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第36話
十一月中旬某日、放課後。
俺は図書室にいた。
「ケストナー、ケストナー……Kで始まる外国文学……待て、児童書?でも人生処方詩集って名前が付くくれーだから詩集の棚か。あ、待て、フルネームだとエーリヒ・ケストナー?じゃあKでさがしてもだめか、Eからいかねーと。くそ、最初からやりなおしか、めんどくせー」
ぶつぶつ呟きつつ片っ端から棚を見ていく。ちがう、ここじゃない、ここもはずれ。がっくし。
本当なら今頃部室にいるはず、部室でスナック菓子の袋開けてペットボトル回し呑みして聡史とくっちゃべてるはず、だった。
放課後のリフレッシュタイム、輝かしい青春のひととき。
ところがなんの因果か、人けのない図書室の二階を徘徊しつつぶつぶつ独り言を呟いて一冊一冊指さし確認を行ってる。
最近部室に寄ってない。
理由は単純明解、麻生に合わす顔がないからだ。
あれから麻生とのあいだはぎくしゃくしてる。教室でも口をきかない。
お互い意地になっちまってる……いや、ちがう。
「意地張ってんのは俺か」
渋面で自嘲する。
喧嘩別れしたあの日から麻生の態度が変化した。
俺のペースに合わせ軟化した態度が一気に四月の時点に逆戻りして、冷戦状態がかれこれ一週間も続いてる。
たった七ヶ月前の事が何年も前の事のように思える。
出会いから七ヶ月経て縮まった距離、日ごと積み重ねてきたものが白紙に戻っちまったようなむなしさが胸を吹き抜ける。
『助けてくれなんて頼んでねーよ』
『お前が勝手にしたんだろ』
あの時の俺の態度、あれはない。
あの時、間一髪麻生が廃工場に来てくれなけりゃ今頃ここにこうしていなかった。俺は身も心もぼろぼろにされて、とっくに壊れちまってたかもしれない。
麻生は二度も助けに来てくれた。
自分だって危なかったのに。
袋叩きにあったのに。
「……だよな」
後悔の苦味を噛み締め、反省する。
時間を巻き戻せるならあの日麻生に暴言吐いた自分をぶん殴りたい。
挑発されたから。
売り言葉に買い言葉で。
俺が悪いんじゃない。一方でその気持ちも心の片隅に根強く残ってる。
でも。
ガキっぽい反感を帳消しにするほど、麻生からもらったもんはでっかくて。
『制服に擦れて痛いんじゃないか』
あれからだいぶ経って腫れは引いた。
癒えないのは胸の痛みだけだ。
「……セクハラじゃねーか、あれ。なしだろ、なし。男相手にセクハラとか使うのもビミョウだけど……擦れて痛いとか、あんな……知ってるくせに……あたりまえじゃねーか……自分が抜いたくせに」
激しくかぶりを振って頬の火照りを冷ます。
今日ここに来たのは一冊の本をさがすため。
タイトル、人生処方詩集。作者はエーリヒ・ケストナー。こないだ麻生が読んでた本だ。
どうにかして仲直りの糸口を見つけたい。
麻生が読んでる本を読めばあいつの事がもっとよくわかる気がした。
「『読んでる本を言え、君がどんな人間かあててみせよう』ね……」
ぶっちゃけ、麻生については知らないことだらけだ。知らないことのほうが断然多いくらいだ。
家族の事。マンションで一人暮らしする理由。全身の痣と傷の真実。
『大事な人が亡くなったんです。譲さんの支えだった人が』
過去に亡くしたという大事な人。
感傷的な台詞を反芻し、ひとりごつ。
「……………支えか………」
大事な人。どんな人だろ。男?女?……想像できねえ。あの麻生がだれかに心を許すところなんて、上手く思い描けない。
処方箋が欲しい。どこがどんなふうに悪いか、症状がちゃんと書いてある紙が欲しい。
ないから苦労する。外から見ただけじゃどこが悪いかなんてわからねえ。
もし話してくれるなら、俺は
かすかな物音、人の気配。
「!」
俺以外だれもいないとおもってたから不意打ちだった。反射的に隠れる。
「-て、隠れることねーか……」
誰かが二階にやってきた。誰?……靴音は二人分。二人連れか。
ズボンのポケットから携帯を引き抜き時間を確かめる。五時三十分、もうだいぶ遅い。
こんな時間に、図書室に用?
