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第23話

ピンポーン、間抜けな音をたて自動ドアが開く。 コンビニの中は空調が利いていた。そこそこ快適で広く清潔、陳列棚にゃ商品が整頓されている。 「待ってください先輩」 「とっとと来い、ただでさえ時間押してんだ」 渋滞に捕まってしくった。 右手首の腕時計を見ると、約束の時間まで10分を切っていた。取引先の商社はすぐそこ、何とか間に合いそうで息を吐く。 イライラする俺に引っ付いて自動ドアを抜けたのは後輩、千里。 ちなみに下は万里、語呂合わせみてェな名前。聞いただけじゃ性別だってわかりゃしねえ。 コイツが部署にきた日の自己紹介を思い出す。親は何思って付けたんだ、と心ん中で突っ込んだ。新婚旅行で万里の長城でも行ったのか、ハネムーンベイビーか? 今日も千里はこざっぱりしたグレイのスーツを着こなし、上品な臙脂のネクタイを締めている。 清潔感あふれる装いと爽やかなルックスは、新入社員の模範として額に入れて飾りたいほど。おまけにイケメンときて、部署の女どもの熱い視線を一身に集めてやがる。 「何か買ってくんですか」 「手ぶらってわけにもいかねーだろ」 「お金出します」 「いいよ別に、経費で落ちるし」 コンビニに寄ったのは手土産を買うためだ。 レジの後ろには贈答用の菓子折りが数種類並んでいる。 「フルーツゼリー、パウンドケーキ、ラスク、せんべい……色々あんな。どれにするか」 「向こうの課長さんて60代前半でしたっけ。年配の方にはおせんべいでしょうか、やっぱり」 「入れ歯だったら逆効果だ」 「皆で分けるんなら個別に包装されてるものがいいでしょうか」 判断が悩ましい。こんな事なら前回会った時聞いとくんだった。 「最近の入れ歯はよくできてるって話ですよ」 「贈答品で耐久性試さねェよ」 ポーカーフェイスでボケをかます千里にあきれた一瞥をよこす。 まったく、コイツと組んで外回りなんてツイてねえ。 新人の指導係なんて面倒なだけだ。職場じゃ厳しい先輩で通ってるせいか、 「頼むよ久住くん」なんて体よく押し付けられちまった。 ぶっちゃけ、コイツは苦手だ。すごく苦手だ。 「フルーツゼリーは匙がいるしな。ケーキはくずが零れっしラスクかせんべいが無難か?お前はどう思」 どの菓子折りにすべきか真剣に検討する俺の横で、後輩はぼんやりしていた。 言葉が宙ぶらりんに途切れた俺へ向き直り、緩慢に瞬きする。 「……え?なんですか」 「ちゃんと聞いとけ」 また舌打ち。すっかり癖だ。 「じゃあラスクで決まりな。すいません、あれください」 「かしこまりました。紙袋にお詰めしますか」 「お願いします」 「どうぞ」 「ありがとうございます」 会計を済ませて紙袋を受け取る。長居は無用だ。 「行くぞ」 「僕が持ちますよ」 踵を返すと同時、ソツなく申し出る。気が利く後輩の演技なら満点。 「……わかった」 先輩に払わせたから恐縮してんだろうか、それとも点数稼ぎか? にこやかな後輩に紙袋を手渡し、自動ドアから出る。 街路樹が植わった歩道をいくらも進まないうちに、背後で音がした。 振り返ってあ然とする。 「お前な、落とすなよ」 「すいません」 紙袋の底を払って拾い上げる。中の菓子折りは無事らしく、確認した顔に安堵が滲む。 イヤミなくらいよくできた後輩がこんなミスするなんて珍しい。心なしか元気がねえ。顔も仄赤く汗ばんでいる。 「風邪?」 「え」 正面に取って返して直球を投げれば、ぽかんとする。 「……ああ、違いますよ。今朝からちょっと調子悪いだけです」 「熱は測ったのか」 「平熱でした」 「嘘だな」 断定する。 千里が狼狽。 「なんで」 「カマかけた。今ので確信した」 「喉に来る風邪じゃないから咳で伝染しませんよ」 「ンなこた聞いてねェ」 問答無用で後輩の手から紙袋を奪い取ろうとする。 