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第39話

おかんがおった部屋の隣。病室やのうて、家族が待機するような部屋。そこにあるソファに座って、俺は項垂れとった。 頭がガンガンする。膝の上に置いた拳がぼんやりして、焦点が定まらん。 腫れぼったい目蓋が重たて、まだ泣いてる錯覚が気持ち悪い。俺は泣きすぎて吐いた。 こんな二日続けて泣いたら、さすがに吐くわな。たまに呼吸する息が、どっかしゃくり上げてるみたいな吐息。 隣に座る龍大に頭を撫でられて、ほうっと息を吐いた。 「ヤク打たれて…まあ、あれですわ」 俺らの前に立ったスキンが言いにくそうに、滑りの良さそうな頭を掻く。それをぼんやりした頭で聞きながら、目を閉じた。 「…俺かて、だてにグレてへん」 あれがどういう状態でああなったんか、俺かて想像つく。そういう人間に逢った事も、誘われた事もある。 ガキがするワルの真似事。しょーもない事してたよな、ほんま。 ヘラッと口だけ笑うと、スキンは龍大の顔を見る。それに龍大が頷くと、スキンは一つ咳払いした。 「クスリで酩酊さして、客取らしてたみたいです。アパートに監禁して…。まあ、抵抗したら殴る状態で、保護したときは錯乱状態でした。酒井組は他にも何個かそういうアパート作ってたみたいで」 「そっか…」 呟いた声が頭に響いた。 目を開けてみても、やっぱりぼんやりする。何か、夢ん中みたいな現実とは別のもんみたいな、そんな浮遊感。 でも夢なんかやない。これが、あれが、全て現実。 「あいつ…は?…おかん、誑かしてた奴」 「宮崎純一なら、鬼塚組におる」 龍大の言った名前に、腹の底の何かがグーッと上がってきた。 膝の上に置いた拳に力が籠る。掌に爪が喰い込んでもそれを緩められへん。頭痛が酷なる。 「俺、喧嘩してムカついて、殺したんねんて…何回も思ったけど、あんなん遊びやな」 ギリッと奥歯を噛み締める。 あんなん“怒り”やない。あんなん”殺意”やない。 「龍大…あいつ、殺したい」 俺は絞り出すように言って、頭を抱え込んだ。 殺したい。殺したい。殺したい!!!この手で殴り殺したい。 そのどこにもぶつけられん怒りで、目の前が真っ赤んなる。こんな気持ち初めてや。 殺したいなんて、喧嘩で何回も思ったけど…そんなん比べ物にならん怒り…。 「威乃…」 その怒りを吸い取るように、龍大が俺の身体ごと抱き締めた。 ドクドクと、マグマみたいに熱なった血液が冷えていく。それに思わず笑った。 学校で暴れて、お礼参りの金魚の糞を殺しかけた龍大を止めたんは俺。今、俺の爆発しそうな怒りを止めたんは、龍大。俺ら、片方でも欠けたらアウトやん。 「威乃、警察行くか?」 「…はあ?」 龍大の思ってもない言葉に、俺は顔を上げて龍大の顔を見た。 冗談なんかやない。それはわかる。冗談を言う様な人間でもない。でも、よりによってサツとはどないやねん。 「サツってなんやねん?何でここでサツが出てくんねん」 「威乃、極道を潰すやり方は二通りや。同業に潰されるんか…」 サツに潰されるんか、か…。せやけど、サツに潰されるなんか知れたある。 解散宣言出して、その組事態のうなってもみんな散り散り。よその組に入って、やっぱり極道。 そん中でも悪さした人間は刑務所入って、あったかい飯食うて、布団で寝るんや。 おかんの痩せこけた身体と、ボコボコに殴られた顔が頭に浮かぶ。 今日の今日まで、ちゃんと飯なんか食わしてもらったんか、ちゃんと布団で寝かしてもらったんか…。 賑やかな女やった。よお笑って喋ってガキみたいに、すぐ不貞腐れて。他人に言うたことあらへんけど、我が親ながら美人な、可愛らしい女やった。 口も悪いしアホやし、手もすぐ出る。飯は下手くそやし掃除も出来ひん。やけど、ありったけの愛情くれた。俺の、たった一人のおかん。それを、奪ったあいつら。 交互に頭に浮かぶ、俺の知ってるおかんの笑顔と死人みたいな顔。 気が付いた時には、俺はソファから立ち上がると龍大の前に土下座してた。 「威乃っ!!!」 龍大が肩を掴んだけど、それを払い除けて頭を床に擦り付けた。 リンチされても何されてもしたことない土下座。男たるもんが、土下座なんかすんな。土下座するくらいなら死んでまえ。これもおかんの教え。 せやけど、それ破るわ…。ごめんな。 「龍大、お願いや。俺じゃあ、俺じゃあ何も出来ん。俺には力がない!!せやけど、汚い仕事を他人に押し付けるんは性に合わん!でも!!でも、それでも…あいつらだけは許せんのや!!宮崎を!酒井組を潰してくれ!!ワレの行い、後悔するくらいに叩きのめしてくれ!!」 「威乃…」 目には目を、歯に歯を、恐怖には恐怖を…。 「お願いします…っ!!」 最後に紡ぎ出した声は、小さいうえに掠れとった。 こうしてお願いしたところで、龍大の一存で出来るんかは分からん。