6 / 24

第6話

 「フェラチオしてください」  目の前にご立派なものがある。  頬杖と足組みで千里が命じる。  まるで別人。愛想よい後輩の仮面をひっぺがせばその下には極悪非道な暴君の素顔があった。  「ふぇら、フェ、ふぇらっておま、フェ……」  どこかへ駆け去ろうとする海馬の手綱を引き過酷な現実と対峙する。  フェラチオ。もちろん知ってる。俺は初心な童貞じゃねえもちろん経験済みだ安子はなめるのが上手かった、いや安子は今どうでもいい。  跪いた床から骨まで凍て付く冷気が染みる。  全身の毛穴が開いて濁流の如く脂汗が流れる。  千里は退屈そうに頬杖付き、俯く俺をじろじろ眺めてる。  畜生、今日は人生最大の厄日か?  時間稼ぎに視線を巡らし壁時計を一瞥、遅々として時を刻む秒針に絶望する。  ちんたら匍匐前進する秒針をぽっきりへし折っちまいたくなる。  秒針が制した面積と残りの面積とを目の端でちらちら比較する。  時よとまれお前は美しいとほざいたのは誰だったか、俺の場合は時よすっとばせ以下略だ。  夢ならいい加減さめてくれ。  これはとびっきりの悪夢だ。  沈黙の重圧の中、俺の息遣いと秒針の音が過敏に研ぎ澄ました聴覚に響く。  暑い。  妙に息苦しい。  体から水分が蒸発して喉が異常に渇く。  今夜はやけに長い。クソ忌々しいほど長い。一日が循環してる。  日付変更線をまたいでも永遠に明日にならないんじゃねえかって気がする。  錯覚であってほしいが、そうとばかりも言いきれない。  現に、俺の前にゃ暴君がいる。  下克上が成功し勝ち誇った顔で。足を組んで自信を演出し。  「…………………っ!」  粘性の時間が流れていく。  憤懣やるかたなく押し黙る俺とは対照的に千里は我が世の春を謳歌する。  革靴の先がぶらぶらする。  鼻歌のリズムでもとるように揺れる爪先が集中力を散らす。  「聞こえませんでした?フェラチオです」  歯切れよく繰り返す。  淫語を囁いてる自覚もないのか、調教の一環なのか。  真実は知らねえし永遠に封印したいが後輩は平然と落ち着き払って恥ずかしい単語を口にする。  好青年風の清潔な顔だちに不似合いな淫語の連発にかえってこっちが動揺する。  羞恥心の抵抗なんかさっぱり感じてねえすましたツラに唾吐きてえ。  言った本人より聞いた側が猛烈に恥ずかしくなるなんてどんなプレイだ?倒錯してる。  ひょっとして、これが狙いか。俺を追い詰め煽りたてて、楽しんでるのか。  頬杖ついたまま口角を吊り上げ酷薄に笑う。  人の苦痛や羞恥に欲情する変態特有の嗜虐的な笑い方。  母性本能くすぐる系の童顔にそぐわねえ外道な笑みが邪悪なオーラを醸す。  やっぱり。俺をおちょくって楽しんでやがる。  さぞかし小気味いいだろうさ、みじめに這い蹲った俺のざまは。   脂汗垂れ流して煩悶する俺のツラは。  胸の内で葛藤がせめぎあう。フェラチオ。その単語がずっしり心に食いこむ。  逃げるな俺、戦わなきゃ現実と。  CМのフレーズじゃねえが、俺は今、人生最大のピンチに直面してる。  どうすればこの状況を打破できる?  口を開き、また閉じる。  無意味な行為を二度ばかり繰り返し、むりやり唾を飲みくだす。  ひどく、苦い。  「フェラチオって………普通、女が男にするもんだろ」   「男尊女卑発言?セクハラですよそれ。ゲイは生まれつきの嗜好で性癖と認めたのと同じ人の発言とはおもえない」  千里が苦笑する。  上手い言い訳じゃねえと自分でも思った。そりゃ鼻で笑い飛ばすさ。  憎ったらしいことに、千里はえらく寛いでる。  ゆったり頬杖付いて足組むポーズも自然体が売りの俳優さながら様になってる。  椅子の高みから愉快げに俺を見物する。  舌打ち。千里に口先の屁理屈は通じねえ。  認めるのは癪だがこいつは俺よか一枚も二枚も上手だ。温厚な見かけに騙されたらドツボに嵌まる。俺が今身をもって証明してるだろ、な?  失言ひとつカウントされるごとに布石を打たれ逃げ道が塞がっていく。  「フェラチオですよ。