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第29話

「風間どこ行ってん」 ハルが囁く様に言う。それを聞いて、俺は笑った。 「秋山威乃なんか知らんのんちゃうん、話しかけてるやん」 「やかましいわ、ボケ」 ボケはないやろ…。でも、確かにハルからしたらボケよな…俺は。 「彰信、パシリに使うなよ」 「アホか、彰信にこんな話聞かしたらショック死しよるわ」 せやんなぁ。風間の名前だけで卒倒しよるよな。 彰信のヘタレは折紙付きやな。ま、そこが彰信のエエとこでもあるけど。 「龍大は…関東」 溜め息と一緒に言えば、ハルの眉間に皺が寄った。 「関東?」 「おかんが、あっちの組に捕まってるとかで…。あっちの鬼塚組となんか…するみたい」 「鬼塚組!?」 「しーっ!声デカイて!」 思わず押し入り強盗のように、ハルの口を押さえた。 素行ばっかり一丁前に悪い奴等の集まる学校の教室で、鬼塚組の名前なんか出すな!! 「鬼塚組て、俺らの何個か上の先輩が入りたいて言うてた組やんけ!組長がかなりヤバイて」 ハルが俺の掌を押し退けて言うけど、ヤバイ?アホか、そんな言葉で片付くか。 この平成の時代に、戦国武将みたいに刀振り回すイタイ兄ちゃんが大将してる組や。 俺と龍大をバッサリ切り捨てようとした、アホがおるんや。ヤバイなんて軽い言葉で片付くか! 「ほんで、愛さん、巻き込まれてんか?」 ハルが頭を掻きながら言う。ハルなりに気ぃ使ってくれてるみたいやけど、ぶっちゃけ俺も訳分からん。 俺の力じゃ、どうにもならんとこまで来てる話。 次元が違う。世界が違う。痛い位に、思い知らされてる。 「うん、多分。サツも言うてたし。あのアホ、巻き込まれてるて」 「サツに任した方がエエんちゃうんか」 「だって、組のこと掴むんは組のが早いやん」 同じ穴の狢。俺等かてクソガキ情報は誰よりも先に的確に掴んでる。 まぁ、ヤーさんとは規模ちゃうけど。 「サツが掴んでへんのか?ヤーさん絡んでるけど、どこの奴か分からんのか?サツは…。いっそ、たれ込め」 お前がしろ。俺は鬼塚 心を敵に回すなんて、命知らずなことしたない。今、手と足とがあるんが不思議なくらいの恐怖味わってんぞ。 それに、龍大を裏切るんはイヤや。 「風間、ほんまに動いてんのか」 ハルの言葉に頷く。 俺みたいな奴のために、風間 龍大は名の通り”鬼”の鬼塚 心に頭下げて、イケメン顔をフランケンシュタインにしてくれたんや。まだ組員でもない龍大は、高校生のくせにヤクザの世界に踏み込んだんや。 「ほんまは…ガッコ来たくなかってん」 「はあ?」 胸にある渦。不安。闇。恐怖。目に見えへんそれらが一気に襲ってくる。 「ガッコでも来とかな、吐きそうやってん」 平気で人を傷つける連中。そんな中に、龍大は飛び込んだ。 それも自分が言い出したことのせいで。 「………」 「龍大…死んだらどないしょ」 椅子の上で、膝を抱えて足の間に頭を埋める。情けないことに食いしばっても食いしばっても、ボロボロと涙は溢れた。 行かすんやなかった。 ヤクザの世界なんか鬼塚 心みたいなんが当たり前におって、明日なんかどうでもええ奴等の集まりなんや。 鬼塚組や風間組みたいなデカイ組が仕掛けてきたって知ったら、おかん攫った組は自暴自棄になるかもしらん。 龍大や鬼塚組や風間組が酒井組に話し合いに行ったんか、戦争しに行ったんか、さっぱり分からん。 龍大も、言うてくれへんかった。戦争しに行ったとしたら…? 「龍大が…、人殺しなるんもイヤや…」 刑務所なんか入って逢われへんのも、俺のおかんが原因で人殺しなんかするんもイヤや。 肌なんか、重ねるんやなかった。龍大の身体がどんだけ熱いか知ってもうて、俺は一人残されて氷河期の気分。 寒くて寒くて。それが、恐くて、悲しくて。ただただ、龍大に逢いたい。 シクシクと情けないくらいに泣く俺を、ハルは周りが気が付かんように自分のシャツを俺の頭から被せた。 脂臭い…でも、温かいシャツ。ハルの忠告シカトしまくりの、俺やのに。 「お待たせ!コーヒー!…あれ、威乃、寝たん?」 彰信の声が聞こえたけど、俺は知らん振りをした。 きっと俺が泣いてると知れば彰信は俺の何百倍も、周りの目とか関係なく泣き喚くんや。 俺って世界一ツレに恵まれてると思いながら、泣きすぎて赤くなった目を休ませるべく目を閉じた。 学校終わって、どんだけぶりの塒に向かう。足取りは重たい。誰もおらん塒。 かと言って龍大のおらん龍大の部屋に行く気はなかった。