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踊り場で昼食を

 「お前の弁当全体的に茶色いな」  朝いちで愛情こめて詰めた手作り弁当に対する第一の感想がそれだった。    晴れた日は踊り場で昼飯を。  てなわけで俺たち……俺と麻生は屋上に通じる人けのない踊り場でふたり弁当を広げていた。  「茶色いってなんだよ茶色いって、他に言うことあるだろ!?朝いちで作ってきてやったのにさー張り合いねえの」  「頼んでねえ」  そりゃそうだ、毎日購買の麻生を見かねて俺から言い出したんだから。  麻生は昼となるといつも購買を利用する。  金持ちだから学食でも購買でも食い放題買い放題の羨ましい身分。  が、ひとつ問題がある。  麻生は食への執着が薄く、購買や学食が混み合ってると平気で飯を抜く。  三食きちんと食べないと力がでずに行き倒れる俺には考えらんねえけど、やついわく飯食うのにわざわざならぶのが馬鹿らしいんだそうだ。  自分で作ったりしねーのと聞きかけてやめたのは、炊事の形跡がさっぱりねーキッチンを思い出したから。  あんな贅沢なマンションで一人暮らししてるせに、いやだからこそ、麻生の基礎的生活能力ときたらどん底だ。  そんな社会不適合者のためにわざわざ手作り弁当を持参してやった友達に対する発言が、冒頭。  「茶色いのはしかたねーよ、持ってくるとき傾いて煮汁が染みたんだよ、煮物入ってるから。食ってみ、美味いぞ。昨日の残りもんのがんも」  「煮物苦手」  「おま、偏食だぞ!肉も煮物もだめって、好き嫌いせずなんでも食わなきゃ大きくなれねーぞ」  「これ以上大きくならなくていい」  とりつくしまもねえ。  まあ、まだ伸びしろがあるなら分けてほしいのが本音だけど。  弁当つつくのをやめ箸の切っ先をつきつけ抗議する俺を、麻生は白けた顔で眺めやり、ポテトサラダを口に運ぶ。  俺は中学からずっと弁当派。  母子家庭のうちじゃ少しでもお袋の負担を減らすため弁当は妹と交代で作る決まりで、今日は俺の当番。  どうせ作るならと次いでに麻生の分まで持参してやったんだから厚い友情に感謝したってばちあたらねえだろうに。  「味の感想より先に色の感想言われるって腑に落ちねー。朝いちの労を否定された気分」  俺が持参する弁当は八割晩飯の残り物だから、ぶっちゃけ今朝作ったのは玉子焼きとウィンナーくらいのもんだけど、それとこれは別。  「煮汁が染みたって、がたがた揺らして持ってくるからだろ。階段駆け上がるときにさ」  麻生はあきれ顔。箸が機械的に弁当箱と口を行き来する。  その指摘は正論ご最もなわけだけど、素直に非を認めるのが癪で、箸をがりがり噛んでぶすくれる。  「だってさー腹へってたんだもん。早くいい場所とりたかったし。先手必勝?早くしねーとまたお前ふらりと消えちまいそうだし」  「こんなとこ誰もこねえよ」  「なんで?」  「不吉じゃないか」  麻生は表情ひとつ変えずしれっと言い放つ。  踊り場は穴場だ。  大晦日の事件がきっかけで、屋上は封鎖された。  立ち入り禁止の屋上へとあがる踊り場に近寄る物好きもいなくなった。  過去に自殺者が出たんだからもっと早く閉鎖してもよさそうなものを、うちの学校の管理体制が甘いのか上が呑気なのか、六年間もずっとほうりっぱなしで生徒に開放してたんだから凄い。  以前は昼休みともなれば青空を仰いで息抜きする学生や、給水塔の影でちょっと一服する不良なんかで賑わったけど、今じゃすっかり寂れちまった。  屋上へ出る鉄扉は厳重に施錠した上に、何重もの鎖で堅牢にノブを縛ってある。  