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第19話 要求
「お兄ちゃん、いつ帰ってきたの?あれ、何この砂。掃除機持ってこようか?」
僕は自室のベッドから、ちょうど転げ落ちたところであった。どたばたと階下へ降りていく、羽里の後ろ姿を見ながら、涙がぽろっと溢れた。
よくはわからない。よくはわからないが、その涙が、帰還した安堵だけによって、もたらされたものではないことは、明らかだった。妹の口ぶりから、またしても、そんなに時間が経っていないことが予想された。
(エミル様…無事に戻れたかな…)
もう少し、一緒に過ごしたかったのかと問われると、答えるのは本当に難しい。僕がどうしても、羽里を放っておけない以上、一番しっくりくる答えは「また会いたい」だ。だが、四年である。四年、ほぼ毎日一緒に過ごした人だ。
正直、辛かった。
手紙を書くことができたけど、ろくにお別れも言えない。まだ二つ目の世界ではあったが、僕はかなり疲弊していた。後、いくつの異世界が、僕のことを待っているのかは知らないが、精神的にも肉体的にも、疲れていた。
すごく疲れていた!
どれくらい疲れていたかというと、「もうやってらんねーよ」と、さじ的なものを投げ出したいくらい疲れていた。が、現状、僕の部屋には、さじ的なものはなく、僕は何かに必死に取り組んでいたわけでもなく、明らかに医者でもなかったため、とにかく投げるさじはなかった。仕方がないので、僕は、ポケットから取り出した邪神を、ぽいっと投げた。
人は心が疲弊した時に、『魔がさす』という言葉があるが、今の僕には『邪がさす』という感じであろうか。そして、邪がさした僕は、部屋で一人、呟いた。
「次は何が起きるのか、教えてくれ」
「ほう、それは願いか?」
案の定、くつくつと嬉しそうに笑いながら、僕に投げ出された邪神は、ふよふよと、宙を浮き沈みしていた。そしてその短い足を、一体どうやっているのかは知らないが、無理矢理、組みながら、ふんと鼻を鳴らした。僕は、くっと眉間にしわを寄せ、これ以上、心の闇を伴うことになっては困る、と悩んだ。が、悩んでいたら、邪神が「こんなことくらいで闇を要求はせぬ」と、笑った。じゃあ一体何を要求するというんだ。家族の何かか、僕の記憶か、寿命か、なんだ、と、僕は、ぷるぷる震えていた。
「チェリーぱふぇノワール」
邪神の要求が出た。
アメリカンチェリーソースを染みこませたスポンジをベースに、チョコレートクリームと、チョコレートの欠片がちりばめられた普通のホイップクリームとで、チョコレートシフォンを交互に挟み、構成されたパフェを、さらにダークチョコレートコーティングしたという冬期期間限定のコンビニスイーツ。
僕の常識を超え、コンビニスイーツの常識を超え、300円という価格の壁をひらりと飛び超え、突然の高級感をともない、420円で販売されたそのスイーツは、なんと世間の声に答え、その暑苦しい、まさに冬のスイーツといった容貌を伴いながら、通年販売へと駒を進めてきた強者である。
邪神が出現した夜に、やたら邪神が腹が減っているというので、羽里が買ってきたものを冷蔵庫で見つけ、あげた。それが気に入ったらしい。
ノワールとついている辺りが、妙に邪神感を演出しているが、特にそういう理由で好いているわけではないらしい。その要求をされたときは、無視していたが、今日ばかりはその420円の重みをひしひしと感じていた。
「わかった」
苦渋の決断だった。
バイトをしていない高校男児にとって、420円を無下に手放すことは、半年分の寿命を渡すくらいの重みがある。それを心して加味していただきたい。
「半年分が多いのか少ないのか、いまいち分からぬが、お前の寿命分要求できるというのなら、あと11個か」
普通に心を読まれた。心が読めるのか、と聞いたときには、そうではないと言ったくせに、結局読めるのかよ、と、心の中で、ツッコんだ。よく考えてみれば、この邪神は、心どころか、未来すらも把握しているのだ。流石は神である。一体どこまで、なんでも、お見通しなのか。全くもって、忌々しい。
(いや、ちょっと待て。11個だと…?)
