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冬の匂い

乾いた木枯らしが路傍に吹き溜まる落ち葉を撹拌し拡散していく。 のっぺりした鈍色の空とすれっからしの千切れ雲を突き刺すように節くれだった枝を伸ばした樹木を見上げ、俺は呟く。 「なあ、あの木寒そうじゃね」 文庫本を読みながらアスファルトで舗装済みの歩道を歩いていた麻生が、意味不明な俺の発言を聞きとがめ、黒く冴えた切れ長の目を怪訝そうに瞬く。 「……俺は木じゃないからわからないが」 うん、ご最も。 「いきなり何だ。受験勉強の詰め込みすぎでおかしくなったのか、前後の文脈を飛ばして木を擬人化して代弁を始める程心を病んでるのか」 麻生は国立大も余裕で狙えると教師が太鼓判を押す、学年一どころか全校一の秀才だが、哀しいかな社交上必須とされる遠慮という概念を学んでこなかったようだ。 冬も押し迫った十一月中旬、受験の追い込みのかかるこの時期はどいつもこいつも忙しげに見える。 徹夜明けなのだろう真っ赤に血走った目で俯き加減に単語帳をめくりつつ俺達を追い越していく学生がいるかと思えば、翼を授けるという噂のエナジードリンクを自転車に乗りながらがぶ飲みしてる奴もいる。いいから安全運転しろ。注意一秒怪我一生、滑って転んで頭を打ったら翼なんざ授からなくても天国行きだ。 だから俺は麻生と歩く。 特になにをするでもなく、好奇心の赴くままちょいちょいよそ見しながら、この偏屈で頑固で俺以外のクラスメイトから敬遠され孤立気味の友達と同じ歩幅で帰り道を辿る。 「いや、ただ見たまんまを言っただけ。真っ裸で寒そうだなーって。見ろよ、葉っぱも全部落ちちまってる」 頭の後ろで手を交差させ平たい鞄をぶらさげながら、立ち枯れた街路樹に顎をしゃくる。麻生の視線が自然と俺が見た方向に滑る。 なんとなくしんみりして、すっかり葉っぱを振り落として丸裸の樹木をしみじみ観察する。 元は何の変哲もないポプラだか、埃っぽい排気ガスを長年浴び続け薄汚れ、貧弱な枝とごわついた樹皮は干からびて皺ばんだ老人の皮膚を連想させる。 「なんかさ、巻いてやりてえよな」 「何を?」 「マフラーとかさ」 「簀巻きで釣りがくる」 「見るからに寒ッ!てかんじだし」 「たかが自然現象でそこまで感傷に浸れるなんて現実逃避の典型症例だな」 あきれたように溜息を吐き、眼鏡のブリッジを中指で押さえる。 すっかり見慣れちまったが、けっして見飽きはしねえコイツの癖。 俺の馬鹿さ加減にウンザリ閉口したり憮然と拗ねたりごくまれに気恥ずかしげに俯いたり、その時々で微妙に表情を変えるのが面白くてついからかいたくなっちまうのだ。 自分でもなんでいきなりこんなセンチメンタルな事をのたまいだしたのか謎だ。 しいて言えばそういう気分だった、それだけ。 寒空の下枝剥きだしで両側に立ち尽くす無個性な木々を見ていたら、寂寞とした情景に急に同情の念が湧いて、柄にもなく感傷的な事を言っちまった。 受験を控えて相当ナーバスになっているのだろうか?やばいぞ俺。 「だってさ、コイツらって一年365日ずっと外で立ちっぱなしな訳じゃん。風が吹こうが雨が降ろうが槍が降ろうが」 「最後はない」 「モノのたとえさ。んでさ、暑さ寒さに必死に耐えぬいて一年十年二十年ずーっとおんなじ場所に立ってんのに個体識別してももらえないんだぜ?鉤字に枝が曲がってたり幹に落書きあったり一個一個よく見りゃちゃんと特徴あんのに毎日素通りするだけの俺らにとっちゃ木って記号でしか認識されねーの!」 「それは凋落だろうか」 「は?何?もう一回」 「わかんねーならいい」 「とにかく!俺は断固木の地位向上を訴えたい、あの寒々しい樹皮にせめてマフラー位巻いてやりてえ、それが人のやさしさってもんだろ。何故だか今さっき無性にそう思った、おお心の友よと某ジャイアンの如くあの木を抱き締めたい衝動に駆りたてられた」 「お前……」 低体温の無表情のまま、憐みの目を向けてくるが無視して断言する。 「私が貝になるなら俺は木になりたい」 「なれるといいな」 「突っ込めよ!?そしておいてくなよ!」 俺を放ったらかしてすたこらさ先に行く麻生、その首を包むマフラーを間近に見て相好を崩す。 俺が去年誕生日にプレゼントした青いマフラー。 冬を越えてまた冬が来て、それでも麻生の首に巻かれ続けている友情の証。 「木になんのやーめた」 わざと聞こえよがしに声を張り上げ、麻生の行く手を塞ぐ形で素早くまわりこむ。 物凄く迷惑げに且つ邪魔そうに渋面を作る麻生におもむろに詰め寄るや、霜月の外気に冷えきりかじかんだ手をマフラーの隙間にすっぽり突っ込む。 