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第12話 神子と再会

  「ああ!よかったああああ」  へにょっと眉毛を下げて、僕の手を握りながら、黒髪の美少年が脱力した。  そう、この美少年、ーーーミズキさん、こそが『砂漠のトリニティ』の主人公である。ゲームでは十八歳という設定であったが、そのくらいなのだろうか。その中身があの、くたびれたアラフォーのおじさんであったことは、多分、僕しか知らない。それはもう、誰にも言うまい。  どうやら、優しいミズキさんは、召喚後、我にかえり、僕のことを思い出したらしい。そして、奴隷として売られたことを知り、大変な騒ぎだったのだとか。特徴を聞き、エミル様が名乗り出るまで、心配で、ごはんも喉を通らなかったらしい。本当に、優しい人なのだと思う。  今朝、エミル様に、「ノア。神子と一緒にこの世界に来た『タブンコーコーセー』というのは、お前のことだな?神子が呼んでいるから、王宮に一緒に来い」と言われたときは、名乗りでるかちょっと悩んだが、ミズキさんの様子を見る限り、一応来てみてよかった、と思った。  そもそも、羽里の魔法のランプのせいで、本当の意味で巻き込まれたのは、ミズキさんなのだ。羽里の魔法のランプというと、羽里がなんかアラジン的なもののように思えるが、あの妹のことだ。おそらくランプを擦ってみただろう。何事もなく、僕に手渡してきたことを考えれば、ジンは出てこなかったと思っていいはずだ。 「ご、ご心配をおかけしました」  僕が、おどおどしながら、そう言うと、ミズキさんは心底安心したような顔で、くしゃっと笑った。  僕が案内された場所は、王宮の中庭だった。そこには大きなテーブルが用意されていて、色とりどりのお菓子やフルーツが用意されていた。まさか、こうして、羽里のやっていたゲームの、王宮に来ることになるだなんて、夢にも思わなかった。いや、確かに、ユクレシアでも、歓迎の晩餐会みたいなものがあったことも思い出した。普通に日本で過ごしていたら、考えられないことだな、と、僕は改めて思った。  ミズキさんの隣には、金髪に青い目をした美丈夫。国王・セドリックの姿がある。そして、向かいにはアルノルト騎士団長、それに、エミル様である。 (やばい。主人公と攻略対象三つ巴、と、|奴隷《ぼく》)  羽里が鼻血を出して喜びそうなシチュエーションだが、奴隷が一人混ざってしまっている。これは一体どういう状況だろうか。ひとしきり安心した様子のミズキさんを、あたたかく、優しげに見守る国王の視線に、僕はつい、ヤマダくんの時と同じように、ミズキさんの尻を確認してしまった。  制服を着たヤマダくんのときとはちがう。白い布を巻きつけたような、若干ギリシャっぽい神子の服に包まれた、ミズキさんの尻は、男らしいというよりは、小ぶりな、きゅっとしたかんじなんじゃないかと、僕は予想した。  そして、僕は気がついた。 (僕は、尻評論家か!)  まずい。このまま、羽里の陰謀により、僕がこうしてBLゲームの世界ばかりに飛ばされた暁には、いずれ僕は、その人の顔を見ただけで、尻の色形まで想像できてしまうような、ニュータイプの変態になってしまう。  しかも、さらに信じられないことに、今、僕はナチュラルに「脱がせやすそうな服だな」と思ってしまった。僕の思考は完全に腐りきっていた。  僕が青ざめているのを見つけたエミル様が、珍しく「そんなに緊張しなくても大丈夫だ」と口を聞いてくれたが、僕は正直、緊張などしていなかった。恐ろしい未来に震えていただけなのだった。 「でも、ノアくんをエミルさんが引き取ってくれていて、本当に良かった」  にこにこしながらそう言う、ミズキさんは、あのくたびれていた姿からは想像もできないほど、華やかな美少年だ。  ただ、僕の心配で、ごはんも食べていないとのことだったので、ちょっと顔色が悪いように見えた。  これは、早めに退散した方がいいかもしれないな、と思った。が、僕はお菓子のプレートにドーナツがあるのを見つけて、手を伸ばした。 「ミズキさんも元気そうで良かったです。