なんということだ。僕は21歳で死ぬのか。それをチェリーぱふぇノワールで数えられたのか。積み上がった個のコンビニスイーツを想像して、その、少なすぎる印象に、ひやりと嫌な汗が背中を伝うのがわかった。
その様子を見ながら、相変わらずくつくつと、邪神が笑っていた。
「冗談だ」
僕は思った。
(いや、笑えねーよ!)
邪神ジョークはブラックジョークよりも暗黒色が強すぎだった。「お前の寿命はあと五年だぜ」「まじかー辛いー」「あははは、うっそー」という流れで、今の冗談を笑えるとすれば、その相手も確実に邪神であった。そういうのは邪神同士でやってくれ、と、僕は思った。
そして、邪神というのは、神ではなく、もはや悪魔の一種に数えようと、僕は思った。僕がくそっと悪態をつく間もなく、邪神は続けて言った。
「次は、多分、また週末だろう。それまで療養するといい」
「ちょっと待て、何が起きるんだ。次は!」
「それを知ってどうなるというのだ。また異世界に行くのだ。それ以上のなんの情報を求めている?」
邪神にそう問われて、僕は思った。
(確かに!)
週末だとわかっているのなら、僕は何かしらのアリバイ的なことを、どうにかひねくり出すことができそうだが、どんな異世界に行くのかがわかっていても、どう準備をしていいのかはわからなかった。「次の異世界は『地獄』が舞台だよ」と伝えられたところで、僕は槍や剣を用意することはないし、母さんが貸してくれたシャベルは、異世界人と思しき男に、もうあげてしまったのだ。
しかし、そのとき僕は気がついた。
羽里の釘バットを借りたら、なんだか地獄でもやっていけそうな気がする。
が、僕の行く先が地獄かどうかはわからない。もし地獄ではなく、天界的なところだった場合、召喚された瞬間に、釘バットを持っているのはまずい。おそらく、そのまま雲の上から突き落とされて、そのまま地獄まで落ちていくことになるだろう。おや?それなら結局ちょうどいいではないか。と、そこまで考えて、ハッとした。
いや、違う。そういう話ではなかった。やっぱり行き先は大事ではないか。
「行き先も教えてよ」
すると、邪神がそのぷにぷにの丸っとした手を、無理くり3本立てて、僕に要求を顕にした。
(3チェリーぱふぇノワール、1260円…くっ)
僕が悩んでいたとき、トントンと二階に戻ってくる羽里の足音が聞こえた。掃除機を持ってきてくれると言っていたことを思い出した。邪神は、しゅっと僕のポケットに戻って行った。なんて素早い動きなんだ。
「はい、お兄ちゃん。これ、ほんとどうしたの?」
「ああ、母さんに頼まれた園芸用の砂が袋から漏れちゃったのかもしれない」
「そっか。じゃ、終わったら、買ってきたゲーム一緒にやろう」
そう言って、僕の返事も聞かずに、羽里は自分の部屋へと戻って行った。その羽里の手にあったゲームのタイトルが、ちらりと目に入った。
(もふもふ♂パラダイス……)
チッというあからさまな舌打ちが、僕のポケットから聞こえた。
「…………まさか」
「お前、次の世界には何年いることになるのかを知りたいのではないか?」
「あ…っておい、そんなことまでわかるのか!」
そして、そこまでして、3チェリーぱふぇノワールを食べたいのか。
だがちょっと待て、と、僕は自分に静止をかけた。そう、『邪神の仕組み』を理解してきている僕は、思ったのだ。邪神のする行動は、より、僕の心の闇を増幅させることの方が多い。
確かに、今、尋ねたのは僕だが、一度目、二度目では、僕がどれだけ頭を悩ませようとも、期間などを言及しなかったくせに、今回に限り、教えてくれるような素振りを見せているのだ。これは、『邪神の仕組み』を理解してきた僕からしてみると、そうする方が、より一層、僕の闇が深くなる可能性があった。
よく考えてみよう。
たとえば、期間が一年です、と言われた場合、僕は「やった!」と思うはずだ。が、期間が十年です、と言われた場合、僕の闇は深くなるはずだった。つまり、次の回は、またしても長いのではないか?という仮説が立った。
(十年…まさか十年、もふもふ♂パラダイスの世界に?)
