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第24話

12月24日、クリスマスイブ。 ケーキ屋には長蛇の列ができ、サンタコスのバイトが「最後尾はこちら!」の感嘆符付きプラカードを掲げて人員整理をしている。序でに一人一人に待ち時間を聞くアンケートも実施されていた。 街は緑と赤二色のクリスマスカラーに塗り分けられ、至る所にきらびやかなオーナメントとイルミネーションで飾り立てたクリスマスツリーがおったち、しゃんしゃんしゃらくせえクリスマスソングが流れてやがる。 恋人たちが一線こえる聖夜を言祝ぐめでてェ歌詞も、今の俺にはシングルベル・シングルベル・メリークルシミマスの呪詛にしか聞こえねえ。 ビジネスコートの襟を立て、両手を擦り合わせてぼやく。 「あー寒……何年やっても冬の外回りは気が塞ぐぜ。しょっぱな木の棒ゲットしたレベル1の勇者よろしくホッカイロの装備が欠かせねえよ」 「営業先にホッカイロ持ってくのってどうなんですか?バレなきゃセーフ、推定無罪の精神ですか」 「ぐ」 隣から鋭いツッコミが入る。 色素の薄いサラサラの髪に茶色の瞳、清潔そうに整った目鼻立ち、道行く女たちがわざわざ振り向いて見とれる容姿はさながらスーツの王子様。 俺に同伴して外回りをしてるのに毎日嫌味なほど磨き抜かれた革靴は外国のブランド製。 コイツの名前は千里万里、俺が目下指導にあたっている後輩だ。 本日はクリスマスイブだが、社畜にゃ一切関係ねえ。同僚の羽鳥よろしく家庭持ちの連中は早急に仕事納めをしており、その皺寄せが寂しい独り身に回ってくるわけだ。 即ち俺、彼女いない歴一年の久住宏澄に。 現在、俺と千里は外回りを終え会社への帰途に就いていた。夕暮れ迫る空の下、イブの街は祝祭の高揚を孕んで華やいでいる。 シャンメリーの泡沫が混ざりこんだかのようにきらきらした宵の上澄みが老若男女の顔を彩る一方で、欲と煩悩に塗れ早々とホテル街に消えてく手合いもいる。 同僚の羽鳥は愛妻の手作りケーキで肥えてる頃だろうか。 ……やめやめ、他人を羨むのはやめだ。嫉妬は醜い。 休み明けともなれば嫁さんの手作りケーキがどれだけ美味かったか自慢し、子どもが用意したとかゆーサンタさんへの手紙を見せびらかしてのろけくさるんだろうがそれも耐えろ。ただの馬鹿は始末に負えねえが親バカなら結構なことじゃねえか。 気を取り直して隣をチラ見する。 細身のアルスターコートを羽織った千里は端正な容姿や均整とれたスタイル、颯爽とした歩き姿と相俟って人目をひく。 このコートはややクラシカルな趣の貴族的シルエットが特徴で、寸胴短足の日本人が着こなすのは難しい……が、千里の場合はオーダーメイドで仕立てたかのようによく似合っていた。 ホッカイロの携帯を指摘され、バツ悪げに言い返す。 「バレなきゃいいんだよ、ちゃんと隠してりゃ問題ねえ。それにほらアレだ、握手する時手が冷たかったら相手に失礼だろ?だからコートのポケットに仕込んで、寸前までこっそりあっためとくんだ」 「水面下で水かきフル回転の白鳥みたいにいじましい営業努力ですね」 涼しげなツラをひっぱたきてえ。 というか、コイツ寒くねえのか?ふと疑問に思って聞いてみる。 「お前は寒いの平気?」 「そうみえます?」 「シュッとしてんじゃん」 「寒いのは割と得意な方です。子どもの頃は雪が降ると嬉しかったな」 「へー、ド腐れ外道な強姦魔にも雪遊びにはしゃぐいたいけな子ども時代があったのか」 言い忘れたが、千里には強姦と脅迫の前科がある。被害者は俺だ。 さらにたち悪ィことに俺たちの関係はなし崩しにずぶずぶ続いてる。