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第9話 帰還
※※※『ユクレシア』のことは回想形式で、今後も続いていきます。もし、わかりづらかった場合は、目次から<ユクレシアの記憶>だけ、つないで下さい。
「あ!お兄ちゃんどこ行ってたの!」
羽里の声に驚いて、僕はがばっと体を起こした。
どうやら僕は、自分の部屋の床にぱたりと倒れていたようだった。
僕はぽかんと口を大きくあけて、呆然としている中、彼女は、きゃんきゃんと威嚇する小型犬のように、母さんが心配していたという事実を、怒りと共に僕に吠えたてた。その放たれる言葉から察するに、土曜日の授業の後、ヤマダくんと共に、いなくなり、日曜日の朝に、自室に戻ってきたということのようだ。羽里はそのまま、母さんに言ってくる、と、階下へ降りていった。
僕は気がついた。
時間が経過していないパターンだった。
(そうか、一日だけ…たった一日だけ、過ぎただけ)
僕の心の中に安堵が広がった。
本当に帰ってこれたという驚きと、自分が過ごしたあの密度の濃すぎる時間が、たった一日だけの冒険であったという驚きと、それから、なんら変わりない妹の安否を確認して、そして、その気持ちの赴くまま、僕は言った。
「っしゃ!」
恥ずかしい。いや、恥ずかしいのはわかっている。しかし、どうかわかって欲しい。人間、本当に感極まったときっていうのは、なんか出てきてしまうものなのだ。一年越しの自分の部屋である。しん、とした部屋の中に、ぐっと拳を握りしめた僕がいて、そして、結局、恥ずかしくなった僕は、それでも、小さく、もう一言続けた。
「ただいま」
その言葉の重みを、これほどまでに感じたことはなかった。
思わず、妹の去った後の自室で呟いたそれに、「おかえり」と最初に言ったのが邪神だったということは、考えないことにした。
僕は、ヤマダくんに巻き込まれて、ああ、もはや異世界仕様でカタカナ呼びになってしまった。が、とにかくそのヤマダくん―――と、魔王に支配された、ユクレシアを、勇者パーティの一員として救い、こうして一年越しに帰還できたのだ。
つまり、この週末の一日の間に、僕は、ユクレシアの終末の一年、という月日を過ごしたのだった。
勇者ヒカル・ヤマダは、その名に恥じぬ光属性の魔法を駆使し、勇者らしく聖剣をふるい、そして、魔王を倒し、ユクレシアを救った。
その背景で、めくるめくピンク色の壮大なラブストーリーが展開されていたことは、多分、僕とヒューしか知らない。おそらく、羽里が泣いて、小躍りして、「ありがとうございます」と、歓喜する、めくるめくピンク色の、壮大なラブストーリーである。
ちなみに、シークは出てくることには出てきたのだが、僕がいたせいか、仲間にはならなかった。パーティに人数制限があるのかどうかは、僕の知るところではない。そして、その僕たちの旅を最終的に一言で表すなら、この一言に尽きる。
(18R版でした…!)
色んなことが思い出された。僕はくっと眉間に手をあてた。
とにかく、とにかく『無事』に魔王を倒し…いや、待ってほしい。何が無事で、何が無事でなかったか、ということに関しては、その人の主観にもよるだろうから、言及するのは非常に難しい。
が、とにかく結論として、ヤマダくんが、とろけそうなほど幸せそうな顔で、シルヴァンとオーランドと一緒に残ると言うので、僕だけが邪神の力で、地球に帰還することになった。そう、シルヴァンとオーランドと残る、と言うので、僕だけが帰還したのだ。シルヴァンとオーランドと……いや、もう言うまい。
現実というものは、想像よりも遥かに恐ろしい結末をもたらすらしい、ということを、僕はこの一年で知った。結果については、どうか、察して欲しい。とにかく、幸せそうだったから、そう、それが大事だ。多分。
その際に、召喚前に、羽里がちらっと言っていた、ヤマダくんが書いた置き手紙、というか家族への手紙を僕に託したので、僕という人間が「巻きこまれた」意味もあったのかな、と、そこそこ思うことができた。
中身に、詳しすぎる近況が書かれていないことを、祈っている。
心から、祈っている。
(頼むよ、ヤマダくん!僕、ご家族に、渡しちゃうからね!)