まさか経験ないとか?」  「あるよ。してもらったことなら。いちいち語尾あげんな、むかつく」  「駿河さんの唇ふっくらして魅力的ですもんね。セックスアピールにとんでるっていうのかな……あれでフェラしてもらうの凄く気持ちよさそうだ」  何を考えてるのか丸わかりの笑顔にかっとする。  「人の女で変な妄想すんな」  「しませんよ。女性に興味ないですから。僕は今想像の中で駿河さんと先輩比較したんですよ」  ……ホモに愚問だった。  千里が心外そうに抗議する。  「先輩こそふられたくせに今だに男気取りは図々しいんじゃないですか。人の女とか俺の安子とか所有格で語るの、いいかげんうざいですよ。未練たらたらでかっこ悪い。会社じゃデキる男で通ってるくせに色恋沙汰には湿っぽいんだから」  「人の恋路に口出すな。サラブレッドに蹴られて死んじまえ」  「だって破局したんでしょ?」  辛辣な指摘がぐさりと胸に刺さる。……ちょっとはオブラートに包め。  俺の気も知らず千里は淡々と追い討ちかける。  「昔の女の事は忘れましょうよ。過去の恋は水に流して今を生きる、これがホントのデキる男。人生の勝敗を決めるのは切りかえの早さです」  「後輩に説教されたかねえ。俺がいつ恋愛相談のってくれって頼んだ」  喉元に苦汁がこみあげる。  後輩に人生訓諭されるのがこんなに胸糞悪いとは思わなかった。  悶々としながら先の発言を反芻し、違和感の核を突き止める。  「―って、安子と俺を比較したってことは、結局安子でも妄想したんじゃねえか」  「気付くの遅いですよ先輩。詐術にひっかかりやすいですね」  最悪。俺の女、もとい、元俺の女が穢された気分……元とか自分で言っといて地味にショック。自滅。    「俺に許可もとらず安子でフェラとかいかがわしい想像すんじゃねえよ」  「先輩に許可とる必要ないと思いますけどね、もう彼氏でもなんでもないんだし。むしろ今の婚約者に許可とるべきかなって」  「『彼氏でもなんでもない』とか『今の婚約者』とかわざとトーンあげるな、あてつけがましいやつだな。謙遜のふりがいやみなんだよ逆に」  「狙ってますんで」  悪びれずさらりという。絞め殺してえ。  「僕個人の好みでいえば、ふっくらした女性の唇より、噛み癖のついた薄い唇が好きだな」  振り子のように靴が揺れる。  秒針が時を刻む。  「…………先輩みたいに」  ざらめみたいな声が鼓膜をなめる。  顎を掴まれ上げさせられる。  俺の顔を上向きに固定し、上から下から右から左からためつすがめつ熱心に鑑定。  至近距離で顔を凝視され、気恥ずかしさを覚える。  いや。  それ以上に。  「………気色悪い。べたべたさわるなよ、眼球に睫毛が刺さる」  「眼鏡で遮断してるから大丈夫でしょ」  千里が喉の奥で低く笑う。  顔じゅう這い回る指の動きが不愉快だ。芋虫が這ってるようで字義通り虫唾が走る。  顔なんか、普通、さわられることがない。  よっぽど気を許した人間じゃねえと、さわらせたこともない。   一方的に顔を触られるのは、酷く不愉快で、落ち着かない。  後ろ手縛られて拒否もできず、無防備に半裸と素顔をさらし、俺は今、千里に思い通りさわられている。  視線の熱を感じる距離でじろじろ見られて、顔の造作をいじくりまわされる。  ……眼鏡で視線も遮断できりゃいいのに。  千里の指を、じかに感じる。  猥らがましい指の動きがちりちりと皮膚を炙る。  鼻を、瞼を、唇を。  指が掠め、火照る。  「………口角が少し下がり気味で、不機嫌そうに見えるのもセクシーだ」  千里の指に点検され、今まで意識した事ない顔の造作を、むりやり再確認させられる。  俺の目鼻の位置を確認しつつ、ぽつりと呟く。  「薄くて形がいい。駿河さんよりよっぽど魅力的だ」  「安子と比べるな……」  「この口でフェラしてもらったらどんな気分だろうって、いつも想像してました」  上唇を指がなぞり、悪寒と紙一重の快感が走る。  「-っ………」  上唇をすべり、下唇の端を捲る。  