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第10話 異世界ふたたび

  「これはこれは!お客様、新しいのも入ってますよ!」  媚びるような下卑た男の声が響いた。  砂っぽい街を抜け、薄暗い、怪しげな路地裏を抜けると、開けた場所に出る。そこには、まるでサーカスのテントのような、大きめの天幕がある。砂漠の青い空の中、立てたられた白い天幕の中には、その爽やかな外見とはうってかわって、幾十もの檻が所狭しと並べられているのだ。  そして、その中の一つに、僕は入れられているわけだった。  せっかくユクレシアで魔法が使えるようになったから、どうにかなるかと思いきや、しっかりと、魔封じの手枷で拘束され、うんともすんとも言わない。僕は、一応魔王も倒したメンバーの一人だというのに、なんという体たらく。これはもはや、魔王もびっくりな事態であるはずだった。その魔王もびっくりな僕の現状をお伝えしよう。  僕は今、奴隷として売られています。  ちーん、という、残念な音が聞こえてきそうだ。  あの後、僕がしょぼっとしたかんじのくたびれた会社員のおじさんと一緒に、白い光に包まれた後、すごいことが起きた。いや、もちろん、再びの異世界転移は、それだけで、すでに、かなりすごいことではあった。が、それだけではなかったのだ。その事象は、確かに、羽里が読んでいる小説や漫画でよくある。そして、そうあって欲しいという願望でもあるのかもしれない。白い光が引いていった後、僕とおじさんは、神殿っぽい場所の噴水のような水の貯まった場所に、びしょ濡れで落ちていた。そう、僕の隣には、あの、くたびれたかんじの、しょぼっとしたおじさんがいるはずだった。  が、僕は隣を見て、目をまるくした。  大きな漆黒の瞳、濡れたまつ毛、水の滴る美しい黒髪、ぽてっとした桜色の唇。僕は羽里の読んでいた小説を思い出し、一瞬で状況を悟った。困惑し、怯えている様子のその少年は、明らかに、さきほどのおじさんが着ていたスーツに身を包んでいた。  僕は思った。 (なんで若返ったの?!)  そして、若返ったおじさん少年は、いや、おじさん少年というと、昔、町で見かけた、セーラー服姿のおじさんが脳裏に浮かぶので、とりあえず、少年ということで、いいだろうか。その少年の手には、先ほどのランプがあり、そして、その噴水のような場所を囲んでいた僧侶的な人たちが、ざわめきながら言ったのが聞こえた。 「あれは、伝説のランプ!もしかして、雨の神子様なのではないか?!」  僕は、死んだ魚のような目で、羽里が持っていたゲームを思い出していた。  彼女が持っていたゲームの名前は『砂漠のトリニティー宮廷恋愛譚ー』である。先月、彼女は、一度、その一キャラクターの難易度の高さに挫折し、そして、放置されていた代物で、僕も、その全部をコンプリートしたわけではない。  攻略対象は、国王、騎士団長、宮廷魔術師長、の三人と少ないが、その分、ひとりひとりのストーリーがしっかりと作りこまれており、ゲームファンも納得の作品なのである。  主人公は、砂漠に雨を降らすことができる神子で、神殿に姿を現したのち、ランプと共に、王宮へと連れていかれる。そして、少年もその通り、連れて行かれた。  そして、僕は、ぺっと奴隷として売られたわけだった。  前回は、ヤマダくんが庇ってくれたから、なんとかなったが、少年は怯えきっていて、それどころではなさそうだった。仕方ないことだ。異世界転移なんてしてしまったら、大概は、怯えて何もできないであろう。前回がおかしかったのだ。ヤマダくんは強い。そして、僕は溢れんばかりの腐った前知識の奔流によって、怯えるどころではなかったのだ。 (どうしよう…)  先ほどの下卑た声から察するに、客が来たのだろう。こんな青空の下、真昼間から、奴隷を買いにくるやつである。おそらくガマガエルみたいな顔をした、ぺたっとした髪の、宝石だらけの、なんとか伯爵みたいな変態に違いなかった。  しかし、僕はどういう人間に飼われることができれば、なんとか無事にやり過ごせるのだろうか。  例えば、純粋に労働力を必要としている人だとか、あるいは、戦闘奴隷のようなことであれば、僕でもなんとかやりきれる気がした。そして、客と思わしき声が、近づいてきた。どうやら若い男が二人のようだ。