口に出すのも憚られる痴態を撮られちまった立場上千里には逆らえず、コイツが望めばどんなに疲れてようが、たとえ休日だろうとホテルに拉致される。 毒気たっぷりの皮肉をねじこむと、少しは後ろめたさを感じているらしい千里が苦笑いで肩を竦める。 「そりゃありますよ、僕だって人の子です。母とアパートに住んでた頃は雪が降るたびベランダにでて31ごっこしたもんです」 「31ごっこ?」 「バスキンロビンスのアイスです。ベランダの手摺に積もった雪を丸く固めて並べてくんです、上にスプリンクルやアラザンをふりかけて……」 ちびっちゃい千里がせっせと雪玉をこしらえ手摺に並べてく光景を想像し、微笑ましさに顔が和む。絵本の1ページのように無邪気なエピソードじゃねえか。俺の胸の内を知ってか知らずか、千里が目を細めて懐かしむ。 「あとで母にごちそうしました」 「腹壊さなかったか」 「食べられる所だけ食べました」 「てかお前母子家庭だったのか、知らなかった」 「言ってませんでしたっけ?今は違いますけどね、小5で父に引き取られたんで」 「お袋さんは」 「亡くなりました、交通事故で。看護師だったんですが、夜勤の帰り道に」 思いがけない返答に立ち止まる。あっさり言った千里の横顔には、喪失感すら割り切る達観の色があった。 今さら失言を悔やんでも手遅れだ。 コートや靴に金をかける余裕を持った男と、雪玉をアイスに見立てて遊ぶ母子家庭の男の子のイメージが結び付かず、無神経な詮索をしちまったなと密かに反省する。 「その時母が持ってたのが31のアイスなんです、部屋で宿題しながら待ってる息子の為に買った。全部僕の好きなフレーバーでした。近くにお店があって、日曜日にはよく二人で食べに行ったんですよ」 「そうなのか……」 意外すぎる生い立ちを打ち明けられ、動揺する俺に千里が微笑む。 「信じちゃいました?」 「は?てめえ嘘か」 「どうでしょうね?先輩はアイス好きですか」 「甘ったるいのは苦手だよ」 同情して損した。 一瞬で殺意が沸点に達したものの、むきになるのは逆効果だと気付いて矛先を引っ込める。どうにか会話の体裁を取り繕おうとし、さして興味もない話題を引き取った。 「あー……付き合うまえに安子が差し入れで持ってきたスーパーカップとかは嫌いじゃねえ、かな」 「僕が来る前の話ですか」 「だな」 「よくわかりました、久住先輩はコンビニで売られてる100円のカップアイスで満たされるやっすい男なんですね」 「お前今全国のカップアイスマニア敵に回したぞ、こじれるまえに謝っとけ」 へそ曲げるポイントわっかんねえ……ひょっとしてアレか、嫉妬か?安子の名前出したからか?微妙な沈黙を先に破ったのは千里だ。 「で、スーパーカップは何味が好きなんですか」 「まだ続けんのこの話題。杏仁豆腐」 「そんなのあるんですか?」 タワマン住まいで庶民の味覚に疎い千里が驚き、スイーツに詳しくない俺は曖昧に答える。 「期間限定だっけ?もったりしてて結構イケる」 正直な所、スーパーカップの話を持ち出して真っ先に浮かんだのは数か月前の千里の見舞いだ。 それを認めるのが癪で、今はもう薄れかけてる安子の思い出にすりかえたのだ。 甘ったるいだけのバニラアイスなんて本来好きじゃねえのに、コイツの顔とセットで味が甦ってくるから困る。 案の定拗ねた口ぶりで千里が蒸し返す。 「スーパーカップなら僕が持参したのをお忘れなく」 「お前が無茶するから熱出したんだろうが、詫びの品ってゆーからもらってやっただけで恩に着せられる筋合いねえよ」 「おいしそうに食べたじゃないですか」 「食い物粗末にしちゃもったいねえ」 「後でゴミ箱に入れた蓋の裏までキレイになめたんじゃ」 「蓋なめは小5で卒業したわ」 「高学年までやってたのはちょっと引きました」 イブまで馬鹿やってんのが虚しくなり、特大のため息を吐く。