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第23話 <ユクレシアの記憶06>

  「俺は、お前が嫌いだ」 「え!」  ヒューがそんなことを言い出したのは、まだ魔王討伐の旅も中盤に差し掛かった頃だったかと思う。その頃には、もう、僕とヒューは二人でセットに数えられていて、ヤマダくんたちはヤマダくんたちで仲良くやっている頃だった。僕のゲームの知識は、旅の中でかなり役立っていて、その頃には、すっかり、ヒューも僕のことを認めてくれていると思っていた。  その日も、ヒューと僕は同じ天幕で野宿をしていて、そのときに、突然、ヒューがそう言い出したのだ。  僕とヒューは、同じ厚手の敷き布団の上に座っていたが、不穏な空気を感じた僕は、あぐらをかいているヒューの前で、なんとなく、ぴしっと正座になった。黄色みがかかった魔法蝋燭のライトが、優しくヒューの顔を照らしていた。 「鈍い。とにかく鈍いところが嫌いだ。あと、何か嫌なことを言われると、すぐにへこたれて、自信を失くすくせに、お前は、回復の方法を実は知っている。それはきっと絶対的な味方のいる家があるからだ。それがずるい。そして、それが、さらに、お前のことを鈍くさせている」 「え!」  ヒューの言っていることは、いまいちよくわからなかった。  僕の自己分析によれば、僕は悪意に弱く、すぐにへこたれるという性質を持っている。だけど、回復の方法、知っているだろうか。確かに、ずっと引きずるような方ではないと思っているけれども、鈍い?いや、すぐにへこたれるのだから、鈍いというよりは、繊細な気がするんだけどな、と思った。  僕が首を傾げていると、ヒューが言った。 「例えば、その前髪だ。今は隠してないが、お前は、そばかすのことを言われたから、隠していたと言っていただろ。だけど、それは、隠さなくてもいい相手がいるから、外では隠せばいいという、ただの回避方法でしかない。自信を失くして、全てが嫌いになって、恐ろしいから隠そうと言った、逃げの姿勢ではなく、それを不快に思う人がいる場所では、隠した方が無難だな、という、受け流しのための、シンプルな解決策だ」  ほう。確かに、僕は前髪でそばかすを隠したいと思っているし、そばかすはコンプレックスでもある。ただ、あのとき、小学校の一・二年生くらいだっただろうか。僕のそばかすを馬鹿にした、もう名前も覚えていない同級生が、とても複雑そうな顔だったのだ。なんというか、親に怒られたのか、あるいは、好きな女の子となんかあってイライラしてたのかは、わからない。おそらくは、八つ当たりであった。でも、その場にいた僕の顔についてるそばかすが、おそらくすごく気に障ったのだろう。  確か、その子は男の子にも、女の子にも、人気のある子だったと思うのだ。おそらく、僕も、好きだった。  それで、その子を不快にさせるくらいなら、隠そうと思った気がする。きっかけはそれであったが、伸ばした前髪は、視界を狭くさせ、物理的に、外界と自分との距離を作り、僕はあまり人と関わらなくなった。 (なんか、久しぶりに思い出したな…)  そして考えてみた。  いや、そのときは、恥ずかしかったはずだし、今だって、そばかすを取れるなら取りたいと思っているから、ヒューの言うことが全て正しいとは思わないけど。確かに、こうして異世界に来たときに、前髪をあげてもいいか、と、僕が自然と思うのは、異世界には、あの同級生がいないからなのかもしれなかった。  名前も覚えていないくせに、僕のコンプレックスの元となった同級生は、僕の中で、根強く残っていたのかもしれない。でも、そんなこと、はじめて気がついた。  なるほど、回避法か。  確かに、そばかすのことは嫌だけど、僕はそばかす自体が嫌なのではなくて、自分の顔についているそばかすが、同級生を不快にしたことが、嫌だったのかもしれなかった。だったら隠せばいいかということも、回避法と数えらえなくもなかった。  でも、とにかく、ヒューは断言してるけど、そういうわけではなかった。それに、それを理由に鈍いと言われるのは、心外だ。僕は文句を言おうとして、口を開いた。 