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第37話
「なんで十二月を師走っていうか知ってるか?」
「知んね。なんで?」
「師匠が走るからだよ」
「まんまじゃん。意味わかんね。師匠って何、K1?なんで冬になると師匠が走んの?大晦日の頂上決戦に備えて走りこみの特訓?」
「師走はあて字。ほんとは師馳すって書く」
宙にすらすらと字を書く。せっかくだけど、わかりません。自慢じゃないが俺は全科目低迷中で、とくに古典はひどい。
白い息を吐きながら宙に字を書く指先を辿る。
寒気で眼鏡のレンズが曇り、表情を地味に隠す。
俺たちは一緒に歩いていた。
十二月十日、本格的な真冬日、木枯らしすさぶ帰り道。
「師匠は坊主のこと。坊主が走り回るほど忙しくなるから師馳すだって」
「え?なんで走んの?年末葬式たてこんでるの?さみいから心臓麻痺とかでぽっくり逝っちゃうお年寄り多いってことか。あ、俺のじいちゃんが死んだのも十二月だ」
「短絡だな」
むっとする。
「じいちゃんばかにすんな。死人に鞭打つなんて最低だぞ」
「いや、お前の短絡思考を馬鹿にしてるんであって、故人には敬意を表する」
「ならいい……待て、よくない。それ結局、俺ばかにしてんだろ」
「ばれたか」
性格が悪い。
「とにかく、僧侶が袈裟からげてあたふた走り回るくらい忙しいから師走なんだってさ」
「へえ。へえ。へえ」
「古くね、それ?」
麻生は淡々と続ける。
「年が果てる意味の年果つから変化した説、四季の果てる意味の四極から変化した説、一年の最後になし終える意味の為果つから変化した説もある」
「さすがオールAの優等生はおっしゃることがちがう」
「お前こそ。古典の授業中なに聞いてたんだ」
「寝てた。六限の古典は睡眠タイム。部活にそなえて英気養っとかなきゃ」
「引退したんじゃないのか」
「休止中なだけ。春になったら再開する。将棋でいうと穴熊だな、今は穴ごもりなの。だってさー部室暖房入ってないから寒ぃじゃん。今は積みゲー崩し期間なの、徹夜で。ドラクエが俺を待ってる。あれ、ドラゴンほとんど関係ないのに、なんでドラクエっていうんだろ。ファイナルファンタジーも謎。十本以上出てるくせしてなにがファイナル?」
「購買者の気力がファイナルなんだろ」
「……お前頭いいな」
学校の行き帰り見慣れた坂道は陰鬱な鈍色に沈んでいた。
長い長い、永遠に終わらないかに思える坂を歩調をあわせ歩く。
「そういや沢田は?」
「久保田と帰った。俺は待ってるからいいって、先帰れって言ったんだ。ほら、アイツも先輩離れの時期だし」
自然と顔がにやけちまう。
「なに?気になんの?」
「別に。いてもいなくてもどっちもでいいけど、いなけりゃ静かで助かる」
「またまたーほんとは寂しいんじゃね?しずかすぎて落ち着かねーだろ」
「お前ひとりでも十分うるせえ」
一本とられた。
「けど聡史のこと気にするなんて意外。部室じゃ互いに無視しあう犬猿の仲のくせに」
「俺じゃない、あいつが一方的に噛みついてくるんだ」
「部員の自覚が芽生えてきたか?嬉しいね」
「……聞いてねーし」
いい傾向だ。部員の協調性のなさに頭を悩ましてきた俺としちゃ嬉しいかぎり。
本にしか興味がなかった麻生も、俺たちの努力が実を結び、ここにきて漸く周囲に関心を持ち始めたらしい。
「ま、ぜんぜん寂しくないっていや嘘になるけど、後輩の巣立ちは祝ってやんねーとさ」
久保田と一緒に帰るとすまなさそうに言い出した聡史を、俺は引き止めなかった。そっかと笑って送り出してやった。
若い二人をジャマしちゃ悪い。
小学校の頃から俺のあとをついてまわった聡史が同い年の友人を選ぶようになったのは遅めの自立の兆候、寂しくもあり嬉しくもありだ。
冬枯れの帰り道。
勝手に動く口と裏腹に俺はぐるぐると考えていた。
あの事は忘れる。
忘れたふりをするのが俺にとっても誰にとっても一番いい。
麻生とは一応仲直りした。
図書室で目撃した出来事には一言も触れなかった。
上手い芝居とは言えない。気を抜けばボロが出る。
俺は知らない。何も見てない。だからなにも変わらない。
友達と家族がいる他愛ない日常を守りたい。その為なら名もない被害者を犠牲にしてもいい。
目と耳と口を塞いで知らんぷりをする。廃工場の一件は忘れる、ボルゾイの事は忘れる、あの人の事は忘れる。みんなみんな忘れちまえ、頭の悪い犬みたいにほじくりかえすな。俺が首突っ込んで事件を嗅ぎまわることを被害者は望まない。久保田を例にとりゃわかる、自分の身に起きた悲劇が広まるのをあんなにおそれていたじゃないか。
時として平凡な人間の好奇心と善意が被害者を追い詰める。
何より俺は、あの人と麻生の関係を知っちまった。
「……………」
あの人の正体と犯罪を警察に訴えたとして、そしたら麻生はどうなる?