昼間から何してんだ。  働け、と思いながら目をやり、僕は、ハッと固まった。 「エミル魔術師長は氷のような瞳で、心まで凍ってしまっているようだって言われてんだぞ。お前も少しは、遊び心をもった方がいい」 「奴隷を買ったところで、何も変わらない」  その二人の二十代と思しき男たちには、見覚えがあった。攻略対象である。  人懐っこい笑顔を浮かべている、赤髪に翡翠の瞳の男前は、アルノルト騎士団長。そして、にこりともしない冷たい雰囲気なのが、白髪に水色の瞳の、エミル魔術師長。これに国王を足したら、攻略対象『トリニティ』の、完成であった。まさか昼間の奴隷市で遭遇することになるとは思わなかった。  そして僕は、改めて思った。 (働け!)  その瞬間、僕のその悪態が聞こえたかのように、エミル魔術師長が僕の方を振り返り、そして、驚愕に目を見開いた。 (へ?)  いや、僕は前髪で顔を隠しているから、僕と目があったわけではないはずだった。そして、その証拠として、エミル魔術師長は、ふいっと、すぐに視線をそらした。だが、その後、ものすごく不機嫌そうな顔になった。  僕の見た目は、そんなに不潔そうだっただろうか。  きょろきょろと自分の体を見てみるが、噴水に落ちてから、すぐに馬車でここまで連れて来られただけなので、そこまで不潔だとは思えない。なんだろう、と、僕は首を傾げながら、エミル魔術師長の様子を覗った。だが、やはり様子がおかしい。  先ほどまで、全く奴隷になど興味がなさそうだったのに、妙にそわそわしながら、アルノルト騎士団長に質問をしはじめた。アルノルト騎士団長も、それに気がついたのか、にこにこと上機嫌だ。 「お、なんか興味出てきたの?」  どうやら、薄幸そうな金髪の女性奴隷を見ているようだ。  エミル魔術師長は、羽里がゲームを挫折した理由の人物だ。羽里はなんて言っていたかな、確か、『クーデレ』と言っていた気がする。ユクレシア物語でのヒューは、ツンデレあったが、そのさらに上を行くクーデレというのは、ものすごく冷たい対応をしてくるわけだ。人嫌い、何も寄せつけない、怖いくらいの雰囲気で、ほぼ口を聞かない。主人公である神子にも、はじめは言葉を交わすことすらない。デレまでが異常に長く、プレイヤーはその冷たすぎる対応に、途中で心折れていくのである。妹もその一人であった。  どうやら、その女性奴隷を買うらしい。僕はため息をついた。あんなにプレイヤーには氷のような対応をしておきながら、影でやることはやってんのかよ、と思った。男だし、こんなもんか、という、若干の落胆があったことから考えるに、僕の思考は、やっぱり羽里に汚染されていた。  僕は一体どうなるんだろう、と、檻の中で、体育座りをしていた僕は、膝の上で頬をつぶした。が、目の前に誰かの足があるのが見えて、僕は顔をあげた。  そして、固まった。 (…エミル魔術師長) 「これにする」  目の前で放たれた、その五文字を理解するまでに、僕は、一度、宇宙の人工衛星を経由して、音声が届いたかのような、タイムラグを感じた。そして、よくわからないが、一度、後ろを振り返った。  もしかしたら、僕が知らない間に、僕の後ろに、妖精のように可愛らしい少年か少女でも、出現したのだろうかと思ったのだ。  僕は前髪で顔を隠している陰キャで、こんなにたくさんの並べられた檻の中で、わざわざ選ばれるほどの、奴隷としての輝きを備えているとは思えなかった。 「え、こいつ?」  アルノルト騎士団長も首を傾げた。  全くもって、その質問には同感だった。僕も首を傾げた。それを見て、アルノルト騎士団長が「本人も不思議がってる」と、ぶはっと笑った。だけど、なぜか、エミル魔術師長は、無表情のまま、僕の契約を終えてしまったようだった。  僕はぴやっと背筋が凍るのを感じた。 (よくて労働力…。順当に考えれば、実験動物…)  まあ、間違いなく、性奴隷だけはないだろうから、そこは安心できそうだなと思った。実験動物として購入されたことのどこに、そんな安心できるポイントがあるのか、ということは、今はもう、触れないで欲しい。僕は今朝、ユクレシアから帰還したばかりなのだ。疲れていた。そして思った。 (もう、寝てしまいたい。そして全部が夢だったらいいのに)  ←↓←↑→↓←↑→↓←↑→ 「エミル様、おはようございます!」  僕は、カーテンを開け、寝台の主に声をかけた。  