番号にかけてみたんすけど」  『七不思議?ヘンなこと調べてるんだな』  「余計なお世話っす。で、早速聞きたいんだけど。七番目の不思議、肖像画のモデルは」  『はあ?なに言ってんだお前、うちはもとから六不思議だぞ』    え?  目をしばたたき、携帯を見下ろす。  「……は?意味不明。それじゃ数あわせねーし。部誌にも七番目がのってるじゃねっすか、内容食い違ってるけど」   『当時の先輩から聞いたんだから間違いない、元ミス研部長が断言する』  ちょっと待て、今聞き捨てならない台詞を口走ったぞこの人。  「元部長って……先輩マジ先輩だったんですか!?」  『二年前までな。ふふ、驚いたか。土下座で崇め奉れ後輩。ところでお前、秋山とか言ったか。メルカトルは当然知ってるよな』  「愛ある限り戦いましょう命燃え尽きるまで」  『ぬ、メルカトルが初登場時に口走ったポワトリンのキメ台詞を諳んじるとはさすがミス研の現部長』  絶賛の嵐に照れる。いい人じゃん。あれ?でも二年前って  「じゃあ二階堂さん、俺と入れ違いに卒業したんですか?六年前の在校生じゃ」  『ばかにするな、現役合格だ』  カラオケボックスでふんぞり返る姿が目に浮かぶ。   座間圭について聞けるかもしれないと期待したぶん、失望もでかい。  「そっか、二年前……」  二年前?  「………待てよ、おかしい」  座間圭が死んだのは六年前。  不思議が増えたのは二年前。  六引く二は四。計算が合わない。  四年の潜伏期間にはどう説明がつく?  「六年前の部誌には不発弾が七番目の不思議として載ってるんですが」  『だーかーら、数合わせ。六不思議じゃしょぼいだろ?むりやりこじつけたの、七番目を。捏造だよ』  酔っ払った二階堂が、呂律の回らない口調で話し始める。  『学校建ってる場所に不発弾埋まってるってのは地元で有名な噂。七不思議ってのはさ、学校限定で生きるもんなんだよ。地元に広まってたら意味ねーじゃん。俺も先輩からの又聞きだけど、六年前のミス研けっこーテキトーだったみたいでさ~。六不思議特集じゃかっこ悪いだろ?ネーミングも今いちだし、ねーなんかいいのない?そだ、不発弾加えちゃえって』  「じゃあ、もとから六不思議だったんですね」  『人体模型スクワットとか校長像ウィンクとか非科学的超自然的エピソードの数々の中で妙に浮いてんだろ?不発弾は学校の怪談てより地方都市伝説の分類で』  饒舌にたれながす薀蓄をよそに、頭を高速で働かせる。   座間圭の自殺は六年前。  怪奇な噂が流布しだしたのは二年前、俺が入学した時期。  てっきり六年前、座間圭の自殺と同時に加わったとばかり思っていたのに。  「二階堂先輩は、あらたに加わった美術室の怪を知らないんですね」  『うん』  「六年前、自殺した生徒の話は」  『ちらっと聞いた。結局原因わかんないんだって?謎だよな。学校にとっちゃウィークポイントだろ?一刻も早く忘れたいってかんじで、そういう学生がいたってのも先輩から初めて聞いたくらいで、教師は固く口閉ざしてたっけ。タブーだよ、一種の。アンタッチャブル』  六年前に自殺した座間圭の話は、教師はおろか生徒の間でさえ禁忌として扱われた。  それが二年前、俺の入学と時同じくして、七不思議に巧妙におりまぜられ復活した。  墓を暴き、亡霊を甦らせたのは誰だ?  『でもさ、面白いよな。お前の話だとその自殺した生徒?が、七番目の不思議になってんだろ、今。ミステリー!ミステリー!遅れてきた幽霊、うわ、すっげおもしろそー。しかしさあ、その生徒もなんだって今頃でてくるかね。六年も経っちまってからさ。同級生は社会人になって地元はなれちまってるし、先公は……まあ残ってるとしてもさ』  六年前。  梶が赴任した時期。  『四年間どこさまよってたんだろうな、幽霊クンは。迷子になってた?方向音痴?はは、まっさか』  二年前。  俺が入学した年。麻生が入学した年。  『四年越しで会いたい人間でもいたのかね~』  麻生の入学と同時に七番目の不思議が広まりだした。  故人が復活した。  もし仮に、誰かが故意に噂を広めたのだとしたら。  間接的な手口。  遠大で巧妙な計画。  故人の存在を思い出させるのが目的なら、この手は学校関係者にのみ有効だ。  偶然か?ちがう、必然。  俺たちの入学と同時に噂が広まりだしたのは偶然じゃない、そこには目的があった、計画があった。  麻生が七不思議の形を借りて故意に美術室の怪を広めたのだとしたら、何故そんなことをする?動機が不明だ。  わざわざ蒸し返したって自分が不利になるだけ、いらぬ疑いを招くだけ……    前提が間違ってるなら?  「犯人は現場に戻る」  『定番だな。そう、快楽殺人者の中にはわざわざ危険をおかし犯行現場にもどるものもいる。