「いいですよ持ちますから」 「病人にまかせらんねー」 「大したことありません、これくらい持たせてください」 千里が紙袋を抱えて右へ左へ避けていく。ディフェンスとオフェンスの攻防戦。 「貸せって」 「いやです」 「意地張んな」 「張ってません」 「別に菓子折り渡した方が勝ちとかって法則ねーぞ」 「顔は覚えてもらいやすくなります」 「ちゃっかりしてんな」 紙袋を庇って手を躱す千里にじれ、だしぬけに片手を突き出す。 「じゃんけんぽん、あっちむいてホイ」 「……どうしたんですか?」 「今のなし。忘れてくれ」 片手で顔を覆ってそっぽを向く。顔が火照ってヤバい。 「まさかあっちむいてほいでよそ見した隙に奪おうとか、コントみたいな事考えてたんじゃ」 「邪推すんな」 「ですよね、そんな小学5年生並みの発想ありえませんよね」 空咳一回、眼鏡越しのジト目で睨む。 「……無茶はすんなよ」 「はい!」 元気よく返事をする。 強情っぱりの後輩に辟易、仕方なく譲歩する。遊んでる時間がもったいねえ。 目的地はビルの五階だ。エレベーターに乗り込んでボタンを押す。隣に立った千里はしんどそうだ。落ち着かない気持ちで横顔を観察する。 面倒くせえ事になっちまったな。 エレベーターが軽快な音と共に停止、スムーズに扉が開く。 「すいません、2時にお約束している久住ですが」 「久住さまですね、かしこまりました。この廊下をまっすぐ行って突き当りに相原がおります」 「ご親切にありがとうございます」 丁寧に礼を述べて執務室へ赴く。会話中も受付嬢の視線は千里に逸れがちだった、イケメン得。 突き当たりの部屋の扉をノックすると、「どうぞ」と中から声が招かれる。 「失礼します」 断りを入れてから室内に踏み込む。 「沼渕商事の久住くんと千里くんだね、今日ははるばるご苦労様」 「いいえ、こちらこそ。先日の取引ではお世話になりました、弊社の篠塚が丁重に礼を伝えてほしいと」 滞りなく名刺交換を終えたあと、千里の脇腹を肘で小突く。 『菓子折り』 耳元で囁けばハッとして動きだす。 「こちら粗品ですが」 「気を遣わなくていいのに……ラスクか、有り難くいただいておくよ」 相原課長が紙袋を受け取って礼を言い、千里が「お口に合えば幸いです」と微笑む。 相原に導かれて、衝立の向こうのソファーに座る。隣に掛けた千里がズボンの膝をそろえる。 俺は鞄からノートパソコンを取り出し、ファイルを開く。 「先日申し上げたプロジェクトの件ですが……」 「メールで概要は聞いているよ。面白い企画だね」 「詳しい資料をまとめてきたのでご覧ください」 相原との話は弾んだ。俺みたいな若造と同じ目線で話してくれる、いい人だ。交渉の舵取りをしながらも、意識の一端は千里へ行く。さっきよりもっと赤くなってないか?汗もすごい。 早めに切り上げるべきか、そんな考えが脳裏を掠める。 「失礼します」 控えめなノックが響く。 「入りたまえ」 ドアが開き、女子社員が会釈をする。 「お茶をお持ちました」 「ありがとうございます」 わずかに腰を浮かせて会釈する俺に微笑み返し、机に湯飲みを並べていく。 女子社員が千里の前に湯飲みを置くのを待ち、話を再開する。 「納期は来年の2月あたりで」 「あっ!」 女子社員が小さく叫ぶ。 千里が唐突に前のめり、その膝がへりにあたる。次の瞬間湯呑が倒れ、熱いお茶が机上に広がっていく。 お茶が染み広がる先には相原課長がいた。 まずい。 咄嗟に体が動く。 「!アツっ、」 千里を遮るように身を乗り出し、机に腕を付いてお茶の流れを堰き止める。俺の片腕に阻まれたお茶は、スーツの袖に染みて事なきを得る。 我に返った千里が立ち上がり、俺の腕を掴む。 「大丈夫ですか!」 「たいしたことねえよ、袖が濡れただけだ」 「火傷はしてないかい」 「平気です、ご心配なく」 課長にかからねえでよかった。 パソコンに多少飛び散ったが、些細な問題だ。