エミル魔術師長は、人嫌い。氷のように閉ざされた心は、誰にも溶かされることなく、こじんまりとした邸宅に、料理人ひとり、と、執事ひとりだけで生活しているのだ。どうしてそんな風になってしまったのかは、ゲームでは言及されていなかった気がする。もしかすると、ストーリーがもう少し進めば、出てきたのかもしれないが、羽里が挫折していたから、エミル魔術師長のエンドを見ていないのだ。  でも本当に、同じ空間にいるだけで、凍えてしまいそうな極寒のツンドラを僕は感じる毎日を過ごしている。砂漠の暑さにも負けない、そのぶれない冷たさのおかげで、空気さえもが、多少ひんやりしているような気がする。エミル魔術師長か怪談話か、くらいのかんじだ。 「エミル様。今日は、神子様と、日照りの村まで行かれるんでしょう?早く起きないと、遅刻しますよ」  僕は、あの後、ーーー奴隷として買われた後、執事見習いみたいな形で、エミル様の世話をすることになった。おじいちゃん執事のセバスさんが、完璧超人すぎて、僕のいる意味はほぼないように思ったが、セバスさんがにこにこしながら、色々教えてくれるので、ほっこりしながら、勉強させてもらっている。セバスさんが腰が痛いとき、の、ためだけでに存在しているような気もする。  が、僕の第二の異世界生活は、奴隷スタートだったわりに、かなり安全な位置に落ち着き、僕もほっと胸をなでおろした。  しかし、このエミル様。話さない話さない。これはヒューなんか足元にも及ばないほどの、びっくりレベルなつんつん具合で、あのヒューがかわいく見えるくらい、本当に、人が嫌いなんだな、ということが伝わってくる。  そして、なんだか、その瞳に、いつも諦めに似た悲しみを感じる。 (何かに傷ついた過去でもあるのかな。よくわからないけど…)  逆に僕は、日本では、ほぼ全く話さないくせに、異世界にくると、少し饒舌になるような気がしている。相手が、うんともすんとも言わない、人形みたいな人なので、僕が話さないと、なんだか気まずいというのもある。「黙れ」的なことは言われないので、一応そのままの姿勢を保っている。前髪も異世界仕様で、今回は、執事見習いみたいなものなので、少し、上にあげ気味で流すことにした。 「神子様は、やっぱりエミル様が召喚したんですか?雨の神子様が現れたって、町では大騒ぎですよ」  エミル様の着替えを手伝い、ダイニングルームで朝食を促す。エミル様の朝食は、菜食主義なのか、基本的には、野菜のスープと焼きたてのパン。それと、フルーツだけだ。こぽこぽと、食後のコーヒーを注ぎながら、時計を確認して、そろそろ出立の時間だな、と思った。  エミル様は多忙である。  一体何がどう転んで、あの日、奴隷市場になんでいたのかはわからないが、アルノルト騎士団長だって多忙なはずである。特に、神子様が現れてからは、国中が大騒ぎで、エミル様は、在宅中もずっと仕事をしている。セバスさんから聞いたかんじだと、いつもの倍くらいの仕事量らしい。  正直、無表情で何を考えているんだか、いまいちよくわからない。ヒューはものすごくわかりやすかったなあ、と、僕は思った。そして、僕がこうしてまた、異世界に来ている間に、ヒューが地球に遊びにきちゃったらどうしよう、と、ちょっと焦った。 (『砂漠のトリニティ』も一年くらいだった気がする…)  異世界転移の後、帰還しても、|大《・》|概《・》時間は経たないと、邪神は言っていた。だがそうして『大概』とかで濁すあたりが、邪神のシステムだということは、僕は薄々わかってきていた。  そして、闇だ。羽里の心配をする以外で、僕がこの世界で一体どんな闇を抱えるというのか。いや、もう奴隷スタートは確かに、十分に闇ではあったが。  僕が悶々といろんなことを考えていると、もうエミル様の出立の時間であった。門の前には馬車が止まっており、僕とセバスさんはエミル様を玄関で見送った。  家を出かけるときに、エミル様は、小さく一言呟いた。 「私は、異世界召喚には関わらない」  そして僕の反応を見る間もなく、颯爽と歩いて馬車に乗ってしまった。僕はぽかんと口を開けて、「あ、話、一応聞いてるんだ」と、驚いた。  それは僕に、一つの記憶を思い出させた。

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