神子様としてのご活躍も聞きました!」  そう、主人公の神子は、攻略対象と一緒に、国内を視察したりしながら、この国に雨の恵みをもたらし、そして、国を支えていくのだ。その過程で、もちろん恋愛に発展し、いろんな色々がある。  僕はドーナツを、もしゃもしゃと口に入れながら、ミズキさんが、この世界でしたことを楽しそうに話すのを聞いて、そのとき、ふと、思った。  ミズキさんは日本に帰りたくないのだろうか。  前回のヤマダくんは、自分の意志で、日本には帰らないと言っていた。でも、まだ冒険の始めの頃は、多分、帰りたかったはずだから、と思い出す。でもミズキさんは、どうも楽しそうに見える。 「ミズキさんは、地球には帰りたいとは思わないんですか?」 「え?うーん。僕はないかな。この国には、僕にしかできないことがあるし、それに、僕は日本に家族はいないんだ。毎日毎日仕事ばかりで…ほら、君に会った時も、日曜日だったのに、僕、スーツだったでしょう?覚えてないかな」  そうか、と、僕は納得した。  確かに、家族もいなくて、この世界でのやりがいみたいなものがあれば、この世界の方が楽しいかもしれなかった。が、ミズキさんは、自分の尻が狙われていることを理解しているのだろうか。隣にいる国王セドリックの視線は、とろとろに甘い。このまま行けば、時期的なことを考えれば、次のイベントでは、もう壁ドンなはずだ。  普通に考えれば、普通の日本人男性は驚いてしまうイベントだと思う。そのとき、ミズキさんの頬についたクッキーのカスを、国王セドリックが、ぐっと指で拭った。  そのとき、僕が気がついた。 (あ…ミズキさんの視線も、ちょっと甘い)  ←↓←↑→↓←↑→↓←↑→ 「締まりのない顔だな」 「はぐぶっ」 「よく、そんなところで眠れるものだな」  目を覚ました僕の目の前に、超絶美形なエミル魔術師長の顔があって、僕は、それはそれは変な声を出した。恥ずかしい。僕は、じゅるっとよだれを吸いこみながら、思わずきょろきょろと辺りを見回した。  そして、ここが、エミル様の寝室で、僕はその掃除をしながら、うとうとしてしまったことを思い出した。  周りをよく見てみれば、僕は窓際の椅子に座って、窓枠に肘をついて眠ってしまったようで、完全なる職務怠慢であった。  しゅぴっと立ち上がり、「す、すみません」と言って、その場を立ち去ろうとした。が、ぱしっと手を掴まれて、そのまま言われた。 「せっかくだから、付き合え」 「へ?」  僕が首を傾げていると、顎で、執務室の方のソファを示され、そのテーブルにお茶菓子が置かれているのが見えた。それを見て、僕はサアァと青くなった。  そこにティーセットがあると言うことは、セバスさんか、あるいは、主人であるエミル様の手を煩わせてしまったということだった。が、エミル様の有無を言わせぬ視線の前で、僕は凍りついた。  というか、エミル様はどうしてしまったんだろう。人とは一定の距離を持ち、一人の時間を何よりも愛しているような方なのに、と僕は思った。主人公とだって、お茶をともにしても、会話すらないエミル様だ。  僕の頭は疑問符でいっぱいになった。 (???)  仕方がないので、エミル様のお茶をこぽこぽと注ぎ、エミル様と向かい側のソファに腰を下ろした。お茶菓子を見てみたら、プレートには、なぜかいろんなドーナツがあり、僕の目は釘づけになった。中でも、水色のチョコレートが付いているドーナツが気になって、気になって、気になった。 (食べてみたことない。何味なんだろう)  そんなことを考えていると、エミル様がその様子をじっと見ていることに気がついた。もしかして、エミル様も、水色のドーナツが好きなのかもしれなかった。取られると思ったのかもしれない。だけど、しばらくすると、ぽつりと尋ねた。 「お前は神子のように、この世界に残ろうと考えたりはしないのか」  尋ねられた質問が、予想外すぎて、びっくりしてしまった。まさか、エミル様が、僕自身のことを尋ねてくるなんて、思わなかったからだ。それに、エミル様の質問は、どこか、僕が帰る術を持っていることを知っているかのように聞こえて、おや?と思った。