「めずらしー……うちのガッコに閉館ぎりぎりに駆け込んでくる感心な本好きいたっけ、俺と麻生と聡史以外に」
待て。
巨大な書架になかば身を隠し、慎重に階段の方をうかがう。
予感は的中した。
書架の入り口に見覚えある学生がいた。
ほんの数時間前まで、真後ろの席でノートをとってた優等生だ。
麻生。
「……そっか。ここ、あいつのプライベートエリアだもんな」
学校のいち施設がプライベートエリアってのもおかしいけど、実際毎日のように図書室に入り浸ってる物好きは麻生くらいのもんだ。
俺も四月中はちょくちょく足を運んだ。
部活勧誘が目的で、麻生の隣に腰掛けてぺちゃくちゃしゃべりかけちゃ読書のジャマをした。
「………よし」
チャンス。
さあ行け、がばっと謝っちまえ、土下座で……いや待て、土下座は引く?引くだろ常識で考えて、アホか。
書架に背中をはりつけぐるぐる葛藤する。
一念発起とびだしかけ、待て待てとはやる心の手綱を引く。
だってこの状況まるでストーカーみてえじゃん、勘違いされたらどうする、待ち伏せとか誤解されたらきもすぎかっこ悪すぎもうどん引き。
いや、考えすぎだ。堂々としてろ俺。
俺はなにも麻生を付け回してたんじゃなくてあいつが読んでた詩集をさがして図書室に来たらたまたま後から本人が現れたわけで、だからやましいところなんて別に
「ーよし、メルカトルが憑依した。挨拶は『謎ある限り戦います、命燃え尽きるまで』」
深呼吸で度胸を吸い込み、いざ出陣……
「こんな所に連れ込んで何の用?学校じゃお互い近付かない取り決めじゃなかったか」
麻生の声。
「たまには趣向を変えてみるのもいい」
答える、これは……聞き覚えある太い声。
誰?
咄嗟に身を翻す。
書架に背中を付け、西日さす通路をそろそろとのぞきこむ。
書架を背にたたずむ麻生、その正面に立つ体格のいい男。
「最近つれないからな、お前。こうして無理に連れてこなきゃまたあの退屈な部活に行っちまうだろ。秋山が部長やってる……ミステリー同好会、だっけ。くだらない。テストでも下から数えたほうが早いおちこぼれのくせに、本に書いてあること理解できるのか」
俺の名前が出た。あからさまにばかにしきった口調。西日が暴く横顔に、息を呑む。
数学教師の梶。
「推理小説にかけちゃ俺よりくわしい」
「本当か?信じられない」
「好きな事に関しちゃ全力投球なんだ、あいつは。勉強は全然だけど」
「やけに親しげな口ぶりだな」
「……別に。見てて面白いけど。ころころ表情変わって飽きない。犬みたいに人懐こい」
「類は友を呼ぶ、か。犬同士惹かれあったか」
「……絡むなよ。アイツは別に……うるさくじゃれてくるから相手してるだけさ。どうでもいい」
『どうでもいい』。
眼鏡のレンズが西日を反射し、表情は暗く沈んで読めない。
「どうでもいいのか。それにしちゃ仲良しじゃないか、いつも一緒に行動して。秋山、あいつ、お前の事が大好きみたいだな。犬ころみたいに息弾ませてお前のケツ追っかけて……懐かれて悪い気はしないだろ」
梶が含み笑い、書架に寄りかかる麻生の顔の横に手を付き、ぐっとのしかかる。
推し量るような沈黙をはさみ、レンズごしの目をすっと細める。
「嫉妬?」
「ここでするか」
「したいのか」
「お前次第だ」
「人がきたら」