関係が暴露されて困るのは麻生だ。
教師と生徒、しかも男同士で性交渉をもった。合意の愛人関係だった。
偏見、中傷、迫害。最悪の想像。
麻生が梶の犯罪を幇助してたら?
『秋山はどうでもいい』
『伊集院の逃亡を手引きしたのもあんたか』
会話の断片を思い出す。
麻生は俺と出会う前からずっと、一年近くも梶とできていた。
騙されていた。
裏切られてた。
ずっと、ずっと。七ヶ月もの間俺を騙し続けていた。
廃工場にタイミングよく現れたのは梶のさしがね、首突っ込むなという警告は身バレを防ぐため。
保身と打算。
事件を嗅ぎまわられちゃ困るから釘をさした。
どこからどこまで麻生の意志で梶の命令なのか……
「いつもは二人分うるさいくせに今日はやけに静かだな」
顔を上げる。隣を見る。長い足を蹴りだしつつ、麻生がかすかに不審そうに目を細める。
「ばれたか。実は」
自転車をとめ、鞄を開けて中をさぐり紙袋をとりだす。
「じゃーん」
効果音つきで突き出した紙袋を一瞥、麻生が怪訝な顔をする。
「なにこれ」
「今日は何の日?ヒントは」
「お前がバカになった日」
「もう手遅れだって。じゃなくて、ヒント!聞けよ!」
「三億円事件発生日」
「マイナーすぎ。そういうマニアックな知識どこでしこんでくんだよ、本か、本なのか?」
「ヤフーとグーグル」
「今のボケ?真顔で?」
本当にわからないという困惑顔。こいつの困惑顔なんてめったに見れるもんじゃないからよく拝んどこう。
坂のなかば、道のど真ん中で振り返り、紙袋の向こうからひょこっと顔を出す。
「十七歳おめでとう!」
……あれ、はずした?
「誕生日。……誰の?俺の?」
「自分の誕生日忘れんなよ。十二月一日。今日だろ、お前」
「誰から聞……あのバカ余計なことを」
思い当たり舌打ち、口汚く毒づく。
渋面を作る麻生に紙袋を手渡し、待ちきれずいそいそと促す。
「開けてみろ」
「………………」
促され、いかにも渋々といったかんじで紙袋を開け中をのぞきこむ。
眼鏡の奥で目が点になる。
「…………なにこれ」
「よくぞ聞いた。俺が自信を持って推薦する一冊、『黒後家蜘蛛の会』」
取り出した本と俺の顔とを見比べ、対処に困った様子で眉をひそめる。
「『黒後家蜘蛛の会』はSF作家として超有名なアイザック・アシモフの短編推理小説で、殺人事件さえめったにおこらない純粋なパズルストーリーとしても評価が高い。発表年代は70年代だけど今でも熱烈なファンが根強くのこってる傑作ミステリーだ。主人公のレストラン給仕ヘンリーは該博な知識をもつ安楽椅子探偵の代表格、なみいる紳士淑女の参加者を冴えた推理であっといわせ」
「……誕生日プレゼントに本ってどうなの」
「いいじゃん、本好きだろ」
「好きだけどさ……」
盛大な前口上に肩透かしを食い、辟易と本のページをめくる。
よしよし、計算どおり。
空気の読めない道化を演じながら、一方で鞄の底から一回り大きい紙袋を注意深くとりだす。
いくら俺だって友達の誕生日まで自分の趣味を押しつけたりしない、見損なってもらっちゃ困る。
空気が読めない読めないと妹や聡史からたびたび非難されるが、今こそ汚名返上の時。
「じゃじゃーん」
得意げに掲げた紙袋を見て、レンズを隔てた視線が懐疑をはらむ。
「びっくりしたか?本命はこっち、本はおまけでフェイク。いくら俺だって誕生日プレゼントに古本とかしょぼいまねしねーよ」
「しかも古本かよこれ」
栞をはさみ本を閉じる。苦りきった表情の麻生に無理矢理紙袋を押しつける。
「まあまあ、いいから。開けてみろって」
困惑し、新たに渡された紙袋を見下ろす。
糊付けされた紙袋の口を破き、がさがさと手を突っ込む。
