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第40話

「威乃ー!」 元気のええ声が俺の背中を呼ぶ、振り返れば、パタパタ走ってくる彰信。 あれから、一月の月日が流れた。新聞とかのマスメディア、裏サイト。どこを調べてもおかんの事件は報道されてへんし、酒井組のことも何も伝えられてない。 やけど現実には酒井組は一人残らず片付けられた。こうして表に出んのをみると、改めて仁流会ー極道の恐ろしさを知った。 おかんはあれから関西の病院に転院した。それはみんな、貴子ママや風間組の援助。 もちろん、これは貴子ママと病床の梶原さんの提案やった。 おかんが見つかったと貴子ママに連絡すると、直ぐさま関東にすっ飛んできた。そこでおかんの姿見て、俺と同じ様に貴子ママは後悔と自責の念にわんわん泣いた。 もっと、ちゃんとおかんを気にしてやれば良かったと。もっと、おかんに男の怖さを教えればよかったと。 俺と同じ様に、元気な頃のおかんを思い出して泣いた。そして、関東の病院にそのまま入れとく訳にいかんと、関西へ帰る事になった。 学生の俺にそんな金があるわけでもない。おかんが俺のために、貯金をしてるわけでもない。 『全部、あたしに任しとき!』 貴子ママの力強い言葉。 断ったところで俺には為す術もなく、愛が可哀相やとわんわん泣く貴子ママの行為に甘えることにした。 梶原さんは刺された傷も深いもんでもなく、1週間ほど入院して、さっさと退院。極道の人間は、身体の治りも早いらしい。 そして、俺には平穏な日々が戻ってきた。 「威乃、愛さんとこ行くん?」 「せや。じゃあ、またな」 彰信の頭を撫でて学校を出る。彰信には、おかんは交通事故や言うた。ヘタレ彰信には、堪えれん話やから。 実際、おかんが交通事故でおっきい怪我した言うただけで、彰信はわんわん泣いた。彰信はほんまに優しい男や。俺にとって、ほんまに大事な友達や。 ふと何気に見上げた空は雲一つない青空で、何となく嬉して写メる。 そうして歩きながら携帯を弄ってたら、着信。着信の相手に、またかと溜め息。 「はいはい」 『おう!飯行くか』 「働け公僕」 俺はげんなりする。相手は大阪府警の篠田さんや。 “おかん見付かりました” 俺の連絡に慌てふためいた篠田さん。おかんに逢わせろと傾れ込む様に押し掛けた篠田さん達を、仁流会が医者に手回したんか面会謝絶。 精神的ショックの記憶障害により、調書並びに面会不可。そんなことをすんなり受け入れられへんと、篠田さんや向田さんはゴネたけど、無理なもんは無理。 それは事実なんや。 『学校、行ってるんか?』 「うん。今から病院」 『そうか。無理すんなよ。なんかあったら言えよ』 「…うん」 『俺は…まぁええわ!じゃあな』 篠田さんは多分…篠田さんだけやなく、向田さんも気ぃ付いてるはずや。俺が、おかんが仁流会の手借りて動いたん。 でも何も言うてこんのは、証拠が捕まれへんから。証拠がないと動けんとか、不便ななと思いつつ助かったのも本心。 「俺って、ほんま悪人だこと」 くくっと笑う。ほな電車に乗って、病院へ行こか!と思ったら後ろでクラクション。振り返るとフルスモベンツ。運転席から顔を出したんは、スキンこと、渋澤さん…。 「…あ」 頭下げたら乗れの合図。他人が見たら高校生、ヤクザに拉致られるの図。 通報されんで。 「…どうも」 挨拶して乗り込む。渋澤さんは無口で怖い。ってか、醸し出す雰囲気も…。 でも、おかんの事を全面的に世話してくれてはるんは、他の誰でもない渋澤さんや。これは梶原さんの計らいやった。 貴子ママだけやなく、梶原さん…風間組も支援をしてくれてる。俺が学校行けるんも渋澤さんが俺がおらん間、病院に居てくれてるからや。 人は見かけで判断してはいけません。 病院までの道のり、車内は沈黙。いつものこと。 初めて渋澤さんが迎えに来たときは、沈黙に耐えきれずあれこれ下らん話をした。 渋澤さんは頷いたり、相槌うったり。俺に合わせるために頑張ってくれてんのが反対に申し訳のうて、黙るようになった。 病院は学校からは、そない遠くない。病院っていうより、療養センターみたいなん。貴子ママが見付けてきた施設。 駐車場に車置いて施設に入ると、ヒーリングミュージックが耳に入る。出入り口入ってすぐの正面の受付の看護師が、にっこり頭を下げてくる。 そこを通り抜けて奥のエレベーターに乗り込み、三階。広い廊下を進むと、右手に明るい共同スペース。そこのソファで本を読んでぼんやりしたり、おしゃべりしたり。みんなが好きなことしてる。 おかんの部屋はこの三階の一番奥。開け放たれたドアから入れば、外からの陽が燦々と入り込み明るい。 茶色ベースの家具。木の温もりが味わえる部屋の奥に置かれたベッドに、おかんは座って外を眺めてた。 「あら、威乃ちゃん」 「ああ、貴子ママ」 貴子ママがおるから、渋澤さんが迎えに来たんか。 「ほら、愛。威乃よ」 おかんはぼんやり俺を見て、また外に目を向けた。これは少しの変化。