「誰も来ない。誰もいない。司書は所用で外してる」
「……根回し万全か」
なんだ、この会話。雰囲気がおかしい。
麻生と梶……優等生と教師……意外な組み合わせ。
二人が一緒にいるところを初めて見た。
ちがう、前に一度……そうだ、あれは五月、俺が廊下で麻生を掴まえてそしたら梶がおっかない顔でとんできて、俺を即引き離して……
「俺が欲しい?」
麻生が挑発的に笑った瞬間、教師と生徒の一線が消える。
書架から覗く俺の視線の先、梶が上体を傾げ、麻生の顎をくいと摘む。
麻生は何故か抵抗しない。
他人にさわられてるのに。
潔癖症かよって突っ込みたくなるくらい、普段そういうのにうるさいのに。
梶の手を退けるどころか、その手に身を委ね、緩慢に顔を上げる。
おもむろに梶が動く。
ゆっくり顔が重なっていく。
二人の間で距離が消失、唇が触れ合い、舌が絡む。
「ん」
麻生が仰け反る。噛みつくようなキス。
獣が肉を貪るような野蛮さで唾液に濡れた唇を吸う。
「………!っ、」
動揺。混乱。麻生が。梶と。教師と……見間違いじゃないか?
だってそんなわけない、なんで麻生が嫌われ者の梶と?男同士じゃん。アイツ、だって、彼女が『お前には関係ない』ちがうそんなこと一言も言ってない、麻生は一回も彼女がいるなんて言ってない、全部俺が勝手に思い込んだだけだ。
でも、じゃあ、あの首筋の痣は……
「は、ふ」
禁欲的な黒い学ランに西日が映える。
斜陽が床に二等分線を引き、麻生の半身と梶の横顔が朱に染まる。
「お前のキスはエクスタシーの味がする」
「あんたには似合わない」
「何なら似合う」
「マルボロ、セブンスター」
「王道だな。……宗旨替えだよ。エクスタシーならほとんどニコチンが入ってないから健康にいい、教師なんかやってると自己管理をしっかりしろって上がうるさい」
「健康に気遣う年?」
「十代の頃のようにはいかない」
梶が背広から出した煙草の箱。
羽に緑の光沢を帯びた蝶……麻生とおなじ銘柄。
梶からは麻生とおなじエクスタシーの匂いがした。
「図書室は火気厳禁」
「うるさいこというな」
ライターを出し着火、深々と紫煙を吐く。沈黙。
茜色の鈍い陽射しが床の木目にたまった塵を掃きそめる。
麻生が無表情に口を開く。
「俺の事、伊集院に売ったのか」
「あん?」
「秋山が拉致られた場所あっさりしゃべったろ。最初から伊集院に犯らせるつもりだったのか」
意味深にほくそえむ梶を冷めた目で見返す。
と、梶の指から煙草をもぎとり、真ん中でへし折って床に捨てる。
「輪姦くらいいまさらどうってことないだろ?お前なら」
ボルゾイの黒幕はうちの学校の教師。
地元有力者の血縁で、警察とも繋がりがあって、おちおち手を出せない人物。
馬渕の証言が梶の笑みに重なる。
売春組織の元締めの正体は、数学教師の梶。
「……………!」
梶はボルゾイの裏で糸を引いていた。
目を付けた標的を廃工場に拉致し、輪姦ビデオを撮り、それを同好の士の間に流し売春を斡旋していた。
それなら筋が通る。
ボルゾイは贔屓が激しくて有名な梶のお気に入りだった。
その悪知恵と交友関係を見込まれ、被写体調達係として梶にスカウトされたんだとしたら……梶は黒幕、ボルゾイは実行犯。
ボルゾイと梶は裏で繋がっていて、梶と麻生は
ちょっと待て。ふたりはどういう関係だ?