千里の顔が自責に歪む。 「すいません僕のせいで……」 取引先の課長の前で後輩に詫びられたくねえ。ただそれだけを理由に、千里の背中を軽く叩く。 どのみち話は終わりにさしかかってた。相原課長は千里の体調不良を察し、タクシーを呼ぼうかと言ってくれた。それを丁重に辞退し、千里を引きずるようにエレベーターに乗る。 地上に着くまでの時間がまどろっこしい。貧乏揺すりしくなるのをぐっと堪え、バテた千里を覗き込む。 「会社にゃ早退の連絡入れとく」 「自分でできます」 「無理すんな」 携帯を取り出して後輩の不調を伝えると、あっさり早退が許可された。コイツは上司受けもいいのだ、嫉妬。 「今日はもう直帰でいいとさ。1人で帰れるか」 「はい……」 「嘘だろ」 「帰れます」 エレベーターが鳴って地上に到着、千里に肩を貸して明るい歩道に出る。 携帯でタクシーを呼び、車内に突っこんでもいい。知らんぷりを決めこんじまえ。 スーツの袖が湿って気持ち悪い。 「ああくそ」 ずり落ちかけた千里を担ぎ直し、早口で質問。 「家は?」 「世田谷の……本当大丈夫です、ちょっと休んでればよくなりますから」 「喉渇いたのか。茶も手付かずだしな」 ぼけた事をほざいてから、改めて意向を仰ぐ。 「タクシー呼ぶか。電車は無理だろ」 「そこまでしてもらうわけにいきません」 「今さらだろ馬鹿」 「とりあえず涼しい所に座りたいです……」 か細い返事を聞いて通りを見回す。 こじゃれたカフェテラス、愛想のないビジネスホテル、新作スイーツの幟が翻るファミリーレストラン……選択肢はいくらでもある。 が、千里が選んだのはそのどれでもない。 「そういえば先輩、近くに公園ありましたよね」 「新宿中央公園か。でもだって……歩けんのかよ、その状態で」 「なんとかイケます」 「ファミレスのがいいんじゃねーの」 念のために聞き直せば、言いにくそうに口ごもる。 「……食欲ありませんし、注文もせず居座るの悪いじゃないですか」 一瞬虚を衝かれる。 この馬鹿は、熱でしんどい時までそんな事考えてやがんのか。 「考えすぎだっての」 「やっぱり気が引けます、残したらもったいないし」 「ドリンクバーは」 「恥かかせないでください」 端正な顔に苦い自嘲が浮かぶ。湯呑を倒した事まだ気に病んでんのか。 「お前の分も頼んで食うよ、それでいいか」 「経費で落ちます?」 「あのなあ……」 カフェも事情は同じだ。 ビジネスホテルは論外。 となれば、残る候補はただで休める場所。 「辛抱しろよ」 苦しげに喘ぐ千里の肩を抱き、すれ違うひとびとの好奇の目にさらされながら公園をめざす。 意識が朦朧とした千里の身体はぐんにゃり重い。細く見えても成人済みの男、引きずってくのは大変だ。 千里は妙に謙虚というか、時に行き過ぎな位卑屈なところがある。 熱があんだから店員だって追い出しゃしねえだろうに、人の目を気にしてギリギリまで耐え忍ぶ、その不器用さがもどかしい。 新宿中央公園に辿り着き、木陰に入る石段に掛けさせる。昼過ぎで人は疎らだ。 「待ってろ」 千里に言い置いてトイレへひとっ走り、ハンカチを濡らす。途中で自販機を見かけ、ペットボトル入りミネラルウォーターを購入。 ダッシュで石段に戻ってくりゃ、真っ白に燃え尽きたボクサーみてえに自分の膝に肘を突っ伏してやがる。 「ほらよ」 千里の手にペットボトルを押し付ける。俺の体温が移って大分ぬるくなっちまった。 「顔上げろ」 「こうですか」 「ストップ」 膝上のペットボトルを持て余す千里の瞼に、絞ってから折り畳んだハンカチをおく。 「先輩のハンカチ……ですよね」 「人様のヤツ使うか」 「よかった」 何がだよ、と口には出さず突っ込む。 千里はしばらく陶然としていた。瞼が冷えて気持ちいいのか、長い長い息を吐く。 俺は一段上に腰かけ、後輩の手からひったくったミネラルウォーターのふたを開ける。 隣に座らなかったのに深い意味はねえ、あえていうならくだんねー見栄だ。 