「別にそういうわけじゃ…」 「それに、知っているか?凹んだときに、お前は迷わずドーナツを食べる。後、シルヴァンの料理を手伝っている。これは、自分が落ち着く方法を知っている人間の取る行動だ」 (そ、そんなに細かく観察されているのか…)  確かに。ユクレシアに転移してから、僕は、シルヴァンの料理を手伝う度に、なんだか頭が整理されてスッキリし、そして、ほわっとした幸福感のようなものが広がるのを感じていた。そうしてできた料理は、みんなが喜んで食べてくれるのだ。  それで、心が落ち着かないわけがなかった。 (料理は一石三鳥なのである。ドーナツは至高)  ヒューはよく人のことを見てるなあ、と僕は感心した。すごいなあ、とぼんやり聞いていたのが、さらにヒューを苛立たせてしまったらしく、ヒューはピクッとこめかみを震わせながら、続けた。 「さらに、俺が許せないのは、お前が、理解できない不可解なことに直面したときだ。突然、考えを放棄する。何故、どうして、と、疑問を常に巡らせているくせに、突然、『すごいなあ』みたいな、ぼやっとした感想を述べて、思考を放棄する。流される。それはなぜだ!」  今まさに、ヒューのことを「すごいなあ」と思っていた僕は、頭の中を指摘されたようでびっくりしてしまった。確かに、僕は、ものすごく考えるタイプだと自分では思っていて、すごく色々頭を悩ませるのに、突然、ぽかんと放棄する時がある。ヤマダくんたちのことだってそうだ。はじめは、何故、どうして、と思っていたけど、最終的に「愛ってすごいなあ」という感想で折り合いをつけた。 (長い物には巻かれろ的な、事なかれ主義だから…か?)  随分、仲良くなれたと思っていたけど、ヒューには、僕に対する文句がこんなにあったのか、と、正直びっくりした。そして、ヒューに言われた通り、僕は、「ヒューは色々考えててすごいなあ」という感想を折り合いをつけ、確かに、ドーナツを食べるか、料理を手伝いたくなった。  明らかに、ヒューの言う通りであった。  が、そもそも、どうしてヒューがこんなに腹を立てているのか、というところに戻ると、それは、実は、この頃には習慣になってしまっていた、ヒューと二人でいる、夜のことが原因であった。  僕は、その話をあんまりしたくなかった。 「お前は、どうして俺が、夜、お前とああいうことをしていると思っているんだ」 (ああいうこと……)  僕は、恥ずかしさのあまり、顔に熱が集まるのを感じた。  そう、あの夜。ヤマダくんとシルヴァンの情事に遭遇してしまった夜から、なんとなく、僕とヒューはたまにお互いを慰め合ったりしていた。  正直、羽里の漫画で見たりしていたときは、「そんなわけあるか」とか「こんな展開になるわけないだろ」と冷静にツッコミを入れていた僕であったが、自分がその立場になってみて、わかったことが一つある。 (あれ、本当に気持ちよくて…!)  思春期の男にとって、他人の手でしてもらう気持ちよさは、おそらく、それ以上の衝動がなければ、抜け出せないほどの刺激であった。それ以上の衝動、つまりは、好きな子ができるだの、かわいい女の子に告白されるだの、彼女ができただの、この現実の快感をも凌駕する、衝動がなければ、僕には抜け出せる気がしなかった。  しかも目の前には、信じられないくらい綺麗な顔が、ものすごくえっちな表情で、息を吐いているのである。僕は、ここから抜け出せる気がしなかった。  でも、ヒューがどうしてそういうことをしてるのかって、それは、−−−。 「き、気持ちいいから?だよね??」 「そういうところが、嫌いなんだよ」 「うっ」  確かに、羽里の漫画では、大体、ああいうことをしている幼馴染なり、なんなりは、どちらかが、あるいは、両方が、相手のことを好きなのだ。それは知っている。僕だって、かなりの量のBL漫画を読んできた人間である。  だが、ヒューが何故してくるのかと考えても、ヒューが僕のことを好きなわけはないのだから、それは『処理』でしか、ありえなかった。ヒューだって気持ちよさそうにしてるから、そうだと思うのだけど。 「普通はああいうことは、誰とするんだ」 「えっと…恋人、かな?」 「普通、恋人はどういう人間だ」 「え??