見回りの教師もめったにこないからサボりの穴場ではあるんだけど、ふしぎと誰も利用しないのは、人死にがあった因縁の場所だという噂が広まったのと、大晦日の事件の記憶が生々しいせいだろうか。  事件現場に近接する踊り場は、教師も生徒も一様に不吉を感じ避けて通る。  例外は俺と麻生、事件の当事者二名のみ。  「不吉っていっても……実際爆死してたら化けて出たかもしれないけどさ。俺、ぴんぴんしてるし」  生きながら殺されたみたいで居心地悪い。  「そういうもんだよ。そのうち敷島の生霊がふらついてるって噂がながれそうだ」  「……笑えねえ冗談。幽霊とか信じてんの?」  「いるわけないだろ」  「だよなー」  他愛ない会話。  事件の教訓、蚊帳の外にいる人間ほど物事をおおげさに騒ぎ立てる。  当事者は案外呑気なもんだ。  俺の神経が図太いせいかもしれないけど。  神経の図太さでは麻生も負けてない。感情の薄い顔で弁当をぱくつく。  「味どうだ?それ、自信作なんだけど」  砂糖多めの玉子焼きをつまむ麻生に、我慢できず聞く。  「………じゃりっとする。砂糖いれすぎ」  砂利でも噛んだように顔を顰める。  批判というよりただの感想といったふうなあっさりした口調だった。  「あ、やっぱり。妹のリクエストなんだ、あいつ甘いのが好きだから。お前甘いの苦手だっけ?今度は少なめにする」  「いいよ、別に」  弁当の定番玉子焼きを箸でつまんで口にほうりこむ。  無表情で食べる麻生に負けじと弁当箱を傾け、一気に飯をかっこむ。  本当は屋上で飯を食いたかった。  今日はよく晴れている。  快晴の青空の下で弁当を食うのはきっとすごく気持ちがいい。外に出れず残念。  だからせめて、空に一番近い場所で気分を味わう。  屋上から突き落とされかけたのにぜんぜん拒否感がないあたり自分の鈍感さにあきれるやら感心するやら。  というか、それは違うのだ。  俺が屋上に拒否感を抱かずにすんでるのは、隣にこいつがいるからで、あの時、最終的には麻生がこっち側にもどってきたからで。  もしあの時麻生が俺の手を放し転落していたら、こっち側に残された俺はきっと、二度と屋上にあがれなくなっていた。  「自信作だったんだけどなー、玉子焼き。形くずれてねえし。今日は成功。真理も他の料理にはぶつくさ文句つけるくせに玉子焼きだけは大好きで、今すぐお嫁にいけるよ兄貴って太鼓判押してくれて」  「よかったな」  「突っ込めよ」  スルーですかそうですか……身内ネタで滑ると倍恥ずかしいな。  照れ隠しにベーコン巻きを咀嚼しつつ、前々からずっと気になってたことをおもいきって問う。   「お前さ、ほんとに毎日外食なわけ」  「とコンビニ」  「自分で作んねーの?」  「面倒くせえ。料理とか作れねーし」  「湯沸かすくらいはできるだろ。ゆで卵とか」  「ゆで卵は料理か?」  「知ってるか?ゆで卵にマヨネーズとしょうゆかけて食うと美味い」  「とぼけるな」  どうも話が噛みあわない。  かなり本気で麻生の食生活を心配してるんだけど、露骨に迷惑がられてへこむ。  「一人暮らしなら練習したほうがいいと思うけどな。今度作りにいってやろうか?」  「いい」  「遠慮すんなって、簡単なもん教えてやるよ。あ、エロ本やエロビデオ見られるのいや?」  「お前と一緒にするな」  すげないつれない。  旺盛に飯をがっつきつつ、取り澄まして箸を操る麻生を上目遣いにうかがう。  去年の後半はやつれていたけど、事件から二ヶ月経って体重と体調が回復した。  心なし血色もよくなった気がする。  麻生は美味いともまずいともつかぬ顔で俺が作った弁当を食べる。  