一年間、共に戦ったヤマダくんは、僕自身はじめての親友ともいえる存在だったので、正直、寂しかった。ぐっと握手をしたときは、お互いに無言で俯いてしまったが、僕の中では、様々な感情が渦巻いていた。普段、話が途切れない彼のことを考えると、ヤマダくんの中でも、そうだったのかもしれない。
パーティメンバーには、何も告げずに帰ろうとする僕に、ヤマダくんは、最後まで「ヒューには会わないの?」と、ずっと主張していたけれども、でも僕は、ヒューの顔を見たら、見た瞬間に、号泣して、わけがわからなくなる自信があった。
ヤマダくんとも、もちろん、一年をともにして、すごく楽しかったのだけど、僕の魔法のことも、それ以外の時間も、僕はヒューとばかり過ごしていたから。それはイコールで、ヤマダくんが、シルヴァンとオーランドとばかりいた、ということでもあったが、いや、それ以上は語るまい。
ヒューとは本当にいろいろあった。
彼と僕は、ドーナツなしでは語れない、それはそれは面白おかしな一年を過ごしたのだ。ドーナツに怯え、恐怖し、震え、頭を抱えるヒューを思い出すと、おかしくてしょうがない。
「ふふ」
だけど、僕は、ヒューに、ちゃんと伝えていたのだ。
僕には、放っておくことのできない、おかしな妹がいる、と。そして、僕は陰キャで、学校では、ほぼ一言も話さないかもしれないけど、家族はみんなとても優しくて、この冒険が終わったら、地球に帰りたいのだと、そう、何度も伝えていたのだ。
ヒューはちょっと悲しそうな顔をして、それでも、「そうか」と笑っていたのだ。
正直、ぎゅうっと掴まれたみたいに、心臓が嫌なかんじに痛み、それから、胃も痛かった。それでも、僕はどうしても、家族のことを忘れられなかった。
僕が黙っているのを見たヒューが、そのあと「もし、本当にノアがチキューに帰れたとしても、気にするな。なんかの拍子に、俺がどうしてもノアのまぬけな顔が見たくなったときは、自分を転移させるからいい。天才魔術師だからな」と、いつも通り、つんつんと言ってくれた。
その言葉は、僕をとても安心させてくれた。
まぬけとは言われているけれども。僕はヒューがいつか、僕に会いにきてくれるのを楽しみにしていようと思っていたのだ。
ヒューは天才魔術師だから、きっといつか、ひょこっと遊びにきてくれると思う。
「………うん」
ともあれ、帰還して僕がまず思ったのは年齢のことだった。
時間が経っていないことはよかった。だが、このまま、またなにかに巻き込まれたりしていくのなら、僕だけが、二十七歳高校二年生といったような、どこぞの悪い不良学校の、―――いや、悪いから不良と書くのだろうけど、その中でも、さらに一番悪い不良にありそうなことになってしまいそうだと思ったのだ。
僕の頭がもし、フランスパンのような髪型で、顔ももっと、「おらおら」みたいな気合いと迫力のある、男らしいかんじであれば、二十七歳高校二年生でも、それはまた、新たに面白おかしな物語がはじまりそうではあった。が、残念ながら、僕はフランスパンをつけて、あんなに潔く、自分の顔をまるっと人前に出す自信はなく、顔の半分を前髪で覆っているスタイルに戻る予定である。
そんな陰キャ二十七歳高校二年生の物語が、もし本当にはじまるとするのならば、それは、『僕の学校には、二十七歳の高校生がいます』というタイトルの、ただのホラーであった。
しかし、その辺は、ありがたいことに、この世界の強制力のようなものが働くようで、きちんと管理されているようだった。過酷な一年間で随分やつれてしまったかと思ったのだが、特に老いることもなく、時間でも巻き戻ったかのように、ぷりん、と元の自分に戻った。もうどこからつっこんでいいのかは、よくわからない。だが、今はそっとして置こう。疲れているから。そう、僕は疲れていた。
が、疲れきった頭で考えなくてはいけないことが二つほどあった。
一つは羽里のこと。幸せになったヤマダくんはともあれ、そうなのだ。僕が兄として、羽里を守りたいというのは変わらない。しかし、もはや論点は、僕が羽里の側で過ごしていればいい、などという次元ではなかった。
いよいよ僕の日常が非日常じみてきたからだ。