顔に軽い驚きが広がりゆく。二段オチの仕込みの勝利。
「どう?」
麻生の手にあったのは新品の青いマフラー。
先週の日曜日、妹と一緒にデパートに出かけて選んだもんだ。
「妹と一緒に選んだんだ。俺、センスに自信ねーから」
「私服でわかる」
「うるせえよ。……でもま、アースカラー似合いそうなイメージだし。血圧低そうな顔色だから暖色系のがいいんじゃねって妹に言ったんだけど、断然こっちってすすめられて」
デパート売り場であーでもねーこーでもねーと言い争った記憶が生々しく甦る。
綺麗な青に染まったマフラー。滑らかで手触りのよい生地。
黒い学ランの上に黒いダッフルコートを羽織り、全身黒尽くめでキメた中で、麻生の手の中の一点だけがあざやかに青い。
鼻の頭をかきつつ上目遣いに反応をうかがう。
麻生はむずかしい顔で押し黙ってる。
気に入ったのかはずしたのか、表情だけじゃ読みにくい。
「やっぱヘンかな?派手だし。いいもん持ってるもんな、お前。こないだ着てたコートもセンスよかったし、あれと比べちゃ全然安物だし……無理に付けなくていいからさ、箪笥の肥やしにでもしてくれよ。あ、箪笥はねーか、クローゼットか」
高校生にもなって、男友達に誕生日プレゼントを贈るなんて気恥ずかしい。
羞恥に顔を染め俯く。
「……首筋、寒そうだし。気になってたんだ」
ああ畜生、消え入りてえほど恥ずかしい。墓穴をほって首まで埋まりたい心境。
頼む、なんか言ってくれ。
家族と聡史以外の人間に誕生日プレゼント贈んの初めてだからどれにしたらいいか全然わからなくって、できるだけ喜んでくれるもの、長く使ってくれるようなもんがいいなって、デパート中歩き回って漸く選んだのがこのマフラーなんだ。
だれかにまともに祝ってもらうの初めてかもしれないこいつのために、一生懸命悩んで悩んでこれにしたんだ。
沈黙は長かった。
冬枯れの斜面を雑草が薙ぐ。
墨が滲み始めた夕空で電線が撓む。
向き合って十秒も過ぎた頃か、マフラーの繊細な手触りを確かめ、面映げに口を開く。
「………サンキュ」
「………はは。どういたしまして、ってのもヘンかな」
気に入ってくれたらしい。よかった。心の底から安堵する。
素直に感謝を口にした麻生と向き合い、微笑ましくこそばゆい気持ちにひたりつつマフラーをなでる手の動きを見守る。
温かい感情が胸に満ちていく。
このまま黙っていれば、これまでどおりでいられる。
麻生と友達でいられる。
良心を殺す。簡単だ、知らんぷりをすればいい。
名前も顔も知らない不特定多数の被害者なんか忘れちまえ。
事件を掘り返したって誰も幸せにならない。
真相が公になりゃ被害者はもっと不幸になる。
俺さえ黙っていりゃ、忘れたふりをすりゃ、すべて丸くおさまる。
廃工場の一件は水に流して、図書室の出来事は封印して、梶が仕切る売春組織のことなんか関係ないって割り切って普通の高校生に戻るんだ。
胸が痛む。
良心が悲鳴をあげる。
お前は最低の卑怯者だとほかならぬもう一人の俺が糾弾する。
うるさい、黙れ。これ以上俺にどうしろってんだ。
図書室で麻生と梶の関係を目撃してから悩み続けた、どうすんのが一番いいか考え続けた、梶が逮捕されたら道連れでただじゃすまない、教師と倒錯した関係を結んだ高校生にどんなレッテルが貼られるかばかな俺でもわかる、学校にも地元にもいられなくなる。
親父は会社の金もって女と逃げた、そのせいで俺たちがどんだけ近所や世間から白い目で見られたか。
麻生をおなじ目にあわせたくない、同じ辛酸をなめさせたくない、もう十分苦しんでるじゃないか。
『このマゾ犬』
あんなふうに
『マゾ犬、マゾ犬、マゾ犬!』
むりやり抱かれて