「な、」 「はーあったけえ」 無理矢理両手を突っ込んだせいでマフラーは緩んでほどけ、麻生の胸あたりまでだらしなくたれさがる。 邪険に舌打ち、マフラーの両端に手を入れ暖をとる俺を振り払わんとした隙をかいくぐり、すかさず輪の中にもぐりこんで伸び上がる。 「どやっ」 「……なにがしてーんだよ」 「前から思ってたんだよ。このマフラーちょーっと長すぎね?」 「見立てたのはお前だろ」 鼻白む麻生にやんちゃっぽく笑いかける。 「そう、だからさ」 マフラーの反対側を手早く自分の首に巻けば、麻生はあっけにとられる。 「元々二人用だったんじゃねーかって。どう、この名推理」 「……お粗末だな。首吊り用って説のがまだありえる」 麻生が言うとブラックすぎて笑えない。 いかにも馬鹿にしたように吐き捨てるツレなさに反発が沸くも、言い返す前に早足で歩きだされ不可抗力で首が締まる。 リードで引きずられる犬のように引っ張られ渋々歩きだしながら、どこまでも薄情でノリが悪いダチに恩着せがましく吠えたてる。 「よかったなー麻生、お前に俺がいて!お前がもし木だったらだーれもマフラー巻いてくれやしねーんだぜ、素っ裸で突っ立っても心配してくれやしないんだぜ」 「露出狂か。擬人化された上に妙な性癖捏造されて木もさぞ迷惑だろうな」 「木が気になっちゃ悪いかよ。あ、わかった、ひょっとして嫉妬だな?木が気になる俺を気にしちゃってるんだな麻生君は?」 「うっぜえ」 俺の言動に愛想を尽かし……かと思えば、突如として布地が顔面を塞ぐ。 「ふもっ!?」 マフラーで無造作にぐるぐる巻きにされ視界を封じられる。 無体な仕打ちに抗議せんと目を覆う布地に手をかければ… リネンに包まれた唇に一瞬、繊細で柔らかいモノが触れる。 吐息さえこもらせるマフラー越しの接吻。 それが何かなんてすぐわかった。何せこれが初めてじゃないのだ。 こんなザマでムードもへったくれもねえけど、キメ細かく滑らかなリネンの質感と柔い唇の火照り、吐息の湿りけとが布越しにまざまざ感じられて、でも実際の感触は妄想に委ねるしかなくて、粘膜同士が寸止めされ、熱く疼く核心が遮られるもどかしさじれったさに掻痒にも似た切迫感がこみ上げる。 顔面を覆われたミイラ男の状態で、目隠しされたままマフラー越しにキスされて、頭が真っ白になる。 「……っ、ば、か!真っ昼間っから道のど真ん中で何す、き、ききききすすき?!」 「直じゃなきゃセーフ」 「屁理屈だ!?」 痛みと混乱に目を潤ませ、呂律が回らず噛み噛みの批判を浴びせれば、麻生が意地悪く薄笑い、マフラーのほつれからはみでた俺の耳を掴んでくる。 「耳まで真っ赤」 「!!-っ、」 首に宛がわれた手が耳裏に忍び込む前に慌ててとびのく。 頭部を包むマフラーをさらに固く巻き直し、間違いなくからかいのタネになる、今にも火を噴きそうに火照った顔をひた隠す。 「麻生のばーーーーーーーーーーーーか!!破廉恥キス泥棒、寸止めキス魔!もうしらね、ぼっちで帰れ!!」 思考停止した頭で情けない捨て台詞を吐いて逃げ出そうとすれば、何かに躓いて勢いよくつんのめる。 すっ転ぶと直感、きたるべき衝撃を覚悟してぎゅっと目を瞑るも、背後から腕を掴まれ安定した地面に引き戻される。 「くっ……!」 片手でマフラーをずりおろし、悔し涙で潤んだ片目だけ露出させ、しれっとした麻生を睨む。 「お前のマフラーは預かった!返してほしけりゃごめんなさいと言え!ついでにセブンの肉まんおごれ、今ならセール中で財布にも優しい!」 愉快げに喉を鳴らして笑い、俺の頭を一回ぽんと叩く。 「生のほうがよかったか?」 「そういう意味じゃねーし違う意味にとられたら困るだろ馬鹿!」 「ハイハイ」 優しいと誤解させる表情で目を細めた麻生が、怒りで言葉の続かない俺の前に当然の如く片手をさしだし促す。 「そのマフラー気に入ってんだ。返してくれ」 ずるい。 今ここでその台詞を言うか? 「誰にもやらねーよ。もちろん返す気もな」 ああ、くそ。 今そんな事言われたら降参するっきゃねえだろ? マフラーの中じゃ俺の吐息と悔し涙のしょっぱさと麻生の残り香がまじりあって、泣きたい位の幸せが満ちてくる。 絶対に手放さないと尊大な態度で宣言する麻生に対し大人しく敗北を認め、のろのろとマフラーをほどき、ぶすくれた顔をさらす。 「……気に入ってるって、マジだな」 返却されたマフラーで寒々しい首元を覆い隠し、疑い深く念押す俺をからかうように横目で一瞥、何事もなかったように指で押さえて伏せていた文庫本を開く。 そして。 紙面に印刷された活字に目を落としつつ、クールにこう言うのだ。 「大マジ。これがなきゃ冬を越せねえ」

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