前はこっちを見向きもせんかった。 「自分、ちょっとセンターの事務に呼ばれてるんで」 渋澤さんが話すと、おかんがぴくんと反応して手を出した。渋澤さんはそれを握って、すぐ戻ると言う。これはいつものこと。 監禁されてた場所からおかんを救い出したんは渋澤さんやった。暴れて物投げて叫ぶおかんを、大丈夫やと聞き覚えのある関西弁で落ち着かした渋澤さん。 それもあってなんか、おかんは渋澤さんに絶対的な信頼をおいてる。 「威乃、聞いた?」 「んー?」 俺はおかんの手を握ってみた。おかんは少しビックリした顔を見せたけど、振りほどかん。 「お、今日はいけた」 一昨日は引っ掻かれた。まるで気の強い野良猫や。 「なんや渋澤さん、まだ言うてはれへんの」 「はぁ?」 「渋澤さん、愛と籍入れたいって」 「…は?」 「結婚やん」 「は?ちょ、何?え?は?け、…結婚って。おかん、普通やないんやで」 話されへん、シャブ漬けで身体もぐちゃぐちゃや。精神的にも不安定でどないもならん、このおかんと? 「梶原さんに聞いたんやけど、渋澤さんの奥さん。同業者に殺されたらしいわ」 「え、そうなん」 「拐われて、クスリ漬けにされて。ゴミ捨て場に捨てられてたんやって」 「……」 「奥さん、救われへんかったこと後悔してはるんやね。愛には一生懸命で…」 おかんの求めてた幸せ。自分を失うてから得るなんてな。 思うたら悔して、涙が溢れた。あの時を後悔する。あいつの親に挨拶行く言うて笑ってたおかんを、何も言わんと行かした俺。後悔はいつも、大波で押し寄せる。 と、ひんやりした手が、俺の頬に当たった。顔上げたら、おかんが俺の涙を指先で掬いとった。 「嬉し泣きやから。大丈夫」 笑うと、表情一つ変えんまま、おかんはまた窓の外に目を向けた。 「嫌なら嫌、あかんならあかんて言うてええ」 暫くして戻ってきた渋澤さんに、貴子ママは、話したであたし!と言うた。 渋澤さんは驚いた顔を見せたけど、そのまま、ちょっと話すかと中庭に二人で出てきた。で、第一声がこれ。 「嫌ってか、あかん…ってか」 「もし、許してもらえるなら足洗ってもいい。兄貴にも話した」 「いや、別に…」 極道者に偏見ないよ?俺もたいがい、やんちゃやし。ってか、あんた足洗うても外見がな。 スキンに顔に傷。いや、あかんこたない。おかんが連れてきた男の中で、一番パねぇ迫力やけどな。 「…おかん、俺のこと思い出すかな」 全く関係ない話を振って、中庭のベンチにトンッと座る。 紛れもない、あれは秋山愛やのに、中身がちゃう人みたいや。 「四時くらい」 「は?」 「四時くらいになると、ベッドに座り出す。で、外を見るんや」 「はぁ…」 仁流会、風間組はあれか?みんなこんなんか? ボキャブラリーが貧困っちゅーか、なんちゅうか。会話下手? 会話の筋が見えん。早い話が、何が言いたいの? 「四時いうたら、お前が学校から病院来る頃やろ」 「あ、ほんまや」 「完璧に思い出すとな、問題が出てくる。シャブの禁断症状に監禁されてたときの記憶。複数の男に物みたいに扱われてた記憶、思い出さんほうがええこともある。でも、お前のことは覚えとる。ハッキリやないけど、何となく大事な人間やてわかっとる」 「複雑やわ」 そう言って俺は笑った。 おかんに、思い出されへんのはツラい。俺の全部、生まれた時から全部を知ってるんは、この世の中でおかんだけや。 でも、俺を思い出すことで地獄を思い出すなら、俺を思い出さんでええやろ。ただ、何か寂しいな。 「渋澤さん、子供おらんの?」 「おらん」 「そうなん。おかん、あのまんま病院から出られへんかもよ?」 「それでもええ」 「俺より、あんたのが詳しいやんね?シャブの禁断症状とか出るかもよ?あんたに、シャブくれって縋るかも」 「俺が風間組に入ったんは、仁流会がクスリやらんからや。シャブの、あれの恐ろしさは誰よりも知っとる」 「…せやね」 俺も、知っとるよ…。現在進行形やけど。 「こんなでっかいガキ付きやで」 「ガキは好きや」 うそつき。大の苦手なくせに。 じーっと夕暮れの空を見る俺の目から、はらはら涙が溢れた。 たった一月、一月しか経ってないのに死ぬほど、死ぬほど苦痛な日々。おかんに怯えられ、物投げられ、悲鳴を上げられ、泣かれた日々。 打撲の痕は消えても、深い傷は痕になり心の傷はおかんを破壊した。それが、一つ一つ救われていく。 「…おかんを、よろしくお願いします!」 俺は深々と頭を下げた。 貴子ママと少し話して、夕暮れの空を見つめるおかんに帰るわなと声をかける。 おかんは空を見たまんまやけど、俺はバイバイと手を振った。 きっと、いつか、バイバイ言うてくれるはず。 五年後でも、十年後でもーいつか、絶対。 病院を出て、夕闇に包まれかかった空を見上げる。オレンジと黒と白と赤。ぐちゃっとなってるそれをまたパシャリ。 「お、いい感じ」 一人満足して、少し駆け足で帰りを急いだ。

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