僕は身震いした。十年というのは、ただの例でしかなかったけれども、それよりも長い可能性すらある。たとえ十年だとしても、やっぱり十年だと知っているのと、知らないのでは、知っている方がいい気がした。それなら、3チェリーぱふぇノワールは安いかもしれない。そうかもしれない、という結論に至った。
そして、僕は仕方なく、部屋に掃除機をかけて、羽里の部屋に向かう前に、コンビニに向かうことになった。そんな僕の心の葛藤を、全てお見通しな邪神は、僕が何も言っていないというのに、ふふんと尻尾を揺らしながら、言った。
「安心しろ。次は、一年だ」
忌々しい。本当に忌々しい。邪神には全てお見通しなのだ。
だが、一年は素直に嬉しかった。もはや僕にとって、一年は短いものとして数えられていた。でもその一年でまた、僕は大切な人が増えるのかな、と、ヒューたちやエミル様たちを思い出して、小さくため息をついた。もし、次に行く世界にも魔法があるなら、僕は通信具を作ってみようかな、と、ぼんやり思った。
そして、邪神をポケットにしまい、コンビニに向かいながら、心の中で何度目かわからない悪態をついた。
(………邪神め)
←↓←↑→↓←↑→↓←↑→
「え!お兄ちゃんどうしたの?何そのやる気。もしかして、もふもふ好きだった?」
「もふもふもふもふもふ」
「おおう、ほんとどうしたの、お兄ちゃん。疲れてるの?」
コンビニから戻ってきた僕は、3チェリーぱふぇノワールを自室の机に置き、そしてすぐさま羽里の部屋に来た。次の異世界が、おそらく『もふもふ♂パラダイス』である以上、このゲームの進行度合いは、僕の生命線なのだ。
こんなに命懸けでゲームに臨んだことはない。そして、僕が命をかけて臨んでいるゲームのタイトルをもう一度言わせてもらおう。
『もふもふ♂パラダイス』である。
これはおそらく、制作側も意図しなかったほどの本気度合いだろう。当たり前だ。まさか、『もふもふ♂パラダイス』に命をかける人間がいるとは、誰も思うまい。僕は文字通り、命をかけていた。本当に神様がいるのであれば、邪神以外の神様がいるのであれば、いや、神様じゃなくてもいい、誰でもいい。とにかく。
助けて欲しい。
僕の心の中には、様々な葛藤が渦巻いていた。
画面上の、♂しかいないもふもふの中で、もふもふしながら、僕の心の中には、様々な葛藤が渦巻いていた。そもそも、なぜ、男しかいないのか。多少、性別にくくりがあやふやな僕であるが、それでも思ってしまう。かわいい兎の女の子でも、リスの女の子でいて、仲良くなって、もしも許してくれるのであれば、僕だって、それはもふもふしたいところではある。が、その世界には、男しかいないのだ。
何故だ。何故、男しかいないのか。
出てくるキャラクターの人体の構造は、全くと言っていいほど、地球人の男の構造と、なんら変わらないように見受けられる。いや、動物の耳と尻尾が生えていて、獣化できるという点は違う。だが、そんなことは些細なことであった。そう、動物の耳と尻尾が生えていて、獣化できるということなど、生殖機能の前には、些細なことであった。
凸がついているのならば、相手には尻以外の凹が必要じゃないのか。
という僕のツッコミは、『BLゲーム』という言葉の前には、無力だ。そして、この『BLゲーム』という括りの恐ろしさは、そこだけには止まらない。羽里の読んでいる小説や漫画では、『BLゲーム』に転移、あるいは転生した、主人公が当たり前の様に、こう言うのだ。
『そっか!この世界はBLゲームなんだった』
そして、その魔法のような言葉は、女性が極端に少ない世界、あるいは、男しかいない世界を平気で構築し、男同士で愛しあい、男性の尻の穴に胎を作るか、突然「凹」が出現するか、あるいは卵生で出産することを罷り通らせる強|力《・》な|パ《・》|ワ《・》|ー《・》を持っている。