「巻いてやる」
瞼の裏に浮かぶ淫らな残像をふっきり、麻生の手からマフラーを奪う。
「自分でやる」
「遠慮すんな、包帯もまけねー不器用のくせに」
「こんな道のど真ん中で」
「今人いねえだろ」
降参のため息を吐く。
麻生の前に立ち、両手に持ったマフラーをふわりと首の後ろにかける。
黒い詰め襟に包まれた首を覆い、前で結ぶ。
「男同士でしょっぱい光景」
「おまっ、人が親切でしてやってんのにそゆこと言うか」
「頼んでねえ」
「最初の一回くらいいいじゃねえか、特別サービス……背高いからやりにくいな、前屈め」
「そっちが背伸びしろ」
「協調しろよ」
「妥協したくない」
他人のマフラーを結ぶのは初めてだ。なかなかうまくいかない。
顔を傾げ、苦労して前をくくり、片端を引っ張る。
詰め襟がちょっとジャマ。無意識に手をかけずらし
固まる。
なにげなく詰め襟にふれた指、その下。
斜めった襟から覗く首筋に、唇で吸われた痣。
平静にー見て見ぬふり、しらんぷりー駄目だ、さっき決めたばっかなのに、くそ、不審がられる。
しなやかな首筋、病的に白い肌に映える赤い痣、詰め襟の奥から露出した情事の烙印。
残照に燃える図書室、床にふたつ重なり蠢く人影、学ランの前をはだけ腰を抱え上げられた麻生のみだらな姿……
エンジンの獰猛な唸りと砂利を弾くタイヤの回転音。
麻生の肩越し坂の上、学校の方から一台の車が砂利はねとばし迫りくる。
「!!危ねえっ、」
猛スピードで走りぬけた車が側面を掠め、自転車が傾ぐ。
咄嗟に麻生を庇う。
一瞬の浮遊感、ついで転落。
斜面に生い茂った冬枯れの雑草を勢いよくなぎ倒し土くれにまみれる、口の中に土と草が入って鼻腔に抜ける、視界の隅に愛用の自転車が映るも回転はとまらず暮れなずむ空とゴツゴツした地面がかわるがわる目にとびこむ
「ぶはっ!!」
起伏に全身をしこたま打ち付ける。
斜面の中腹、冬枯れの草に埋もれ息を吹き返す。
何がおきた?頭がガンガンする。視界が暗い。
そうだ、麻生は
「大丈夫か!?」
道の片側は野ざらしの斜面になっていた。
よけたはずみに足を滑らし、自転車ごと転落しちまったようだ。
口の中に入った砂利と草の切れ端を吐き出し、下敷きになった麻生に呼びかける。
「う………」
短い呻き声。よかった、生きてる。
「大丈夫か、どこも怪我は……」
固まる。
縺れ合って斜面を転げ落ちたどさくさで、学ランとシャツがはだけ、上半身の素肌がところどころ外気に晒されていた。
麻生は朦朧と呻く。麻生を押し倒し、生唾を呑む。顔が近い。体が密着する。吐息の湿り気をじかに顔に感じる。鼓動さえ聞こえそうな近距離。
「………んだよ、これ……」
はだけた学ランとシャツの下、外気に晒された胸板に散らばる痣と傷痕。乳首に血が滲む痛々しい歯型。
堰を切って流れ出す映像『淫乱だな。もう尖ってる』『あんたのせいじゃないか』やめろ『ー……っ、先生……』やめてくれ『どうした麻生、顔が赤いぞ。感じてるのか』『先生、あっ、先生』『どうして欲しい、麻生』優越感に酔いしれて『もっと奥……』浅ましく腰を上擦らせ物欲しげに仰け反り『具体的にどうしたいんだ?ちゃんと口で説明しなきゃわからないだろ、国語の成績いいくせに』『……中……入ってるの、もっと動かして……突き上げて……っあ、は、揺す、って、前、擦って、めちゃくちゃに、あ』
沸点に達した血がおりて股間が急激に固くなる。
「秋山………?」
「なんだこれって聞いてんだよ」
乳首の歯型を見た瞬間、理性が蒸発した。
名伏しがたい衝動に襲われ胸ぐらを掴み、激情を押し殺し低い声を出す。
「体、痣、普通じゃねえよ」
「秋山」