クリスマスソングに浮足立ってさざめく人ごみの中、千里が肩を並べてきた。 「31に行った経験は?」 「外回り中のリーマンがぼっちアイスしてたら痛いだろ」 31のポップなたたずまいは敷居が高い。JKや親子連れにまざりアイスを食べる度胸はねえし、血迷って実践したら軽めの公開羞恥プレイだ。 などと考えたのがいけなかったのか、突如として千里が俺の腕を掴み、青とピンクのアルファベットを組み合わせた看板が特徴の店に引っ張っていく。 31ことバスキンロビンス。 「いらっしゃいませー」 自動ドアが開くと同時に接客スマイルを投げてくる店員に硬直。 店内右手はテーブル席、左手はプラスチックのアイスケースとレジカウンターになっていた。 やっぱりクリスマスを意識してるのか、店内にはクリスマスツリーが生え、緑と赤の風船が天井付近に浮かんでいた。 「おい千里、何す」 「せっかくだから食べていきません?」 「冬に?アイスを??」 「夏は体温下げるのに一杯一杯でゆっくり味わってる暇ないじゃないですか、アイスの真のおいしさがわかるのは冬ですよ」 「ご高説どーも」 回れ右しようとしてやめたのは、さっきの会話を思い出しちまったから。 『亡くなりました、交通事故で。看護師だったんですが、夜勤の帰り道に』 千里は嘘だと否定しなかった。 俺が勝手に決め付けただけだ。 まだ小学生の千里がパジャマに裸足でベランダに飛び出し、手摺の雪を握り込む姿が、不思議な鮮やかさでもって瞼の裏に像を結ぶ。 「……はあ。しゃあねえな」 「やった」 千里が子どもに戻って喜ぶ。 与太かもしれない思い出話にほだされて自分でも馬鹿だとあきれちまうが、さりとて突き放すほど冷たくもなりきれねえ。千里と二人、人目を気にしながらケースを覗いてカラフルに区分けされたフレーバーを選ぶ。 「たくさんあるんだな」 「先輩はどれにします」 「俺は」 「そうだ、せっかくだからお互いのイメージフレーバーを選びません?」 「最後まで言わせろ」 思わず舌打ちがでる。 こちとら無難に甘さ控えめの柑橘系を選ぼうとしたのだが……千里は自分の提案に大乗り気、真剣な眼差しでケースの内側を見詰めている。 「きめた、ラムレーズンにします」 「その心は」 「食べてみればわかりますよ。次は先輩の番です」 「って言われてもお前の好みなんて知んねェし」 「勘でいいです。外しても怒りません」 眉間に皺を寄せてケースと睨めっこ。所々抉り取られて鉱石の断面めいた模様を描く混合色のグラデーションを見比べ、フレーバーの名前が記されたプレートを読んでいく。 決めた、これだ。 一番名前がこっぱずかしい。ピンクと赤の縞模様にハート型のチョコを混ぜ込んだ見た目もいやがらせにゃもってこい。 「おごりますよ」と千里が言うも、自分の分は自分で払うのが流儀だ。 二人してレジの前に立ち、それぞれが相手をイメージしたフレーバーを告げる。 「ラムレーズンをシングルカップでお願いします」 「かしこまりました。そちらの方は?」 しまった。 絶句する俺に対し、千里がにこやかに圧をかける。 「どうしたんです先輩、後ろの人が待ってるから早く言ってください」 「ラ……ラブ……」 「もっと大きな声ではっきりと」 「ラブポ……っ……」 「え、ラブホ?今ラブホって言いました?」 「ラブポーションサーティーワンをシングルカップで……」 「ラブホのシングルベッドにカップル素泊まりですって?」 この野郎ぶっ殺す。 