犯行時の記憶を反芻し、妄想にふけるために』  生唾を呑む。  喉仏が動く。  「じゃあ、現場に戻った犯人が被害者の幽霊を見たと言い出した場合は?」  『はあ?』  「どんな可能性が考えられますか」  『そりゃお前……』  二階堂がふいに真面目な声を出し、思考遊戯に耽る。   「現場に戻ったんです。身バレの危険をおかして。たとえば、学校。生徒として潜入し、死んだ人間を見たと吹聴する」  『自己顕示欲……ちがうな、それじゃただのバカだ。逮捕してくれって言ってるようなもんだ。あやしすぎる。痛む虫歯を舌で突いてみる行為……って、火村の言葉だけど』  「リスクが多すぎる。考えられない。視点をひっくりかえす」  『視点?』  「現場に戻るのは犯人だけじゃない」  早口に考えをまとめる。  携帯を握る手がじっとり汗ばむ。  「探偵は現場に戻る。過去、迷宮入りした事件を暴きに。そして噂を流す。犯行現場で被害者の幽霊を見たという噂を広め、プレッシャーをかける」  『誰に』  「決まってます」    深呼吸し、断言。  「真犯人に」  麻生はめちゃくちゃ頭がいい。  その麻生がつまらない見栄にかまけ自爆の危険をおかすか?      『話がさっぱり見えね』  「またかけます先輩」  携帯を切る。  タイミングを見計らったようにまた鳴る。胸騒ぎ。通話ボタンを押す。  『先輩!』  うろたえきった聡史の声。  「どうした聡史」  『刑事さんからの話で、梶が、梶先生が今』  死んだって。  「―--―---死、」  これで麻生は名実ともに人殺しになった。  梶の死亡宣告に衝撃を受け、かくんと膝がよろめく。  「………マジかよ」  殺しても死ななそうなかんじだったのに。  膝から砕けるようにしてその場に這い、震える手で携帯を掴む。  聡史の言葉はまだ続く。  『それがヘンなんです、刑事さんから今聞いたんすけど……梶先生の死体におかしな点があって。俺、ただ現場にいただけなのに、悪ノリした高坊しぼるだけでこんな待たされるのおかしいなって思ったら、裏があって』  混乱を来たした頭に理性が復帰。  震える手で携帯を持ち直し、聡史の報告に耳を傾け、梶の死亡宣告に勝るとも劣らぬ衝撃を受ける。  驚愕を通り越した驚愕。  どういうことだ?  たった今、聡史から聞いた話がぐるぐる頭を回る。携帯が勝手にしゃべくりちらす。  『遺体は解剖に回されるとかで……直接の死因も爆弾じゃないんですって。今警察が調べてるけど……もしもし、先輩?』    目を閉じる。  考える。  こめかみを汗が伝う。  携帯に着信。  誰からか直感、即座に出る。    『答えを聞こうか。俺がどこにいるかあててみろよ』  麻生からだ。  視界の端に立ち尽くす敷島。  おろおろ俺を見守る。  右手に懐中電灯。床を照らす円い光。  敷島の背後、壁一面に嵌めこまれた窓ガラスに校舎の屋上が映る。  膝から染みる床の冷気に耐え、携帯を強く握り締め、推理を練った上での結論を出す。  「屋上だ」  『……根拠は』  「書いてあったろ、新聞に」  鳥取の高校生は、いじめを苦にして学校の屋上から飛び降りた。  座間圭は六年前、校舎の屋上から飛び降りた。  二人の死に方は一致する。偶然で片付けるにはあまりに都合よい接点。  すぐ気付かなかった自分の馬鹿さ加減を呪う。  麻生がいる場所、爆弾が仕掛けられた場所は、記事の中にはっきり示されていたのに。  「嘘は吐いてなかったんだな。たしかにこの記事は爆弾のありかを教えてくれたよ」  もうひとつの根拠。  屋上からなら、旧校舎の廊下を走り回る俺たちを見通せる。  窓に映る懐中電灯の光で現在地がすぐわかる。  『正解』  携帯のむこうでひそやかに笑う気配。  『来いよ、秋山。終わりの始まりの場所へ。箱の蓋を開けに』  量子論の猫の謎かけもヒントになっていた。   校舎を六面体の箱に見たて俯瞰すると一番上の面が目に入る。  箱を覗け。  カメラオブスキュラ。暗い箱は校舎の暗喩。  「学校が四角いでかい箱で上から覗きこむとなると、正面にくるのは……屋上」  『数学苦手なお前にはむずかしかったか』  「苦手なのは数学だけじゃねーよ、全科目低迷中。知ってるくせに、イヤミな優等生め」  震える膝を意地と見栄で支え立ち上がり、携帯を切る。  もう携帯はいらない。  直接会って言えばいい。  「ゴールがわかりました、先生」  「どこだね」  緊張と警戒を孕む敷島の問いに、不敵な笑みを返す。  「天才と紙一重のバカが好きな場所です」  対決の場は屋上だ。  

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