そう、あえて、『力』という言葉を重ねて言わせて欲しい。自然の摂理や常識をも捻じ曲げる、強力なパワーだ。もちろん、羽里と僕がやっているゲームは全年齢版なため、描写はない。が、その強力なパワーが何に基づいているか、ご存知だろうか。
愛の力である。
そう、愛の力に勝るパワーなど、この世に存在しないのだ。
火力、水力、風力、圧力、火事場の馬鹿力ですらも、愛の力の前には些細なことだ。何度も漫画やアニメで見たことがある。愛は地球をも、異世界をも、どこであろうとも、とにかく救うのだ。原子力に変わる、新しいエネルギーとして、愛の力を提案したいほど、愛には力がある。
そうして作られた『BLゲーム』の舞台となる異世界は、漏れなく、大体愛の力で、何事かの決着がつくのだ。愛は偉大である。
「私は、この白い虎さんがかわいいなー。はじめ俺様だけど、男らしいし、優しいし」
「そうか?この狼の方がかわいくないか?なあ、どうして猫は出てこないんだ」
「お、お兄ちゃん!ついに♂キャラにもタイプが?猫はね…まあ、言葉のイメージかなあ?」
「???」
僕が前のめりなって一緒にプレイするのは、はじめてだったから、羽里のテンションも高かった。嬉しそうにしている内容が、BLゲームなので、共通の話題としてはいかがなものかとも思うが、妹が嬉しそうだったから、それはそれでいいかと思った。
また明日もやろうね、と、半ば無理矢理に約束させられてしまったが、僕には断るという選択肢はなかった。
パタンと自室の扉を閉め、「はあ」とため息をついた。が、そこで、冷静になった僕は、気がついた。
(あ…れ……?)
そもそも、僕はどうして今、当たり前のように、次の異世界転移に巻き込まれる想定をして、BLゲームに勤しんでしまったのか。よく考えてみれば、それを回避するという選択肢もあって然るべきだ。僕は羽里さえ巻き込まれなければ、いいのだから、僕が巻き込まれる必要はどこにもないではないか。
机の上に空っぽになった、プラスチックの容器が三つ置いてあった。邪神の姿は見えない。
だが、僕は尋ねた。
「回避するという手はあるのか?」
「特別に教えてやろう。お前が回避をすると、妹が巻き込まれる」
「………くっ」
僕のクローゼットの中から返事が聞こえた。
無料で教えてくれる情報は、僕の闇を深くするための情報であった。一体そこで何をしているのかは定かではないが、もう、僕の疲れは限界に来ていた。
僕は、倒れ込むようにベッドに、ばふっと横になり、そして、全てを忘れたい、と思いながら、目を閉じた。せめて夢くらいは、いい夢だといいなあ、と願いながら。エミル様と、ヒューのことを、なぜか、考えながら、僕は、眠りに落ちたのだった。
翌日から、週末までに、なんとか2ルートだけ攻略できた。
そして僕は、羽里が見つけてきた、骨の形の石器のような、わけのわからない化石を持って歩いていたところ、ペットショップの前でそれを落とし、何故、狙ったかのように、この場所で落としてしまったのか!という後悔をする間もなく、ペットショップの店員を思わしき、優しいお兄さんがそれを拾った瞬間、例の如く、白い光に包まれた。
もう異世界転移も三回目の僕は、取り乱すこともなく、その光の中に消えた。
そう、僕はもはや、異世界転移のプロ的な存在である。
全く取り乱すはず必要などなかった。
当たり前だ。もう三回目だったのだから。叫び声など、あげるはずもない。
僕は冷静に、スマートに対応できて然るべきだった。
「ぎゃああああああああああああああ」
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