「怒ってるのか?」
「どうだか。……その後伊集院から連絡は?」
「別のマンションに匿ってる。仲間と一緒に。当分じっとしてろって言い含めたから大丈夫だろ。放火容疑もかかってるし、今動かれちゃこっちが困る」
「伊集院の逃亡を手引きしたのもあんたか」
「元同級生の消息が気になるか。そんな人情があったとはな」
「……別に。あいつがどうなろうがどうでもいいけど、二度と顔は見たくない」
「廃工場で何があったんだ?」
「…………」
「まただんまりか。都合が悪くなるとすぐそれだ」
「あんたが想像してるとおりだよ。話すまでもない」
「伊集院とヤッたのか」
「あんたの方がいい」
麻生が笑う。
俺の見たことない顔で。
俺に見せたことない顔で。
「伊集院は一人じゃ満足させる自信がないからぞろぞろおまけを引き連れてくる。あんたはちがうだろ」
眼鏡の奥、怜悧な切れ長の双眸が打算的な光を孕む。
こんな麻生、俺は知らない。俺が知ってる麻生じゃない。
登下校中俯き加減に本を読む麻生『うるさい、集中して読めない』話しかけると露骨に迷惑そうに眉をひそめ『黙ってろ』俺の胸ぐらを掴み警告した『もう関わるな』『首突っ込むな』『関係ない』ちがう、俺が知ってる麻生はこんなー……
梶の手が襟元にかかる。
じゃれるようにボタンを外していく。
開かれた襟から覗く首筋、シャツから零れる白い胸板に乱れ咲く薄赤い痣、上品に浮いた鎖骨。
梶の手がシャツの上で円を描き遊ぶ。
「淫乱だな。もう尖ってる」
シャツの上から乳首をひっかかれ、前に突っ伏した肩がびくりと跳ねる。
「―あんたのせいじゃないか……」
「自分が感じやすいのを人のせいにするなよ。ああ、俺の躾の成果だって言いたいのか?そうか……一年になるんだもんな……一年間も壊れずによくもったよ、感心してる。普通ならとっくに精神が壊れてる。正直いつ退学届けを出すかひやひやしてた」
「退学届け受理してくれるか」
「まさか。俺がお前を手放すわけないだろう」
「……だと思った」
「知ってるか、権力ってのは濫用するためにあるんだぞ」
「知ってる。身近にふたりほど手本がいる」
「俺と、もうひとりは?」
「秘密」
前戯に似た軽口の応酬をしつつ、まどろっこしげに裾をさばき学ランの前を開く。
「お前だってもう俺なしじゃいられないカラダのはずだ。一年かけて仕込んだんだからノーマルなセックスじゃイけないはずだ、ちがうか」
「…………っ………」
「俺が欲しくてたまらなくて体中の穴が疼く。女を抱くより抱かれる方がいい。お前のいいところは俺が一番よく知ってる………はは、笑える、麻生……みんな上っ面に騙されて……知らないんだ、本性を。制服を脱いだお前がどれだけ」
「どれだけ、何?」
「アブノーマルか」
シャツの内側で発情した蛇のように手が蠢く。
「優等生?すらすら流暢に数式を解く口で、夢中で俺のもん頬張ってしゃぶりまくるくせに。俺が出したもん一滴残さず呑むくせに。床に零れた分まで犬のように這い蹲って啜るくせに。お前だって知ってるだろ麻生、自分がどれだけ淫乱か。前に鏡で見せてやった、ビデオに撮って見せてやったろ」
「変態、っぐ!!」
梶がいきなり肩に噛みつく。
突き立てた犬歯を滴り、学ランの肩にじわり唾液が染みていく。
唾液を吸いどす黒く染まった肩に喰らいついたまま、邪悪にくぐもった笑いを漏らす。
「……はなせ……」
肉を噛む梶を引き離そうと懸命にもがく。
今度こそ飛び出そうとした。
床を蹴り、とびだし、駆け出して。力尽くでもなんでも、麻生を梶から引き離そうとした。
だって、痛がってるじゃないか。いやがってるじゃんか。
今度は俺が麻生を助ける番だ、今までの借りを返す番だ。
書架から飛び出そうとして
「………………」
全身の血が凍りつく。
「は………っ、ん……」
麻生の手が。
梶の肩を弱弱しく叩いていた手が、諦めたように肩に添えられ、抱擁をねだる。
梶の肩を抱く。
腰を浮かせ、足を広げ、体を開き。自分から積極的に迎え入れる体勢を整える。
窓からさしこむ西日が二人を照らす。
耳を塞ぐ。息を殺す。
「麻生………」
見間違いじゃない。
書架から飛び出しかけたあの一瞬、麻生はたしかに笑っていた。
梶に制服の肩を噛まれ、ずれた眼鏡の奥で、とろけそうに笑っていた。
イヤなら本気で抵抗するはず。
抵抗しないのは、合意だから?