他人の動きをトレースしてるような機械的な食べ方。  食事を楽しむという概念からかけ離れ、黙々と淡々と作業をこなす。  「それ、新作。アスパラのベーコン巻き。食ってみて」  弁当箱の隅に、アルホイルで包み取り分けたベーコン巻きを指さしせっつく。  言われるがまま箸でつまみ、口に入れる寸前で思い直し、右に左に傾けじっくり見つめる。  眼鏡の奥の目が疑い深げに細まる。  「アスパラじゃなくてインゲンだろう?」  「細かいこと気にすんな、インゲンはアスパラの親戚だろ」  「全然ちがう、馬鹿」  「近所のスーパーにアスパラなんてお洒落なもん売ってねえよ、インゲンで代用したっていいだろ別に、味は一緒」  「俺、肉嫌いなんだけど。ベーコンとか脂っぽいし、無理」  「いいから食ってみろ、百聞は一口にしかず」  強引に勧める。  さあさあと期待に満ちた目でせかされて、麻生がしぶしぶベーコン巻きを口に持っていく。  固唾を呑み口元に注目し、決定的瞬間を待つ。  緊張の顔つきで乗り出す俺の前で、麻生がベーコン巻きを一口かじる。  眼鏡越しの目が一瞬見開かれ、ついで驚きの色が浮かぶ。  当惑と困惑の入り混じった微妙な表情のまま、無言で咀嚼する。  「どう?どう?」  「……脂の味がする」  がっくり。  せっかく早起きして気合こめて作ったのに、当の本人が味音痴じゃ張り合いねえ。  おそらく悪気はないのだろうが、茶色いだの脂の味だの暴言に落胆する。  俺の落胆ぶりがあんまりあからさまだったからか、脂の乗ったベーコン巻きをぱくつきつつ、一応フォローのつもりか麻生が言う。  「食えなくはない」  「わー偉そう」  ただ、美味いって言ってほしかっただけなんだけど。それだけで満足なんだけど。  しょうがない、まだまだ修行不足ってか。  気を取り直し、リベンジを誓う。立ち直りが早いのが俺の長所、と誰も褒めてくんないから自賛してみたり……ちょっとむなしい。  がらんとした踊り場でふたり顔つきあわせ飯を食う。  階下から元気なざわめきが響く。  俺と麻生が今ここにいるなんて誰も知らないだろう。  「ごっそさん」  箸を挟み合掌、弁当を手早く片してごろんと横になる。  頭の後ろで手を組み大の字に寝転がれば、天井が視界を占める。  「床に寝転がると汚いぞ、ゴミがつく」  「大丈夫だよ、払うから」  麻生の小言を適当に受け流し、手枕でまどろむ。  床がひんやりして気持いい。  満腹になったせいか、瞼が重たくなってくる。  「俺もーねる」  「昼寝かよ。また徹夜でゲーム?」  「違うよ、昨日は読書。ミステリの新刊夢中になって……途中でやめらんなくってさ、イッキ読み」  「気持ちはわかる」  「つーわけであと頼んだ。五限始まる前に起こして」  「人きたらどうすんだ」  「お前が見張ってりゃ安心」  充血した目がしょぼつき抗いがたい睡魔が襲う。  子供っぽく手の甲で瞼をこすり大あくびすれば、弁当を食べ終えた麻生が、学ランのポケットから文庫本を抜いてため息を吐く。  「起きなかったらおいてくからな」  「さんくー」  潮騒のようにざわめきが遠のく。  麻生の気配を近くに感じる。  俺に背中を向けて本を開く麻生の清潔な襟足を、仰向けに寝転んだ姿勢から堪能する。  麻生は階段を上がってた人間がすぐ気付かないよう、さりげなく俺を庇う位置に陣取る。  本のページが擦れ合う単調かつささやかな音が耳朶をくすぐり眠気を誘う。  「麻生………なに読んでんの……」  「川端康成」  「面白え?」  「まあまあ。変態ぽい」  「どんな話だよ……」  「寝てる女に色々する話」  「エロいなら読む、読み終わったら貸して……」  まどろみの内の会話。