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第1話 妹にとっては何もはじまらないプロローグ

  「くそ!|ま《・》|た《・》か!」  おおお、と、周りから、どよめきと歓声があがる中、僕は舌打ちをした。  ローマの神殿のような石造りの壁、白い柱が立ち並ぶ中央に、その広い部屋の全体を占めるほどの巨大な魔方陣が、僕の下で蒼白く光っていた。魔方陣には触れないよう、その周りを囲み、壁沿いにずらりと並ぶ、フードをかぶった白装束の者たち。ちらりと見たかんじ、普通の人間のようだ。  僕は辺りを見回した。  この魔方陣、白装束、そして、怯えた男子高校生。白装束の後ろにいる金髪の男前は、——— (エドワード王子。ここはエンデガルドか。|三《・》|年《・》|コ《・》|ー《・》|ス《・》だ。面倒なことに……だが、くたびれた会社員は一緒じゃない。よかった)  男子高校生は黒髪で、かわいいかんじの顔立ちをしているのがわかる。その小動物のように怯える姿は庇護欲をそそり、多くの|男《・》|性《・》を魅了するように思う。僕の思考にかぶせるように、白装束の一番偉そうな男が言った。 「救世の神子様。お待ちしておりました。ようこそ、エンデガルドへ」 「こ、ここは一体…?」 「神子様、どうか、このエンデガルドをお救い下さい!」  神子と呼ばれたのは僕、———ではない。  さきほどから、ぷるぷる震えている男子高校生だ。僕はその横でぺたんと尻餅をつき、誰にも認識されていないかのように振る舞われている。|だ《・》|い《・》|た《・》|い《・》こういうシチュエーションのとき、僕の立ち位置は「巻き込まれモブ」である。  ご存知だろうか。  僕の生まれた、ラニアケア超銀河団・おとめ座超銀河団・おとめ座銀河団・ 天の川銀河・オリオン腕・太陽系第三惑星である、地球という青い星の、欧米人から見て極東にある『日本』という平和な島国では、異世界転移・異世界転生というジャンルの創作物が、人気を博している。  一昔前までは、ファンタジー世界の中で生まれた、ファンタジーな人間が、ファンタジックに、ファンタジー的なラスボスを倒すという、そういうファンタジーが流行っていたように思うが、今はその、異世界転移・異世界転生というタグが創作投稿サイトの登録必須キーワードになるくらい、その確固たる地位を築き上げているのだ。  その投稿サイトの人気ランキングを見れば、その人気は一目瞭然で、だいたい十作品があれば、十作品くらいが、異世界転移・転生モノの創作物なのである。  何故そんな需要が多いのかって、それは、考えてみれば、そんなに難しいことではない。  毎日毎日、満員電車に揺られ、会社につけば、上のご機嫌も、下のご機嫌も取りながら、馬車馬のように働かされ、昼休みも体裁を気にして、同僚と過ごさねばならず、当たり前のように残業し、再び混みあった電車に揺られ、くたくたになって帰宅した家には「おかえり」と言って、あたたかいごはんを用意してくれているような、そんな理想的な恋人はいない。  そして、みんなこう思うのだ。 『ああ、どこか遠くに行きたい』  ちなみに僕は高校生である。  まあ、とにかく、そうして、そこに、待ってました、とばかりに、肩で風をきって登場するのは、異世界転移・異世界転生を主題にした、ありとあらゆるシチュエーションのラノベ・漫画・ロマンス小説・BL小説・アニメ・ゲームである。  日本という国には、その抑圧された毎日の中、たまりにたまったストレスを解放するかのように、ものすごい想像力を発揮し、ものすごい創造力を以て、ありとあらゆる異世界を提供してくれるクリエイターが星の数ほどいる。  そうして創作されたものは、その抑圧された毎日の中、たまりにたまったストレスの解放を求める人たちに読まれ、そのアクセス数は、クリエイターに愛と勇気と喜びを与え、そしてまた新たな創作物を生み出させる、という、恐ろしいストレスベースの自給自足の中、この日本という国は成り立っている。  以上の理由で、自分の好みの異世界シチュエーションに事欠くことは、ほぼない。万が一、欠いた場合は、なんと、本人が創作をはじめることができるというオプションまで用意されている。  そうしてこの世の中には、ありとあらゆる異世界が溢れているのである。  