よくわからなかったけれども、とりあえず、首を振った。すると、なんと、エミル様がその話題を続けてきた。 「たとえば、この世界に、大切な人ができたらどうするんだ?」  僕の脳裏に、なぜかヒューの顔が浮かんだ。  なんせ、ユクレシアから帰還したのは、まだ先週のことだったのだ。あの身を切るような痛みは、耐えがたかった。「大切な人」という言葉を、エミル様がどういう意味で使っているのかは、よくわからなかった。そのままの意味なら、僕にとって、ヒューもヤマダくんも、大切な人であることに、間違いはなかったのだから。でも、僕はその「大切な人」たちよりも、あのとき、家族を選んだ。あの手のかかる妹が、どうしても心配だったのだ。  僕が少し、考えてしまったのを見て、エミル様が「ふう」と、ため息をついた。僕はエミル様みたいな人だったら、どう思うんだろうと、少し気になった。そして、尋ねてみた。 「エミル様だったら、どうするんですか?」  世間話みたいなものだった。エミル様は一瞬、動きを止めて、そして、口を開いた。答えてくれるわけないだろうな、と思いながら、口にしたことだったから、エミル様が何か話そうとしてくれていることに、ちょっとびっくりした。 「私は、大切な人と共に過ごしたい」 「え!わ、へええ。わ、え!?ご、ごめんなさい。ちょっと、意外だったので」  その真摯な表情に、いや、いつもの無表情ではあったけど、僕は挙動不審になるほど、驚いた。今まで、人形かエミル様か、あるいは、怪談話かエミル様か、みたいに思っていた人の、生の感情に、僕はあてられてしまった。もしかして、意外にも、愛情深い人なんだろうか、と、思った。僕がうろたえているのを見て、エミル様がぽつりと言った。 「ずっと、追いかけている人がいる。だけど、何度追いかけても、どうしても届かないんだ」 「え!エミル様がですか?!」  僕は今度こそ、本当に驚愕した。いや、先ほどから、何度も驚愕しているわけだけど、これは、まさかの展開である。「ずっと」ということは、ミズキさんのことではないだろう。僕がこの部屋で居眠りをしたことで、まさかの、エミル様の恋愛相談スイッチが入ってしまったようだ。  確かに、人生の酸いも甘いも知っているようなセバスさんに尋ねるよりは、僕に尋ねた方が、まだ年代は近いかもしれない。だが、恋愛経験が皆無の僕に相談をしたところで、それは、なんていうか、全てが全て、机上の空論でしかなかった。  いや、きっとエミル様は、僕にアドバイスを求めているわけではないはずだ。おそらく、思いの丈を聞いて欲しいだけなんだ、と思い直す。そして、僕は壁になったつもりで、その壁に、思いをぶつけてくれ、と、ばかりに、エミル様を見た。  が、エミル様が浮かべている、その憂いの表情の色っぽさに、僕は、壁であったことも忘れて、なぜかまっ赤になってしまった。そして、その僕の様子にエミル様から、まさかのツッコミまで頂戴してしまった。 「なんで、お前が赤くなるんだ」  なぜか不機嫌になってきたエミル様を見て、しまった、と僕は思った。壁役が赤くなっている場合じゃない、と思い直した。が、エミル様とこんなにも会話が続いたことがなかったので、僕はびっくりしていた。さっきから驚きの連続である。  それにしても、エミル様が追いかけるだなんて、想像できないな、と、僕は思った。どんな風に追いかけるんだろう、と、僕は考えてみた。 (綺麗な女性がいて、その人が「ごめんなさい」と、逃げているとして、エミル様は…)  僕は、「あっ」と言って、手を挙げたまま固まるエミル様を想像した。あれ、追いかけなさそうだな、と正直思った。或いは、なんか、もう、叶わない恋を悲しみ、相手を氷漬けにでもして、部屋に飾っていそうだな、という恐ろしい想像が広がった。そして僕は気がついた。エミル様が、アクションを起こしているのが、想像できないのだ。  追いかけるとか、走るとか、手を引くだとか、「好きだ」と告白することさえも。なぜかエミル様を見ていると「もう限界なんだな」っていうかんじがした。なんだか、もうすぐにでも、ぽきっと心が折れてしまいそうな、そんな雰囲気を感じた。  何故かはわからない。  