「この唇が含むところを、この口が咥えるところを、この歯があたるところを、何度も何度もくりかえし想像しました。この喉が僕をあおって飲み下すところを。辛辣な毒吐く口が奉仕するところを。余裕をなくした久住さんを」  顔の前に千里が来る。  視線がかっきり噛みあう。  「命令、聞いてもらいますよ」  「お願いじゃなく命令ときたか」  「今夜に限っては僕の立場が上ですよ。先輩に拒否権はない」  ぎしりと椅子が軋む。  名残惜しげに指を放し、腕を組む。  「さあどうぞ」  顔に余熱が残ってる。  千里の指の火照りが移って。瞼が、唇が、顔の先端が熱を帯びる。  ………どうしちまったんだ、俺は。これしきのことで。  そっぽを向き、呟く。  「………やりかた、わかんねーよ」  「どうして?経験あるんでしょ」  「してもらったことはあっても、したことはない。しかも男相手に……こんなっ……第一汚ねーだろ。常識で考えろよ、小便出すとこだぞ」  「僕は先輩の奥まで突っ込んだけど」  「頼んでねーよ。お前が強引に……」   「汚いとは思いませんでしたよ?」  水掛け論だ。膝で這って前に出、吼える。  「できるわけねえよ男相手にフェ、……らちオなんて」  「もう一回。僕にもわかるように大きな声で」  「わかってやってるだろお前……」  「え、なんですか?聞こえない。もっと大きな声ではっきり言ってください」  鬼畜策士め。  「……んなもん、しゃぶれっか。考えただけで吐いちまう。自慢のスーツ、俺の胃の中身で汚していいのか」  「萎えさせようって魂胆ですか?そんな子供だまし通じませんよ。降参してください」  「したことねえし。したくねえし。大体意味わかんねえよさんざんケツの穴いじくってぐちゃぐちゃにしてもういいだろ十分だろ、さっさと突っ込みゃいいだろ!?俺よか若いんだからすぐおっ勃つだろ、わざわざなめさす意味あんのかよ、俺がなめてやんなきゃ勃たねえほどふやけてんのかよお前の股間のなまあたたかい棒は!?」  「意味ならあります。プライドをへし折りたい。屈辱に歪む顔が見たい。早い話、余興かな」  良心の呵責なく即答。  腹の底で殺意が渦巻く。  「………ベビーフェイスの悪魔め」  「ツンデレクールビューティめ」  「日本語か?」  「ツンデレの解釈は多岐に渡りますけど……」  「言うな。だが一言だけ言わせろ。俺はデレてねえ。勝手に捏造するな」  断言する。ツンデレとかいう単語が日常会話でとびだすのは頭がおかしい証拠だ。  秒針の進み具合は遅々として、悩む時間が引き延ばされるほどに心が揺れる。  「レクチャーしてあげましょうか」  千里がキーの上であざやかに指を動かす。  「出た」  検索終了の合図。  反射的に顔を上げる。  「フェラチオはオーラルセックスの一種であり、性的関係においてパートナーが相手の男性器すなわち陰茎を、口に含んだり舌を使うなどして刺激する行為。語源はラテン語のfellare、吸うという意味の動詞……へえ、知らなかった。勉強になった」  「千、里?」  「フェラチオは省略したフェラと呼ばれることが多い。文語的には吸茎すなわち口淫の一形態、フェラチオの隠語としては尺八、F、フェラーリなどがある。相手の男性器のうち陰茎の部分を口に出し入れし、男性器に対し唇・舌を使って刺激する。異性カップルの間で行なわれる場合は、性交の前戯として行われることが多い。フェラチオはする人される人、男女を問わず性的快楽を得る場合もあり、口内に射精することもまたよくある。ゲイの男性同士においてはむしろアナルセックスよりも簡易な為、挿入行為より好まれることがある」  性交の前戯。  口内射精。    マウスをクリック、スクロールしがてら続ける。  「喉の奥深くまで男性器を挿入する行為はディープ・スロートと呼ばれ、男性が相手の口の奥まで陰茎を強制的に入れる行為をイラマチオと呼ぶ。イラマチオはフェラチオではないとされているが、強制的なフェラチオとする考えもある。