好きな人??」  ヒューは、むっとした顔のまま、僕を少し上から見下ろしていた。背後にまっくろな背景と共に、ゴゴゴゴというキャプションを背負っているかのようだ。ヒューは、ものすごく怒っているのだ。  一体、僕にどんな答えを求めているのだろうか。ヒューの態度から察するに、「何故わからないんだ。このアホ」とでも言わんばかりだ。僕も羽里のBL漫画で、鈍い受けが出てくるたびに、「何故気づかないんだろう」と、思ったことがある。こんなにも攻めが、あからさまに大好きな態度で接しているというのに、受けって気がつかないことが多いよね、と、そこまで考えて、僕の脳裏に、「まさか」という一瞬の気の迷いが生まれた。 (いや、ヒューだよ?こんな王子様みたいな顔をした、ユクレシア随一の天才魔術師様で、主人公相手にだって、かなり後半までデレてこない、あのヒューだよ?僕相手に…?いや、絶対ないわ)  ありえなかった。ヒューの言う通りならば、僕は「鈍い」のかもしれなかったが、あのBL漫画に出てくる、鈍い受けのように、鈍いわけではないはずだった。だってそもそも、ああ言う受けは、変だなと思ったら、聞けばいいのだから。奴らは何故聞かないのか。  わからないことがあれば、尋ねればいいのだ。  僕は尋ねた。 「ヒューは、僕のこと好きなわけじゃないよね??」 「………嫌いに決まっているだろ!!!大嫌いだ!!!」  僕は「ほら、やっぱり」と、思った。  じゃあ何故、ヒューはこんなにも怒っているのだろう、と、いう振り出しに戻る。ヒューはいじっぱりだから、僕のことを本当に「嫌い」なわけではないと思うのだ。ただやっぱり、「好き」なわけではないらしい。この場合は、話の流れ的に、恋愛的な意味でだ。  どうしてヒューがああいうことをするのか。気持ちいいから、ではないと。僕は、うーんと首をひねった。合理的なヒューのことだ。気遣いなく、処理が同時に行えて、時間短縮になるため、とか。僕の知らない、何かの実験であるとか。  考えていたのだが、まともな考えに辿りつけそうになかった。痺れを切らしたヒューが、苛立ちを隠すことなく、低い声で僕に言った。 「………何か、俺に言うことはないのか」 (えー…)  僕は、とにかくこれ以上、的外れなことを言えば、ヒューをさらに、怒らせるのは目に見えていた。なので、仕方がないので、|僕《・》|が《・》何故ああいうことをするのか、を伝えることにした。ヒューの何故は、ヒューにしかわからないと思うのだ。 「僕は、あれ、すごく気持ちよくて」 「!」 「その、気持ち悪いかもしれないんだけど…僕は、ヒューの顔が、すごく好きで。きれいで、ずっと見てても全然飽きない」 「!!」 「だから、えっちなヒューの顔見てると、すごく、その…僕もやらしい気持ちになっちゃって」 「!!!」 「それで、その、やめられなくて。でも、ヒューが嫌なら、僕は、えっと」 なんだか僕は言いながら、恥ずかしすぎて、自分が何を言っているのか、わからなくなってきていた。ヒューが目を丸くして僕のことを見ていたから、相当おかしなことを言っていたはずだった。 でも、怒っていたヒューが、少し、やんわりとしたような気がした。そして、ぽつりとヒューが尋ねた。 「俺の顔が好きなのか。一番?」 「うん。今まで会った人の中で、一番ヒューが好き」 「………そうか。じゃあ、今はそれでいい」 ヒューが何に納得して、どうしてその時はそれでいいと思ったのかは、僕にはよくわからなかった。が、僕は、どうにか修羅場を脱したようであった。何が正解だったのかはわからない。でも、相手が何に怒っているのかわからないときは、とりあえず僕の気持ちを伝えてみるのは、いいのかもしれない、と僕は学んだ。 その夜、隣ですうすう寝ているヒューの寝顔を見ながら、やっぱり、すごくきれいだと思った。 ※※次の回からモフーン王国に戻ります。『ユクレシア』のことは回想形式で、今後も続いていきます。もし、わかりづらかった場合は、目次から<ユクレシアの記憶>だけ、つないで下さい。

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