「見ちまったんだよ。お前だってあの場にいたろ、俺が知ってること知ってんだろ。体、こんなになるまで無茶して。そんなにいいいのかよあの変態が」
興奮に息を荒げシャツを揺さぶる。
「聞いちまったんだ、全部」
決定的な一言を放っても顔色ひとつ変わりはしない。
くそ、なんでこんな冷静に―人をばかにして―眼鏡の奥から注ぐ冷徹な視線、零度の視線、癇癪の発作を無感動に観察するみたいな―やめろそんな目で見るな不可思議なものでも眺めるみたいに見るな見透かすな、欺瞞を暴くな、見るな、なんで押し倒されて落ち着き払ってられる、これが初めてじゃないみたいに―
「誰にヤらせたんだよ!!」
「わかってるくせに」
ああ、そうか。
初めてじゃないのか。
「騙してたのか」
ずっと
「前から梶とできてたのか」
一年以上前からずっと
「梶がやってること知ってたのか、ボルゾイたち実行犯に使って拉致って輪姦ビデオ撮って裏に流して売春させて稼いでたの知ってんのか、知ってて付き合ってたのか!!?久保田の話聞いたろ、よくあんな冷静に聞けたな、お前の男がやってることだろ、久保田は梶に死ぬほど苦しめられて他のヤツらだって泣いて泣いて泣き寝入りで、お前だけ梶に特別扱いで自分さえよけりゃそれでいいのか!!?」
騙された。
裏切られた。
嘘を吐かれた。
知り合ったばかりの頃、麻生は俺にだまってさっさと帰っちまった。部室でちょくちょくメールをチェックしてた。
点が線に繋がる。
今ならわかる。
麻生は梶に飼われていた。
放課後急いで帰ったのは梶と約束があったからだ。
「マゾ犬よばわりされて腹立たねーのか、あんな変態の何がよくて付き合ってんだよ、ずっとそうなのか、四月から夏休み挟んで七ヶ月も俺にも聡史にも黙って付き合ってたのか、マンションで電話してたのも梶か、梶のスパイだったのか、梶に言われて俺の動き見張ってたのか、首突っ込むなって警告も自分がやってることバレるの怖かったからで俺のためじゃなかった、俺のことなんかどうでもよかった!!」
『どうでもいい』
だって、本人がそう言ったんだ。
「どうした、言い返せよ」
麻生は沈黙を守る。
おもいっきりシャツを揺さぶられ、枯れ草がちくちく肌に刺さって、眼鏡は鼻梁にずりおちて。
すべて肯定するみたいな無表情。
「裏切り者」
腹の底で溶岩の如くどろり憎悪を溶かし込んだ激情の熱塊がうねる。
「卑怯者」
喉元に込み上げる熱いかたまりを噛み砕き、息を吸い、吐き、絶叫する。
「教師でも男でも気持ちよけりゃだれでもいいのかよ、この淫乱!!」
遅かった。
絶対口に出しちゃいけない言葉だった。
無意識に叫んだ言葉にはっとし、正気に返って麻生を見下ろす。
俺に胸ぐら掴まれ、淫乱と罵られ、麻生はー……
笑った。
「まぜてほしけりゃそう言やいいのに」
ばらけた前髪の下、細めた双眸と曲げた口元に毒気を含む笑いが閃く。
淫猥さと狡猾さを織りまぜた含み笑い。
図書室で梶の横顔に見た表情と酷似していた。
ぶん殴る。
眼鏡が放物線を描き枯れた草の根元に消える。
衝動が爆ぜ、欲望が滾り、激情の荒波に乗じシャツを割り開く。
「はあっ、はあっ、はっ」『淫乱め』『お前だってもう俺なしじゃいられないカラダのはずだ。一年かけて仕込んだんだからノーマルなセックスじゃイけないはずだ、ちがうか』ちがう『優等生?すらすら流暢に数式を解く口で、夢中で俺のもん頬張ってしゃぶりまくるくせに。俺が出したもん一滴残さず呑むくせに。床に零れた分まで犬のように這い蹲って啜るくせに』ちがうちがう『大好きな本に囲まれて犯されて嬉しいだろ?夢中で腰ふって俺をくわえこんで、白痴みたいな顔で口から涎たらして興奮しまくって』消えろ、変態、出てくるな!!