教師と生徒で、男同士で、だってそんな……笑い飛ばそうとして、顔が引き攣る。
俺はボルゾイに犯られかけた。
久保田は廃工場でレイプされた。
なら麻生と梶ができていても、なにも不自然じゃない。
梶はあの人で、麻生はあの人に俺の居場所を教えられて廃工場に来て、あの人は梶で、梶と麻生は一年前からそういう関係で、俺と親しくなるずっと前から麻生と梶は……
『これ以上首を突っ込むな』
麻生の体の傷は。
『危険には近付くな、見て見ぬふりだ。他の連中がどんな目に遭ってようがお前には関係ない、赤の他人がいちいち気にかけてやる必要ない』
麻生に傷をつけたのは
共犯。
「あ、あっ、あっ」
『何が少年を苦しめているのか』
耳を塞ぐ
塞いでも塞いでも聞こえてくる
『少年期が死んだのです。今 彼は喪に服し 黒服を選んだのです』
「はっ……」
切なく吐息を漏らし仰け反る。
『彼は中間に立っているのです そして隣に 彼は大人でもなく 子供でもありません』
俺の知らない麻生がいる。
寄せては返す波のように抑えても抑えても込み上げるものをおさえきれず、淫乱な本性をさらけ出し梶に抱き付く。
乱暴に揺さぶられ、立ったまま負担を伴う行為を強いられ、前髪を額にばらまき喘ぐ。
「ー……っ、先生……」
こんな声、知らない。
こんな、甘えるような声は。
「どうした麻生、顔が赤いぞ。感じてるのか」
梶がせせら笑い、麻生を貫く。
冷静沈着な優等生が、俺と部室に居る時だって無表情に本を読んでるのに、梶にこんな、めちゃくちゃに貫かれて完全に余裕を失くしてる。
長身の麻生より梶の背はさらにでかく、筋肉質で体格もいい。
性欲剥き出しの下卑た笑みを浮かべ、残酷な手で麻生の膝をこじ開け、律動的に突く。
見るな、聞くなー「っあ」粘膜がぶつかりあう「……は、ぃぐ、ぁ」麻生、麻生、麻生『少年期が死んだのです』黒い服を着て喪に服す『彼は中間に立っているのです』俺はどこに、麻生はどこに『彼は大人でもなく子供でもありません』「あっ、あっ、あっ!」
気付けばズボンの股間が固くなっていた。
「どうして欲しい、麻生」
梶の勝ち誇った声。
優位を誇示するような意地悪い囁きに、学ランの前をしどけなくはだけてねだる。
「もっと奥………」
「欲しいか」
従順に頷く。
梶が腰をえぐりこめば、厚い肩にない爪を立て喉の奥からくぐもった声を漏らす。
今の麻生からは、異端とか孤高とかあいつを集団から浮かせる異質なオーラが感じられない。
ただ、ひたすらに淫らで。
眼鏡の奥で伏せた目は倒錯した快感に潤み、頬は淫乱に上気し、虚脱と恍惚が綯い交ぜとなった表情がたまらなく嗜虐をそそる。
ズボンの股ぐらを掴む。
「……さっさとイかせろ……」
「言葉遣いがなってないな」
「………イかせて………」
「敬語は?」
「イかせて、ください」
「先生を付けろ」
「-先生……イかせてください……」
「具体的にどうしたいんだ?ちゃんと口で説明しなきゃわからないだろ、国語の成績いいくせに」
「……中……入ってるの、もっと動かして……突き上げて……っあ、は、揺す、って、前、擦って、めちゃくちゃに、あ」
「続けろ」
「……射精したい……イきた、イかせ、て」