いや、異世界から帰ってきて、どの口が『日常』などというところだが、現状、地球では一日しか経っていなかったのだから、僕の日常は昨日まで続いていて、また明日から、通常どおりにはじまると考えていいのだと思うのだ。
異世界人と思しき薄茶色の髪の男も、邪神も、確かにそこに存在した。本当に山田くんは勇者として異世界を救ってしまったし、このままでは、本当に、いつか羽里も異世界転移してしまうかもしれない。
もう、これは、僕が、羽里の異世界転移をどうやったら阻止できるのかどうか、という話になってきているのだ。僕は断固として、それを阻止しなければならない。
そして、もう一つ。僕は言わねばならないことがある。
「おい、時間経たないじゃないか!!」
「そうだな。異世界転移など、大概こんなものだ」
僕はがっくりと肩を落とした。
僕がこの一年間抱えていた心の闇は、美味しく邪神にいただかれた上、全くの空回りな闇なわけであった。
僕は、だんだん『邪神の仕組み』を理解しはじめてきた。
しかし、それを悔しいとは思うものの、それでも時間がたっていなかった喜びと、帰還できた安堵の方が勝った。そうか、異世界転移をしても、帰還したときは、そんなに時間が経たないというのなら、僕はこれからもし、また同じような目に会ってしまったとしても、もう、時間のことは気にしなくていいのか、と、僕は、ほっと胸をなでおろした。
そのとき僕は気がついた。
「あれ?でもそれじゃあ、もしまた同じような目にあったとして、僕は心に闇を抱えることにはならないだろ」
「自ら、我輩の糧を心配するとは、ずいぶんと高尚な態度だな。ああ、だが心配することはない」
妙に嬉しそうに笑いながらそう言った邪神を見て、僕は身震いした。
(心配することはない…だって?)
邪神は僕に言ったのだ。これから|何《・》|度《・》|で《・》|も《・》地球に返してやる、と。
それは、僕がこうして地球に戻ってきたからと言って、今、僕の元を離れる気はないということだ。現に今、全くその存在を、僕の目の前から消すような素振りは見せず、そのふてぶてしい顔で、にやにやと笑いながら、ぽてっとした手をむにむにといじっている。ということは、僕がまだ、邪神の食料として数えられているということだ。
つまり、先ほどの台詞の、その後に続く言葉はこうだ。
(心配することはない。『お前はまた新たな心の闇を抱えることになるから』)
僕は、くそう、と、内心盛大に舌打ちをした。
一年間だ。一年間、僕は心に闇を抱き続けてきたのだ。僕の心の闇の味が、美味しかったのかどうか、ということは僕にはわからない。だけど、こうして、邪神は僕から離れる気配すらない。そして、邪神の顔を見ていればわかる。期待しているのだ。嬉しそうに。これから僕が抱えることになる心の闇を。
一体何が起きるんだ、と、僕は眉間にしわを寄せた。でも、ーーー
(大丈夫。僕や家族に危害は及ばない。僕が心に闇を抱えるだけ)
今の僕にとっては、それだけが全てだった。それを支えにするしかできなかった。とにかく、今は帰ってきたことを喜ぼう。僕はそうして、一年越しに迎えた日曜日の、朝の惰眠をむさぼるために、そっと目を閉じた。
そして、そのとき、再び僕の部屋の扉がバンッと開いた。
ものすごく嫌な予感がした。
「お兄ちゃん!魔法のランプ見つけちゃった!」
僕は顔を引き攣らせた。
つき抜けた明るさで、至極明瞭に、明確な口調で、明らかに、僕の次の闇がもたらされた。
羽里の手に、古ぼけた魔法のランプのようなものと、先月彼女がやりかけていたBLゲームの存在を確認した。なんだあの変なランプは、と思ったが、またしても何らかの呪物であることが予想された。
そして、僕の脳裏に、邪神の嬉しそうな顔が思い出された。まさか、まさかそんなことはないはずだ。まさか、そんなはずはないはずだ。まさか、ーーー
そして、その数刻後、その呪物を骨董品屋に売ってしまおうと町を歩いていた僕は、狭い路地でそのランプを落とし、疲れたかんじの会社員のおじさんが、それを拾ってくれた瞬間、白い光に包まれ、再び叫ぶことになった。
「うそだろおおおおおおおおおおお」
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