大の男がレジで「ラブポーションサーティーワン」なんてこっぱずかしいフレーバー名言えるか、何の罰ゲームだ。 わざとらしく言い間違える千里を睨み付け、顔筋を微痙攣させる店員から紙カップを受け取るや、足早に自動ドアをくぐる。 「とんだ赤っ恥だ」 「先輩が選んだんじゃないですか」 スーツに屑が付くといけないからとカップで注文したアイスは、鉱石の断面に似た層を成している。 「何が哀しくて年に一度のイブに寒空の下でアイス食わなきゃいけねーんだ」 「店内でもよかったのに」 「針のむしろにいられっか」 「気にしすぎですって」 「全員ぬるい目で見てたぞ」 街には陽気なクリスマスソングが響き、プレゼントの包みや紙袋を持った人々が行き交っていた。 通行人の邪魔にならねえように街路樹脇に下がった千里が、素早くカップを交換する。 「召し上がれ」 笑顔で促され、どうにでもなれとヤケ気味に匙をとる。 ピンクのカップに盛り付けられたラムレーズンの岸壁を削りとり、一口食べた瞬間華やかな風味が広がった。 「んま」 「大人っぽい味でしょ?ラム酒に漬けたレーズンがアクセントなんです」 「お前ん中の俺のイメージ?」 「ですね。チョコ系と迷ったんですが、くどすぎない甘みと飽きがこないレーズンの歯ごたえが久住さんぽいかなって」 畜生、どんな顔すりゃいいかわからねえ。褒めてるのか貶されてるのかもわかりゃしねえ。 匙の先端を咥えたまんまムッツリ黙り込む俺を、千里が不安げに覗き込む。 「気に入りませんでした?」 「……別に。うまいよ」 「よかった。僕のはラブポーションサーティーワンか」 俺とは対照的に流暢な発音でラズベリーとホワイトチョコの縞模様が綺麗なアイスを一匙すくい、イルミネーションに透かす。 「どうしてこれを?」 「あてつけだよ。一番こっぱずかしい名前だし」 「それだけ?」 「盛られた仕返し」 あの時栄養ドリンクに仕込まれたのは睡眠薬だけど、どのみち結果は同じだ。 俺は性格が悪い。 ラブポーションなんちゃらを選んだのはいかにも女子高生受けしそうな名前と見た目のアイスを持て余す千里を眺めて留飲を下げたかったからで、なのに千里は全然こりちゃねえし、一口一口ご堪能あそばされる様子にはえもいえぬ気品が漂っている。 謎の敗北感とともにプラスチックを噛み締めてると、曇り空から粉雪が舞ってきた。 「ホワイトクリスマスになりそうですね」 半分残ってるラムレーズンに匙を突き立て、雪に見とれる千里の背中を叩いて歩き出す。 「とっとと帰んぞ、早くたいらげちまえ」 「先輩が選んでくれたものだからよく味わって食べたいんですよ」 「雪降ってんだからンなすぐに溶けねえよ」 今キスしたら、ラムレーズンとラブポーションが同時に味わえてお得だろうか? ばかげた妄想を振り払い、漸くアイスをたいらげた後輩の手を引っ掴む。 「かじかんでんじゃん。顔には出ねーけど寒ィんだな」 その手をビジネスコートのポケットに突っ込んだ。中はホッカイロであったまってる。 「えーと先輩。恥ずかしいです」 「店内でラブホ連呼してたヤツがどの口でぬかす。みんなイルミネーションに夢中でアイス買い食いしてる野郎なんて見ちゃねえよ」 満を持して点灯されたツリーの輝きが野次馬を集めてくれるおかげで、こっちに注目する物好きはいねえ。 俺に片手を預けた千里に隅っこを歩かせ、恋の媚薬に酔ったカップルが群がるツリーから離れる間際、最後の一口が舌の上でまろやかにとろけ、甘くて苦いラム酒の余韻がふんわりと広がった。

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