イラマチオは陰茎の先端がのどの奥に達するので、場合によってはイラマチオをされる人が窒息による呼吸困難などにより耐えがたい苦痛を感じる場合がある。しかし、マゾヒズム的性癖がある人はこのような行為を好んで受けることもある」  「やめ、ろ。もういい。わかった、俺が悪かった」  吐き気が  「また、イラマチオの場合男性の陰茎の先端が相手の喉の奥に到達すると、反射でむせて苦痛を感じたり、呼吸が困難になるので大変危険である。のどの奥に何か物が触れるとむせるのは、身体の反射のひとつである咽頭反射の結果。そのような反射を抑えることは不可能に近いのだが、そのことを理解しない男性が無理に男性器を相手の口の奥深くまで入れる場合があり、それによって相手に多大な苦痛を与え……」  「もういい!!」  叫ぶ。  マウスを操作する手をとめ、千里がこっちを見る。  突き放すような、醒めきった目。  「反抗的な態度をとり続けるならイマラチオでもいいんですよ」  「……………ッ………ん、なの、卑怯だ………」  「そうですよ。卑怯ですよ。気付かなかったんですか?栄養ドリンクに睡眠薬しこんで、気絶してる間に後ろ手縛って、社メ撮って皆にばらまくと脅して、前も後ろも好き放題いじくって。そんな僕に卑怯は最高の褒め言葉です」  「お前だって課の一員だろ……データをたてにとって……むりやりしゃぶらせて……そんなんで、満足なのか」  千里の説明は確実に俺にショックを与えた。  抑揚ない声が読み上げた内容はひどくグロテスクで知りたくなかった事実にあふれていた。  フェラチオかイマラチオか、究極の二者択一。  「好きにしろって言いましたよね?」  頭の中じゃ千里の股間に顔突っ込んで犬みたいにしゃぶってる自分の姿がぐるぐる回る。  データなんかどうなってもいいだろと悪魔が誘惑する。貞操が大事。正論だ。   千里が気まぐれに足を投げ出す。  靴の先端が眼鏡のレンズにかちあう。  ひらめいた。  「眼鏡にかかったらきたねえ」  「あとで拭きます」  「お前の手は借りねえ」  縛られた手をもぞつかせない知恵絞る。  千里を睨みつけ、妥協案を申し出る。  「………せめて、手はほどけ。やりにくいだろ」  苦肉の策、苦汁の決断。肉を斬らせて骨を断つ寸法だ。  手さえ自由になりゃこっちのもん、椅子に座って見下してる千里をひきずりおとしてぶん殴ってやる。  一発逆転の望みをかけた申し出は、すげなく一蹴される。  「ほどいたら殴るでしょ?」   殴らない。  「殴る」  しまった、本音と建前が逆になった。  「ほら」  俺は嘘が吐けない男なのだ。  「ほどいたらお手してくれますか」  「するか」  「宏澄、お手」  千里がうきうきさしだした手にぺっと唾を吐く。  「……………イマラチオか」  「あ、待て、今のは条件反射で」  千里が椅子から腰を浮かす。  引き攣り笑いでごまかす俺の横っ面に、乾いた音と衝撃が炸裂。  じん、と頬が痺れる。   「………痛ってぇ………」  眼鏡がまたずれた。  上半分がぼやけた視界で千里を仰げば、困ったようなあきれたような、複雑そうな表情をしていた。  「自分の唾付けた手で叩かれる気分はどうですか。殴り合いならともかく、男は同性にひっぱたかれるのに慣れてないからなかなか屈辱的でしょ」  「お前の性根がひんまがってることはよっくわかったよ……親父にもぶたれたことねーのに」  「過保護ですね」  ………ネタが通じない。世代間格差だ。  頬の痛みより後輩に殴られた事実にショックを受ける。  サディストを自称するだけあって、千里はどうすれば人に最大級の屈辱を与えることができるか知り尽くしてる。  試しに暴れてみる。  さっきから何度も自力でほどこうと挑戦してはみるが、手首を締め上げるネクタイは強く食い込むばかりでまるでゆるまない。  「縛り方にコツがあるんですよ。今度教えてあげます」  「真っ先に縛ってやる」  「じゃあやめた」  ガキか。  靴の裏側がカチカチ眼鏡にあたる。靴音と秒針、メトロノームの二重奏。  