でも、どうしてか僕に、「諦めろ」と言って欲しいんだっていうのが、伝わってきた。だけど、ーーー。  僕は、むむむ、と頭を抱えた。  そして今、恐ろしいほどに整ったエミル様の顔を目の前に、恋愛経験ゼロの僕の、全く役に立たない意見がはじまろうとしていた。  僕は意を決して口を開いた。 「そのままじゃ、だめなんですか?」 「え?」 「あ、いえ、エミル様の状況もわからないのに、勝手なこと言ってすみません。ただ、すごく好きなら、諦めるも大変だと思うし、追いかけるのも、なんだかエミル様疲れてしまっている気がして。あの、僕、大切な人を想う気持ちって、すごく、すごいことだと思ってるんです。諦められないほど好きな人がいるって、本当に、すごいことだと思います。だから、その気持ちは、そのままにして、それはそれで大切にしてあげたらどうですか?」  好きになった人すらもいない身分で、何を言っているのだ僕は、と言うツッコミが、自分の中で荒れ狂っていた。ふわふわ白髪のカツラをかぶり、「恋愛とは〜」と、白衣で教鞭を振るう|陰キャ《ぼく》の映像が繰り返し頭を流れていた。  でも、人を好きになると言うことは、もちろん、相手の人がいないとダメなことではあるのだけど、そうじゃなくて、ただその好きになるっていう気持ち自体が、僕にとっては、なんだかすごいことだった。  たとえば、ヒューがいて、いや、なんでヒューなのかはよくわからないけど、僕がヒューを好きだとして、ヒューが僕のことを嫌いだとして。それでも、そうだとすれば、ヒューはもちろん大切だけど、ヒューのことを好きでいる気持ちっていうのは、きっと、いろんなことを含んでいる。  ああいうことがあって、そんなことを一緒にして、こう思った、みたいな、過程というか、その全てを、諦める必要なんて、どこにもない気がしたのだ。その気持ちは、とても大切なことな気がしたのだ。だから、エミル様が、たとえ相手のことを諦めなくてはいけない状況だったとして、その気持ちまでを捨てなくてはいけないはずはなかった。  なんていうか、飼っていた犬が死んでしまって、それで、その大好きだったという思い出まで、捨ててしまおうとしているような気がした。多分、いつも犬のことを思い出すわけではない。その度に、きっと悲しい気持ちにもなるけど、もっと大切な、大好きだったという気持ちは、ずっと、ずっとあっていいもののように思った。  僕の恋愛レベルでは、恋愛的に好きな人のことはわからなかった。思い出したのは、おじいちゃんのうちの柴犬のことだったけど。  エミル様は、僕の拙い意見を、しばらく考えているようだった。無表情で、ずっと口元を抑えて、固まっているエミル様を見て、本当にその人のことが大切なんだな、と僕は思った。そして、本当にしばらく固まっているので、もう、そろそろ僕は、その水色のドーナツに手を出してしまおうか、と、考え始めた頃、エミル様が「そうか。そうだな」と小さく言って、そして、何か憑き物でも落ちたかのような顔をして、僕に言った。 「じゃあ、実験に付き合ってくれ」  ーーーーーーへ?  僕は、こてんと首を傾げた。  いやいやいや。一体何が「じゃあ」で、どうして僕が「実験」に付き合わなくてはいけないことになるのかはよくわからなかった。が、エミル様が、僕の思考がわかっていたかのように、目の前に水色のドーナツを差し出してきて、僕はうっかり、それを受け取ってしまった。 「よろしく頼む」  そう言って、珍しく、目元を優しげに緩め、実験室の方へ歩いて行ってしまった。僕は一人、もしゃもしゃと、その水色のドーナツを食べながら、首を傾げた。僕がそのドーナツを受け取ることで、ものすごいことに買収されたのではないか、と、気がつくのはもう少し先である。元から、実験動物として買わられたのではないかと思っていたことすらも、そのときは忘れていた。  僕はもっもっと口を動かした。  すうっとした味と一緒に、チョコレートと、ドーナツの甘さが広がった。 (ミントチョコレート味…)

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