龍大は風間組の息子やいうても、正式な組員やあらへん。俺より年下の、極道の倅っちゅーだけの高校生や。 第一、ここは関西やない。せやけど、もし関東の、鬼塚組の許可が要るっちゅーんなら、鬼塚心に頭下げてもええ。それでやってもらえるんなら、あの鬼塚心に土下座でも何でもしたる。 今度こそ時代錯誤の大将に斬り捨てられるかもしれんけど、それでもかまわん。あの大嫌いな鬼塚心に逢うてもええ思うくらいに、それくらいに、あいつらだけは許せん。許せる訳があらへん!!!! 「渋澤、捕まえた組員どこや」 「ああ、鬼塚組の倉庫です…」 「分かった」 龍大は俺の腕を掴むと、一気に立ち上がらせた。目一杯腕を掴まれて、痛みさえある。そっから龍大の怒りが伝わった。 「俺にそんな真似、二度とすんな」 龍大は低い声で言うと俺の身体をソファに乱暴に座らし、ポケットから携帯を取り出した。持ってたんや、携帯。ってか、携帯、似合わん奴。 龍大に掴まれた腕がじんじんする。龍大を怒らしたん、何度目やっけ。 「…心?俺」 そんな事を考える俺の耳に、聞きたくないような、何とも言えん感情が起こる名前が聞こえた。 龍大の電話の相手は、やっぱりと言うべきか鬼塚心や。”心”の名前に、俺だけやなく龍大の後ろにおるスキンの顔色が変わった。 あー、スキン。鬼塚心に逢ったな。な、悪魔やったやろ?おっそろしいほどイケメンの、史上最悪な性格の悪魔。悪魔ってか、修羅…? 「酒井一家、山西から下まで捕まった?…ああ、そうなん…。うん。いや、処分してええよ」 “処分”って言葉に息を飲んだ。やけど、後悔はない。自分が言い出した事や。 サツに引き渡したとこで、いくらでも言い逃れ出来る。サツやない、法やない、言い逃れも命乞いも通じひん相手。 ”処分” 俺が、俺が心底望んだこと…。 「極道の事件は…」 徐にスキンが口を開いた。パッと頭を上げると、龍大は少し離れたとこに移動しとって、スキンが俺の前に立ってた。 「え…?」 「極道の事件は、もともと大きい報道はされん。俺らは存在せんくらいの人種扱いや。俺らがもし被害者になったとしても、それがどんなえげつない事件やとしても、その事実を知らん人間がほとんどや。世間から妙な同情もされたらあかん、羨望の的になってもあかん。常に外道。やけど、それはしゃーないことや。言い方はどうか分からんけど、極道は極道に片付けて貰うんが一番や。もし宮崎らがパクられても、どんな事件でどんな被害者が出てんのか詳細に表に出る事はない。今回のかて、監禁と売春強要とシャブの罪。売春強要は買った人間も分からんし、女は酩酊状態で供述取れるかすら怪しい。やから立証されたとしてシャブ。それも入って数年。下っ端は下手したら書類送検や」 「そんな…」 「これが法治国家や。だから気に病むことはあらへん。俺ら極道は、極道になった時から普通に死ねるとは思うとらん」 真っ直ぐに前を見据えるスキン…いや、渋澤さんはどこか堂々として見えた。 極道。不良とかヤンキーとか、そんな軽て中途半端やない。死に方さえ、まともやあらへんような道。生半可な覚悟で挑まれへん道。 それが、龍大の世界。そして、おかんが巻き込まれた世界。 「…例えば」 一つ、言葉を吐いて深呼吸。そう、例えば…。 「第三者が聞いたら…サツに、それこそ法に裁かせろ言うかもしらん。よく言うやん?人に人は裁かれへんって。せやけど、それが可能な術を知ってたら?人に人が裁ける術を知ってたら?そうや、あったんや。俺の目の前にそれがあった。そんで、俺は迷わずそれに手ぇ出した。それに後悔はない」 俺はきっぱり言い切ると、かなり高い位置にある渋澤さんを真っ直ぐ見た。 百人中、百人が間違えてると言ったとしても、俺は考えを変えるつもりはなかった。例えこのことで地獄に堕ちたとしても。 もしかしたら、そいつらにも家族がおるかもしらん。この世におるからには、親もおるやろう。家族からしたら、大事な身内。そのみんなを不幸にするかもしらん。 やけど、俺かてたった一人の肉親をあんな姿にされる謂れはない。 間違えてても道理に反してるとしても、生きながらに殺されたおかんの仇。その仇を討てる術を知った俺は、それを使う。 「俺が下した判断で不幸になる人間がおるんなら、それを全部背負うたる」 そんなもんで仇討てるなら、いくらでも背負ってみせる。後悔なんかせん。 ぐっと握った拳を、でっかい手が包み込む。顔上げたら、電話終わった龍大やった。 「一人で背負わしたりせん」 龍大はそう言って、俺の頭を撫でた。俺は、それにまた涙が溢れた。 龍大に逢ってから、俺の涙腺はすぐに決壊する。ボロボロと、頼んでもないのに流れて来る涙。 後悔の涙なんかやない。龍大が居てくれる、その喜びの涙。

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