「あんまりじらすよ割っちゃいますよ、眼鏡。破片が眼球に刺さって痛いだろうな。失明しちゃうかも」  脅迫とも冗談ともつかぬからかい。レンズと靴がぶつかりあい癇性な音をたてる。  「もう一回、はじめから読み上げますか」  データなんて、どうなってもいいだろ。誰がフェラなんてするか。  抗う心に反し、レンズにあたる靴がもたらす失明の恐怖が意志を絡めとっていく。  それぞれの予定を控え、週末を楽しみにしてる同僚どもの顔が脳裏に浮かぶ。  きつく閉じた瞼の裏に過ぎる安子の面影を振り払う。  「…………やればいいんだろ…………」  逡巡はものの五分にすぎなかったが、体感時間は一晩に釣り合った。  深呼吸し、向き直る。  椅子に腰掛けた千里が傲然と顎を引き、俺を待つ。俺みずからしゃぶるのを待つ。  「…………………」  口を薄く開く。  おそるおそる身を乗り出し、顔を近付け、また放す。  千里があくびを噛み殺し、キーの上で指を踊らせる。  その手が電源にかかるのを見逃さない。  「ーッ!」  口を開ける。   「ふぐっ…………」  塩辛い味が舌をさす。  前屈みになり、千里の股間に顔を突っ込み、必死に舌を出し、なめる。  猛烈な吐き気。口の中に唾液が満ちる。  生臭い。  青臭い。  変な味が、する。  口の中を圧迫されて苦しい。  でかい。なんだこれ。入りきらねえ。  含むの嫌さに舌先でちろちろやってごまかす。  「馬鹿にしてるんですか」  ばれたか。  「あふ。退屈で眠っちゃいそうだ」  じゃあ寝ろ。椅子から転げ落ちて頭打って死ね。芝居がかったあくびまでしやがって。  お上品にあくびする後輩の股間に顔埋め、ぎくしゃくと舌を使う。  安子の見よう見まねで。  それこそ脇目もふらず、油断すればたれそうになる顎を持ち上げ、先端を含む。  味なんか感じるな。  これはただの肉色をした棒だと自己暗示をかけ、固くなり始めた全体に、必死に舌を這わせる。  「フェラチオはオーラルセックスの一種であり、性的関係においてパートナーが相手の男性器すなわち陰茎を、口に含んだり舌を使うなどして刺激する行為」  眠気ざましか、さっき読み上げた内容を再び語り聞かせる。  「フェラチオは省略したフェラと呼ばれることが多い。文語的には吸茎すなわち口淫の一形態、フェラチオの隠語としては尺八、F、フェラーリなどがある。相手の男性器のうち陰茎の部分を口に出し入れし、男性器に対し唇・舌を使って刺激する」  「……ふ…………ぁぐ」  「異性カップルの間で行なわれる場合は、性交の前戯として行われることが多い。フェラチオはする人される人、男女を問わず性的快楽を得る場合もあり、口内に射精することもまたよくある。ゲイの男性同士においてはむしろアナルセックスよりも簡易な為、挿入行為より好まれることがある」  「かはッ」  「またイラマチオの場合男性の陰茎の先端が相手の喉の奥に到達すると、反射でむせて苦痛を感じたり、呼吸が困難になるので大変危険である」  「……とっ……待て、……口ン中いっぱいで……奥、あたって……」   「のどの奥に何か物が触れるとむせるのは、身体の反射のひとつである咽頭反射の結果。反射を抑えることは不可能に近いのだが、そのことを理解しない男性が無理に男性器を相手の口の奥深くまで入れる場合があり、それによって相手に多大な苦痛を与える」  「ぁっ……ぐ……」  頭の上から後ろからうなじ、耳朶の裏にいたるまで執拗になでまわされ、注意がそがれる。  辛い。苦しい。フェラチオってこんな苦しかったのか。今までずっとされるばっかで、知らなかった。  ろくに息も吸えない。呼吸のタイミングが掴めない。くそ、酸欠になりそうだ。  口を窄め、唇でカリを愛撫し、竿に舌を絡める。  「あぅぐ……ぁふ………息、できね……」  「鼻で吸うんですよ。先輩、必死すぎ」  「誰が、必死に、させてん、だよ……」  口に含んだものがずくんと脈打つ。  「そりゃ……お前と、比べりゃ、平均サイズだろうさ……俺が、特別、劣ってるわけじゃねえよ………っは」  「羊の皮をかぶった狼ってよく言われます」  上、羊。