「大好きな本に囲まれて犯されて嬉しいだろ?夢中で腰ふって俺をくわえこんで、白痴みたいな顔で口から涎たらして興奮しまくって、優等生の評判が泣くぞ。前もこんなに勃たせて、悪い子だ。そんなに俺がいいのか、本棚に寄りかかって立ったままされるのが気持ちいいのか?背中がゴリゴリ擦れるのが気持ちいいか、誰に見付かるかわからないスリルがたまらないか、マゾ犬!!」
逞しい手が前髪を掴み腰を激しく突き上げ「あっ、ひっ、あっあっあ」罵られ嬲られ蔑まれ「マゾ犬、マゾ犬、マゾ犬!俺の言うことだけ聞いてればいい、余計なことはするな考えるな首輪付きの飼い犬でいろ、友達なんか作るな目障りだ俺といる時間がへるだろ、お前には俺さえいりゃあいいそうだろそうだよな、俺が遊んでやりゃ十分だよな、こんなに可愛がってやってんのに手を噛むとかありえないよな、肩に焼印くれたくらいじゃ反省しないか、お前は」麻生の髪と腰を揺さぶり哄笑する、痛みに歪む麻生の顔、歪み、笑い、笑い……
爆ぜる。
「はあっ、はっ、は……」
梶のシャツを掴みへたりこむ。
膝を屈した麻生の腹に、ねっとりと白濁が散る。
「後始末しとけ」
シャツにしがみ付く麻生の手をもぎはなし、ズボンを引き上げ立ち去る梶。
靴音が遠ざかり、やがて消滅する。
書架に背を預けしゃがみこんだ麻生は、そのまましばらく放心していたが、行為の余熱が冷めるのを待ち、のろのろと下着を引き上げる。
西日が赤々と染める図書室。
ズボンを引き上げると同時に力尽きたか、快楽の余韻にひたりきって虚空に視線を投じる麻生が、その時、線の向こう側に消えてしまいそうに感じた。
境界線のあっち側に行っちまったきり、二度と帰ってこない予感がして。
発作に駆られ立ち上がる。
物音に反応し、緩慢にこっちを向いた麻生が、眼鏡の奥、微熱に潤んだ目を億劫げに細める。
「………秋山………?」
瞳の焦点が徐徐にあっていく。
最初は驚き、そして当惑。
残照に輪郭をぼかし、逆光を背負った俺を眩しげに仰ぎ、無音で唇を動かす。
なんで
とも、
見るな
とも、
衝動が爆ぜる。
床を蹴り、書架の間を駆け抜ける。麻生は、追いかけてこない。俺は振り向かない。振り向けるわけが、ない。
あの光景を見た直後で。
だから、逃げ出した。麻生を見捨て、おいてけぼりにして。
頭がぐちゃぐちゃで、息ができなくて、胸が苦しくて、走っても走っても残像が振り切れなくて、麻生の顔が追ってきて、麻生の声が耳の中で響いて、あんな、あんなー……
怖かった。
本能的な恐怖を感じた。
あの時、狂ったように哄笑する梶に激しく貫かれながら、麻生は笑っていた。
悪魔が本当にいたとしたら、きっと、あんな顔をしてる。
『何が少年を苦しめているのか』
耳を塞ぐ
塞いでも塞いでも中から外から聞こえてくる
『少年期が死んだのです。今 彼は喪に服し 黒服を選んだのです』
『彼は中間に立っているのです そして隣に 彼は大人でもなく 子供でもありません』
梶に抱かれながら、麻生の内側は冷えて燃えていた。
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