麻生の背中に寄り添いつつ、俺は眠りについた。  こいつ、本当に寝た。  「………どういう神経してるんだよ。踊り場だぞ?」  床に寝転がった秋山が間抜け顔でいびきをかく。無防備な寝姿に舌を打つ。  徹夜明けだというのをさしひいても、鈍感すぎる。  階下から雑多な人声が届く。  潮騒のように寄せて返す喧騒も、秋山の安眠を邪魔できない。  ため息を吐き、読書を再開する。  規則正しく健やかな秋山の寝息を聞きながら、しずかにページをめくる。  眼鏡の奥の目で活字を追う。  時折無意識に唇に触れる。  人が来ない踊り場は読書に適した環境だ、誰かのうるさいいびきがなければと条件がつくが。  じきに集中力が切れる。  踊り場に響くいびきと寝息が心をかき乱す。  苛立ち、諦めて本を閉じ、秋山に向き直る。  「うるせえ。本が読めない」  返事はない。人の気も知らず熟睡してる。  よだれがたれそうに口をかっぴろげ、幸せそうにふやけきった寝顔を見せる。  隙しかない寝姿にやり場のない苛立ちを感じ、いびきをかくその口を、軽く手で塞いでみる。  いびきがくぐもり、少しだけ苦しそうに眉根がよる。   吐息の熱でてのひらが湿る。  手のひらに触れた唇の意外な熱さと柔らかさにたじろぎ、自分の醜態に腹を立て、間抜けな寝顔に本を伏せて置く。  「ふがっ」  顔に本を被せられたのにも気付かず、安穏と眠りこける秋山を眺めやり、複雑な感慨を抱く。  ふと視線をおろせば学ランの詰襟がはだけ、春めく陽気にシャツの第二ボタンまでだらしなく外れて、首筋と呼吸に合わせ上下する控えめな鎖骨のラインが大胆に露出する。  「………………」  なにげなく、首元に手をやる。  敏感な場所に人の手が触れているというのに、秋山はまったく気付かない。  油断しきって惰眠を貪っている。  はだけた詰襟とシャツの襟元をくりかえし指でなぞり、折り目をしごく。  同年代と比べ細く華奢な首筋にどうしても視線が吸い寄せられてしまう。  「……隙見せるなって言ったろ」  この前自販機の裏でキスした時に。  帰り道、秋山は怒っていた。突然キスされ面白いほど動揺していた。  あれでちょっとは懲りたとおもったのに、買いかぶりだったか。  階下が歓声に沸く。教師の太い怒鳴り声が続く。  屋上に通じる踊り場だけが、隔離された静寂に包まれている。  秋山の顔は本に遮られ見えない。かすかな寝息だけがもれてくる。  はだけた襟元に手をかける。三番目のボタンを指先でいじり、転がす。  葛藤。逡巡。  「………麻生ー」  名前を呼ばれた。  「犯人バラすの反則……」  「寝言も推理小説がらみかよ」  なにやってんだ、俺。  強張った手から急速に力が抜けていく。  長々と脱力の息を吐き、シャツの襟にかけた手を器用に下へ移し、きちんとボタンを掛け、仕上げに詰襟を少しきつめに締める。  「うぅ」  首の圧迫が強まって、苦しげに顔をしかめる。  何も知らず眠りこける秋山の身だしなみを整えてやってから、自分の行動がふいにばかばかしくなって、舌打ちがこぼれる。  秋山の寝顔は目に毒だ。  見てると理性を失いそうになる。  秋山の顔の横、妹が家庭科の授業で作ったというギンガムチェックの可愛らしい袋に詰められたからっぽの弁当箱を一瞥、本人が聞いてないのを承知で、いや、だからこその本音を呟く。  「………うまかったよ。ご馳走さま」    晴れた日は踊り場で昼食を。  こんな日も悪くない。

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