下、狼。なるほど。  ……納得すんな、俺。  「口きく余裕あるんですか?肺活量に自信あり?」  苦し紛れの憎まれ口でも叩かなきゃやってられっか。  目がかすむ。唾液をこねる水音が後ろ暗さをかきたてる。  後ろ手縛られたまま、前屈みの辛い体勢で股間に顔を埋め、口だけ使って奉仕にはげむ。  拷問だ、これは。  手首は擦れて痛えし、肩はがちがちだし。頭は朦朧として……顎はこって……舌は縺れて……  逆流した唾液にむせて激しく咳き込む。  「ギブアップ?」  「ネバーだ」  「負けず嫌いですね」  前髪が捲れ、額が露になる。  俺の前髪に指を絡め、前後運動に乗じて軽く揺らし、息を漏らす。  「………はっ……」  感じてる、のか。  「楽しいか」  純粋に疑問に思う。   快感に息を荒げつつ物問いたげに俺を見る。  「……俺が気に入らないなら、他に簡単な手、いくらでもあるだろ。こんなまどろっこしいことしなくたって……たとえば、夜中にこっそり忍び込んでパソコンぶっ壊すとか。課長に提出する重要書類にインクぶちまけるとか。課長がヅラだって吹いて回ってるってチクるとか。こんなまわりくどい手使わなくたってもとから好かれてねえし、俺の評判おとしたいなら……」   「……鈍感」  「?」  「まだ気付かないんだ」  「なに言ってんだ。意味わかんねえ。お前、俺が嫌いなんだろ。入社初めから邪険にされて根に持ってんだろ。はっ、逆恨みだっつの。俺に教える才能期待するほうが間違ってんだよ。世界股にかけて現地妻作りまくりの無敵のインディだって蛇だけは大の苦手だろ、それとおんなじだよ。人に物教えんのも優しくすんのも苦手なんだよ、俺は。ないものねだりされても困る。ああそりゃ気に入らなかったさ、認めるよ。第一印象から気に食わなかったって。お前みたいなお愛想売りの世渡り上手、正直いちっばん嫌いなタイプだね。らくして生きやがって」  「………準備万端です」  ぎしりと軋ませ椅子から腰を上げる。  俺の唾液でぬれたそれは完全に勃起して、十分使い物に足る状態に仕上がった。  「大嫌いな後輩に嫌々フェラチオお疲れ様です。フェラ顔、写メっとけばよかったかな」  靴音高く千里がやってくる。移動に伴い床に不吉な影がさす。  唾液にまみれた顎を拭きたいが、手を縛られてたんじゃそれも無理。不可能。ご愁傷様。  「逃げないでくださいよ」  「無理。不可能。予想が現実になる確率百パーセントの状況下で逃げずにいられっか」  「もう慣れてるでしょうに。指三本もくわえこんでおいて、いまさら」  「あれはお前が変なもん使ったから……」  「シャツもズボンも脱げかけのかっこで言い訳しても説得力ないですよ。先輩、知ってました?口の中にも性感帯あるって」  千里が口元だけで笑う。  「舌って敏感ですよね。キスは共同作業だけどフェラチオは一方的な奉仕。先輩はマゾだから、僕のもの夢中でなめながら興奮してたんじゃないですか」  「ドS基準だと自分以外の全人類マゾだろ」  口の中に蟠る苦味が不快だ。  尻で這いずって逃げる俺を靴音高く追い詰め、千里がおどけて手を広げる。  「ゲイの男性同士においてはむしろアナルセックスよりも簡易なため挿入行為より好まれるってフェラの説明にありましたけど、一方がノーマルの場合はどうなんでしょうね。例にあてはまらないんじゃないかな」  戦慄。  「……こんだけやっといてまだ懲りないのかよ。もういいだろ。十分目的達したろ」  「十分?いえ、まさか。生殺しですよ」  靴音がやむ。  逃走企てた体が反転、したたか床に叩き付けられる。  「でっ!?」  俺にすかさず足払いかけすっ転ばすや背中に跨り、手際よくシャツを剥いでいく。  俺のシャツの襟を掴み、自分のほうへと力尽くで引き寄せる。  「どっちが気持ちいいか試してみましょうか。先輩がМなら初めての痛みも快感になりますって」  ーあー………  まだ夜は終わらねーのか。

ともだちにシェアしよう!