「ん」 無造作に顎をしゃくり、蓋を開けたペットボトルをさしだす。 ずりさがるハンカチを片手で押さえ、物問いたげな流し目をよこす千里。 「脱水症状とか起こされたかねェし」 「……ありがとうござ」 「ストップ」 弱々しく掠れた声で礼を言われかけ、鼻白む。 ミネラルウォーターを受け取りかけた姿勢で硬直、千里がきょとんとする。 「病人に礼言われると気分悪ィ」 俺と千里のあいだで、ミネラルウォーターが宙ぶらりんになる。 次の瞬間、後輩がプッと吹き出す。ハンカチの下の目元が和み、形良い唇が緩む。 「久住さんて変わってますよね、そんなこというひと初めて見た」 「あのさ、前から思ってたんだけど先輩か久住さんかどっちかに統一しろよ。何基準に使い分けてんだ」 「さあ?気分ですよ」 そらっとぼける横っ面をひっぱたきたくなる……が、病人なので我慢する。 「熱出したヤツの世話焼くなァ当たり前。礼には及ばねえ」 「減るもんじゃなし、お礼くらいフツーに言わせてください」 「俺がやなんだって」 医者や看護師ならまた別の感慨を抱くかもしれないが、気分悪くした後輩をちょっと休ませてやっただけで、いちいち拝まれたらしゃらくせェ。恩を着せてるふうにもとられたくねえ。 千里がやけに神妙なツラして黙り込むもんだから、またぞろ変に気に病んでるんじゃないかと勘繰り、伝法な口調で言ってのける。 「後輩に言われんなら『残業手伝ってくれてありがとうございます神様先輩様久住様』のがよっぽど嬉しいね」 半分冗談半分本気だ。粗塩揉みこんで育てた後輩に感謝されんなら仕事関連であってほしい。 ハンカチの下で憮然と口が尖る。 「……コンビニのバイトや受付嬢にもありがとうあげるくせに、ずるいですよ」 「ずるいってなんだよ、あげるってのにもツッコミてえけど。お前だって言ってんだろ」 「先輩みたいに心が入ってないんで」 そんなふうには見えない。 俺の目には、いや、俺を含めた大多数の人間にとって、千里は非の打ち所ない好青年に見える。 「僕だって先輩のありがとう欲しいんですけどね」 「じゃあ俺が感謝したくなるようなことしろよ」 「具体的には」 「視界から消える」 「消えたら聞こえませんよね」 「肺活量一杯叫んだらイケんじゃね」 「叫ぶんですか」 「お断りだ」 「他には」 「男子トイレの一番奥の個室に引っ込んで出てくんな」 「先輩のありがとう聞くには盗聴器付けるしかないんですか」 千里が薄く笑い、ペットボトルの水を一口嚥下する。少しだけ回復したらしい。 「立てるか?」 「もう少しこのままで」 「ああ……」 「帰りたいならお先に」 「やだね」 「だろうと思いました」 諦めて肩を竦める。 沈黙が落ちる。 芝生を敷き詰めた広場では、親子連れがボールを投げて遊んでいた。 俺は膝の上で組んだ手をひねくりまわし、意地っ張りな後輩を諭す。 「お前ってさ、彼女いんの」 「いきなりですね」 「モテんだろ」 「買いかぶりですって」 「うちの課の女どもがキャーキャー言ってる。具合悪いんなら早いとこウチ帰って彼女に看病してもらえ」 「いませんよ」 あっけない返答に少し驚く。 一段下に腰かけた千里が苦笑する。 「本当考え方が古いでよね、看病は女性がするものって思い込んでる」 「うっせーな、俺んとこはそうなんだよ」 正直痛い所を突かれた。亭主関白タイプだとはよく言われるし、内心気にしていたのだ。 「膝枕で粥を食わせてもらうなら女の柔っこい膝のがいいね」 「僕は固い膝でいいですけどね。寝ながら食べたら気管に詰まりますよ」 「牛になるよかマシ」 「古いなあ」 膝に意味深な視線を感じるが、あえて無視。 ペットボトルの水をちびりと飲み、千里が気まずそうに切り出す。 「……スーツ、クリーニング代払います」 「いいよ」 「火傷しませんでした?」 