梶に貫かれ喘ぐ姿を回想し、嫉妬と劣情が暴風の煽りを受け燃え広がる。
抵抗を制し激しく揉みあい皺くちゃのシャツを性急に剥ぎ、ぎこちなく首筋をついばむ。
本を読む姿にみとれた『うるさい、集中できない』横顔に見とれた『なんだよ』二階の窓枠を蹴って軽々宙に飛び出すさまに見とれた『読書の邪魔だ、他でやれ』美術室の窓をぶち破って乗り込んだ『秋山から離れろ』夏の夜自転車の二人乗りで坂道を駆け下りた『しっかり掴まってろ』廃工場で手当てしてくれた『ちょっと染みるぞ』不器用なりに、一生懸命『染みるって言ったろ』廃工場は燃え、壁は煤けた
「痛くしないでくれ」
それで。
頬を赤く腫らし、暴力と惰性に身を委ね、幻滅したように目を瞑りながらの譲歩で。
こえちゃいけない一線をこえたことに気付く。
痛くしないでくれなんて友達に言う台詞じゃない。
諦め、疲れきって目を瞑る顔。どうでもよさそうに力を抜いた四肢。
おれ。
俺は、なにを。今、何をしようとしたんだ。
梶と一緒だ、
欲情。
「あ、」
お前が悪いんだ。
騙してたから、裏切ってたから、よりにもよって梶なんかと。
腹の底でどす汚い感情が渦巻き、自分を正当化しようとすさまじい欺瞞が働き、シャツを掴む手からすっと力が抜ける。
即座に殴り返され吹っ飛ぶ。
頬に一発くれて草の海に叩き落とした俺を見下げ果て、切れた唇を手の甲で拭い、屈折した眼差しと露悪的な口ぶりで吐き捨てる。
「おあいこだよ。ボルゾイたちにヤられて腰抜けるほど感じまくったくせに」
「未遂だ……」
かじかむ指先でシャツのボタンをはめ、学ランの乱れを整え草の切れ端を払い、眼鏡を取り上げる。
「自転車、壊れちまったな」
自転車は車輪を上に向け倒れていた。
上を向いた車輪が空転する。
泥に塗れたタイヤはパンクし、空気が漏れてへこんでいた。フレームも歪んでいる。
「……麻生、俺、おれ……」
体が勝手に震え出す。
身を翻し、斜面をのぼりかけた麻生に膝を汚して這いより、喉から振り絞るように叫ぶ。
「図書室の事は忘れる、見た事全部忘れる、これっきり口にしねえ。お前の言う通り首突っ込まない、後追い深追いしない、だから……」
このまま一緒にいてくれ。
ボーダーラインをこえないでくれ。
寒い。
芯から凍える。
吐く息が大気中に白く拡散する。
「どこにも行かないでくれ」
「……………」
先に立って歩き出しがてら、泥と草の切れ端にまみれ変わり果てたマフラーを拾い首に巻く。
たった今、俺がつけた首の痣を隠すように。
「帰るぞ」
マフラーを踏みにじって。
本を泥だらけにして。
変わり果てたその両方ともをさりげなく回収し、斜面を登っていく背中を見つめ、自己嫌悪に吐き気さえ覚える。
十七歳の誕生日は一生に一度しかやってこない。
俺は、たった一度しかこない麻生の十七回目の誕生日をめちゃくちゃにした。
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