さて、そして今の状況だ。  僕の前で繰り広げられているのは『異世界召喚の儀式』である。さきほどの会話からもわかるように、このエンデガルドの白装束たちは、異世界からこの世界を救うための神子、———さきほどの男子高校生を召喚したらしい。  昨晩、妹に脅されて、共にコンプリートしたBLゲーム『エターナルムーン−救世の神子−』を思い出す。そのオープニングに酷似した状況を鑑みるに、僕は、何故かそのゲームにそっくりの異世界に呼ばれた神子、———さきほどの男子高校生に、巻きこまれて召喚されてしまったようだ。  |ど《・》|っ《・》|ち《・》だ、と、俺は身構えた。  ゲーム通りなら、王子が物珍しさに、怯えた神子を気に入って、連れ去ってしまう場面である。エドワード王子に動く気配はない。神子の様子はどうだ?まだちゃんと怯えているか、と確認し、その瞳がエドワード王子を見て、キラキラと光り輝いてしまっているのが見て取れた。  ———ああ、と僕は思った。  どうやら神子の男子高校生は、異世界転移を喜んじゃう|パ《・》|タ《・》|ー《・》|ン《・》だった。エドワード王子を、しっかり王子と認識しているような様子から、もしかすると、このBLゲームすらも知っているのかもしれない。驚くことなかれ、自分が神子であった場合、ここでしっかり怯えておかないと、彼らは、思いもよらぬ展開を迎えることになる。  現に、エドワード王子の様子を見るかぎり、もうすでに、悪役令息に誰かが転生しちゃっている|パ《・》|タ《・》|ー《・》|ン《・》の可能性が高い。  神子はたとえこのゲーム内容を知っていたとしても、よほど空気の読めないタイプじゃないと、王子には突撃できなさそうだ。待てよ、騎士団長がじっと神子を見ているな、もしかすると、騎士団長との恋愛が用意されているパターンかもしれない。  どっちだ、と考え、昨日の|妹《・》|の《・》|様《・》|子《・》を思い出す。  ———この神子はあざとすぎると思うの。これがもし、漫画だったら、すでに悪役令息に転生した会社員が、死にエンドを回避しようと必死になったあげく、無自覚で総愛され、神子を当て馬にして、王子様エンドかな?———  そうか、と僕は思った。  神子と一緒にここに来てしまったから、神子視点で物語を考えてしまったが、悪役令息が主人公のパターンなんだとすれば、神子は逆に悪役になるやつだ。  それにしても、昨今の創作物の流行の中で、悪役が暗躍しすぎている。  こうして神子が召喚されている姿を見ても思う。純粋そうな見た目、かわいい顔つき、そして、これから様々な意外性を以て、王族貴族の子息たちを虜にしていく、輝かしいストーリーが広がっているではないか。悪役ばかりが幸せをつかんでないで、そろそろ神子と男爵令嬢を幸せにしてやれよ、と思う。  とにかく、この神子も、欲をかきさえしなければ、王子様以外とのエンドぐらいは、迎えられるだろう。どちらにしても、だいたいが十八才までに決着がつくことになるだろうから、やはり三年コースだと予想する。  エドワード王子は動かなかったが、「神子をお連れしなさい」と、白装束が言い、男子高校生は、丁重にお連れされるようだった。そのとき、慌てた神子が叫んだ。 「ちょっと待って、その人は、どうなるんですか!」  その部屋にいた人間が、みんな僕に振り返った。正直、余計なことをしないでくれ、と思った。そして、涙目で僕のことを心配する神子を見て、さきほどの一番偉そうな白装束が、僕を毛虫でも見るかのような目で見て、そして、ぎりぎりと奥歯を噛みしめながら言った。 「神子様の願いだ。その者も、別室に連れていきなさい」  そして僕は、神子とは違う、貴族の部屋のような客室に連れて行かれた。神子にはこれから丁重なご説明があるんだろう。僕のことは放置だ。  豪奢な金枠の窓のほうへ、ゆっくりと歩いていく。窓の外をちらりと覗き、そこに広がる、昨日まで、スクリーンの中にあったはずの王都のビジュアルを見て、ふっと笑いを漏らした。  ———そして、僕は、抑圧された毎日の中、たまりにたまったストレスを解放するかのように、叫んだ。 「どんだけあんだよ!ゲームベースの異世界がああああああ!!!」

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