「全然」 「先方にもご迷惑おかけしてしまって社会人失格ですね」 「後で電話入れとく」 「すいません」 「病人に詫び言われると気分ワリィ」 「どうしたらいいんですか」 感謝と謝罪にダメだしされ、困りきった千里がおかしくて、自然と唇が弧を描く。 「秒で治せ」 「んな無茶な」 スーツの袖はすっかり乾いていた。シミも残っちゃない。ファミレスの一件といい、細けェこと気にしすぎなのだ。 でも俺は、人目を気にして空回るコイツが存外嫌いじゃない。 「さっき言ったろ、何も注文しねえのに店入んの悪いって」 「はい」 「ちょっと見直した。ちょっとだけな」 千里は本当の意味で育ちがいいのだ。普段の礼儀正しい振る舞いからもそれはわかる。 茶色く澄んだ瞳をちょっとだけ見張り、千里が首まで赤く染める。 「また熱上がったのかよ?」 「違いますって」 「やっぱ帰ったほうがよくねーか、タクシー呼ぶから」 「おかまいなく。ここでいいです、もうすこしここで」 携帯を探って腰を上げた俺に、切羽詰まった調子で食い下がる。 千里の身体がよろめき、咄嗟に手を伸ばす。 「おっと」 「あ……すいませ」 「だーかーら」 「言ってませんって」 「しかたねえ、まけてやる」 何やってんだか。俺も意地んなってる。 ありがとうもごめんなさいも、相手がコイツじゃなけりゃフツーに受け取って 「どういたしまして」と返せんのに。 石段に落ちる木漏れ日がスーツを斑に染める。涼しい風が吹き抜けて、千里の髪をもてあそぶ。 「まだしんどいか」 「いいえ……はい」 脊髄反射で否定に走るものの、俺の眼光に負けて白状する。 「素直でよろしい」 勝った気分で溜飲をさげ、尻をずらして一段下、千里の隣に移動する。目線の高さが大体同じになる。 千里の額から剥がしたハンカチを几帳面に畳み直し、また戻す。 「肩枕ならレンタルすっけど」 「1回いくらですか」 「今だけ百円」 意地悪い軽口を叩けば、熱で茹だった後輩がのろくさ財布を開く。 「大きいのしかないけどいいですか」 「真に受けんなよ」 「一万円までなら出します」 「えぇ……」 ドン引きする俺に清々しく言いきり、力尽きて目を瞑る。 ああ畜生、どんな顔をしたらいいかわからねェ。 しかたねぇから膝の上に頬杖を付いてそっぽを向く。反対側の肩に重みとぬくもりが寄りかかる。 千里は俺の肩枕でまどろんでいる。顔色は大分よくなった。寝息をたてはじめたのを確認後、携帯を操作してタクシーを呼び出す。 すぐ近くにあるあどけない寝顔を見詰め、歯切れ悪く呟く。 「……悪かった、な」 もっと早く気付くべきだった。 もっと早く帰すべきだった。 自動ドアをくぐる時、付いてくるのが遅れた。コンビニの会計時、やけにボーッとしていた。 なのに俺は1人でさっさと行っちまって、おいてけぼりにされたコイツが紙袋を落っことして、初めて気付く始末。 本当は覚醒している時に謝るべきだが、ケチなプライドがそれを許さない。 俺のワンマンがコイツの体調を悪化させたかもしれねえなんて、断じて認めたくねえ。 「……とかさ、先輩失格じゃねェか……」 幸い千里はよく寝ていて、俺の愚痴めいた独り言を聞いてない。 後輩の前じゃカッコ付けたかったとかただの言い訳だ、あちこち連れ回したせいで熱が上がったのに。 じっと動かず、肩と腕と足の痺れに耐えて、肩枕を貸し続ける。 ふいに後輩の唇が動き、むにゃむにゃと寝言を呟く。 他愛ない好奇心から耳を近付ければー…… 「ありがとうございます……」 夢の中まで礼を言ってやがった。 恥ずかしいやらいたたまれないやら、何よりこそばゆくってシカトも決めこめず、あさっての方角を向いた仏頂面で返事する。 「……治るまでツケとけ」 ぶっきらぼうに労り、ミネラルウォーターの残りを煽る。 ごくりと嚥下してから間接キスだと思い当たったが、気付かないふりをしておく。

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