龍大がおらんのを思い知らされるんだけは、イヤやった。 龍大に絆され甘やかされ、今の俺はただのヘタレや。 「あー。ひっさびさ?威乃ちゃん」 かけられた声に顔を上げれば、チャラい格好の篠田さん。 ああ、忘れてた…。あんたの存在…。 「…どうも」 錆び付いた柵に凭れて…。急に外れて怪我しても、俺のせいちゃうで。 「俺も忙しいてなぁ。ようやく威乃ちゃんに会えた」 「仕事は?」 「さっきあがれてん。今は一般市民やで」 「刑事って休みあるんや」 カンカン靴音鳴らしながら、錆び付いた階段を上る。 刑事って年がら年中刑事や思ってた。24時間戦えますかみたいなん。 「休みやけど休みやないな。携帯鳴れば、女の股座に顔突っ込んでても飛んで行かなあかん。因果な商売やでな」 「今日は何?おかんのこと?」 ドアの前。鍵を開けるべきか否か。 篠田さんの気配を窺いながら、学生服のポケットの中で鍵を弄ぶ。部屋の中で、刑事と二人になる趣味は無い。 「風間の倅は」 ホストみたいな甘い笑顔がスッと消えて、途端に刑事の顔になる。刑事はやっぱり年がら年中刑事や。 「…知らん」 声が震えた。 誰かに嘘つくなら、もっとマシや。女に嘘つくのなんか、俳優顔負け。 でも、目の前におるんは刑事や。嘘を見抜く天才や。 「威乃ちゃん、ほんまのこと言いや。風間の倅は関東に飛んだな?威乃ちゃんのおかんに関係あるんやろ?」 「し、知らんて」 心臓がドキドキ…ズクズク…。 篠田さんの顔も見れんで、唇噛んだ。やっぱり刑事の威圧感は凄まじい。 「鬼塚組のガキと、何ぞやらかすってほんまなんやな」 「え…!?」 バッと顔をあげれば、厳しい顔した篠田さん。なんで?なんで知ってるん。言いかけて、慌てて息を飲んだ。 「俺、こんなんでも刑事やで。警視庁からも情報はもらえる。鬼塚組に風間が出入りしてる、一新一家も絡んでなんや不穏な空気醸し出しとるて」 「……」 「俺は捜一やから、マル暴絡みに手ぇ出されん。今回かてヤクザ絡んでるって聞いて、マル暴が出刃ってきたくらいや。しかも、それが風間組みたいな莫大な組織だけやなく、関東の鬼塚まで絡んでるってなったら、ほんまに俺ら捜一はお役御免なる。あいつら、風間と鬼塚ぶち込むためだけに生きとる。でも、今はあかん」 「あかん?」 ってか、捜一とかマル暴とか、あんたらの内部事情に俺は興味ないで? こないだからリアルVシネ勉強中で頭いっぱいや。そこにリアルポリはいらんわ。 俺の脳みそ、ほんまにどないかなってまう。 「裏には裏の事情あんねん…威乃、龍大は死ぬで」 「は?な…なに…」 何言うてんの?何言うてんの?何言うてんの、この人。 「鬼塚組の今の組長は、ある日いきなり現れたガキや。俺よりも若い正真正銘のガキや。嫡子がおらんとされてた先代の子らしいけど、いきなりそないなこと言われて、元からおる組員がそうですかって引き下がるわけあらへん。奴等はヤクザや。しかも、組長の鬼塚心は時期組長やったはずの男を破門にしよった。この男が厄介や」 「そんなん、おかんに…おかんの件には」 関係あらへん。そんな話は聞いてへん。 酒井組と佐渡、で、一新一家。聞いてるんはそれだけや。 「そいつが今回のんに便乗してきて、風間の倅見つけたら、威乃ならどないする?」 「……え?」 「アイツは仁流会会長の息子で、いずれは風間組組長やなぁ。俺なら芽が出る前に摘んでまう」 ズキンと、痛いくらい心臓が跳ね上がった。 篠田さんが言うたこと、もし俺がそいつなら…俺も、芽が出る前に摘んでまう。 「ガキの喧嘩や、ちょっとした大人の喧嘩とは訳ちゃうで。アイツらは暴力団や。名の通り暴力でもの言わす。司法なんか糞食らえ、俺らサツは犬や言うて噛みついてきよる。言うてる意味分かる?」 「……」 頭、ぐるぐるぐらぐらぐちゃぐちゃ。 きっと龍大はそんなこと百も承知で行ったんや。ただ、おかんを助けるために。 その男気を俺が裏切るわけいかん。 「龍大は…龍大は死なん」 「威乃!」 篠田さんが俺の腕を掴んだけど、俺はそれを力一杯振り払った。 何で、何でそんなん言うねん! 「約束した!帰ってくるて!龍大が、俺を一人にするわけあらへん!」 叫んだ言葉と同時に、ボロボロ涙が溢れた。絶対、絶対に龍大は帰ってくる。俺を一人にする訳ないんや! 「龍大は、帰って来る!!!」 沈みかけた夕陽が、空を不気味な程オレンジに染め上げる。 俺の叫び声が、その空にゴクリ。呑み込まれた。

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